6.『否定』の魔女サンサーラ ①
魔女の処刑は見世物としての価値が非常に高いとされている。
その流れに乗り興じるのがこの国の模範的民衆の姿。非人道的と叫ぶ者こそマイノリティだ。
故に処刑日に絞首台の周囲はお祭り騒ぎになる。少しはしゃいでしまう者は賭け事なんかも始めるが、無礼講とばかりにお咎めなし。
参加すれば、魔女の死に対する「鈍感」を植え付けられて帰ってくる……そんな祭典が魔女の処刑だった。
――今日は外が騒がしい。これは誰かの処刑日が近い合図だろう。知り合いでないことを軽く願いながら、私は久しく訪れてきたマーシレスに渋い顔をしながら秘蔵の葡萄ジュースを提供した。
「久しぶりに来て、要求するのがこれ? ちょっとヒドいんじゃない」
「きひひっ……ごめんって。家族旅行に行っててさ。手紙書くの忘れちゃってた」
「ああ、そうだったの。おばさん元気?」
「そっちじゃなくて、旦那の方の家族」
この店に1セットしか置いていない透明なグラスを手に取り、彼女は特選葡萄ジュースのワインのような濃厚さを愉しんだ。
たかがジュースと侮ることなかれ。本来これはあまりお酒を飲まない私自身の為に取り寄せている商品だ。
ワイン製造における過程でアルコール止めを施し、滑らかで深みのある果汁をそのまま取り出した、言うなれば大人専用高級葡萄ジュース。甘味料など児戯にも等しく、何ならフラリと酔ってしまいそうになるほど強い葡萄の香りを味わえる逸品である。
「んー、最高♡ 本当にワインみたい」
「ちょっと。全部飲まないでよね。はあ……マーシレスに口を滑らせたのが間違いだったわ」
何でかなあ。ハードな要求にちょっとは怒ってるけど、息を吐けばそんなちっぽけな怒りが漏れ出してしまう。気が付けば私は、困り顔で微笑んでしまっていた。
そんなこんなで、結局はマーシレスの家族旅行の話題の方に興味が移っていく。これが彼女の作戦ならば大したものだ。
「……ってかそれ、家族旅行というより貴族旅行じゃない。何処行ったのよ」
「ハイター山脈の避暑地。でもシーズンは他の大貴族が入るから、ウチの旦那みたいな小貴族は初夏にしか行けないの」
「ふーん……楽しめた?」
「そりゃあもう! 自然豊かだし、ご飯も美味しいし! あっ、でもウィスパーの料理には敵わなかったなぁ」
「それが本当なら今頃私は貴族の専属料理人よ」
不意に外で爆竹の音が響き始めた。
流石の騒がしさに、とうとう私も店の入り口へ目を向けてしまう。今まであまり話題にしようとはしなかったが、とうとうマーシレスがそれについて口を開いた。
「貴族はさ。魔女の処刑を見に行く人が多いんだよね。私、あんまり好きじゃないんだ。その習わし」
「へえ、どうして?」
「魔女が私の大事な人だったら……って、つい考えるの。誰かが嘲られる葬送なんて、やっちゃいけないと思うから」
「我儘かしら?」と作り笑いを浮かべる彼女に、何も言葉が出ない。
「マーシレスは……明日私が死んだら、悲しんでくれる?」
「馬鹿なこと言わないでよ。私、貴女が急に居なくなったら、多分何処かがおかしくなっちゃうわ。私の一番の親友だもの」
親友、か。うん。知ってたよ。
何も悔しくないさ。間違ってるのは私で、それはコーヒーを淹れる度に自覚するほど当たり前のことなんだから。
「……やっぱ私も、今回は行ってみようかなあ」
「えっ」
何の気まぐれか、突如として飛び出したマーシレスの戯言に、私のごく小さな傷心はまた別の驚愕で上塗りされた。
一体何をどう思えば急にそんな考えに至ったのかが理解できない。私はその無鉄砲に納得できる理由を求める。
「私だけでも悼まなきゃ、その魔女は全てを呪ってしまうんじゃないかと思って……うん。決めた。私行くよ」
「ちょっ……冗談じゃなかったの? いや、でも、マーシレスは仮にも貴族の配偶者で……!」
「ウィスパーも付いてきてよ」
