20.『相剋』の魔女アイリス ①
魔女に会ってみたい。
そう思ったのは、これまでの人生を振り返ってみても初めての経験だった。
私の第三者に対する説明は合理性に偽装した建前だ。本音は今語ったようなものである。
シンプルに魔女に会いたかったから。その情動だけが、私をこの場所に押しやったのだと思っている。
しかしながら、私はその「建前」だけで自らの主義を傾けるような真似はしない。必ず今回の経験から、新たな合理性を発見してみせる。
言うなればこの行為は、完全性の改定のための建前なのである。穴のある証明問題の補完と同じだ。
そんな穴埋めの為に私が訪れたのは、街の東部の未開拓森林の中にある洋館だった。ざっと築100年は下らないであろうその建物は、所々に植物が侵食し、既に自然と一体化し始めている。
広さとしては貴族の邸宅ほどだろうか。一人で住むにはかなり広いが、その寂れ具合から鑑みるに、もはや一般人が住むには不便すぎる立地条件にある。
文献を調査してみたが、この場所はどの記録にも存在していない。
私が思うに、ここは過去に没落したある貴族家の所有物だったのではないだろうか。異常なまでに植物の成長が早く、開拓は困難を極め、やがてその貴族は人知れずこの地へ骨を埋めた……と考えている。
しかし不確定要素が多すぎるため断定ではない。すなわち、明らかに異常な土地だ。
なるほど、魔女の隠れ家にはおあつらえ向きの場所だろう。人も近寄らなければ、そもそもこの場所を知っている者も殆どいない。完全に行方を眩まされていたら、発見は困難になっていた。
アイリス・オーリンの追跡班には感謝する必要がある。仲間を彼女に殺害され、その後悔や追悼の念を原動力によくここまで追い続けてくれた。
「(……『相剋』の魔女。どんな奴だろう。殺人は到底許せることではないが、奴にも理由があったのだろうか?)」
今や私は不完全だ。ただ、ひとえに「正解」が欲しい。あらゆる正解だけが私を満たしてくれる。この正解を求める衝動こそ、私の黄金比を確実にしてくれるから。
私は単身、洋館に足を踏み入れた。玄関と思われる場所はやたらと湿っぽい。瑞々しい匂いと、何かが腐ったような匂いが同時に鼻をつく。情緒あふれる絵柄の玄関マットを踏むと水気が染み出してきた。
軋む回廊を進み、部屋の扉の一つ一つを開けて中を調べていく。既にこの洋館は魔法で四重の結界を作り出し、地下まで覆うように隔離してある。
探知系の魔力を使えば一瞬なのだろうが、相手が同様の魔力を持っていることを警戒し、結界内ではそれを使えないように調整してある。
私が魔力を感知した瞬間に逆算すれば良い話だが、出力を絞って自分の周囲の安全確認の為に探知系魔法を使われたら時間がかかりそうだ。それだったら自分の脚で館を調べ尽くしたほうが早い。
応接間、厨房、個室などの残骸と思われる場所は調査したが、『相剋』の魔女は見つからなかった。もう少し奥の部屋に身を隠しているのか、或いは逃亡を図ろうとしているのか。
しかしそれだけは許さない。私の捜索範囲に合わせて結界を狭めているからだ。確実に魔女との距離は縮まっている。結界はあの紳士服の魔女を一度捕らえた時と同じものだ。
並の魔女なら触れただけで死んでしまうかもしれないが、異端審問官を殺傷できるほどの魔女ならばそれは起こり得ない。せいぜい息が出来なくなるくらいだろう。
……しかしここは不気味な場所だ。
築100年以上ということは、おそらく魔女の最盛期を経験している時代の洋館なのだろうが、所々に魔法的な星の紋様が描かれたタペストリーがある。
もしかすると、この場所はかねてより一部の魔女の隠れ家のような場所だったのだろうか。
既に外から魔力反応……すなわち魔法の罠も検知したが、これはおそらく元からこの家に用意されていたものだ。
全て魔法で起動するものだったため逆算は容易だが、酸の落とし穴だったり、拷問椅子への転移だったり、錆びた釘が床から突き出すものだったり、色々とレパートリーのタチが悪い。不味い飯屋のお品書きよりも酷いな。
――しばらく歩いていると、最奥の部屋の前まで到達した。
間違いなく、魔女はここに居る。結界も既にその部屋周辺を取り囲むような状態にまで狭まっている。
その扉には、幾度も見かけた魔法陣のような紋様が彫り付けられており、部屋から滲み出る腐臭もひときわ強い。
死臭にも似たそれは、人を殺したことのある末期の魔女特有のものだ。末期魔女は寿命が近くなると、そんな匂いを僅かに発する。感覚を強化している私はその臭気を鋭敏に感じ取っているらしい。
