9.異端審問官『黄金姫』のヨルシカ ①
本話は異端審問官ヨルシカの視点になります。
規律とは万物の解答である。常識とは無欠の論理である。そしてその中で起こる倒錯とは、一種の病理である。
崩れた歯車と弦には調律師が必要だ。私は狂いを律する為に生まれてきたのだと常々思っているし、そうと言い切れる生き方をしてきた。
そうやって永らえていたら、私はこの金色の髪からか『黄金姫』の二つ名を授かった。国王より賜った栄誉の名だ。
完全な比率に彩られた、鮮やかなる生き様。
それが今日、こんな陳腐な喫茶店を境に揺らぐとは、考えもしていなかった。
「いらっしゃ……いッ……!?」
「邪魔するよ。部下がここの噂話をしていてね。気になったんだ」
「(異端審問官……ヨルシカッ……!?)」
店主の表情を見ると、どうやら私のことを知っているらしい。有難さ半分、虚しさ半分といったところか。誰にも畏まられてしまうのは少々息苦しい時もある。
こういう飲食店ではいつもそうだ。気を遣われて、何故か私の皿だけ小綺麗に盛り付けられていたりな。私は公平を愛しているのに。
それにしても……何と線の細く、嫋やかな店主だろうか。女の私でも不思議と魅力を感じてしまうような魔性と言うべきか、或いは――
「(うむむ……あの馬鹿共はこれで噂していたのか。てっきり私の知らない美味い料理の評判かと思ってたんだが)」
いや、まだ期待が外れた訳ではない。色眼鏡でモノを見るのは愚者のやることだ。
ふと部屋の隅でこちらを警戒するように睨み付ける黒猫が目に入る。
はて……何か不思議な感じのする猫だ。こういう店の飼い猫は人に慣れているものではないのだろうか。まるで昨日拾われてきたかのような姿に疑問符を浮かべながら、私はカウンター席についた。
「(魔法で染められた白一色のレザースーツに、祭司服の前掛けを合わせたようなデザイン……本物ね……)」
私の服に視線を送る店主に気付くと、彼女は焦ったように目を離した。私の服が珍しいのだろう。レザーは魔法でしか白に染色できない。なかなか近くで見る事がないからな。
「……お水と、お品書きです」
「ありがとう」
あの猫が寄り付いて来ないのは少し悲しいが、それでも、店内はシックな木目調で統一されていて、隠れ家的な雰囲気があり洒落ている。
しかし、これほど路地裏の奥にあるというのに、よく店を維持できるな。根差した常連でも居るのだろうか。それとも高級店? 下調べはしていなかった。
店主に渡されたメニュー表を眺めてみると、高級料理は無い。聞いたことのない料理が多いところを除けば、内容も値段も庶民的な店だ。
毒見で冷えた貴族の料理には飽き飽きだ。私に毒など無意味だというのに、行く先々で賓客扱いされてしまう。
少し挑戦的だが、偶には温かく珍しいものが食べてみたかったのは事実。図らずも私の目的は達成できそうだった。
水は冷えていて、消毒の匂いもしない。天然水を冷やして提供しているのか。ともすると……属性石を使ってくれているらしい。
民衆の生活の為にと作ったそれだが、活用してくれているようで嬉しいな。
「……お仕事ですか、ヨルシカさん」
「はは。いや、プライベートだよ。私とて人間だ。休息も必要になる」
やはり顔は割れているらしい。が、嫌な距離感の詰め方ではない。助かるよ。馴れ馴れしいのは少し苦手だ。
少し悩みながら、新メニューと銘打っている「東国風シーフードポリッジ」という謎深きものを注文すると、ようやく警戒を解いた黒猫が私の足元へと近寄って来た。
「どういう料理なんだ?」
「東国の米とダシ、貝類などを使った粥のようなものです。疲れた身体に沁みますよ」
「それは楽しみだ。この猫に取られないと良いがな」
「……ええ。最近この店に住み着いた、たいそう行儀の悪い猫ですのでお気を付けて。特にこの料理が好物のようですから」
