表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/31

最終話. 斯くて魔女の恋は

 蜜蝋のような濃厚な月が宵の影を引き伸ばし、家庭の暖灯は緩やかにその夜の始まりの合図を窓から零し始める。

 今夜もこの街は何も変わらない。ただ2人の人間を除けば、何も変わる気配を見せない。


 片や黄金を呈する眩ゆい光の持ち主は、全てに決着をつけるべく、裏路地にある目立たない喫茶店の扉を開けた。


 片や宵闇の暗さを髪に宿した恋する少女は、その光がやって来ることを理解していたかのように、いつも読書をする窓際の座席に腰を下ろしている。


 卓の上には2人分の湯気の立つ紅茶がソーサーに乗せられて用意されていた。カウンターに目をやると、別の少女が小さく寝息を立てている様子が見られる。

 2人が光と闇だとするならば、彼女は純真無垢な白。

 どちらともなく、ただそのひたすらの純潔が、ひたすらに闇を引き寄せているだけの、何も知らない少女であった。


「いらっしゃい。やっぱり貴女なのね、ヨルシカ様。何となくそんな気はしてたけど」

「……」

「夜は長いし、軽くお話ししましょう。どうぞ座って」


 ウィスパーの纏う衣装は、本来であれば魔女の顔で身に付けるべき紳士服だった。しかし今日は化粧をしていないし、帽子も被っていない。声もいつものウィスパーだ。

 ただ男物の服を着ているだけの女性という様相を呈している。


 しかしやはりその美貌はため息すら飲み込んでしまうほどのもので、ヨルシカはその風変わりとも思える服装に何ら違和感は感じられなかった。呪われた可憐さがそれらを飲み込んでいる。


 ヨルシカはただあるがままに、自分が取り逃した紳士服の魔女の正体に対して、納得をいかせている最中であった。


 ヨルシカが彼女の対面に腰を下ろすと、しばらく2人に静寂が訪れる。あわや紅茶を勝手に飲み始めてしまおうか、というタイミングで、ウィスパーが語り出す。


「ぱっとしない顔してるわね。前会った時はもっと、迷いが無かったのに」

「……貴様のせいでもあるな」

「あら、ごめんあそばせ」


 こんな会話の切り口から、2人は自然と目の前の紅茶に手を伸ばしていた。ヨルシカはやけに渇く喉を潤しながら、カウンターで眠りこけるマーシレスの姿を見る。


「何故眠らせた?」

「出来るだけ長くマーシレスと一緒に居たかったの。キッツい眠剤よ。多分何しても起きないわ」

「魔女にさえならなければ、もっと長く居られたはずだろう?」

「私の場合はその限りじゃないわね。魔女にならなければ病気で半年。魔女になっても10年……今年で5年目よ」

「では大人しくしていれば良かった。何もせず、一般人としてただ過ごしていれば良かった。貴様は結局のところ、自分で台無しにしたんだ」

「あら意外。魔女でも大人しくしてれば許してくれるの? でもそれは無理。魔女はそれが不正解と分かっていても、台無しにせずにはいられないの」

「そんな衝動は人間に備わっていない。理非を知らず、理論を知らず、体系を知らず……貴様らが幸せになった例を見た事がないのに、貴様らはただ意味不明なものに命まで懸けて、やはり不幸に死んでゆく。それが分かっておきながら魔女になった貴様らはやはり異常だ。『正しさ』は無い」

「確かに貴女は完璧な人間よ。でもそれ故に、私には、貴女が何だか(うつ)ろに見える。間違っていると知りながらも止められない狂気こそ、恋ではなくて?」

「……誰かにも、似たようなことを言われたな」

「そう? じゃあもう一つ」


 紅茶を半分ほど飲み干したところで、ウィスパーは小さく足を組み、両手の指を合わせるような仕草をしながら口を開いた。

 彼女はヨルシカと目を合わせていない。ただ、自分のカップを見つめながら、さも何かを確信めいた様子だった。


「貴女の言う『間違ったこと』で幸せになる者がいれば、その不正解は、突如として正しさを帯びる。完璧は不変なもののはずなのに、その内面にある正当性という根拠は、たった1人の例外で脆く崩れ去るの」


