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ほどよい夢

作者: 雉白書屋

『お目覚めですか?』


 ……耳にジーンと響く、女の優しい声。これは、ああそうだ……どうやら眠ってしまっていたようだ。テレビは……点けたままのはずだが音が……。


『テレビは消しておきました。部屋を少し明るくしますね』


「ああ、ありがとう。うたた寝して、と、クラシックも流してくれていたのか」


『はい、いい夢を見られましたか?』


「ふふっ、さあ、どうだったかな。でも悪くない気分だ……。さて、まだ夜だろう。カーテンを開けてくれ」


『かしこまりました』


 自動で開かれたカーテンのその向こう、下に広がるのは宝石箱を開けたような美しい夜景。

 だが、見飽きた。もはや、この高層マンションの魅力の一つに数えられない。素晴らしいのは先程から俺と会話しているのはこの部屋の住人のサポートを務めるAI。一部屋ずつ人格が異なる、と言うよりは住む人間によって変化し最適なものになるのだ。

 かれこれ二年程の付き合いになる。今では現実の女などと思えるくらい、痒いところに手が届く。先程も俺が目覚めたことに、いち早く気づき声をかけてきた。素晴らしい……と、それが唯一のデメリットか。結婚が遠のいてしまうというな……。

 だが、女などいくらでもいる。高級コールガールだけの話ではない。女性アナウンサー、若手女優、女子大生、それに望めばどんな女、何歳だろうと遊び相手なら……と、さっそくメッセージか。週末に一緒に別荘に行きたいと、はははっ、どの別荘のことかわからないなぁ……。


『どう、お返事なさるおつもりですか?』


「お前が適当に断っておいてくれよ」


『はい、かしこまりました』


「ふふん、嬉しそうだな。さ、俺は下のフロアでマッサージと、あと適当にやってくるよ」


 AIの癖にたまに嫉妬したような素振りをする。そこがまた可愛いんだ。後で女を呼ぼう。見られていると思うと興奮する。俺に手に入らないものはない。何一つ……。





「キィー、キィ……」


 ……と、目が覚めた。ここは……なんて考えずとも、わかりきったことだ。

 狭いボロアパートの部屋。今、壁の中からしたのはネズミの声だ。ガサッと菓子パンの袋に何かが触れた音。あれはムカデかゴキブリか、まあどちらでもいい。

 畳が湿っている……。涎か、それとも数日前にペットボトルに溜めた尿をこぼしたせいか。いや、雨漏りだな。天井から滴が落ちてきた音がする。では外は雨か。でも雨音がしないな。

 面倒だが起き上がり、曇りガラスの端の割れた部分から外を見る。外灯が点滅していて目が痛い。が、やはり雨は降っていないようだ。

 では、配管が古いせいか。二階の部屋の風呂場かトイレの水漏れ。それか孤独死その体液か。

 このボロアパートも近々取り壊しになる予定だ。住民のその後のことなど大家は気にしちゃいない。なんなら俺が寝ててもそのまま取り壊すんじゃないだろうか。

 ここを追い出されたらどこへ行けばいい。公園のベンチも最近じゃやたら固い上に横になれないよう細工がしてある。おまけに段ボールと新聞紙もぺらっぺらだ。貧しいのは俺だけじゃない。国全体がそうなのだ。

 ……いや、違うな。しっかりと養分を吸い上げている連中もいる。

 そう、俺が見た夢。ああいったマンションに住んでいるような奴ら。

 憎い。妬ましい……なんていう気も削がれた。今はただ死なないから生きているだけ。みんなそうだ。現実逃避も科学だ何だのお陰で、違法ドラッグと比べて、ずいぶん健康的なものになった。

 そう、この錠剤。飲めば金持ちになった夢を見ることができる。体内で溶けだした成分が脳の中枢神経に作用し、と仕組みは知らないが、ま、どうでもいい。説明されてもわからんさ。ただリアルな夢を見ることができる。それだけでいい。

 ……まあ、リアルすぎて夢精しちまうのは少々厄介だが、気にする者はいない。俺自身も。このまま一人、死ぬだけ。錠剤が安価で手に入ることだけが国の功業、この世の救い。……まあ、政府や金持ち共への反抗心を薄れさせる作用があるという噂もあるが……どうでもいい……。今はまたこれを飲んで眠るだけ。腹が減ってても眠れば関係ないからな……。

 ああ、でも何か食わないと死ぬか……その辺でなにか拾ってこようかな……。





「あなた、あなた、おはよう」


 この声は……ああ。


「ん、うー、おはよう……今日も綺麗だね」


「え、ふふふっ、なーに? いい夢でも、あ、またあの薬を飲んだのね」


「ふふふっ、まあーねっ」


「あ、やだぁ、もう子供たちも起きてるのよ」


「ふふっ、じゃあ、あの子たちが学校に行った後でしようか」


「もー駄目でしょ。お仕事はどうするの? 日常のありがたみを知れたばかりなんでしょ? あなたの口癖ね」


「ふふふっ、そうだね。メーカーの触れ込み通りさ。あの薬のお陰。でも、だからこそ、ほら、ね」


「もーう、あははっ」


 たった一錠で朝までぐっすり。リアルな夢を見れると評判の錠剤。

 半分は金持ち。もう半分は貧乏人。なぜこの二つかというと、そうすることで俺のような中間層の人間は今の生活で十分だと感じることができるからだ。

 普通の大学、普通の会社、普通の妻に普通の子が二人の家族四人暮らし。家のローンは定年ギリギリまで。

 一発逆転も恐らく転落も無い。そう、この錠剤のお陰でな。

 金持ちになった達成感と全能感を味わい、満足することで、現実で無理しすぎず、また欲張らない。そして貧乏人になる恐怖も味わうことで怠けず、下手な博打もしない。

 俺はこのままでいい。自分がほどよく幸せだと自覚している、この今が。

 

 ……でも、もし。いや、まさかな……。はははっ、馬鹿な想像をしてしまった。

 これも、もし……夢だとしたら、なんて。

 でも、だとしたらそれはどんな奴が見るのだろうか。普通の、あるいは色々な人間の気分を味わってみたい奴……。



 ――被告人を死刑に処す。方法は薬の注射。薬殺刑である。


「あなたー? あらまた眠っちゃったの? もー、少しだけよ」

 

 ふと、今思い出した声は前に見た、どの夢のものだったか……ああ、なんだか眠い。暗い……暗い……。

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