16.『魔女が愛する女』マーシレス ④
想像していた以上にリンドヴェルの魔法は片付けに向いていたらしく、ごく短い時間で荒らされた人形部屋の整理を終えてしまった。
なので私たちは昼食を食べながら、近況についていろいろと話したりしていた……はずなのだが。
「へ〜、本当に大切な人なんだねぇ」
「恥っず……私、なんで話しちゃったんだろう」
いつの間にか私の昔話になり、さながら若い男子のようにマーシレスを好きになった時の話を吐かされていた。
昔から心配ばかりかけられていたことや、家に悪餓鬼が押し入って来たときマーシレスだけが助けに来てくれたことなどを洗いざらい尋ねられ、それに答えてしまったのだ。
「どうして彼女のことをそこまで信じていたの〜?」
「……あの子、私の家に近付かないようにって、家族から注意を受けてたみたいでね。その話を私にしてきたの」
私の家が「呪われている」という話はマーシレスの家だけではなく、その村の人全ての常識だった。
偶然女ばかりが生まれる女家系で、偶然生まれる女児全てが健康に問題を持っていたことが村の中で知られてから、自然と湧いて出た噂話だ。あそこは閉鎖的な場所だったから噂が巡るのも早い。
何処で尾ヒレが付いたのかは分からないが「女がその家に近づくと呪いで不健康になる」なんて話も流れていたし、やがて父がかなり白い目で見られていることに気付いたので、私も何となく事態を理解していた。
「……その時は『とうとう来たか』って思ったわ。結局マーシレスも、他の子と同じように離れてしまうんだともね。まあ……何ていうか、私前まではかなり冷めてる子供だったから」
「きゃはは、今もかなり冷めてると思うけどね〜」
「うっ……ま、まあ、そんな性格だったから『潮時かな』って感じに思ってた。……でもあの子、続けて何て言ったと思う?」
――だから初めてお父さんグーで殴っちゃった、きひひっ。ちょっとやり過ぎちゃったかも……あっ、そうだウィスパー! どうやったらお父さんと仲直りできるか一緒に考えてよ! 頭良いでしょ?
「『ああ、この子ってマジでバカなんだなー』と思った」
「きゃはははっ! 辛辣〜!」
それを聞いた時、お腹が痛くなるくらい笑ったのと同時にとても嬉しかったことを思い出す。
とうに私の感情は死んでしまったのかと考えていたのに、それがこんな馬鹿みたいな相談事で呼び覚まされた。私はその瞬間、あの子の存在が私の中でとても大きくなったのを感じたのだ。
「……好きになったのはその時から?」
「うーん……」
……リンドヴェルのこの質問にはどうにも上手く答えられない。答えるのが嫌だったのではなく、明確にマーシレスを好きになった瞬間というのをピンポイントでは答えにくかったからだ。
しかし、私が自分の恋心を「自覚した」タイミングならば理解できている。
「さっき話した『押し入り強盗事件』の後だったかしら」
◇
あの日、私はマーシレスに到底許されないことを言ってしまった。
何よりも許せなかったのは、あれほどマーシレスを信頼していると思っていた私自身が、あの子のことを真の意味で信じられていなかったこと。
あの夜に私が口走った「最低の言葉たち」は咄嗟に出てきた芝居ではあるが、いずれもどこか心当たりがあって、口から出た言葉だった。
それを自覚してしまった瞬間、自分のことが許せなくなったのだ。
……寂しかった。信じることだけを続けられるほど、私は強くない。
もしかしたら本当に、私が病気で死ぬまでマーシレスは会いに来てくれないのかもしれないと怯えていた日もあった。
同時に私の気持ちをあの子は理解していないのではと、思考の奥底で恨めしく思う日もあったのだと思う。
私に溜まっていた心の膿が、少なからずあの日マーシレスを傷付けた言葉の中には含まれていたのだ。私は大好きな人を自分の言葉で永遠に失うことに、深い悲嘆と喪失感を覚えていた。
そんな風に自己嫌悪の沼に引き摺り込まれていた時。ただ後悔だけを胸に残してベッドに寝たきりだった私の前に、あの子が突然やって来た。
「ウィスパー」
部屋に来たマーシレスを見て、私は漫然と読んでいた本を思わず床に落とした。
「……う、そ?」
あの子はここまで来たのが信じられないほど怪我だらけだったのだ。震える片腕を押さえ、足取りも覚束ない。衣服のあちこちには血が滲んで、服に隠れて見えない所を除いても、夥しい数のアザに覆われていた。
「これ……ちょっと、転んじゃって……ごめんね。ウィスパーと会うには酷い顔しちゃってるんだけど……」