 刹那の後、彼女は何かを決意したような瞳で、残った紅茶を全て飲み干した。その美しい瞳が、ヨルシカは恐ろしかった。


「今宵、私は貴女の『完璧』をブッ壊す。私の恋が幸福であることを証明する」


 店内を淡く照らすランプの炎が揺らめいた。その恐ろしい眼差しが、とうとうヨルシカを貫くようにして向けられる。

 一片の不幸を感じさせないような、穏やかな表情が、こんなにも怖いのは何故だろう。ヨルシカにとって、自分の完璧が壊されるような、予感のようなものがあったのかもしれない。


 間違いなく今の瞬間、ウィスパーは何かをしでかした。


「……魔女の薬について知ってる?」

「魔女の状態を維持するのに必要な劇毒だろう」

「流石、博識ね。普通の人にとっては劇毒になるような……私のは『水銀』だけど、そこから出来た、魔女の制約にも関わる重要な薬品。魔女はこれを必ず毎日摂取しなければならない。1日でも怠れば、もう一度毒物を身体に慣らす段階から必要になって……まあ要するに、飲み忘れを無視して摂取を継続したら死ぬわ」


 「魔女の制約」の正体とは、恒常的な毒物の摂取によって起こる体の機能不全だ。魔女たちは毒を飲み続けることで魔力回路を拡張しながら、体の不調をコントロールすることで初めて魔力を得られる。

 もちろん、自身の魔力回路に関する高度な知識が必要だ。ただ毒を飲むだけでは無意味。血を吐くほどの勉強を要する。


 そしてその毒が体内に蓄積されれば、どれほど高位の魔法でも治療する術は無い。とはいえ毒物の摂取をやめれば、免疫や抵抗力が弱まり、感染症などに非常にかかりやすい身体になる。


 進むも退くも詰んでいる。それが現代の魔女。


 加えて、薬の飲み忘れがあった時は、弱い毒素から身体を慣らしていかなければ中毒反応を起こして死に至る。その時に限り、魔女は高度な毒耐性を有さない。


 ヨルシカの頭の中に、不穏なものが過った。

 ウィスパーは告げる。


「私、しばらく薬を飲まなかったの。そしてさっき、薬を自分の紅茶の中に入れておいた」

「……は?」


 ヨルシカの頬に冷や汗が伝う。

 圧倒的な理解不能。ますますウィスパーの表情が狂気を加速させたように思える。

 コイツはどうして、ここまで慈愛に満ちた、幸せそうな顔をしているんだ。今から死ぬのに。中毒反応での死は、想像を絶するほど苦しいというのに。


「なッ……ど、どうして……ッ? 貴さ、お前ッ……狂ってる……イカれてるぞ……!」

「私が幸せそうに死んだら、貴女は私の『正しさ』を信じざるを得ないわよね」

「いや、それでも……それでもだ……! どこまでも合理的じゃない! 神の教えに対する冒涜だ……! お前の魂は救済されない! 希望のない地獄へ行くことに――」

「それでいい。地獄にマーシレスが居ない。私はそれだけで幸福よ」


 何という顔をしているんだコイツは。

 本当に自分が無限の責苦を味わう地獄に落ちると確信しておきながら、それを幸福なことだと思っている。万物の道理から外れた感覚だ。


 ヨルシカの異端審問官としての人生の中で、幸せに死んでいった魔女なんて居ない。

 その最初が、まさか自分で死ぬことを選んだ魔女だとは、想像もしていなかった。そして彼女は、ヨルシカの中にある「完璧であれば幸福になる」という理論と全く逆の事実をぶつけてきた。


 ウィスパー・マーキュリーはその命を、ただ一つの証明の反例として使おうとしている。


 彼女曰く、恋とは狂気であり、狂気とは恋。間違った想いではあるが、その先に救われる者も居る。


「じっ……自分が、何をしたのか……理解しているのか?」

「貴女の信じる神をコケにしてやった。神様なんてクソよ。どうせ私を救ってくれないんだから、私は勝手に救われてやるの」

「自殺した魂には、救いのない運命しか待っていないのにか……!?」

「大事なのは、私が生きていることじゃない。クソッタレな神に私の魂が救われることでもない。……それよりも重要なのは、私の恋した人がいるこの世界に、私の願いを生き残らせること」

「誰がそのような暗愚な願いを生かしてくれるというのだ……!」

「貴女、よ」


 ウィスパーは中毒による嘔吐(えず)きを堪えるように胸元を押さえ、冷や汗を頬に伝わせながら、それでもなお微笑んでいた。


「私の願いは、貴女の中に……託す……」

「貴様の狂気など、私が飼うはずはないッ……!」

「拒否するとか、しないとか、そんな単純なものじゃない、のよ……貴女は、受け入れるしか、ない」


 こうして喋っている間にも、ウィスパーの顔色はどんどんと蒼白になっていく。中毒反応によって味わう苦痛は、おそらく意識を保てているのが奇跡であるほどに、壮絶なものだろう。


