21.『相剋』の魔女アイリス ②
人形師リンドヴェルの拘束劇の翌日。
書類仕事を終えた私は、魔女を監禁しているアテナパレス地下最奥の間へと足を運んでいた。ここの牢が同時に2つ埋まることはかなり珍しい。
リンドヴェル・ストナス確保の事実は、今のところ異端審問官内部の極秘情報として取り扱われている。いつ漏洩してしまうかは定かではないが、貴族とも深い関わりのあった彼女の処遇には、あらゆる意見があるだろう。
それまでは機を見つつ、慎重な対応が求められる。
そんな彼女の話は後ほど聞くとして……今の私が担当すべきはアイリス・オーリンだ。
昨晩の迅速な会議で処刑日は2週間後に決定した。14日後には死が待ち構えている。当然ながら、二度目の脱獄が無いよう拘束は本部で行い、警備も厳戒態勢である。
この女の罪は重い。数多の殺人、数多の暴力、数多の恐怖を撒き散らした元凶だ。贖罪の為の拷問もこれから行われる。
私は権限を使って、拷問前の彼女とかねてより望んだ「対話」をしてみることにした。
「あら……笑いに来たのかしら? 意外な趣味ね」
石材の壁に磔にされるように、何重もの鎖や手枷で拘束されている彼女を鉄格子越しに見ると、彼女は自嘲っぽく微笑んでいた。
出会った時とちょうど同じような疲れきった表情ではあるが、尋問の際に受けた傷が至る所に生々しく残っている。
この空間では魔法を行使することが出来ない。本部の牢獄棟に関しては、私が手ずから厳重な魔法封印をかけてあるからだ。
「貴様と話がしたくてな」
「……尋問の時に全部言ったでしょう? 私は天涯孤独を貫いた魔女。仲間も居なければ、他の魔女の居場所も見当つかないって」
「そうじゃない。私は魔女のお前に会いに来たのではない。私は……アイリス・オーリンという個人に会いに来たのだ」
彼女は少し驚いた顔をする。言葉に詰まったかのように小さく「あー」と呟いたかと思うと、自虐じみた微笑がその相貌から失せた。
「それ、問題発言じゃない? 異端審問官の最高戦力が魔女を人間扱いするって」
「最近、妙なものに取り憑かれてな。ケリを付けなければ私は"完全"に手が届かない」
「貴女実は狂ってたりする?」
「ふむ。確かに、これは単なる気の迷いか……或いはまともな人間なんて、実はこの世に一人も居ないのかもな」
「ふぅん、よく分かったわ。貴女は真理に最も近いだけで、よっぽどおかしい人よ……よくも魔女にならないで居られるわね」
「私が魔女になるだと? 馬鹿馬鹿しい。そんなことはあり得ないさ」
「いいえ。貴女は魔女に近いわ……良い機会だから教えてあげる。私が知る限りの、魔女の歴史を」
「……!」
願ってもない。元より私は魔女の理について知りたかったのだ。何故彼女たちが魔女を選び、身を堕としたのか。
魔女という存在は、長い歴史の中でここまで私たち異端審問官を手こずらせているのだ。そこにはきっと、何か複雑な理由がある。魔女が存在する「本質」がある。
あの小喫茶の店主、ウィスパー嬢が語っていた。私たちの敵は本質だと。これは言い換えれば、人が人として生きるための背景には、必ず魔女が存在するということ。
そしてアイリスがこれから語るのはおそらく限りなく「正解」に近い事柄だ。それは私が常に欲するもの。
合理性、解、完全、黄金……何と呼んでも良い。
ひどく期待している自分が居た。心臓が待ちきれずに秒を読むなんていつぶりだろう。
私の思い描く、今の私に足りないピースの正体が分かる。はやる気持ちを抑えていると、幸いにもアイリスはすぐに口を開いた。
「――他人の所有権を奪おうと思ったことはおあり?」
「……は?」
彼女が放った第一声は、そんな素っ頓狂な質問だった。
「他人を羨望したり、憎んだりしたことは? 誰かが虐められているのを見て、快楽を得た経験は? 自分よりも強き者が、その立場から引き摺り下ろされる光景に興味は? 人と違うところに苦悩したことは? 自分の放った言葉を反芻して、自分で反省会を開催したりはする? やれば出来ると思ってはいるけれど、悉く言い訳をして結局やらなかったことは? それに後悔は? 腹の立つ権力者の顔を妄想の中だけでも殴り飛ばしてみたりは? 誰かを汚い手段でも出し抜きたいと思ったことは? 怨恨で誰かを殺そうと思ったことは?」
無い。どれも無い。
全て私には関係のない心の動きだ。まさかこれに共感を求めているのだろうか。だとしたら嘗められたものだ。
私は清く生きてきた。その自信がある。
私は決して厳格な規律を破らない。いかに妄想の中でも、自分のその姿を想像しようとするだけで吐き気すら催すほどに、私はそういうのが大嫌いだ。
「ある訳がない」
「ええ、そうよね。判ってる。貴女ならそうよ。でもね……貴女以外の全ての人にとって、これらは抗いようのない『本能』なの。どれほど自分を律しようと、こういった想いは不可避のもの」
「……愚弄をするな。人々は貴様ら魔女のように逃げる事はない。自らを信じ、自らを律することが、人間には出来るのだ」
「はぁ……貴女って時折、本当に常識外れな事を言うのね。頭が良いのにまだ理解できていないの? 自分に足りないモノが何なのかを」
「私に……足りないモノ?」
「『未完全性』よ。貴女は満ち足り過ぎている。だから貴女は、可哀想なことに完璧にしか成れないの」
それの何がいけないのだ。誰だって完璧でありたい。
私はたまたま誰よりも、その情動に忠実だっただけであって、そもそも未だ完璧ではないという自覚すらしている。
そんな私に足りないモノが『未完全性』だと? 私は完璧にしか成れないだと? だとしたら……完璧とは何なんだ。完全とは何なんだ。
未完全であることが完全だと?
