13.『魔女が愛する女』マーシレス ①
ウィスパーとは親友だ。少なくとも私はそう思っている。私以上の気持ちなんて考えられないくらい、ウィスパーのことが大切だ。
だからとても後悔している。私があの日、魔女の処刑を見に行こうと提案してしまったことを、悪夢に見るほど後悔している。
最初は本当に、私の中で燻っていた小さな勇気から生まれた考えだった。せめて魔女と呼ばれる彼女たちを形だけでも悼んであげたいという、本当に些細な気持ちから始まってしまった。
そして私は痛感した。
知ってたはずなのに。中途半端な勇気が、これほどまでに全てを台無しにしてしまうことなんて。
ごめんね。とても心配かけたよね。これはきっと自惚れじゃないって、心の底から信じてるよ。だからこそ、私が傷付いたせいで、貴女も傷付いてしまったんじゃないかってとても怖いの。
でももう吹っ切れた。
それに、あの子の前では、あの子の望むマーシレスで居たい。これって、好きな人の前では綺麗でいたいっていう恋にも似てるかも……なんてね。
また笑顔で会いたいな。また、笑顔で――
「……臨時休業、かなあ?」
どうやら私の愚行のお釣りは、まだ返し終えていないみたいだ。何でこう、肝心な時に上手くいかないんだろう、私って。
「いざ!」って気持ちになればなるほど、どうにも全てを敵に回してしまう星の下に生まれてきたんじゃないかな。
……ううん。きっと単に悲しくなった時、嫌なことを考えがちなだけだ。この小さい絶望がずっと続くんじゃないかとか。そういう風に考えてしまうんだ。
「風向きが悪い」っていう言葉は、きっとこんな状況から生まれたんだと思う。
「(定休日じゃないのに珍しい。どうしたんだろ。この辺りで『遊星』の魔女が出たとも聞くし、心配ね……)」
この辺りでの魔女事情は、日を増すごとに過激さがエスカレートしている気がする。ここからほど近いフュルステンベルク領でも紳士服の魔女、『遊星』の魔女、人を操る魔女や大量殺人犯の魔女などの噂が蔓延していた。
昔なら所詮噂話と侮っていたかもしれないけど、仮にも貴族の一員になってから痛いほど分かる。噂話によって抱え込んでしまった恐怖を、人は自分の中だけで飼い殺せない。
そしてそれが「こうあったら嫌だ」という妄想に繋がり、尾鰭が付いて伝播していく。そんな恐怖が蔓延したら、人は外にすら出たくなくなるんだ。
喧伝とは情報共有のための有効な手段でもあるけど、それが一定の線引きを超えて恐怖を煽ると、人はどういう訳か過剰になる。民衆を必要以上に怖がらせてしまうと、領地経営がままならなくなってしまう。
旦那が言っていた。領地を持つことにおいて大事なのは、まず他貴族の領地への悪評を根こそぎ潰すこと。次に文民統制。懲罰の平等。そして土地所有権に関する問題はすぐさま解決すること。これに尽きるらしい。
あの人は領地を持たず騎士団になったけど、そういう教育を受けていたし、家族との仲も非常に良好だ。私も感化されたのか、この手の話には敏感になっている。
そして、今回の魔女の噂話は「他貴族の領地への悪評」に繋がる。おまけに領民たちには、多少なりとも疑心暗鬼が広がり始めている。短期間でフュルステンベルク家が傾くほどの事は起こらないだろうけど、このまま手を打たなければいつかは確実にうちの信頼が揺らぐ時が来る。
今回のような噂話が噴出する原因となった、『遊星』の魔女の一件は、思ったより逼迫した状況を作り出していた。
「(でも、お義父様は慧眼の持ち主だから、こんな私の考えなんて遥か前に通り過ぎて、今は解決に身を削っているわよね……はあ)」
ため息の理由は簡単だ。無力感。
結局のところ私は騎士団に入った三男の配偶者という立場にある。家のことになんてとても口出しできない。