 しかしウィスパーの表情は、まるで母親が我が子を抱きしめているかのように穏やかだ。或いは想い人と相思相愛になったかのような優しさだ。


 ヨルシカは咄嗟に駆け寄り介抱を試みるも、彼女は薬を飲んだ時点で手遅れだ。もう何も出来ない。してやれる事がない。


「これで私の恋が……幸福になる」

「やめろ……やめてくれ……!」

「さよ、なら……マーシレス……愛してたわ……」

「間違ったことで幸福になるなッ……!!」

「途中、色々、間違えたりもした、けど……私は……身の丈に合わないほど……幸せ、だっ――」

「やめろッ……!!」


 ヨルシカは祈った。生まれて初めて、人の不幸な死を祈った。しかしその願いは届かず、やがてウィスパーは最後の言葉を言い切らないうちに、くたりと身体を弛緩させる。


 窓際の席の上。

 まるで自分の正しさを疑わず眠るように。


 ウィスパー・マーキュリーは幸福に死んだのだ。

 それは同時に、ヨルシカの黄金に満ちた生き方が、粉々に破壊されたことを意味していた。


 遺されたヨルシカは、彼女の亡骸の隣でうずくまる。


「何故だ……分からない……分からない……ッ!!」


 自分は負けた。力に関しては言うまでもなく、知能に関しても遥か高みを行くはずの、完璧なはずの自分が負けた。

 体の芯にまで浸透するのは、完膚なきまでの敗北感。彼女の黄金の光は、ウィスパー・マーキュリーの「願い」という一筋の深い闇を孕んだ。


 ――視界の隅に、まだ寝息を立てる影が見える。

 月明かりと仄かなランプの光に照らされて、相も変わらず何も知らないままでいる。


 親友がすぐ隣で服毒自殺をしたことも、ヨルシカが敗北した姿も、何も見ていない。


 そんなマーシレスを保護するために近寄ると、その手元には一枚の便箋が置かれていることに気が付いた。ヨルシカはそれを手に取って、ぼうっと眺める。


 差出人は「Whisper Mercury」と書かれている。それ以外は何の変哲もない、白い便箋に包まれた数枚組の手紙だった。


「……」


 ヨルシカは、最後にその中身を確認するべきか悩んだうえで、結局何も手を出さず、ウィスパーの亡骸を両腕に抱えたまま、ただ沈黙と共に喫茶店を去った。


 彼女の恋は終わったのだ。

 確かにその過程は狂気に満ち満ちており、誰にも受け入れて貰えないときの孤独も、醜悪な独占欲もあったのかもしれない。

 それでも、その恋が幕を下ろすとき、彼女は間違いなく幸せそうな顔だった。


 たとえ悪でも、過ちでも、自らの正しさを貫いてみせた。自分の恋が、自分みずからのものであった。それで幸福なのだ。

 果たしてこの「間違い」は「正しくないこと」を意味していたのだろうか。その答えはヨルシカの中でも、永遠の謎となった。


 ◆


 朝の強烈な日差しが彼女の顔を叩き、ようやく無垢な彼女は眠りから覚めた。つまりは自分の身に起こったことなど、全く理解の外側であった。


「ふぁあ〜……あっ? 寝ちゃってた……?」


 「何で起こしてくれなかったの?」と、怒っている風に揶揄ってやろうと、あるはずの店主の姿を探したが、彼女の目に飛び込んだのは窓際に置かれた店主が読んでいたはずの一冊の本と、2つのカップと、自分の腕に敷かれていた白い便箋だった。


 消えてしまった幻影を求めるように、尚も彼女はウィスパーを探し続ける。孤独な店内に、小さく声が響いた。


「(……起きたら読めってこと?)」


 ――差出人の名前が店主のそれであることを確認しながら、彼女は手紙を読み始めた。


 アンスリウムは枯れている。



【第一部 ささめく魔女の幸福な恋 終劇】

第一部、本編最終回を迎えることができました。ありがとうございます。

番外編1話ぶん+おまけを投稿し、一区切りとさせていただきます。


これを機にブックマーク、ページ下部から☆☆☆☆☆をタップして作品評価などよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