「えっ」
「一緒に行こうよ。祈りに行こう」
「ええぇぇぇぇ!?」
いつもは嫌々風な顔をしながらも聞き入れている彼女の頼み(それも強引な)だが、こればかりは流石に強く迷いが生じる。
魔女の処刑を魔女が見る。こんな馬鹿らしい話があるだろうか? 少なくとも私は聞いたことがない。
同じ魔女の死を見るのが怖いのではない。純粋に、おかしいのだ。
既におかしい私が言うのもなんだが、もしこの話を知り合いの魔女にすれば、まず私は頭がどうにかなってしまった憐れな末期の魔女だと思われてしまうだろう。
常識的に考えてあり得ない。フレデリカ先生やリンドヴェルも、私が魔女の処刑に赴いたと知ったら何と言うだろうか。
……いや、私のことをよく知っているあの2人は笑い話にしてしまいそうだが。
しかし一般的な感覚で言うところの「自殺志願者」に向けるのと同じ視線を、他の魔女からは浴びるだろう。処刑には異端審問官も何人か参加するのだ。
「ほ、本気?」
「マジのマジだよ!」
「うわあ目が据わってらっしゃる」
「お願いウィスパー。一緒に来て」
尻込みする私の背中を押す……いや、それどころか突き飛ばすように、マーシレスはカウンター越しの私の手をそっと握り、上目遣いで頼み込んできた。
「ぅっ……ぐ……ぅぅぅ……!」
「ダメ?」
や、ヤバいかも……正常な判断が出来なくなる! 顔は赤くなったりしてないだろうか? だけど私にも魔女としての体裁がアレコレで、そう、えっと、その……そうだよ! とりあえずダメって言わなきゃ! 理由はもう少しだけ頭を捻ってから絞り出すとして、まずは結論から!
行かない行かない行かない行かない行かない行かない行かない行かない――
「……いきます」
私の馬鹿ぁぁぁッ!!
何でよ! 弱過ぎるでしょ! 凛として、かつ毅然とした、いつものウィスパー・マーキュリーはいずこへ!?
「イェーイ、決まり〜」
「狡い……マーシレス、それはね、ダメよ。今度から禁じ手にしましょう……」
「ウィスパーって、昔から本気で頼むと断れないわよねぇ」
……それは少し違うのだが、まあ得意げな顔をしていることだし水を差さないでおこう。私にはまず本音を言う勇気すら無いのだということは、棚に上げさせて欲しい。
「そうと決まれば何日後に執り行われるか、ちょっと外で聞いてくるわね」
「……気を付けて。さっきも言いかけたけど、貴女はもう貴族の一員なんだから……変な奴に目をつけられるかもしれないわよ」
「ヘーキヘーキ! 私、肝っ玉は強靭なの! 何言われても大丈夫!」
「そうじゃなくて……身の安全の話。滅多な事はないと思うけどさ」
「ん、気にしすぎない程度で気に留めとく。んじゃ、行ってきまーす」
そう言って、出ていく彼女の背中を見送った。
一応私も警戒しているが、今のところ嫌な気配は感じない。
――昔のマーシレスには男勝りな部分があった。
気が付くと私は、優しくて、それでもとことん不器用な彼女のことが好きになっていたのだ。
友愛とはまた違う、痛みを伴う鼓動を感じた時にはもう手遅れだった。
旅行の後からだろうか。
彼女の普段着は私たちみたいな平民とは違う、少し飾ったドレスに変わっていた。
その「家族旅行」は彼女の自覚のようなものを少しばかり変えたらしい。
動く度にふわりと薫る、花と果実の香水の匂い。以前よりも丁寧な立居振る舞い。発色の良い化粧。
何よりその後ろ姿は、何だかとても遠くに見えて。それは今日掛けられたどんな言葉よりも、私の臓腑に深く突き刺さった。
「(……他人みたい)」
おかしいな。さっきまで普通に話してたじゃないか。隣に居る時は、何も変わらない気がしていたじゃないか。
口元を手できゅっと押さえた。
「……吐きそう」
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