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02

「ルシ! 目を覚ませ、ルシ!」

 軽く頬を叩く手の感触。目を開けるとすぐ近くにラヴァスの顔があった。寝台の端に腰掛けて、ルシの眼を覗き込んでいる。

 部屋へ連れてこられた後、どんどん熱があがっていったみたいで、お(かゆ)さえろくに食べられずに眠ってしまったのを思い出した。

「ラヴァス……僕……」

 ラヴァスが掛け布団の上からポンポンとルシを叩いた。

「まだ夜中だ。……起こして悪かったな。悪い夢でもみてるみたいにうなされてたし、それに……」

 視線をそらせたラヴァスが言い(よど)む。

 重く冷たい物がルシの胃に流れ込んだ。すごく嫌な感じがする。

「それに……何なんです?」

 理由のわからないあせりに突き動かされたルシは上体を起こしながら続きを(うなが)した。

「寝言を言っていた。多分、闇の言葉で。何かの呪文みたいだったんで万一発動したらと……」

「闇の言葉……!」

 夢の中の恐怖がルシに追いつく。

 体が震え、両手で膝の上の布団を握りしめた。目を覚ましたとたん忘れていたのが不思議だ。あれは、あの夢は――。

 その時、ルシの心に何かが触れてきた。おぞましく、それでいてよく知っている何か。それは彼を捜し求めているようで……

 だしぬけに、馬のいななきが響いてきた。一頭や二頭ではない。(うまや)にいる馬がすべて騒ぎ始めたようだ。

「ラヴァス!」

 我に返ったルシが呼びかけた時には、ラヴァスはもう服を着て、靴に片足をつっこんでいた。

「何が起きてるのか確かめてくる」

 言いながらチュニックの上に武器のついたベルトを締める。

 寝台から滑り降りたルシが頭板に掛けてあった衣類を手にして振り返ると、窓のカーテンを開いたラヴァスが鎧戸(よろいど)を押し開けていた。

 湿った夜の風が流れ込んでくる。

「病人は寝ていろ」

「でも、もう熱はさがっ……」

解熱剤(くすり)が効いてるだけだろ」

 ルシを(にら)みつけたラヴァスは、そこが二階だという事を気にする様子もなくひょいと外へ飛び出した。片膝を軽く地面について着地し、指先のない黒い手袋をはめながら向かいにある厩にむかって走り出す。

「うわあァ――っ!」

 屋根裏(うまや)で寝泊まりしている厩番の悲鳴が、いななきや蹄で激しく壁を蹴り続ける音を押し退けた。

 扉を開こうとしたラヴァスは中から(かんぬき)がかかっているのを知って舌打ちする。

 と、奥の方からわめき声が突進してきた。ガタガタ鳴る閂。

 ラヴァスが身を退いた瞬間、襲いかかるように観音開きの扉が開き、人が転げ出した。寝乱れ、取り乱した素足の男。立ちあがろうとして腰が抜けてしまっているのに気づき、両手をついたままひきつった表情で厩を振り返る。

 炎が馬房を舐めていた。

 ついさっき彼が落とした洋燈(ランプ)の火が、干し草に燃え移ってしまったのだ。

 燃え広がる炎に照らされて影が動いた。

 眼の隅に捉えた刹那、ラヴァスの背筋に冷気が走る。

 ソレは、もやもやとした何かだった。夜のように黒く、それでいて透けている。

 さざ波立つ水面のように(うごめ)くソレを凝視したまま、ラヴァスは腰にのばした右手で束ねた細縄をつかんだ。ベルトに作りつけられている短い帯革の留め具が外れ、縄の両端の()り戻しについている(てのひら)程の長さの刃と小さな三つ又の(かぎ)がそれぞれの鞘から滑り出す。

