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15.『魔女が愛する女』マーシレス ③

 私は無我夢中に駆けずり回っていた。

 男友達と街まで出掛けていた時の話だったから、そこからウィスパーの家までは相当離れてたけど、そんな事どうでも良いくらい、最初から全力で足が動いていた。


 気の利いたことなんて何も思い付かないし、どうやれば早く辿り着けるかなんて考えもしないでいたから、普通に早歩きの方が良かったんじゃないかって思うくらい時間がかかっていたと思う。


「ぜぇッ……ハァッ……ウィスパー!! はっ……ハァッ……! ウィスパーッ!!」


 一本道を上って、丘の上の家が見えてきた時、私の目に映ったのは――


「……っ」


「本当になよなよした奴しか居ないんだな。ちょっと罪悪感〜」

「いや、めっちゃ可愛いじゃん。この前情報があればもっとやりようあったかも」

「あっははは! そんな睨まないでくれよ! 照れるなぁ」

「ん? おい、誰か来たぞ」

「ヤッバ……ってなんだ女か。どうする?」


 家の前に本を山積みにされ、外へと連れ出されているウィスパーの姿だった。あの時ほど、私の中で殺意が湧いたことはない。

 本人たちにとっては小さな悪意だったとしても、それを咀嚼するには私はあまりに若すぎた。頭に血がのぼっていく感覚を味わいながら、正常な判断を完璧に捨て去ってしまうくらい怒ったのは生まれて初めてだったと思う。


「お、前、らァァッ!!」

「はあ?」


 ……まあ、()()なるのは当然だ。相手は5人組の、それでいて年上の、私なんかよりも暴力に通じているような荒くれ。

 そんなこと、きっと頭では理解はできていた。でも私の心が許さなかった。ここで逃げるくらいなら死んだ方がマシだと思った。


 私は結局、どこまで行っても救いようのない馬鹿だったんだ。

 私がそんな選択をしてしまったせいで、ウィスパーはもっと辛いことになったんだから。私はそこまで頭を回すべきだった。これを思い出すと、いつも後悔なんて言葉じゃ言い表せない無気力感に襲われる。


 ……そして同時に、もっとウィスパーのことが大切になってしまうんだ。これ以上あの子に甘えたくはないのに、私がダメになってしまうくらい、あの子は強くて優しかった。


「げほっ……けほっ……」

「あんま顔はやめとけよー。トラブルの匂いが嗅ぎつけられちまう」

「おーい君。これ知り合い? 友達とか?」


 体の色んな所が痺れる。熱いのか冷たいのかよく分からないけど、汗が止まらない。

 いくら私が活発だったとしても、所詮女っていう枷には勝てないんだということにようやく気が付いた時には、取り返しがつかないほど滅多打ちにされて地面に伏せていた。


「"セートーボーエー"だよなぁ? 先に来たのは君なんだしさ」

「お前、ら……許さない……許さ、ないから……」

「いやいや。自分の格好分かってんの? ってかマジでどういう関係? 教えてくれよ……なぁっ!」

「う……ぁ゛ッ……」


 腹を突き刺すような鋭い痛み。振り抜かれた足。転がる私の身体。


「ウィスパーちゃん? だっけ? 君の口から教えてくれよ。この勇敢な女の子は誰かな〜……言えっ!」


 そんな私の目の前に尋問のように引き倒されるウィスパーは、辛うじて声だけは上げないようにしていた。もしくは大声なんか出せないほどに病気に体をやられていたのかは定かではない。


「や゛……めてッ……! その子は……病気で……そんな事した、ら……本当に死んじゃう……っ!」

「へー。詳しいね。やっぱり知り合い? ほらほら、言わなきゃ病気がさらに悪くなっちゃうよ〜」


 ウィスパーの顔が地面に擦り付けられる。綺麗な顔に土汚れが付いていく様子は、私の無力を強調した。こんなに目の前に居るのに、軋む体は動いてくれない。

 私は唸るような声を上げて、ウィスパーに手を伸ばそうとした。


「……貴女、誰? 帰って……見世物になるつもりは無いの」

「……え?」


 ウィスパーの口から飛び出したのはそんな言葉だった。始めは冗談かと思った。だけどこんな時にふざけた事を口走る子じゃないということを、私は理解していた。


「何、で……? 私だよウィスパー……? マーシレス……」

「マーシレス? ……ああ。前に会ったことあるわね。私の病気が酷くなったら、一緒に居てくれなくなった子」

「ちが……違うの……! 私……!」

「今更何の用? 弱った私を笑いに来たの? 私が死んじゃいそうになって、怖い思いをしていた時……貴女は呑気に外でたくさん遊んでたようね。……良い気分だった? 楽しかったでしょう?」

