23.異端審問官『銀弾』のカルダン・グリル ②
王都とセニカを繋ぐ静かな街道に、早馬の如き速度で駆ける人の姿があった。『胴欲』の魔女ベイジャフロルだ。
交通手段は後に撤退の邪魔になる。それに、今回に関して言えば走った方が早い。
これから通ることになるであろう貴族が有する森林の中は、近道にはなるが馬では行動が遅れてしまう。蹄鉄の音で潜入が露呈するし、木々に指向性と速度を奪われればそれこそ格好の的である。
何よりベイジャフロルにはリンドヴェルの補助が付いていた。四肢と関節に取り付けられた、肉眼では確認できないほど極細の糸、一本一本が彼女の運動をマリオネットのように動かしている。
元より肉体派の彼女は、身体能力を強化する魔法まで扱えるのだ。そこから生み出される走力は短距離向け。しかしリンドヴェルが着目したのはその「強度」である。
高負荷にも耐えられる筋力を最大効率で操る糸により、彼女の速筋を持続可能に仕立てている。
「(うぉっ……スッゲー走りやすい!)」
当然ながら遠隔でそれを操作するリンドヴェルはベイジャフロルの前に広がる光景が見えていない。よって補助の糸を周囲に拡散させるように引き伸ばし、指先の感覚だけでそれを把握している。
信じられない芸当だ。これこそ「指先の技術」に全ての人生を注いできた魔女の到達点。
五感よりも過敏、脳よりもよく働く手先であった。
この常軌を逸した芸当により、近道を抜け外壁を跳び、馬で行くよりもよっぽど早くハルトマン邸へと到達する。
周囲は静かだ。リンドヴェルが糸の射程を更に引き伸ばし、ベイジャフロルは物陰に身を隠しながら警戒するように周囲を見回す。
彼女たちは同時に、見張りを行う複数の警備兵と私兵を格納しておく兵舎を確認する。ここでベイジャフロルが首を傾げた。
「(想定より見張りが多い。計画は漏れてねぇ筈だが、何故だ? チッ……しゃーない、ここはいっちょ殲滅して……)」
そう思い立ち物陰から飛び出そうとした彼女を、見えない力が強引に引き止める。
「ぐえ」
糸が彼女の身体を縛り付けたのだ。尻もちをつかされた彼女は、声を抑えながらも不満そうに口を開く。
「何だよ、『行くな』って事かぁ? だけどあの見張りの量だぜ? 強行突破以外に……お?」
不意に彼女の身体が糸から解放された。一瞬自由行動かと思ったようだが、どうやらそうではないらしい。
「……! え――」
見張りの1人が突如として不審な動きを見せる。
それは何の予兆もなく訪れ、声を上げる暇すら与えない。男はその場で何度か身体を痙攣させ、やがて上半身をだらんと垂らすように前のめりになった。
その兵士はどうやらリンドヴェルの家に強盗に入った者の1人だったらしい。鎧の隙間から糸を侵入させ、脊髄から神経回路を掻き回して操るリンドヴェルの魔法【形代蜘蛛】の応用だ。
その過程を目撃した他の見張りが何事かと駆け寄る。これと同様の騒ぎが複数の場所や邸宅の室内でも起きたようで、静寂に包まれていた屋敷は、その中に僅かな喧騒を覗かせた。
「(えっぐ……マジかよ。こんな事も出来んのか)」
リンドヴェルの「人形作り」に最も近しいのは人形の製作技術ではなく人体構造学。すなわち「解剖学」である。
この国における死後の解剖は未だに毛嫌いされている節が強く、そのため解剖学とは発達段階の学問だ。
一部の選ばれし神官たちは外科手術など行わず、大抵は回復系統の魔力でどうにでもなってしまう時代であり、そういった「上層部」の外科手術不要論からも遅れてしまっている分野でもある。
しかしリンドヴェルは、あくまで自分のやりたいことの為であるが、解剖学に関しては尋常ならざる水準で極めていた。
大脳があり、脊髄があり、神経系があり、そこから全身に送られる電気信号が筋肉繊維の束を動かすことを理解している。
要するに人体は「骨」と「皮」と「糸」で動いていることを理解しているのだ。
本来であれば解剖学の知識は、どこを治せば人体を永らえさせられるかという慈悲深い目的の為に発達するが、リンドヴェルの解剖学の使い方に関して言えば、全くそんなことはない。
つまりはどこを、どう壊せば、人命を存続させながらその身体を支配できるのか。何を破壊しても人はギリギリ生きていられるかを知っているということ。
この世で最も完全犯罪に向いている仕事は「解剖医」と言われているが、リンドヴェルはまさにそれである。
機を伺い、自分とは埒外の場所で、時期で、指先一つで他者の命を的確に刈り取る。
