5.『形代』の魔女リンドヴェル ③
「おいひぃ……」
「ふふん。私は喫茶店の店主よ? 当ッ然じゃない」
この反応を見るに、今回のレシピはリンドヴェルに好評だったらしい。脂っこいのであまり頻繁には食べない方が良いのだが、普段から栄養不足気味の彼女にはこのくらい重さがあった方がいいのかもしれない。
後でメモしておこう。彼女の反応でメニューになった料理もあることだし、生の声というものは大切だ。
私ならサラダセットを付けるかな。この量の乾酪ともなると、流石に何らかの法律に抵触している可能性があるからね。私の体重審問官も、いい加減サラダを食べろと唸り声を上げ始めていることだし。
しかしリンドヴェルの食欲は物凄く、私の胃袋に入らなかった分までペロリと完食してしまった。
こんな嬉しそうな顔をするのなら、普段から美味しい食事を取ればいいのに……彼女の財力があれば、私以上に腕の良い料理人くらい何なく雇えそうだが。
「(って、無理か……私たちは魔女。ましてや『リンドヴェル・ストナス』は貴族にも名の知れた超一流人形師)」
好んで有名になった訳ではなさそうだが、そのせいで私以上に自分以外の全てを疑わなくてはならないのだろう。
厄介な「貴族」とまで繋がってしまって、何処から足が付くか分からない状態だ。料理人を雇い、もし作業を覗き見られでもしたらどうなる?
騎士団か異端審問官たちに告げ口されて、捕まるのがオチだ。ゆめゆめ忘れるなかれ。私たちは大罪人でもあることを。
「さて……食べ終わったし、趣味再開といこうかな〜」
「早っ。もう仕事モード?」
「仕事じゃあない。唯一の趣味だよ趣味〜。生きがいさ」
「でも次は筋造形でしょう?」
「……ふむ。気長に行こうということかな? 一理あるね〜……よし。それじゃあ、こうしよう」
彼女は暫し考えて、何かを思い付いたように人差し指を立てる。絶対にロクな考えではない予感がしたが、もう少しゆっくりしたいと我儘を言ったのは私だ。
定休日の今日は、帰ってもきっとマーシレスも居ないのだから。今は時間を潰せるのなら、悪だくみにでも何でも乗ってみたい。
「君の人形を作らせて欲しい」
「……え?」
そして予想を上回る突拍子の無さに、私は図らずも逡巡した。私にとってこの見た目とは「呪い」そのもの。それは彼女も理解しているはずだ。
そんな呪いを形にして、永遠にでも残してしまいそうな魔法の人形師が私の人形を作りたいと言うのだから、尚のこと意味が分からなかった。
次に一瞬の憤り。
しかし、私が下唇を噛み締めそうになった時、彼女は全てを見透かしていたかのように優しく微笑んだ。
「うん、判ってる。だから君には、君の望む最高の姿を見せて欲しいんだ。きっと私にとっても、最高のインスピレーションになる」
「私の、望む姿……?」
「無論お膳立ては完璧にしてみせるよ〜。貴族御用達の化粧品だってあるんだ。残り続ける奇跡を、君にプレゼントしたい……迷惑かなあ?」
私は思わず俯いた。リンドヴェルと知り合って一年近く経つが、これは彼女からの初めての提案。
考え得る限り最高の人形師が、心遣いを込めて作るその人形は……どんな風になるんだろう。気が付けば、訳も分からず心臓が早鐘を打っていた。
「……ありがとうリンドヴェル。私、見てみたい。貴女の作る私を」
「きゃは! 決まりだね〜。じゃあ化粧品と……向こうの部屋には服もある。デザインの参考にしているものだ。好きなのを選んでよ〜」
「うん」
かつて人形一つでこんな高揚があっただろうか。私は子供の頃から人形の事を、「女の子らしい趣味」という事もあってか敬遠し続けていた。
それどころか嫌ってすらいたと思う。誕生日に親戚から送られてくる人形を見ては、女として生まれてきた自分に憎らしさを覚えていたのだから。
だけど私は今、年甲斐もなく人形で高鳴っている。半ば緊張混じりの呼吸が漏れるのを、きっと彼女は聞いていただろう。
すると彼女は料理を褒められた時の私のように、少し誇らしげに笑った。
リンドヴェルは髪もくるくるだし、目の周りは不健康にクマだらけだし、背丈も低くてちんちくりんだし……でも下手に綺麗すぎる私よりも、よっぽど満たされているんだろう。
私なんかよりも綺麗な姿に、私は底知れない敬意と憧憬を抱くのだった。
◆
いつも使っている安物のコスメとは違う、きめ細かい化粧ノリの良さ。肌に馴染む色合いも好きに作り出せるほどのレパートリー。
考えてみれば色々と初めてだ。誰かに見せる為に紅を引くのも、経験したことがない。
リンドヴェルに笑われてしまわないだろうか。男に憧れる、本当になりたい私の姿を。
「(今になって……少し、怖いわね……)」
大人に近づくほど、異端として散々な否定を食らってきた私の夢。人生論者に打ちのめされた現実。
傲慢になりきれなかった弱く脆い「僕」の部分を見せる事を、彼女が許してくれるのかが不安でたまらない。
今日はポニーテールで少し遊んでみようか。紳士服も堅く着る必要はない。外出の用事ではないのだから、普段着のように崩しても構わない……よね?