ドアノブには……ふむ、これは熱トラップだな。不用意に握ったら皮膚が焼かれて、身勝手な侵入者としての烙印が刻み込まれる仕組みだろう。
逆算して解除。嫌な雰囲気が漂う部屋の扉を開けた。
私とて恐怖がない訳ではない。適度な緊張感は集中を持続させてくれる。
魔女と対峙する時、私は決して油断しない。同時に失敗もしない。
扉を開けた。目に飛び込んできたのは、夥しい数の装飾品で彩られた空間。蝋燭が頼りない光源となり、橙色の薄明かりが部屋を照らしている。
「(……占術か)」
占術は魔女と同様、一部研究が禁止されている学問だ。特に「星読み」の占術はこの国では禁忌とされている。
この国における天文学は忌避されるべき学問であり、神学こそ世界の真理に近付くとされている。故に星読みの占術研究者は、偉大なる神の存在に仇なす研究として、異端審問官による処罰の対象だ。
正直、神の存在証明が為されないうちはどの学問にも寛容であるべきだと思ってはいるが、異端審問官の更に上層部……教皇様やその側近の考えはそうではない。
よって私は、その考えに従うことにしている。神の声を聞ける彼らの言葉を覆せないからだ。
「ようこそ異端審問官。こんな芸当が出来るなんて、やっぱり貴女よね……ヨルシカさん?」
部屋の片隅、壁に寄りかかるようにして置かれた椅子に足を組んで座っている人物が、私に声を掛ける。
瞳を完全に隠してしまいそうなほど伸びきった、長く灰褐色の髪は、所々が黴のようなものに侵食されたかのように灰色に染まっている。
その隙間から時折覗かせる瞳は髪色と同様の虹彩異色を呈し、疲れ切っているように見えた。追い詰められているというのに、彼女はそれを細めて微笑んでいるようだ。
「服装は書類の通りか。貴様が『相剋』の魔女だな」
「アイリス・オーリン。お見知り置きを」
明らかに丈のあっていないぶかぶかの袖をゆらゆらと揺らしながら手を振る彼女は、やはりどこか余裕そうと言うべきか、完全に諦めているかのどちらかだろう。
その姿勢に私は警戒を強めた。
「あのトラップは貴様が仕掛けたものか?」
「うんにゃ、私じゃあない。先人たちが仕掛けたものさ。再起動したのは私だけど」
「……この場所は一体何だ? 調査しても詳細が一切残っていなかった。単なる100年ほど前の建築物なのか?」
「残念。それは間違いよ。ここは私の師……『遊星』の魔女フレデリカ・グラヤノ・フルボディの施設」
唐突に出たフレデリカの名前に、私は眉をひそめた。しかしそれだと矛盾が生じる。
「あの魔女の記録は2000年以上前から存在しているんだ。それにしては、この建物は新し過ぎる」
「うーん……私の仮説では、この家の中は時間の流れがグチャグチャになっているのよね。ここは誰かが管理している訳でもないのに、家屋の中には植物が殆ど侵食していない」
……馬鹿な。そんな魔法が存在するのか?
いや、しかし信憑性もある。私はフレデリカの魔法を逆算する術を持たない。そもそも奴の魔法は肉眼で確認するまで、感知すら出来ないのだ。そんな魔法が掛けられているとしたら、私がそれを確認できないのも頷ける。
「私は外からトラップの再起動を行って、身を隠そうとしたの」
「"隠そうとした"? 実際、身を隠していただろう」
「ええ、そう思ってるでしょうね。だからこの仮説が立てられたのは貴女がこの洋館へ入ってきた時よ。……焦ったわ。私が侵入してからほんの10秒くらいで貴女が入って来たんだもの。急いでこの奥の部屋に逃げ込んだ……かと思ったら、この部屋に貴女が到達するまで数日は掛かってる。私、お腹減っちゃった」
本来そんなことはあり得ない。アイリスがこの洋館に入って行くのが目撃されたのは何日も以前の出来事だ。私が突入するまでは誰も侵入させていないし、監視がアイリスが出てきたところを確認した記録もない。
更に言えば、私がこの洋館に入ってから数分にも満たない。この部屋と廊下部分でも局地的な誤差が発生していることは明白だった。
よってこの洋館内部の時間の流れに極端なズレが生じているという彼女の仮説は、信じられないが信じられる。どの地点で時間が圧縮されているのか、希釈されているのかは分からないが、長居は禁物のようだ。
「此処がどうして『遊星』の魔女の施設だと?」
「貴女を待ってる間、この部屋で手記を見つけたの。著者はフレデリカ・グラヤノ・フルボディ」
――ここまでの話を整理しよう。
