7.『否定』の魔女サンサーラ ②
「これより、魔女の公開処刑を始める!」
狂奔と歓喜が渦巻く群衆の最中に、私たちは立っていた。
暑い。梅雨前だというのにこの上なく人々が滾っている所為なのだろうが、今になって飲み物を持ってくれば良かったと後悔している。
「(本当に来ちゃったし……)」
いや、そもそも来なくても良かったのか。これも私の弱さのせいだ。そしてその原因となった人はというと――
「何でそんなに緊張してんのよ」
「う……いや、本当に魔女の処刑が始まると思うと……」
「貴女って珍しいほどの純粋よね。子供みたい」
「何でウィスパーは平気なの〜! ……はっ! まさか常連……!?」
「嫌よこんな催しの常連。それに……平気って訳じゃないわ。私も怖い」
異端審問官の魔女の判断は正確だ。魔女たちの噂程度にしか聞いたことはないが、一般人が間違えられて処刑されるという事案は未だ発生したことがないらしい。
連中の魔女の判別方法は、大体予想がつく。一番簡単に魔女を判別する方法は……その血液を調査すること。
魔女の血は空気に触れると、強力な毒性を発揮する。唾液など他の体液に関しては調整が効くが、血液はどうしても毒性を隠せない。
だから私は、怪我をした日に関しては決して料理をしないことにしている。少しでも口に含めば、一般人は死に至る可能性があるような強力な毒だからだ。
――魔女と処刑器具が運ばれてきた。今日の処刑は断頭台らしい。あれは最も慈悲深い道具だ。
今日処刑されるのは魔女であることの他に罪を犯していない、日和見魔女だろうか。
魔女というだけで極刑は免れないということを嫌でも分からせてくれる。私は知り合いでないことを願いながら、枷に繋がれて運ばれてくる魔女の姿を眺めた。
憐れにもボロ切れに身を包み、私と同じ黒髪はざんばら頭のように整えられていない。身体は傷だらけで、リンドヴェル以上に淀んだ瞳をうっすらと開いている。
手際良く小高い台の上にギロチンが組み上げられると、その魔女は抵抗もせず横に膝を付いた。
民衆の盛り上がりは最高潮だ。殺せ殺せと、怒号が飛び交う。
一方で隣のマーシレスは、小さく震えながら拳を握りしめていた。見たこともないほど真剣に、唇を一文字に結んでは、目の前の光景を真っ直ぐと見据えている。
「……ウィスパー。手、握っていい?」
「……いつもみたいに、勝手にしなさい」
囁くような声だったが、何故かその声は群衆にかき消されることなく私の耳に届いた。私も同じくらいの声で応えると、彼女は優しく私の手を握ってくる。
視線は処刑台の魔女に向けながら、私たちは手を繋いだ。彼女の手は汗ばんでいた。
私は群衆の外れで、この辺りの貴族の後継たちが今代の当主と共に特別な席で処刑を観覧していることに気付く。
その中にはマーシレスが嫁いだフュルステンベルク家の現当主と後継者も含まれていたが、マーシレスは目の前の処刑から一端たりとも目線を離そうとしないので気付いていないようだ。
向こうもこちらには気付いていない。私は何も見ていないことにして、同時に彼女の手を少し強く握りしめた。
魔女に向けて石やゴミを投げつける者が出てきた瞬間、マーシレスが歯を食いしばったのが分かった。警備を担当していた騎士団の1人がそれを諌めると、処刑が続行される。
枷を付けられたまま、魔女は断頭台に首を乗せた。人々の歓声と熱狂を浴びている彼女は、何を思ったのだろう。
最初は小さな呟きだった。誰にも聞こえないような声で、口元が動く。
次の瞬間、怒りと憎悪が入り混じる声で、その魔女は叫んだ。民衆の声を消しとばすほどの大きな声で。
それは、喉が千切れんばかりの絶叫。実際、喉を一瞬で潰してしまったのだと思う。それほどの恐ろしい声だった。
「……呪いあれ……呪いあれ……呪いあれッッ!!!」
一瞬でシンと静まり返る広場。異端審問官の服を着た者が、枷をガタガタと揺らす魔女を取り押さえようと一歩を踏み出す。その間にも、魔女は叫び続けた。
「魔女とは、お前らの闇じゃッッ!!! お前らがそうだから、魔女は決して消えないッ!!! 呪いあれッ!! 呪いあれッッ!! 我は『否定』の魔女!!! 我は死なぬぞッ!!! お前らを否定するまで、我は不滅なりッ!!」
魔法を使って暴れるのではないかと、民衆は恐慌に陥った。処刑を先頭で見ていた者たちは醜く押しあい、我先にと背後の人々を押し退けて逃げ去ろうとする。
特等席の貴族は騎士団に護られ、処刑人たちはようやくじたばたと暴れ狂うその魔女を組み伏せた。
私はその混乱で倒されそうになったマーシレスを抱き寄せて庇うと、衝撃に備える。
「鎮まれ! 鎮まれェェッ!!」
この処刑を取り仕切っていた異端審問官が、断頭台の魔女の横で号令のように声を出した。
その一言で正気を取り戻した観衆は、息を切らしながら動きを止める。私もマーシレスも倒されずに済んだ。