「なあぉ」
この黒猫の他人行儀さに納得しながら、改めて店主の不思議な雰囲気に引き込まれそうになった。何故だろう。この店主からは、普通は他人に感じないような、えも言われぬものを感じ取ってしまう。
言葉に出来ないほど些細な心持ちであったが、それは私が彼女に興味を持つには十分過ぎた。
料理が出来るまでの間、不躾だとは思っているが彼女に話しかけてみようと思った。
「店主。つかぬことを聞くが、生まれは外国か? 黒髪と蒼眼の取り合わせは珍しくてな」
「祖母は黒髪が主となる東国出身です。この蒼い瞳は父方からの縁でして」
「黒は不吉と言う者も居るが、私は静謐な雰囲気が美しいと思うよ」
「……」
「ん? 何か、嫌な事を言ってしまったか?」
「……"美しい"というのは、私にとって呪いの言葉に等しいので。何をするにもこの容姿が付き纏う。耳元で『らしくあれ』と叫ばれている気分です」
「何? それは……どういう事だ?」
この瞬間、不思議という考えが、「理解不能」に置き換わった。女であれば美しさには少なからず固執するもの。それを主義に据える者だって居るほどに、女性と美しさは不可分の関係にある。
それを呪いと断じる、この上なく美しい彼女の心構えは、聞く者が聞けばさぞかし嫌味だろう。もしくは皮肉に感じられる。
しかしそう語る彼女の瞳は憤りや悲哀、そして諦念すらも入り混じっているようで、今の言葉が嘘ではない事を裏付けていた。
「失礼ながらヨルシカさん……恋をしたことはありますか? 恋慕だということを疑う余地もないほどに、人を好きになった事は?」
「無い。これからも、私より優秀な男に出会うまできっと無い。だがそのような殿方に会えたとしたら……無頼にも恋をしてしまうかもな」
「……当然でしょうね。男と女、陽と陰、表と裏。人は自らの反面と共にあって、初めて調和しているんでしょう」
「君にもあるだろう? そんな気持ちが。調和したいという心が」
「私のは少し歪で……太陽は昇らず、月が2つ輝く空をつい想い描いてしまいます。或いは月の片方が太陽に成れたなら……と。そんな空が有り得るでしょうか」
彼女のアイロニーは歪んでいた。
おそらくは、女と女の……恋愛? について言っているのだろうが、私には皆目想像すら出来ないことだった。
調和を好む私に投げかけられた"ひずみ"が、私が彼女に不思議な感覚を抱く原因だったのだろう。
しかし、私は答えられる。それは黄金ではないと。同時に、少しだけ彼女が不気味なものにも見えてしまった。
「間違っている。そんな愛など空虚な贋物だ。存在しない」
「……だから私が、こんなにも生きづらいのでしょうか。ヨルシカさんの言う贋物に、惑っているからと?」
「いつの時代も規律とは絶対だ。男女の間柄もその一つ。……店主の言葉は聞かなかった事にしよう」
「息が出来ない場所にしか、住めない者も居るのです。ヨルシカさん。貴女は魔女という病理と戦っている。しかし貴女が思っているより、敵はひどく巨大ですよ」
「何……?」
「畢竟、貴女の敵は本質です」
そう言って振り返った時の彼女の瞳が、私を畏れさせるなど誰が予想しただろう。自他共に認めるほど勇猛で、清廉で、正しさを信じていた、怖いもの知らずの私が。
この淑やかなはずの娘に何を連想したのか。それはおそらく、永遠に言葉に出来ないだろう。
そして彼女は鍋の方を向き、調理を再開した。変貌する前と同じような様子で。客に料理を出す店主として。
「ヨルシカさんの手にも余りそうですね」
「店主……君は、一体……」
「忘れてください。料理をお楽しみに」
近寄ってくれていたはずの猫は、部屋の隅で再び私を睨んでいた。
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