奴の記録は2000年前から存在している。しかし、これほどまでに時間が綯い交ぜになったこの洋館でさえ100年ほどの歳月が経っているように見えるということは……もしかするとフレデリカは、それよりも遥か以前から存在していた魔女なのではないだろうか。
奴はこの洋館で永遠にも等しい時間を過ごしながら、偶然2000年ほど前に目撃され、人と関わるようになったと考えた方が良いのかもしれない。
極限まで引き伸ばされた時間の中ですら100年が経つほどの永い期間、この洋館は存在していたのかもしれない。洋館の周囲に一切の文明が存在せず、異常な植生を見せていることとも繋がりがありそうだ。
「その手記の内容は何だ?」
「手記にしては長過ぎてね。流し読みはしてみたけど意味不明。数式の羅列と、何かの図よ」
「……確かに、辞典のような分厚さだな」
「そしてこれが数百冊はある」
アイリスが壁にあったスイッチのようなものを押す。そして隣のハンドルを回転させると、それに応じて部屋の両側の壁がくるりと反転し、巨大なボードに貼り付けられたメモや、先程の手記と同様の冊子が大量に顔を出した。
私はその中から一冊を手に取りページをぱらぱらと捲ってみたが、その内容は暗号のようで全く頭に入ってこない。普段なら一冊の本を読むのに1分もかからないというのに、フレデリカの手記に関してはそうはいかないようだ。
現存するどの暗号とも共通点のない、形容し難い文字。私が知り得ないような数字の単位や記号。
それぞれ1ページごとに、私がこれまで読み重ねてきた本の情報量の総計を遥かに超えるであろう「何か」が詰まっているように思えた。
ふと、部屋の奥で閉まっているカーテンに目が入る。
もはや無抵抗のアイリスに命令し、それを開けさせた。窓の外に広がっていたのは、既に夜になっている外の光景だった。
――しかし、しばらく様子を眺めてみても、その「夜」には全く変化が無いような感じられる。どうやらこの部屋の時間に関して言えば「引き伸ばされている」らしい。
外での1秒が、この部屋においては数分〜数時間ほどになっている。要するに、少なくともこの部屋に長居する事にはあまり問題はなさそうだ。
「(……手記はおそらく、この部屋で書いていたものか。この場所でなら途方もなく時間をかけてしまっても、外では一日すら経過しない。フレデリカは目的に応じて、時間の流れに誤差を生み出していたのかもしれない……か)」
これは明らかに何かの研究だ。
もしかすると、フレデリカの魔法についての手掛かりがこの中から得られるかもしれない。
ここまでの成果に到達するまでに、奴はどれだけの時間を費やしたのだろう? 現在の水準では理解するどころか、1ページの解読すらもままならない「練度」だ。
到達点すら不明。読み解く手掛かりは微塵も存在しない。少なく見積もっても数百年。下手をすれば数千年先の高度な学問が必要となってくるのかもしれない。
「っと。いつの間にか話が逸れていたな」
「ええ……そうね」
「観念したか? 殊勝な心がけだ」
「貴女が相手なんですもの。何日も待たされて疲れてるし、私に強行突破は不可能。だけど抵抗はさせてもらうわよ」
「……何?」
「私の魔力は『腐食』と『固定』……洋館に入る前、この土地の地盤に両方を施しておいたのだけど、貴女は逆算しなかったわよね?」
……思い返すと、確かにこの洋館では地盤にも魔力反応があった。多くは魔力トラップの回路だと考えていたが、洋館を構成していた要素にもその反応があったのを覚えている。
私はそれを逆算しなかった。この洋館が魔法により補強されていたのだとしたら、それを無効化してしまうと建物自体が倒壊してしまうからだ。
「正直、時間の流れを滅茶苦茶にする魔法があるのは幸運だったわ。これだけはフレデリカ師匠の魔法だから、貴女も逆算できない」
「……」
「私が魔法を解除したら、この洋館は跡形もなく崩れ去るわ。逆算でも同じよ。そしてここから脱出する為には……少なくとも外の時間で数時間は必要。お分かりかしら?」
「……貴様の気分次第でこの洋館は崩壊し、同時にフレデリカの資料は闇に飲まれる可能性が高い」
「ピンポーン。貴女、フレデリカ師匠を追っているんでしょう? 師匠の謎が詰まったこの場所が重要ってことは理解できるわよね?」
この洋館が崩れたら何が起こるのだろう。それは私にも分からない。時間を操作するという明らかに人外の魔法が、洋館の倒壊程度で効果を失うとは考えにくい。
倒壊後、何か異常な変化が起きることは明白だ。そんなフレデリカの魔法に直接巻き込まれれば、私も無事では済まないだろう。