彼女にかかれば、敵の心臓を鼓動させながら支配下に置く事も容易。そして当然……死ぬまで暴れてもらう事も強制できる。
「うああああああああッ!? な、何だよッ!!? どうして急に――」
「お、おいっ! 止まれッ!! 剣を納め……ぐぁぁぁぁッ!!」
多人数を操るのは神経を削る操作であるためベイジャフロルに補助を繋いだままではいられないが、「数的有利」はリンドヴェルの前では何の意味も為さない。
単騎で制圧するよりもごく短時間で、その地獄は終了した。
「……改めて見ると、この上なく敵にしたくない魔女ね」
「ん? 敵になるのかい、ウィスパーくん?」
「まさか。願い下げよ」
「きゃはは、今回は協力もあるから制圧は簡単そうだね〜。油断はしないけど」
◆
「な、何だ……何の騒ぎだ!? 衛兵! 衛兵ッ!!」
私兵を呼びつけるハルトマン伯の元へ、鎧に返り血を浴びた衛兵が1人報告に向かった。
「お、遅いぞッ……夜明けも間もなくにして、この騒ぎは何だ!?」
「はっ! 何やら兵士たちが恐慌状態に陥ったようで……状況は分かりかねます! しかしご安心を。もう間も無く鎮圧され――」
「はい駄目。オイタが過ぎるよ」
その衛兵の首元を、背後から細身の剣が貫く。
気配を消して現れたのは客間のソファを占拠していたはずの異端審問官カルダン・グリルであった。
「ッ……か、か、カルダンッ!? 何故兵士を殺したッ!?」
「魔法で操られてる。ほら」
カルダンは串刺しにした兵士を指差した。
その兵の反応は異常で、首元を深く貫かれても苦しむ様子もなく、命が尽きる寸前まで剣に手を伸ばし、やがて濁った瞳のまま身体を硬直させ、床に倒れ伏す。
「伯爵を安心させた所で……グサッ!! って感じかな」
「な……!?」
「これ、強盗に向かわせた兵でしょ? 使い回しは良くないねー。犯罪行為をさせた部下は即刻処理しなきゃ。証拠隠滅も出来ないの? 貴族のくせに『モッタイナイ・スピリット』ですかぁ?」
するとその兵士の遺体からリンドヴェルの糸が飛び出し、カルダンに襲い掛かる。操った者を仕留めた奴に乗り移るという二段構えだ。
しかしカルダンはその極細の糸が見えているかのように、それを鮮やかな剣技で細切れに切り刻む。
ハルトマン伯は自分の目の前で何が起こっているのか理解が及ばず、怯えながら部屋の隅へ逃げようとしていた。
「こんなので人を操るなんて、とんでもなく器用な魔女」
「(――切られた。それに魔法妨害まで……さては妙な魔道具を持ってる奴が居るのかな〜? うーん、この糸はもう操れないか)」
リンドヴェルが指先越しに異常を察知する。どうやらカルダンの持つ細剣には魔法妨害の効果がかかっているらしく、一度切られるとその糸が操れなくなるようだ。
彼女はとりあえず左手薬指の糸を切り離し、不用意な魔法の痕跡を残さないよう対応した。
ウィスパーは部屋で集中するリンドヴェルの顔色が少し変わったのを見て、心配そうに声を掛ける。
「問題?」
「ん。異端審問官が居るかもね〜」
「……間の悪いだけの訪問者かしら?」
「分かんないなぁ。だけど、私の糸を見切ってた。感知系の魔力持ちかも」
魔女は基本的に1つ、或いは2〜3までの無属性魔法しか持たない。しかし高位の異端審問官ともなると、属性魔法に加えて魔法感知だったり、特定の無属性魔法を身に付けていたりする。
魔法は才能の世界だ。無理矢理その力を得ようとすれば、魔女の制約で命を削らなくてはならないほどに。
リンドヴェルが想像した最悪の敵はヨルシカ。しかし彼女だとすれば色々と合点がいかない部分がある。
まず兵士たちを見殺しにはしないはずだ。それにヨルシカならば、リンドヴェルの糸を体内から取り出してしまうくらいの真似はしそうである。
しかし並の異端審問官であれば感知魔法は持たず、リンドヴェルの糸を見抜くような真似はできないだろう。
「(かなり強そうな人が居るね〜……2人がかりならやれるかな?)」
相手がヨルシカでないとするならば、リンドヴェルが押し通るだけの理由にはなる。危険な綱渡りにはなってしまいそうだが、まだ敗北する気はしていなかった。
それは彼女がカルダンという人間を知らなかったからだろう。その認識の差異が、リンドヴェルを破滅へと導くことも判らなかったのだ。
暗号技術において、カルダングリル(Cardan grille)とは、分置式暗号を生成また復号するために使われる鍵となる道具のことである。