「あ……」


 絶望的な何かが、私の目の前を覆い隠した。


 私がウィスパーをどれだけ大事に思っているかに気付いたのは今日のこと。

 それまではウィスパーが死んじゃいそうになる様子を見るのが怖くて、距離を置いて……一番そばにいてあげなきゃいけない時に自分勝手な理由でやさぐれて、心の穴を満たすために遊び歩いていたんだ。


 私にとっては、ただ見たくないものから距離を取る為の逃避でしかなかったけど、ウィスパーからしてみれば、私は「一緒にいて欲しいときに見捨てた最低な奴」だった。そう気付いた。


 考えるのが嫌だから、何も考えずに過ごしていた。やがて、そんな釈然としない日々の中に残った気持ちの正体をようやく掴んだと思っていた。


「帰って。……屈辱よ。貴女みたいな人に、こんな姿を見られたのは。だから何も見なかったことにして……早く帰って!!」


 でも遅すぎた。私は余りに遅すぎた。もうウィスパーを遠くへ突き飛ばしてしまっていたんだ。

 謝っても許してもらえないことは分かっていたのに、私の口からは赦しを乞うことしか出来なかった。


「ごめんなさい……そん、な……ウィスパー……ごめんなさい……ごめんなさい……私、そんなつもりじゃ……」


「ははははは! 何だそれ!」

「可哀想だなあウィスパーちゃんは!」

「くくっ……いやぁ、そんな程度の知り合いか。ゴメンなぁ? 嫌な思い出作らせてちまって」

「おう、帰れ帰れー! コイツの言う通り、誰にも言うんじゃないぞー! あっはははは!」


 組み伏せられていた私の体はいつの間にか解放されていた。全てを失ったかのように、頭が真っ白になる。


 そこからは正直、ほとんど覚えていない。

 逃げ出すようにその場所から離れたのかもしれないし、その後も何度か殴られてからようやく帰ったのかもしれない。もしくは意識を失ってしまったのか……いずれにせよ、それくらい世界から何の色も無くなって、自分が消えないようにすることに必死だった。



 ――そんな心持ちのまま、あの日のことを誰にも言えずに数日が経ったある日。

 私の家に、ある人が訪問して来た。

 バルドル・マーキュリー。徴税吏員の仕事に就いている、ウィスパーの実父だ。


 何度か顔を合わせたことがあるし、話をしたこともある。昔から「おじさん」と呼んでいた。もっとも当時は「久しい」という感を覚えるほどに、しばらく顔を合わせていなかったが。


 私はその訪問に驚くと同時に、それが震えるほど恐ろしかった。あの日、ウィスパーを見捨ててその場を去り、助けてあげなかったことを責められる。そう考えたからだ。


 おじさんは仕事帰りのようなかっちりとしたジャケット姿で、「2人きりで話がしたい」と私の両親を家の居間から退席するよう、低い姿勢で頼み込む。

 私の父も母も、彼のことは信用しているので快くそれを受け入れていた。


 私はおじさんと目を合わせられず、震える足取りで机を挟んだ目の前に進む。いつでも地面に頭を打ちつけて謝れるように、向こうから許可を与えられなければ決して座ろうとは思わなかった。


 息が乱れる。心臓が早鐘を打つ。

 私は何を言われても仕方のない事をした。おじさんからの信用はとっくに失っていると思っていた。

 彼の目の前で立ち往生しながら小さく怯えていると、何を思ったのか、彼も立ち上がった。


 姿勢の良い歩き方で私のすぐ目の前に立つと


「すまなかった、マーシレスさん」


 と、何故か深々と頭を下げたのだ。私は言葉の意味が分からず混乱する。


「……え?」


 戸惑う私に、おじさんは全てを話してくれた。

 私があの場を去った後、家にあった本の何冊かが、ページを鋏で切り刻まれていたこと。

 しかし燃やされるまでには至らなかったこと。

 ウィスパーは相手の目を盗んで、その時に使っていた鋏を奪ったこと。


 ――そしてウィスパーが、それで自分の太腿を思い切り突き刺したこと。


「な、なんでそんな事……」

「『手当てが出来なくて私が死んだら大事になる』『私の血に触ると病気が感染(うつ)る』と脅したそうだ。人殺しになりたくなかった連中はどうする事もできず、そのまま退散したらしい」