旦那やお義母様の影響で、貴族の素養を多少は付けたりしたが、それで物事を理解しても、募るのは心配ばかり。
フュルステンベルク家を信頼してないって言われちゃいそうだな……駄目駄目。マーシレス、貴女は誇り高いフュルステンベルクの女。
あんなに愛してくれる夫のところに嫁いでおいて、それで何が心配なの? 大丈夫。私の家族は私よりも貴族だ。
それにウィスパーだって、魔女のことについて何か変なことに巻き込まれてるとか、きっとそういうのじゃないよ。軽い怪我をしちゃったとか、こんな時間まで寝てるとか。
「……ぷっ」
ふふっ……それもないか。流石にこの時間まで寝てるウィスパーを想像できない。あんな可愛い見た目して、お爺ちゃんみたいな生活してるんだもん。
きっと軽く怪我をしたとか、そういうのよね。ウィスパーってば包丁で軽く指を切っただけで店を閉めちゃったこともあったし。
――陽気な妄想で少し元気も戻ってきた。
仕方ないから退散しようと後ろを振り向いた時、私の目の前には綺麗な毛並みの黒猫が、ぴんとした姿勢で座っていた。
その瞳は私ではなく、その奥にあるウィスパーの店の扉を眺めているように見える。
「あらかわいい」
「なーぉ」
彼女はそのように一言だけ鳴くと、首を傾げて私の顔をまじまじと観察し始める。人には慣れているようで、逃げる気配もない。
……あれ? なんでこの猫が「彼女」って分かったんだろう。でも、そうとしか思えなかった。
「(ウィスパーってば、いつの間にか猫ちゃんをたぶらかしていたのかしら?)」
好奇心に負けて、その猫を抱き上げてみる。
ぶら下がる胴体がにゅーっと伸びて可愛い。逃げようともしないし、怯えている様子もないので、いよいよウィスパーの飼い始めた猫なのではないかという考えが強まった。
目やにとかも溜まっていない。体は清潔で、太ってもいないし痩せてもいない、丁度いい体格だ。美味しいご飯を適量貰っているんだろう。
そういえば猫に関して、いま貴族の中で流行っている遊戯がある。猫の背中を支えるようにして抱き、お腹のあたりに顔を埋めて鼻で深呼吸するという戯れだ。
野良猫は病気が怖いので、こんな感じでしっかり清潔にしている飼い猫でしか試すことができない。
そして何より猫成分を吸引している姿はみっともないので、周りに誰も居ない時にしかやらないことらしい。
「……ふーむ」
これは関係ないんだけど、いまウィスパーは不在。周囲を見回してみたが、人通りの少ない道なので、他の誰かの姿も見えない。
私はその猫の背中を支えるようにして、仰向けに抱えた。
「すぅぅぅぅ」
「んな゛!?」
「(何これあったかい! あと、何かよく分からないけど妙に安心する匂い!)」
なるほど、これが貴族の嗜み(?)……確かに夢中になるのも分かる。最初は猫も驚いていたり落ち着かなかったが、すぐになすがままな感じになった。
「はー……いいなぁ。ウィスパーもこれやってるのかなぁ?」
「(やられとらんわ……! 何じゃこの小娘は。見覚えあるぞ。確か『継接』の魔女の想い人……)」
「……もう2セットくらいなら――」
「そこの方。店主の知り合いか?」
「わひゃぁぁあっ!?」
唐突に後ろから話しかけられ、思わず肩が跳ねてしまった。み、見られてないよね? 見られてたらフュルステンベルクの名折れになっちゃうんですが。
というか「店主の知り合い」……? つまりウィスパーの店のお客さんだよね。今日が臨時休業だって知らずに来たらしいけど、その口ぶりから初来店という訳じゃなさそうだ。
恐る恐る声の主の姿を確認するために振り返る。
「っと、悪い。驚かせる気は無かった」
「……へ? へっ? よ、ヨルシカ様!?」
「君は……何処かで会った気がするな。どのタイミングだったか。ああ、確かフュルステンベルクの」
