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27.幸福な恋 ①

 私は辟易していた。

 私に私を求めないで。私を私と呼ばないで。そう思って生きていた。


 キュートで可憐で端麗で――その姿を担うようにと刃物を突きつけられている。

 だけど傷だらけの背中には、もうリボンもコルセットも付けていない。制服をモノトーンのパンツスタイルに変えてみたのだ。


「ウィスパーって、結婚とか考えたりしてない?」

「ド嫌味ね。久しぶりに会ったかと思えば」


 面と向かって直球な嫌味まで遠慮なく口に出してくるのは、私の密かな想い人でもある既婚者のマーシレス。私は彼女に禁じられた恋をしている。


 どうやら髪を伸ばしているらしく、貴族の風格も合わせてちょっと見ない間に雰囲気が変わった。男子三日会わざればという言葉があるが、きっとそれは新婚気分の抜けていない女子にも言えるんじゃないだろうか。


「だってウィスパー、突然休暇に入ってから余裕出てきたっていうか、最近落ち着いてきてるじゃない。服も何か小洒落てるしさ」

「ははーん、それで私に甲斐性のある男でも出来たんじゃないかって考えたのね?」


 約1ヶ月ぶりに店を開いたというのに、やはりと言うべきか冷やかしの業務だけは立派にこなしているようで、もういっそ感服する。


 私はとりあえず、久しぶりにマーシレスにコーヒーを淹れてあげた。彼女は小さく「頼んでないよ」と冗談を言いながら微笑んだ。

 いつも笑う時に見せていた八重歯は唇に隠され、上品で貴族らしい振る舞いに変わっている。そんな小さなところにまで気付いてしまうなんて、私は彼女が本当に大好きなんだなと実感した。


「でもハズレ。少し自分に正直に生きてみようって思っただけよ。似合ってなかった?」

「似合ってるよ。いつもとは雰囲気違って、ちょっとカッコいい……? 女の子にカッコいいって変だけど」

「ふふっ。ありがと」


 意外と簡単なことだったんだ。あれほど欲しかった言葉が、願い通りでなくとも与えられる。最初からもう少しだけ、自分の正しさを信じてやれれば、私は苦しまなかったのかも。