――異端審問官ヨルシカ。
私は彼女を知っている。選ばれし者の一族であり、魔女に身を堕とさずとも魔法を使うことができる、数少ない魔法使いの一人。
そして『遊星』の魔女を追い続ける者。
あのフレデリカ先生をして「面倒な小娘」と言わしめる、異端審問官の中でも最高クラスの力を持つ人物だ。この処刑において、私の唯一の懸念点でもあった。
「私が居る! 魔女には何もさせぬ! 魔女の虚言に踊らされるなッ!!」
美貌とカリスマに溢れる彼女の名は、世間一般に知られている。民衆は落ち着きを取り戻し、息を整えた後、組み伏せられた『否定』の魔女に再び罵声を浴びせ始めた。
「クソッ……驚かせんじゃねぇ! 魔女が!!」
「くたばれ異端者!!」
「お前たちは根絶やしにされるべきなんだ!」
そんな人々の姿を見て、ヨルシカは手ずから処刑の合図を行う。顔の横までゆっくりと手を振り上げる。
マーシレスは私の腕の中で、茫然としていた。
まるで現実ではないことが起こっているかのように、震える息を吸っては吐き出しているだけである。
私は処刑台を睨み付けた。
やはりマーシレスには見せるべきじゃなかった。彼女は傷付いたのだろう。魔女の姿にも、それを取り巻く群衆の姿にも。
もしかしたら、失望してしまったかもしれない。とことん人好きな彼女に、人への不信感を植え付けてしまったのかもしれない。
行き場のない私の怒りを落ち着かせる。
そして、マーシレスの「魔女に祈りを捧げたい」という気持ちは叶うことなく……ヨルシカの手は振り下ろされた。
断頭台の刃が落ちる直前、私は『否定』の魔女と目が合った。彼女は私に何かを言いたそうに口を開いたが、結局そのまま、彼女の首は広場の床へと転がった。
◆
処刑の終わった閑静な広場で、我々異端審問官と騎士団は後処理をこなしていた。
毒になる魔女の血液を丁寧に拭き取り、断頭台を分解して撤収させる。
「ヨルシカさん」
「ん? ああ、君は騎士団の」
「フェルディアです。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません……ヨルシカさんが居なければ、危うく民がパニックになるところでした」
「何、気にするな。しかし今回の魔女は、いつにも増して不思議な奴だった」
『否定』の魔女といったか。今までの魔女は捕縛しても強引に逃げようとしてきたが、奴は妙にすんなりと収監されていた。情報は何も喋らなかったが。
――それ故に、処刑時には断末魔のように魔法を使うと思って警戒していた。しかし不吉な言葉を遺しただけでそれもなかった。
奴が魔女であることは確かだ。しかし、一度も魔法を見せなかったおかげでどんな魔法を使うのかは掴めていない。
魔女一人を始末したこと以外に何も得られない女だったな。何とも不甲斐ない。
……愚かな魔女だ。信じていた男に裏切られ、異端審問官に売られるなど、想像できなかったのだろうか。
しかし、刃が下りる直前は様子が変だったな。
何と言うか……誰かを見て笑った? まず喜びの笑みではなかったような気がするのだが……あれは何だったんだ。
知り合いの魔女でも見つけたのだろうか。何にせよ、気にしないという訳にはいかない。
「なあ。ヨルシカさん以上の美人って、この世に居ると思うか?」
「サボって何見てるかと思えば、この女好きが……美人なら何でも良いのか? ……でもまあ、俺は見たことあるぜ。ヨルシカさん並の美女」
「何っ……!? 王城とかか?」
「いいや。下町にさ、誰にも気付かれなさそうな場所でやってる喫茶店があるんだよ……休暇貰って街をぶらついてたら偶然見つけたんだがな。レフトピアスって店なんだけど……その店主がまあ絶世の美女なんだよ」
「よし、今度案内してくれ」
「別に構わないが、あの店主……全ッ然靡かねぇぞ? ありゃ他に好きな男が――」
「何喋ってるんだ貴様ら」
「うおぇぁぁぁッ! よ、ヨルシカさん!」
私の名前が聞こえたかと思えば何の話だ? 喫茶店? レフトピアス? 何の事かは知らないが、私の前でサボタージュとは良い度胸だ。
「規律」こそ生き方である。それに従って生きることが出来れば、誰であろうと幸福に生きられる。そしてそれが分からないのが、罪人や魔女という愚か者なのだ。私は同僚からそんな奴を出したくはない。
「貴様らの尻でも叩いてやろうか。女の私でも力仕事をしているのだぞ? なあ?」
「は、はいっ! 申し訳ありません!」
「3倍働く気で動け!」
情けない。
妙な話題にうつつを抜かしおってからに。
……「レフトピアス」ねぇ。
喫茶店と言っていたが……仕事をサボって噂にするほど美味いのだろうか?
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