 《稲妻(レイプト)》と呼ばれるその縄鏢(じょうひょう)はラヴァスの魔力を受けて半透明な乳白色の刃を蒼白く輝かせ始めた。

 霧のように薄く広がった物の()を間近にして一頭の馬が後肢立ち、ひときわ激しくいななく。

 あっと思う間もなく馬が妖怪に包み込まれた。異様な音と共に骨という骨が折れ砕け、皮が裂け千切れる。その一部始終、臓物がすり潰されていく様さえが、透けて見えた。

 悦楽の絶頂にあるようにうち震えた妖魔は、情事の後の吐息のように沈み込み、赤い、どろどろしたものを排泄する。

 飛び散る飛沫。

 異臭が胸をむかつかせる。

 尾に炎を踊らせた馬の痛ましい叫びが、常軌を逸した光景に呪縛されたように凍りついていたラヴァスに行動を促した。呪文を唱えながら左手指を複雑に動かし、真横にあげた腕を一気に払う。

 吹き抜ける風――

 厩から瞬間的に空気が吸い出され、火勢が弱まった。数回同様の手順を繰り返した後、何かを握りつぶすような動きで残り火を揉み消す。

 突風にあおられて地を這うようにひろがっていた妖しい黒(もや)がゆらめきながら伸びあがり、出口へ進み始めた。



 ヒュルルンッ――!

 風を切るレイプト。しなやかな金属の縄の先で輝く刃が円を描く。軽く回されていたラヴァスの手首がしなった。閃光が闇を切り裂く。

 しかしレイプトの刃はもやもやとした(かたまり)の中央をするりと突き抜けた。舞い戻った刃を掌に収めたラヴァスの表情が曇る。

(手応えがない?)

 本物の霧を相手にしているようだった。だが、ソレは確かに馬を()き潰したのだ。

(必要な時だけ実体化するのか? 厄介だな)

 騒霊を追い払うくらいならともかく、ラヴァスには強力な霊体を封印したり、実体に乗り移らせて滅するような術は使えない。レイプトをベルトに戻したラヴァスが思案している間にも、黒霧がゆるゆると近づいてくる。

「うわわわわわわ……」

 いまだへたっていた厩番が、やっと逃げる事を思い出したとでもいうように慌てて這いずりだした。

 いつの間にか背後の鎧戸のいくつかが開き、明かりが漏れている。叩き起こされた泊まり客が、騒ぎの原因を見極めようとしているようだ。

 戸口に(おの)と洋燈を手にした亭主が現れた。厩番の名を叫びながら飛び出してくる。

「一体何の騒ぎだ? 馬泥棒かっ?」

「ば、ば……」

 ようやく立ちあがった厩番が、主人に取りすがった。

「化け物……化け物が……」

 馬鹿げた事を、と言いかけた亭主の肌が(あわ)立つ。厩の入り口にわだかまっている影に気づいたのだ。

「なんだっ? なんなんだっ、あれは?」

「馬どもが騒ぐんで、明かりを持って降りてみたら、そいつが……そいつが地面からわき出してきて……」

「さがれっ!」

 切迫したラヴァスの声。

 亭主と厩番が尻と背中に痛みを覚えた時には、飛びかかってきたラヴァスと重なり合って六、七エルも後方に倒れ込んでいた。さっきまで二人が立っていた場所で不定型な闇が揺れている。その気になればかなり敏捷に移動する事もできるらしい。

 ラヴァスの眼前に亭主が取り落とした洋燈が転がっていた。硝子が割れ、火も消えているが、薄い金属で作られた油入れの部分は無事なようだ。

 素早く立ちあがったラヴァスは手にした洋燈を妖魔がたゆたう地面目がけて投げつけた。物の怪を素通りして大地に叩きつけられた洋燈が高い音を響かせる。変形し、ひび割れた油入れから灯油が流れ出した。ラヴァスの手と唇が魔法を紡ぎ出す。

 炎が燃えあがった。

 灯油を苗床に、渦巻き(つど)った風とラヴァスの気を肥料にして爆発的に成長した炎は、黒い霧が占めていた空間に輝く紅蓮の柱を打ち立てる。強い風の壁を通してなお凄まじい熱気が伝わってきた。そして――

 不気味な黒い靄は消え去っていた。


※七エル(約3.36メートル)


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