 ……私はもうすぐ此処に居られなくなる。

 悔しいなあ。もっと早くに、こうしておけばよかったと思う。だけど、きっと、そんな事は出来なかった。


 私はいま、最後に心を燃やしてこんな振る舞いをしているだけに過ぎない。死者が老いさらばえる直前の万能感。怖いもの知らずの全能感。


 それだけの動機がなければ、最初からもう手遅れだったんだろう。だから最後くらいは……この棘のような幸福を、笑顔で飲み込もう。


「そうそう。ウィスパーが居ないうちに、色々あったんだよ? ほら、人形師リンドヴェル様が魔女だったって話。知ってる?」

「……ええ、もちろん。マーシレスもリンドヴェル人形には憧れてたでしょ」

「そうなの。だからショックでさぁ……あ、でも処刑はかなり先らしいよ。今は監視付きで保釈されてるんですって。旦那を酔わせたら色々話してくれたわ」

「……! な、何でそんなことが認められたのよ?」

「人形師としての多大な功績と、ヨルシカさんの後押し。それに、『最後の人形を作らせて欲しい』っていう本人の嘆願があったみたい」


 私は思わず胸を撫で下ろした。同時に、あの子の処刑が行われるより先に、私が簡単に捕まって処刑されそうな感じすらあって、そうなったら笑い物だなとも思ってしまう。


「あの子の最後の作品ね……見てみたいけど……」

「とんでもない価値が出るんじゃないかなぁ? ん? あの子? リンドヴェル様って若いの?」

「い、いえ。噂でそう聞いてただけよ」


 結局、私の人形は取り返すことが出来なかった。

 人形を巡っては、貴族の間で尋常ならざるいざこざがあったらしく、その行方はもう私には追えないほどになっている。


 リンドヴェルの魔女騒動は様々な場所で波紋を呼んだ。今では落ち着いたが、捕縛の情報が出てからしばらくの間、記事の一面を常に占領していたほどに。


 リンドヴェル人形の価値は今後おそらく更に上がっていく。ますますマーシレスにとっては夢の世界になってしまった訳だが。


 ……あの子はもう、居ないのか。

 その事実を言葉に思い浮かべる度、胃の奥あたりが差し込みのように痛む。お互い死刑宣告が近い身の上ではあるが、私のことに関して責任を感じていなければと祈るばかりだ。


 そしてその度に、私は願いを託された時のことを思い出す。私は自分の望み通りにそれを叶えることは出来ないだろう。


 だけど、自分の正しさを信じる事はできる。

 やる事は決まっていた。


 想いの伝え方は決めてある。ロマンチックもプラトニックも、私にとっては必要じゃない。

 この恋を告げることの本質は限りなく「悪」だ。星空も宝石も似合わない。

 ただ、いつもは心の深くに根を張らせていた悪を、今日は自然の延長のように伝えるだけでいい。


 私は窓際の席に行き、途中だった小説を開く。

 マーシレスが冷やかしの常連だとすれば、私は職務怠慢ぐせがついてしまった店員だろうか。まあ仕方ない。お客がそうそう来ないような立地を好んだのは私なのだ。最初から繁盛してやろうなんて気構えでやってないのだから。


 この場所だけの時間が遅れているかのように、穏やかな時間が流れていく。マーシレスがコーヒーを飲み、私が小説のページを捲り、たまに雑談する。


 香水変えたんだとか、それはどんな小説なんだとか、とりとめのない話だった。これが私の求めていたものなのだ。


 なんて事はなかったのだろう。最初から誰に否定されようと、自分の恋を信じてやること。簡単だったじゃないか。これは初めから私だけの恋で、私だけのものだったのだから。


「マーシレス」

「ん? なにー?」

「好きよ」

「……? うん、私もウィスパーのこと大好きだよ。なになに? 急に照れるじゃん」


 ――知ってるわ。マーシレスにこれを()()()()しまえば私たちの全てが変わってしまう。

 伝え方の答えなんて分からない。恋より強固な親愛で結び付いた私たちは、今更脆い橋などに頼れない。だからこれは、世界で最も残酷な我儘。


 私は恐ろしい微笑み方をしているんでしょうね。


 知ってる? 貴女の無垢は、私の出会ってきたどんな悪人よりも残酷で無慈悲なことを。

 知ってる? いま貴女の身体は、私が少し手を動かすだけでデタラメに切り裂かれてしまうのよ。鏡を見ないと分からないでしょうけど。

 知ってる? 貴女は天国なのに、私はこれから地獄へ行くの。貴女は私を殺すよりも酷いことをしているのに。


 ……そして、私、それを素晴らしいことだと思ってしまっている。きっと永遠に私の気持ちは気付かれず、ただ地獄から空を見上げて、綺麗な月を眺めていられる。

 孤独の中で尚、貴女が地獄にいない事を嬉しいと思える。

 貴女にどんなに酷い事をしても、ずっと許さないでいてくれる。


 恋さえしてれば、地獄さえも天国なんだぜ。


「あ、え……? なに、こ、れ……?」

「……マーシレス」

「なんで、急に、眠、い……」

「私が貴女を大好きだったことだけ、覚えていて」




 ――妙なことをする。言い訳するか? いや、もうきっとお主には出来んよ。


 さて、儂からお主に言っておきたいことがある。

 それで満足なのか? ……つまらん。お主はいつからそんな顔ができるようになったんじゃ? 何を経験した? 地獄でも見たか。それとも天国を見たか。

 つまらん。お主は(うつつ)に迷い踊らされる阿呆じゃったというのに。儂はそんなお主がどうしようもなく愛おしく、壊したくて、破滅に向けて否定し続けとった。


 じゃがのぅ……もうお主は救われてしまっておるじゃないか。つまらん、つまらん、つまらん。覚悟というやつか? 無敵になったつもりか? それとも本当にイカれたか?


 もうよい。久しく相見えたというのに興が削がれた。

 もうお主は玩具にすらにならん。間もなく異端審問官が来るじゃろう。最後に惨めな面を拝んでやろうと思ったが、何も期待出来なさそうじゃ。


 儂は別の宿を探す。二度と会うこともないじゃろう。処刑の前に、最後の言葉でも考えておけ。


 ったく、本当にこれで良かったのぅ?

 ……頼まれた仕事はやったぞ、フレデリカ。

ウィスパーちゃんの恋を最後まで応援してね!

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