ジャケットに袖を通す。
最後に、喉仏が無いのをチョーカーで隠した。
これが私にとっては最高の、そして私以外にとっては最低の自分だ。
――僕の中で何かが切り替わる。
切り分けられて、切り替わる。
継接の仮面を被って演じるは一人芝居。それを紡いでもらう為に、僕は震える足元に気付かないフリをして、衣装部屋から踏み出した。
……部屋の目の前には、画材を持ったリンドヴェルが立っていた。彼女が作業部屋どころか人形部屋からも抜け出して、玄関前まで来ているところを初めて見た。
「きゃはは。理想的な君を描くのに、作業部屋は狭すぎるよ〜」
「……どうも」
「おお、素敵な声だね。とてもカッコイイ」
「無理して絞り出してるんだ。ごめん、下手……だよね」
「どうして君は自分を出すほどにネガティブになるんだよぉ? ほら、楽しそうな顔して。真顔はスケッチの時にやってもらうから」
彼女はそう言うと、ついてくるよう僕に合図を送る。案内されたのは人形部屋とは逆方向にある、一階の角部屋だった。
内装はシックで豪奢なゴシック様式で統一され、あの自室が想像できないほど丁寧に整頓されている。
その中でも、僅かな光沢のあるサイドテーブルに触れてみた。
「……驚いた。本物のアンティーク? 興味なさそうなのに」
「うん。私の最期の作品はあの椅子に飾ろうと思ってる。この部屋だけは私が本気で家具を選んで、自分で設置までしたんだぁ。珍しいでしょ〜」
「僕をそんな部屋に? 良いの?」
僕がそう言うと彼女は肩を竦め、部屋の奥にある一つだけシンプルなデザインの椅子を引いた。
「どうぞミスター。今だけは君の席だ。生きづらい世界のことなんか、一旦忘れてしまえ」
彼女からのエスコートにむずむずしながらも、私は言われるがままに席に着く。
こういうのは男の仕事なのでは……? と思ったのは堪えておいて。
◆
「そういえば、君は私の夢を知ってたっけ?」
「人形を作り続けることじゃなくて?」
「それはそうなんだけどさ〜……そうか、言ってなかったかぁ」
彼女は僕の姿を描いている最中、退屈を紛らせるために色々な話をしてくれた。
まだ健在な彼女の両親のこと。家柄のこと。誰によって魔女になったのかなど、興味深い話題は尽きなかったが、中でも僕の気を引いたのは、彼女が抱える夢についての話だった。
「私の人形は、その形だけならおおよそ人と遜色ない。だけど人じゃないのは何故なんだろう? 私は、人を人たらしめるのが何なのかを知りたい」
「それは……難しいな」
「うん、難しいね〜。無理だとは思ってる。だけど、私は人を作ってみたい。それが私の願い」
妙に納得する自分が居た。それこそが今の彼女の、唯一にして絶対的な未練なのだろう。
偏執にも似た感情を人形作りに抱いているのは、それが「目的」ではなく「手段」だから。彼女は僕が想像するより、遥かに先を見ていたらしい。
「そうすれば、私を愛せなかったママの気持ちも分かるんじゃないかなって……ずっと夢に見てる」
「貴女も生きづらそうで何よりだ」
「勿論だよ〜。本当に満たされているのなら、魔女の道は選ばない。結局、どこかに大きな穴が空いているのが私たちでしょう?」
何の皮肉だろう。いや、僕もそうか。
与えられたものではなく、与えられなかったものを数えてしまう。
「……喋りすぎたかも。何でかなぁ……? 君が、私の夢に出る母親に似ていたからかもしれない。悪いね、こんな話して。母親呼ばわりは嫌だろう?」
「嫌じゃない。自分でも分からないけど、それは嫌じゃなかった」
「そう? なら良かったよ〜」
僕たちの、取り替えのきかない場所が疼くのは、いったい何の所為だろう?
