第1話 現実との接点
俺は教室の窓から、広がる大空を眺めていた。
空の青は、水平線の果てから鮮やかに広がり、太陽はさんさんと降り注いでいる。
こんなに晴れ渡る日に、俺は何をしているのだろう。
黒板に展開される意味不明の数式。教壇に上がる初老の男性は、その頭頂部の薄さを隠すこともなく、チョークでなおも、謎の三角形やら、補助線やらを書き込んでいる。
これはなんだ、、、言うまでもない。俺たちは、数学の授業を受けているのだった。
「おい、シン」
隣からあだ名をささやかれて、俺は視線を向けた。
呼んだ友人が、広げたノートいっぱいの落書きを、教壇に気づかれることなく、こちらに立ててみせる。そこには馬と河童が足した上で、ささやかな人間性を掛け算したような、、、数学の先生の後ろ姿のイラストだった。
「、、、45点」
「厳しー」
「お前さんのこの間の試験の点数だよ。、、、真面目に授業受けろよ」
「シンも似たような点数だったじゃないか」
「俺は、46点だ」
もちろん、胸をはれる点数ではないのは、わかっている。
よくよく見れば友人が描いたその落書き、、、似てなくもない、、、というか、うまい。誰が見ても、今の情景のデフォルメであることがわかるだろう。
「訂正。88点」
「なぜ、90点に2点届かないのか、その理由が知りたい」
そのとき、教壇から怒号が飛んだ。
私語を囁くのをやめる。先生の背後に、怒りのオーラが燃えていた。若干、炎は5割増し。
黒板に描かれた2つの三角形が、六芒星の魔法陣、あるいは、おでんに見える。
「おお、先生に悪魔が宿った」
ツカツカと俺と友人を見据えている。と思いきや、つかつかと通り過ぎて、一番後ろの席で止まる。
そこには、一人の小太りの男がいた。机の上には、ノート、教科書、そして、中身がご飯が半分なくなった弁当箱が開かれていた。
「・・・長友。何しているんだ?」
先生が問う。
冗談は通じる雰囲気ではない。
「ご飯を食べてます、、、、日本人でよかった」
その名前を呼ばれた少年、、、長友は飄々とこたえる。
「そうじゃない。今は、なんの時間かを聞いている」
炎8割増し。
「1つ目の弁当の時間です」
「ほほお、昼休みの時間だと言い張るわけだな」
ちなみに、教室の時計は10時近くを指している。昼休みというより、おやつの時間だ。
「いいえ、先生。それは、2つ目の弁当の時間です」
「、、、ほほお、では、貴様は、学校に弁当を2つ持ってきているというわけか」
「いいえ、4つです。足りない分は、購買部で補充します」
「今は、なんの授業の時間かと聞いているんだが?」
一言一言に、語気が宿る。さすがに謝った方がいいと思う。今後の数学の内申書が怖い。
「先生、真面目に答えていいっすか?」
長友が一本指を立てて、数学教師に詰め寄る。
「ほほお。今更、真面目になんを答える」
「弁当に罪はありません。悪いのは、食欲が湧き出る魔法陣を描かれた黒板のせいだと思うんです。ああ、あの三角形がおでんのこんにゃくを召喚した」
おお、ここに同志が1人。
だが、あれは、こんにゃくではない、はんぺんだ。
「だまらっしゃーい!!!!」
新聞に載ったら、一発で懲戒免職級の、数学教師、渾身の怒りの右フックが長友の右頬に直撃し、美しい放物線を描いたのだった。
さて。そろそろ、自己紹介をしよう。
俺の名はシン。本名は、松尾真一というが、なぜかあだ名の方がしっくりくる。言うまでもなく、14歳のリア充まっさかり。
絵を描いていたのが、親友のフゥ。本名は、風野久雄。
弁当を食べていた長友が、ルーク。本名は、長友等。
3人合わせて、クラスメートには、なぜか「四天王」と呼ばれている。どれくらい四天王度が高いかというと、この間の数学の中間試験が全員合わせてちょうど200点をマークしたという事実が説明につながるだろうか。