 その顛末に思わず絶句する。最初からウィスパーは、自分一人で全てを解決する気でいたのだろう。

 私のように短絡的ではない、見る人によっては常軌を逸していると思われるようなやり方で。だけど考え付いても普通は出来ないし、本を守る為だけにそんな事をやろうとも思えない。


「そこまでして本を……?」

「私もそれは叱ったよ。どうして本の為だけにここまでやったんだ、って。……そしたらあの子はこう言うんだ」


 ――本が無いと、マーシレスに読んであげられない。私はあの子に、それくらいしかしてあげられないから。


「……嘘」

「君だけが助けに来てくれたとも言っていた。……その時は嬉しそうだったよ。とても」

「だって……私、ウィスパーに……酷いこと……!」

「……あの日、私が家に帰ると、脚から大量に血を流しながら泣きじゃくるウィスパーを見つけたんだ。あんなに取り乱しているのは初めて見た。とんでもなく怖かったんだと直感したよ。でも、ウィスパーは怖くて泣いてるんじゃなかったみたいでね」


 ――お父さんッ……どうしよう……私……酷いこと言っちゃった……せっかくマーシレスが……あの子だけが助けに来てくれたのに……っ! ひっぐ……うっ……あぁぁぁ……わぁぁぁん!


「君が巻き込まれないようにする為に、咄嗟に最低な言葉を掛けてしまったって、後悔しながら泣いていたんだ」


 おじさんのそんな話を聞いた瞬間、私の中から込み上げてきたものが全て溢れ出した。

 脚に力が入らず、私は床にへたり込むと、顔をくしゃくしゃにしながら、思い切り涙を流していた。それは止めどなく流れて、自分ではどうしようもない。


「ど……どうしで……わだし、貴女がら逃げでたのに……なんで……なぁんで……ひっく……うっぐ……」


 私の中に渦巻くこの感情の名前は何と呼ぶのだろう。

 その答えは今の今まで見つけられていないけど、私はこれほど綺麗な感情(もの)を他に知らない。


「……正直、君のことを薄情な人だと思ったことがあった。以前まではあれほど仲良くしてくれたのに、ウィスパーの体調が悪くなったら、今度は別の友人に乗り換えるような真似をした最低な人だと思ったりもした。だけど……その日、ウィスパーを助けに来てくれたのは君だけだったと聞いて、私こそが最低な大人だということに気が付いた。娘がここまで信じている友人を信じてやれなかった……すまない。今日はそのことを謝りに来たんだ。そして……私がこんな事を言うのは身勝手だとは思うが……君には娘と、ずっと友人でいて欲しいと思っている」


 おじさんは床に座り込んで号泣する私の目線に合わせるように姿勢良く跪くと、再び頭を下げた。

 私の答えはとうに決まっていた。


「うん……わだじも、ずっど一緒に居たい……! ウィスパーに、ありがどうって言いだい……!」


 ――私たちはこの日から「親友」になった。


 ◇


「改めて話すと……んん〜……やっぱ恥ずかしいですね、きひひっ」

「いいや、とても素敵な話だったよ。本当にあの店主と仲が良いんだな」


「お待たせしました〜。冷製ジェノヴェーゼと、鱈のフリット特盛りサイズです」


 注文を取った時と同じ女性のウェイターが、私たちの座るカウンター席に料理を運んできた。この満席具合だというのに随分早い……なんて思っていたが、実際のところは結構な時間、昔話の感慨に浸っていたらしい。


 ヨルシカさんが「特盛りサイズ」という言葉に口を尖らせてそのウェイターを睨むと、彼女は悪ふざけがバレてしまった子供のように笑いながら、次の料理を取りに厨房へと戻っていく。こっちの2人も存外仲が良さそうだ。


 ――つい過去のことを鮮明に思い出してしまった。

 とはいえあれは忘れられない出来事だから、鮮明に思い出せてしまうのも仕方ない。


「(……ますます会いたくなってきちゃったなあ)」


 ウィスパーの料理ではないそのジェノヴェーゼを目の前にして、私は思わずそんな素直な気持ちを口走りそうになった。

ブックマーク、評価、感想などを頂ければ、抽選で私からの愛をプレゼント。こちらプライスレスになっております。

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