「喋らないでっ! す、すぐに手当てするから! なんで……どうしてこんな……!」
久しぶりにベッドから立ったことや、鋏で突き刺した脚の怪我もあって何度か転びそうになったが、あの子の姿を見た瞬間に自分の体の痛みなんかどうでも良くなって、すぐに薬箱を取りに行った。
思えばマーシレスの前でこんなに取り乱すのは初めてだったが、当時の私はそんな事お構いなしで早急に彼女の応急処置を済ませなくてはと、体が勝手に動いていた。
「……ごめんね。無理、させちゃって。そんなつもりは、無かったんだけど……あはは。やっぱ私、ウィスパーと違って、頭悪いや……」
「黙って休んで! これ、転んだなんて傷じゃないでしょ! 何をやったの!?」
「……ごめんなさい、ウィスパー。私、大好きな貴女を傷付けてた……一緒に居てあげるべきだったし、一緒に居たかったのに……怖かったんだぁ。でも、全部終わらせてきたから……ウィスパーが許してくれるなら……これからも、私と一、緒に……」
「マーシレス……? 大丈夫!? あ……寝てる」
――結局、疲れて気を失うように眠ってしまうまで、あの子は何をやらかしたのかは喋らなかった。
最後の方はかなり朦朧としていたのか支離滅裂なことしか答えていなかったが、それほどまでに無理をしてここまで来たのだろう。
私が真実を知ったのは、この日から1週間後。マーシレスの両親が、怪我の手当ての件で迷惑をかけたことを謝りに来た後のことだった。
父と2人でマーシレスについて話していると、その口ぶりから父は色々と事情を知っているようだったので、問い詰めてみた。
「……あの子、どうしてあんな怪我を?」
そう尋ねると、父は言いづらそうにしながらも顛末を教えてくれた。
まず父が仕事帰りにあの子の家に行って、余計なことを色々と口走ったこと。あれは私がお願いした訳でもなければ、むしろ口止めしていたことだったというのに、父はお節介にも全てをマーシレスに伝えたと言ってきた。少し怒りそうだった。
しかし、それを聞いたあの子は大泣きして、もう一度私の家に来ることを決意したということだ。そういえばあの子が気絶するように眠る直前、そんな事を口にしていたことを思い出す。
正直、嬉しくて、同時に照れくさくて、それだけで死んでしまいそうだったが……ここまでは理解できた。問題は、どうしてあんな怪我をしていたのかということだった。
「……この家を襲った連中なんだけどな。お前に恥をかかされたことに報復しようとしたらしい」
父のその発言だけで、私はすぐにマーシレスが何をやったのか、何となく察しがついた。
「そんな……まさか……」
「言おうかどうか迷ったけどな。お前は知っておいた方が良いと思った」
「でも、アイツら5人組よ……!? どうやって……!」
「ねじ伏せた訳じゃない。5人は通報を受けた騎士団に取り押さえられたんだ。彼女は……それまでひたすら食い下がって、懇願し続けたんだと」
――お願いします。私はどうなっても良いから、ウィスパーを見逃してください。
あの子は何をされても決して手を出さず、ただ私の為にそう頭を下げ続けていたのだという。偶然にもその光景を見かけた通行人が騎士団に連絡して、逃げ去った連中はすぐに捕まった。
マーシレスはその通行人の制止を無視して、そのまま私の家に来たらしい。神官ギルドにお世話になってしまうと、傷が治るまでの期間は私に謝りに行くことが出来ないから。
……正直に言うと、とても信じられなかった。マーシレスが感情に任せて動くことはよく知っていたから尚更に。
しかしその反面、妙に納得している自分も居た。
怒りに任せて反発すれば、どこかで燻った火種が再び私に襲いかかるかもしれなかった……そう考えたのだろう。
私が信じていたあの子は、きっとそういう人だから。
「私たち大人の力不足だ。お前や彼女を、辛い目に遭わせてしまった」
「……」
「捕まった彼らは余罪が調べられている最中らしい。とにかく、お前たちのお陰で全てが終わった……すまない」
終わった。これでようやく事件は終わったのだ。
そう思ったとき……マーシレスの怪我で張り詰めていた緊張や、心に残っていたある種の蟠りのようなものが解かれたような気がした。
ベッドの上で、ふっと肩の力が抜ける。
直後として私の心に去来したのは、それどころじゃなくて抑えられていたはずの感情群。
言葉にするには余りに難しく複雑な、それでいて伝えようとすれば簡素になりそうな、そんな心模様だった。
「お父さん……私、マーシレスに会いたい。言わなきゃ……『ありがとう』って……『大好き』って」