そんな二律背反が許される筈はない。
無欠で、黄金で、隙が無く、全てを理解する。これこそが人が目指すべき到達点ではないのか。
「魔女の歴史とは、私が思うに、人の本質の中で起こる葛藤の歴史。自己矛盾の歴史。社会性の歴史。……だからきっと、どれほど時代が変わろうと、このジレンマは生き残る。今の魔女たちがそれを生き残らす」
「……私が……完璧に生きようとしている私が、間違えているというのか?」
「ある意味では間違えてる。その場合、間違えてない人なんて存在しない。だけどある意味では間違えていない。その場合、間違えている人なんて存在しない。全てが不正解であり、全てが正解なのよ。それが理解できない限り貴女は永遠に、誰にも触れられないような黄金の光に包まれたまま。そして魔女について何も理解できないまま……生きて死ね。望んだ煌めきに覆われながら」
「……」
余りに残酷だ。私が受け止めるには、時間がかかり過ぎる。今でも私の理性は、彼女が語ることについて納得しようとしていない。
だが私の本能はどうだ? 本質はどうだ?
アイリス・オーリンなどという一介の殺人鬼に。不正解の典型に。非人道の元凶に。私の本質は納得を示している……気がする。
私の中でのせめぎ合いが続く。きっと、しばらく続き続けるだろう。
ともすれば私はどうすれば良い? 私が求めていた解は、予想を遥かに超えた単純さだった。しかしそれは表現し難く、そんな未完全性を別の言葉で言い換えることが出来ない。
……不愉快だ。それはおそらく私が「完全」だからこそ手の届かない場所にあるということを、理解してしまっている自分がいる。
頬に冷や汗が伝っている? やめろ。
心が動かされている? やめろ。
魔女の存在に肯定を示している? やめろッッ!!
……かつてない焦燥と複雑な感情の渦中で、その魔女は言葉を紡ぎ続けた。
「――人は時折、正体も掴めないモノにしがみついて、命すら投げうつの。誰かはそれを『異端』と呼んだ。故にそれを咎める行為こそ、異端審問。だけど、魔女の世界ではそれを異端と呼ばない。貴女に足りないそんなモノは、魔女風の言葉で表すならば、抽象的だけど単純明快よ。……教えて欲しい? 貴女の理解できない感情を」
「……」
「教えて欲しい? 貴女に合うピースを」
「…………れ」
気が付くと、私は鬼気迫る表情を浮かべながら、鉄格子に掴みかかっていた。もう後には退けない。
それが手に入らない感情だとしても、正体を知りたい。
……まだ「正解」が欲しい。
私は生まれて初めて、間違いだと知りながらも、間違った好奇を抱いていた。
「教えてくれ」
アイリスは微笑んだ。今度は自虐的でも何でもなく、ただ私を同族に数えるかのように。
不思議とその笑顔は不快ではなかった。不愉快でもなかった。おそらく私は、初めて何かに負けたことに気付いていたのだろう。
しかし、止められなかった。まるで魔女たちが、狂気に堕ちるのを止められないことと同じように。
「――恋よ」
「……こ、い?」
「手に入れたい。奪いたい。壊したい。隠したい。続けたい。それはもう……焦がれるほどに。明日苦しみながら死んでも構わないほどに。この感情を『恋』と呼ぶのは、間違っているかしら?」
……ああ。
そうか。そうだったのか。
「死ぬまで片想いを続ける覚悟をした、ある意味では正気の連中こそ……今代の『魔女』たちなのよ」
「それは、つまり、魔女たちも……」
やはり人間だったのだ――
こんな続きを口にしなかったのは、はたまた私の理性がやはりアイリスの言葉を否定したかったからだろうか。
「貴女もよ」
「……私か?」
「"完璧"に片想いしてる」
「……はは。何故だろうな……もう『有り得ない』とは、言う気が起きない……」
「貴女も魔女になってみる? 私でも教えられるわよ」
「……馬鹿を言わないでくれ。私は完璧で居たい。今の世界が魔女を不正解と呼ぶのなら、私は魔女にはならない」
「ええ。そう言うと思ったわ。……用が済んだなら出て行って。貴女と話していると、何だか拷問が嫌になってきちゃうんだもの」
「……そうだな。出て行くとしよう。私は拷問官ではない。これで貴様とこうやって話すのも終いだ。……礼は言わん」
「はいはい」
私が牢獄に背を向けると、アイリスは呆然としたような、救われたような表情を浮かべて天井を仰いだ。見てはいないが、そんな事をしたような気がする。
「……あっ、そうだ」
彼女が最後に私を呼び止める。私は振り返らず、脚だけを止める形で応答した。
「私の過去とか、聞かないで良いの?」
私はしばらく沈黙する。
聞きたくない、と言えば嘘になる。しかし私は怖かった。私の中で揺らいでいるものが決定づけられてしまいそうだと考えた。
「遠慮する」
「そう。それじゃ、さようなら」
「……ああ」
私は牢獄棟から逃げるように立ち去った。
癖とは怖いもので、入獄許可をくれた看守たちへの礼は忘れずに。
――私は探し求める者であった。今でもそうである。しかし私はもはや星の上や書物の中を探し求めはしない。私の血が体内を流れつつ語っているところの教えを、私は聞き始める。
面白かったらブックマーク、評価、感想など、常時お待ちしてます!