驚いた。騎士と異端審問官の繋がりは深く、所属は違えどその間にも「上司」「部下」のような関係はある。要するにヨルシカ様は夫の上司だ。
その立場は異端審問官の中でも高位の司祭枢機卿。今やその知名度から偶像的かつ親近的に見られがちだけど、貴族の一員なら礼を払って「猊下」と敬称を付けるべき人だ。……やっちゃった。平民気分が抜けずにヨルシカ様とか気軽な呼び方を……
「し、しし失礼致しました! ヨルシカ猊下!」
「ははっ、礼儀正しいことだな。しかしプライベートで来ているのだから敬称など不要だよ。今の君は単なる私の部下の妻だ。『ヨルシカさん』程度でいい」
「きょ、恐縮です……えっと、ヨルシカさんはこの店の常連だったんですか?」
「正確に言えば、少し前にこの店を知ったばかりでな。店主の雰囲気が興味深かったし、料理も美味かった。まさか君もこの店を知ってるとは驚きだ」
「……! はい! ウィスパーとは、幼馴染です!」
密かに尊敬していた人がウィスパーの店を気に入っているのが嬉しくなって、堪らず大きな声でそう告げると、彼女はどういう訳か少し考えるような素振りを見せた。何か引っ掛かることでもあるんだろうか。
「まさか君が……いや、何でもない。ところで、店は休みなのか?」
「……? え、ええ。残念ながらそうみたいです。多分『遊星』の魔女の余波で怪我でもしたんじゃないかと思います。あの子、少しでも怪我すると店を閉めるんです」
「すまない。魔女の噂で貴族家も大変だろう。私がもう少し強ければ、面倒なことにはならなかった」
「い、いえ! ヨルシカさんは貴族平民問わず、全国民の平和の象徴です!」
「はははっ。そう言ってもらえると嬉しいな」
またやってしまった……私は何て礼儀を欠いたことを……でもヨルシカさんの立場ほどの人がこれ程までに偉ぶらず、垢抜けた感じでいられるなんてやっぱり凄い。
仕事の時は凛々しくて、普段着の姿は瀟洒だが隙が無い。女性の憧れる女性像といえば、私は真っ先に彼女を挙げるだろう。
鋼のような精神と義務感を持ち合わせていなければ、異端審問官は務まらない。それはこの前の魔女処刑の時に痛感した。私には決して出来ないことだ。
「しかし臨時休業か。ともすると昼食は別の場所で済ませなくては……そうだマーシレス。君も一緒にランチなんかどうだ?」
「え? い、良いのでしょうか?」
「私が聞いてるんだぞ?」
「えっと……ではご厚意に甘えて」
「うん、完璧な答えだ。実は人に紹介したかったお勧めの店が有るんだよ。そこで夫の愚痴でも聞かせてくれ。それと……猫は入店できるか分からないぞ?」
そう指摘されて、初めてずっと猫を抱えながら会話をしていたことに気が付いた。顔から火が出るほど恥ずかしい。
ヨルシカさんはそんな私の様子を見て、遥かに大人な態度で、しかしどこか子供みたいな雰囲気を感じさせるような華麗な笑顔でくすくすと微笑んだ。
彼女は本当に、私には無い秀麗さを沢山持っているなと思った。何だか彼女と話していると、ウィスパーを思い出す。「綺麗な人」ってこと以外は似てないはずなのに、何でだろう?
そう言いながら、私はもはや抵抗の意思すら見せていなかったその黒猫を地面に放す。猫はそそくさとその場を去って行ってしまった。
「ところで、猫の腹に顔を埋めていたあの儀式にはどんな効果があるんだ?」
「……恥ずかしいので言えません」
「今度店主に報告しておこう。看板猫が吸引されていた、と」
「後生ですからやめてください!?」
すっかり看板猫が板についてきたサンサーラでした。
ブックマーク・評価・感想など頂けると、自室で謎のダンスをすることにしているので、皆さんはその光景を想像しておいてください。