私の人生で、これほどまで「生きたい」と思ったことはなかった。そしてこれほどまで自分の病弱な身体が怖いと思ったことはなかった。
永遠にでも一緒に居たいと思えるほど、私の心にあの子が住み着いた瞬間だった。
これが全てに気付いてしまった私の、至上の幸福にして永劫の苦輪の始まり。
◇
「マーシレスったら、そのとき骨が10本くらい折れてたらしいわ。……やっぱりバカよね」
「きゃはは、最高のおバカさんだね〜。私も会ってみたいなぁ」
「良いけど……あの子、多分失神するわよ? 貴女の名前は知ってるみたいだから」
「どうして? って、ああ。貴族繋がりかぁ……ん? 失神ってどういうことだよぉ?」
「相変わらず自覚無いんでしょうけど、リンドヴェル人形を知ってる人の間じゃ、貴女はとんでもない偶像扱いなの。神格化までされてるわ」
「大袈裟だなぁ〜」
「いや本気で……はぁ。ま、興味ないか。ならいいわ」
会わせたいかと聞かれれば迷う。あの「リンドヴェル人形」の製作者と知り合いという事でマーシレスに尊敬されたりしても、何の意味も無いし。
意外と変なところでプライドが残ってることには自分でも驚きだ。もうとっくに自分が詰み始めてることは理解しているはずなのに……まだ彼女を諦めるには至っていない。
多分、私の恋はもう諦める諦めないとかそういう次元じゃないのだろう。
そんな事は出来るはずもないから、今の私は「どう向き合うか」を考えるしかないのだ。
しかし……どんなに私がカッコ良くなれたとしても、きっとマーシレスは私を選ばない。分かってるさ。付き合いは長いんだもの。レモンサラダを頼んだ日、あの子は私から離れて行ったことくらい、理解してる。
きっとあの子に「見捨てた」なんて感覚はなくて、私に甘えすぎていた自分を顧みる契機だと思っていたに違いない。
――対する私は、まだマーシレスに甘えている。親友を演じながら、あの子が私から離れすぎてしまわないようにと予防線を張っている。
もし想いを伝えて彼女を失ったらと考えると、不安が消えない。それどころか、近頃はそんな焦燥がより大きくなっているようにも思えている。
「ねぇリンドヴェル。私、告白すべきかな?」
気が付けば私は、こんなことを口走っていた。
それに対する彼女の反応は、茶化すでも勢いに任せるでもなく、ひどく淡白で冷静なものだった。私の悩みの大きさを理解してくれてのことだろう。
だからこそ、私の軽率な相談に対する彼女の返答には少しばかりの甘くないものが込められていた。
「私がその可否を決めたら、君は従うの?」
「……」
「だったら『やめろ』って言うよ〜? だって今の君ってば、フラれたら即座に首を括りそうだからねぇ……数少ない友人にはあまり死んでほしくないし」
「……ごめんなさい。考え無しに言っていいことじゃなかったわね」
「ん。分かればよろしい」
リンドヴェルに謝って、私は昼食に用意したキッシュを口に運ぶ。やっぱり私の料理は美味しい。いつも最高の出来だ。
……うん。最高。
私はきっと、この歪んだ恋心以外は最高なのだろう。それだけのせいで、どうにも生きるのが上手くいかない。
普通に殿方を好きになっていたら、普通に結婚して、普通に家事をして、普通に普通を過ごすことができたに違いない。
不幸にもそれだけの顔やスキルだけなら、私は持ち合わせている。私は本当にやりたいこと以外なら出来てしまうのだ。それがひどく痛い。
「……ねえ。気付いてる〜? 最近の君、すぐにでも誰かを殺してしまいそうな顔をすることが増えてるよ」
「えっ……? あ、ああ、そうなの? ここのところ体調が悪いからかしら……」
「薬は切らしてないよねぇ?」
「それは大丈夫だけど……ごめん。私の分も食べちゃってくれる?」
「それは喜んでって感じだけど……はあ。参ったなぁ……君がその調子だと、あの人が来るのは少しばかりマズいかも……」
「……あの人、って?」
「魔女だよ。私が庶務のために雇ってる。……君は私が思ってるより不安定になってるみたいだね〜。そんな状態で彼女に会うのは酷だと思うけど……うん、断った方が良さそう」
そういえば、彼女自身の口から聞いたことがある。この家は私以外にも定期的に訪問してくる雇われの魔女がいると。
「……大丈夫。平気よ」
「……なら良いんだけど……安静にしときなよ〜?」
「ええ」
「(うーん……踏み込みが過ぎちゃった。これはしばらくマーシレスさんのことを思い出させないようにしなきゃ……)」
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