きっと答えなんてまともに出せないままに、生きていくしかない。それが人間だ。故に僕らは生きている。
「……っし。スケッチは完成」
「ん、どんな感じ?」
「ダメ。見せない。次に君が来るときには人形を完成させておくから、また今度取りにおいで〜」
「えぇぇぇ? そりゃないよ、生殺しじゃん!」
「きゃははは。生殺されとけ〜」
――今日はいつもと違って、家事の報酬を貰わなかった。今回に限って「どうしても」と押し付けられそうになったが、それは人形代にしてくれと頼んだ。
今日という日に、価値のある時間だったから。
マーシレスとは一緒に居られなかったが、恋にもまたそんな時間があるように、孤独だって愉しめるということを学んだのだ。
◆
「いらっしゃい」
「愛想の無い店員だな。この方を誰と心得るか!」
「大貴族エストーザ家の跡取りでしょ〜? 知ってる知ってる。常連だし」
「貴様……!」
「よせハルトマン伯。リンドヴェル嬢の機嫌を損ねるでない」
人形たちは私の娘だ。しかしそれを誰かに手渡す事に未練は感じない。どちらかと言うと作業場から出て接客をしなければならない方が私にとっては問題だ。理由は簡単。面倒くさいから。
私は、彼女たちを美しいと思って買ってくれるのなら、喜んでそれを他者へ受け渡す。デメトリ・アルバトロン・アインス・エストーザさんもその一人だ。爵位は忘れた。まあ、彼は私の店の常連客である。
連れの方は初めましてか、或いは私の記憶から消し去ったかのどちらかだろう。
私はこういう「金を払うから自分が偉い」と思っている手合いが大嫌いなのだ。
私という人形師の名前に的外れな偉大さを感じて、「品物」を手に入れられる自分に酔っているだけだから。
そんな連中は決して、私の娘を愛してくれない。お飾りにしようとしている。
「今日は如何なさいますか……っと」
「薄汚い女が……こんな奴が世界最高の人形師なのか!? そのだらけきった態度を改めて――」
「くどいぞハルトマン。この場所での私たちは貴族ではない。彼女の作る人形に魅入られただけの客だよ」
「そうそう。ハルトマン伯……だったっけ? 貴方に私の娘たちは売らないから、帰っても良いよ〜」
「〜〜ッ! ……フン! 言われなくとも!」
髪の毛ぐるんぐるんの男が、鼻を鳴らして乱暴に部屋から出て行く。品性は金で買えないらしい。
……ところで彼の名前は何だったっけ。まあいいや。覚えるのも面倒だ。
「……非礼を詫びるぞリンドヴェル嬢。彼が付いて行きたいと言うものだから連れてきてしまった」
「こっちも学が無いもんで、不快にさせる人が多くて申し訳ないよ……さっ、難しい話は置いといて。今日はどの子を連れてってくれる?」
「ふむ。その話になると、いずれも捨てがたい」
彼は丁寧に整えられた顎髭を弄りながら、優美に着飾った娘たちを眺める。
その大柄に反して物腰は柔らかだ。少女たちの趣味である人形を買うようには見えない人だが、それには理由があるのだろう。今日は少しばかり踏み入ってみる。
「……娘さん?」
「ん? ああ。丁度君くらいのな。我ながら存分に、箱入りに育ててしまった。君の人形でなければ癇癪を起こすんだ」
「きゃはは。その審美眼は誰譲りかな〜」
「世辞はよせ。可愛く感じ過ぎるのも困り物だよ」
「……娘さんを、しっかり愛してあげてね」
「言われなくとも……む? あれは……」
彼が目を付けたのは、一つだけぽつんと椅子に置かれた人形だった。同時に、やはり彼の娘とやらの審美眼は父親譲りなのだと確信する。
「初めて見るな。珍しい。男性のドールを作っているとは。しかし……畏れ多いほど美しい。私ですら魅入られてしまうほどだ。題は……『Whisper』か。これは幾らになる?」
「きゃははは。申し訳ないけど、それは売れないよ〜。飾ってあるんだ」
「ほう。何の為か聞いても良いかな?」
「私の友人を象った人形なんだ。次に彼が訪れた時、それを渡す事になってる。だから、いつ取りに来ても良いように飾ってあるのさ〜」
「それはそれは……想い人かね?」
「エストーザさんにしては下世話だねえ。でもハズレ。似た者同士……かな」
私たちの縁など、その言葉でしか表せない。
願いも違えば師も違う。生き方だってまるで共通点が見つからない。それでも私は、彼女を無二の友人と思っている。
「いやはや、余計な詮索だったか……しかしこの有り余る美しさ……どうしても駄目か」
「ええ」
「貴族として頼んでもか」
「王に『国を差し出す』と言われても」
「はっはっは! 君も良き友を持ったな! ……しかし残念だよ。今日はどうしても、彼に目移りしてしまいそうだ。おそらく君の造った初めての男型ドールだろう? 本当に残念だが今日は一度退散するとしよう。娘への言い訳を一緒に考えてはくれぬか」
「そんな愛情も親の仕事」
「ぬぅ……気が滅入りそうだ……しかし君の店で妥協はできない。また来るよ。君の友人が来た後に」
「うん。またね。いつでも扉は開くから」
ウィスパーと次に会うまでの私の生活は、普段より少し陽気になりそうだった。
今日の夕飯は料理でもしてみようか? ……いや、それは怒られそうだからやめておこう。
私は静かにそう誓った。
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