だが、弁解させてほしい。どうも、俺には、この勉強と言うやつ、現実世界にどれほどの意味があるんだ?と思えてしまう。進路に困るだろう、と声が聞こえそうだが、とくにこの数学。因数分解だの二次方程式だの証明だのが、どうして実際の生活に役立つというのだ。社会に出たら、計算するのはエクセルや電卓だし、漢字や慣用句だってワープロソフトが変換する。知識の蓄積だって、はるかにインターネットの方が正確なのだから、ナンセンスだと思うんだ。よっぽど、ウィキペディアを読み耽った方が、生きる知恵がつく。あるいは、フェイクニュースに捕まらないための正しい検索方法とか。大学受験だって、無理して苦手な勉強をするより、得意な科目を集中的に習熟して、私大一本に絞るなんて方法だってある。嫌いなことを、嫌いなまま、とりくむというのは戦略的に間違っている、やはり苦手なことは、絶対しない。これが、ささやかなリア充生活を平穏に過ごすコツだと、俺は思う。
四天王、、、と不名誉な名前を自分で言うのもなんだが、俺たちは近所に住んでるお隣さんだったりする。今でも、ときどきの部活動の都合はあるものの、一緒に帰ることは多い。
俺は部活は剣道部。初段持ち。小学校時代、体が弱かったので、師範でもあった亡き父の勧めで始めることになった。おかげで、体つきは、人よりがっしりと育った。身長も180センチある。
その日の稽古を終え、防具を部室の乾燥部屋に置き、頭に巻いた手ぬぐいと、素振り用の竹刀と木刀を肩に下げて、校門へいく。
そこで、それぞれの部活動を終えたフゥとルークとミラーが待っていた。
ミラー。本名を「亜弥」、、、俺より1つ下の妹。小さい頃、父に買ってもらったミニチュアの手鏡が好きで、それ以来、なぜかミラーと呼んでほしい、と強く願っている。やけに髪が伸びるのが早いので、短い髪型は諦めて、腰までの髪を首元で束ねて、背中に流している。
「遅かったな」とフゥ。
「今日は一際、稽古が厳しかったんだよ。市の大会も近いしな」
「期待のエースは、つらいねぇ」
季節は初夏。
青い空に、夕暮れが近い真剣味は足りないが、早く寝ようと思ったら、当然、帰宅を急がなくてはいけない。
中学校は、小高い丘の上にある。
はるか江戸時代は、ここに名士が集う山城があったそうだ。由緒正しい学校なので、当然、やけに校則や校歌は古めかしい。なんでも、10年前まで、男子の髪型は坊主一本だったという話。その時代に生まれなくて本当に良かったと思う。
ちなみに、フゥはブラスバンド部、ルークは山岳部、ミラーは文学部だったりする。
帰り道の途中に「ほこら」がある。
地方都市であるこの町には、まだ自然が残っていて、ときどき住宅と住宅の間の林に、いくつか石積みの五輪の塔がたっていることがある。どう言ったいわれがあるのか、わからないが、その足元で一人の少女が倒れていた。
「どうしたの?大丈夫?」
妹が気づいて、声をかけた。
息は、、、しっかりしている。意識は、、、ある。服装は乱れていない。が、あきらかに衰弱している。警察か、それとも救急車か。ポケットから、スマートフォンをかけようとした時、ケモノ臭いにおいがあたりに立ち込めた。
周囲が暗い。まだ、夕暮れには早い。
果たして、その匂いは、背後からだった。野犬の群れが周囲を取り囲んでいる。
「うそだろ、昼間の街中だぞ?」
数年前ならまだしも、野犬は、今、絶滅したのではないかと思っていた。最近の小型犬は、家族の一員として家の中で服を着る。そういえば、小さい頃、近所に飼われていた番犬にほえられたことがあった。顎に一撃くれて、口にタオルを突っ込んだら、急に情けない鳴き声をあげて尻尾をまいていたが。