私に今出来ることは、この魔女を捕縛した瞬間、転移魔法を発動させてこの場所から離れること。
しかしその転移魔法がどう作用するかは分からない。おまけに今後は漏れ出した時間操作魔法の影響で、洋館周辺が立ち入れなくなる可能性も高い。
フレデリカの資料の回収は絶望的になるだろう。
「ここを選んだのは正解だったわ。一部の魔女の口伝にあった『魔女の隠れ森』の噂……フレデリカ師匠の施設だとは思わなかったけれどね。さ、どうする? 先に私を逃がしてくれるなら、貴女が脱出した時にこの家を補強出来るわよ?」
「……」
ようやく掴んだ『遊星』の手掛かり。まさかこんな偶然で見つかるとは思ってもいなかった。
アイリスを逃がせば、フレデリカに繋がるものが発見できるかもしれない。しかしアイリスが約束を守る保証は無く、私がこの家から脱出するのに長い時間をかけてしまえば、民への被害に繋がるかもしれない。
「……理解した」
私の判断は早かった。
「流石は黄金姫。即決ね。それじゃ――」
アイリスが言い終わるよりも先に、すぐさま結界を収縮し、彼女を捕縛する。
「ぅ……ッ!?」
建物の床がゆっくりと崩れ始める。
即座にアイリスの首根っこを掴み上げると、私は転移魔法を発動した。洋館から数十メートル離れた場所に移動すると、動けないアイリスを地面に叩きつける。
……もしかしたら転移なら補強が間に合うのではと期待したが、フレデリカの魔法はやはり理解不能だ。
部屋の窓から見えた景色は真夜中だったというのに、転移後は既に時間が経過しており、完全に崩壊した洋館が日の出の陽光に照らされている。
洋館のあった場所は、空間が強引に捻じ曲げられたかのような景色が広がっていた。
破砕した洋館の瓦礫がゆっくりと落下したり、乱軌道を描いたり、浮遊していたり、まだ倒壊すら起こっていない箇所があったりと滅茶苦茶だ。流石にアレに触れようという気は起こらない。私の警戒装置が唸りを上げている。
ただ、幸運にも時間操作の影響がある空間は固定されているようで、広がる様子は見えない。隠蔽と封鎖で事足りるだろう。
……転移魔法を使っても間に合わなかったのは、「本来脱出に要するはずの時間が過ぎた後の結果」だけが残ったからか? 歪曲した時間がもたらした帰結なのだろうが、まさか転移すら上書きしてしまうとはな。
「ッ……何で……」
「……貴様には分からないさ。私は確かに完璧に近い存在だろう。しかし、根本的に自分が特別だとは考えていない。民1人の命が私1人の我儘を捨てることで救えるのなら、私は自分のことなど惜しくはないのだよ。それが私の黄金だ」
コイツからは後でたっぷりと話を聞こう。
何故人は魔女になることを選ぶのか。その源泉を理解する為に。
――ところで、私が潜入してから何日経ったのだろうな。10年後の未来とかでなければ良いのだが。
そう思っていると、即座に通信魔法の接続要請が届いた。見慣れた魔力反応だ。部下たちのバックアップの早さに感心しながらも、私はそれに応答する。
「ヨルシカさんっ! ああ……やっと繋がった……」
「悪かった。訳あって時間は要したが、こちらは無事だ。魔女の身柄も確保してある。私が突入してからどれくらい経過した?」
「2週間です! 通信が途絶したせいで、危うく王直属の騎士団まで動くところで……って、そんな事より大ニュースですよ!」
通信先はどよめき立っているように聞こえた。大方私の無事の確認や、その「大ニュース」とやらで混乱してしまっているのだろう。
私は彼を宥める意味も込めて、冷静に対応することにした。
「落ち着け、これから近くの支部に帰還する。報せはその時にでも――」
「ヨルシカさんが不在のうちに、新たに魔女が捕らえられたんですよ!」
「……何だと?」
「貴族や王族の間で絶大な知名度を誇る人形師、リンドヴェルですッ! 捕らえられた魔女は『形代』の魔女リンドヴェル・ストナス!!」
「馬鹿な……ッ! 身柄は!?」
「異端審問官本部『アテナパレス』で拘禁中! 今は処刑日程が決められようとしています! ヨルシカさんもそのまま本部に直帰を!!」
――歴史の1つが、ようやくその重い腰を上げた。
それは人類にとっては僅かな短い歩幅であっただろう。しかし同時に、私にとっては、遥かなる問いの源泉に近付く、ひどく巨大で残酷な一歩でもあった。
最終章の幕開けです。
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