でも、そんなペット的な弱々しさは、目の前の8匹の野犬たちには、感じられなかった。
吠える暇があったら、隙を窺って、食いついてきそうな勢いだ。逃げるために背後を見る。ほこらに倒れる少女。置いていったら、明日の寝覚は悪そうだ。特に心配するのは、もちろん、俺の寝覚だ。
「そういえば、聞いたことあったな。犬って、上下関係を大切にする生き物なんだってな」
ルークが言う。
「それから、野生だったら、火も嫌うんじゃない?」とミラー
「つまり、焼けばいいんだな?」とフゥ。
「無茶いうな、そんな都合よくいくはずないだろ。第一どこに火なんて持ち歩く?」
俺は間合いを見ながら、3人につっこむ。
「ライターならある。ウエストポシェットに入ってる」とルーク「部活のコンロ用だ。ホワイトガソリンもあるから、遠慮するな」
だから、何を遠慮するな、というのだ。
野犬が飛びかかってくる。
とっさに、かばんで叩き落とし、その隙に、担いだ木刀を抜きはなつ。
型の演舞のため、昇段試験の練習に持ち歩いていたものだ。
残った竹刀と手ぬぐいをミラーに投げる。
「わかったわ。時間稼ぎをお願いね」その真意を、妹は察したようだ。
「危ない!」
小石を拾ったフゥが、野犬の一匹に投石する。何匹かが、距離を保った。その瞬間に別の数匹が飛びかかる。隙がない。
猟犬の群れには、リーダーが存在する、と聞いたことがある。その一匹を見つければ、群れは四散する、らしい。木刀を薙ぎ払う。居合い抜きの要領で、3匹を薙ぎ、同時にフゥの投石が2匹を牽制する。
何回か剣戟を繰り返しながら、周囲を観察する。
残りの2匹が、ルークの周囲にいる。
、、、いた。何もしない一匹。あれがリーダーだ。
「兄さん、はい!」
ようやく、ホワイトガソリンが染み込んだ手ぬぐいで巻いた竹刀を、妹が投げる。
竹刀をライターで着火した。
つかを握り、リーダー目掛けて、踏み込む。
瞬間、傍から数匹が牙を剥いた。火焔が一閃して、叩き落とす。
、、、剣戟の風圧で炎が消えた。
しかし、遅い。すでに、リーダー犬には迫っている。
「お願い!燃えて!」
妹が叫んだ時、不思議に澄んだ音が、意識の中をはしった。
手ぬぐいが落ち、竹刀の刃が紅く光る熱を発するつるぎへと変貌する。
「チェスト!」
気合いとともにリーダーの一匹に高熱の一撃が決まり、甲高い咆哮が響き渡った。
「お見事」少女が目を開く。
野犬の群れは、気がつけば、文字通り尻尾をまいて、方々に散っていった。
「大丈夫なの?」
「なんとか」
少女の声はしっかりしていた。衰弱した様子は嘘ではないが、俺たちの様子を伺っていたのは確かなようだ。
俺の足元に、竹刀の刃がぼとりと落ちる。今の紅い焔を完全には耐えられなかったようだ。
、、、奇妙だ。なおも、獣の匂いが消えない。そして、なおも暗い。五輪の塔に違いはないが、足元のアスファルトは消えている。周囲の家も消え、木々が生い茂っている。明らかに、ここは住宅街ではない。
「ここは、バロバッサの森。異世界と繋がる場所」
少女は、俺たちにそう告げた
はじめまして。はるのぱせりです。放課後の異世界旅行第1章を読んでいただきありがとうございます。
この物語の発端は中学1年生の頃、執筆した作品。それを4年ほど前に加筆したものになります。もともとがTRPGのゲームシナリオとして、宿題の合間をぬって書いたものです。
日の目をみるきっかけになったのは、先ごろのステイホーム。安価で楽しい娯楽を、と家族にこの物語を読みきかせしたところ、なかなかの好評。ならば、と調子に乗って、友人に公開して、ホームページを作り、と発展していきました。
大人になっての習作としての意味も強いので、みなさん、温かい目でみまもっていただいたら嬉しいです。