兄弟子の不満と工房の危機
親方の話を聞いた兄弟子は、一つの結論に行きついた。
最初の提案を聞いてから、親方はずっと新人の提案を採用するつもりで話を聞いていたのだ。
他の弟子たちの話をとりあえず聞くというのとはわけが違う。
やはり彼は親方にとって特別なのだ。
「それって、あいつの案を採用するってことですか?」
兄弟子がそう聞くと親方はうなずいた。
「まあ、そうなるだろうな」
すぐに彼の案を採用するつもりだと聞いた兄弟子は、ムッとして思わず語気を強めた。
「その仕事を俺たちがやるんですか?こうして聞かなければ話すらされないような仕事ですよね?」
もし仮に、新人と話を進めている途中に一度でも自分たちに手伝ってほしいと話があったのなら、工房の新しい商品の内容について少しでも説明があったのなら、ここまでのいらだちは覚えなかったかもしれない。
あの新人が人一倍真面目に仕事をしているのは自分たちだって分かっているのだ。
けれど、自分たちだって真面目に努力していた時期はあった。
その時、親方がそこまで目をかけてくれたかと言ったら、それはなかったと思う。
「なんだ不満か?」
最悪辞めることも覚悟してきたのだから怖いものはない。
言いたいことくらい言っておいた方が良いだろう。
そうしなければ本当に辞めることになった時に後悔することになる。
親方から質問された兄弟子は、後に引けないと覚悟を決めて言った。
「不満?そりゃあありますよ。親方はあいつが来てから、俺達のことなんて見向きもしなくなりましたからね。何かといえば新人の世話ばっかりで、あいつが新しいものを持ってくれば採用って。俺達の意見なんてめったに採用されないのに」
自分は先輩や同僚たちの不採用になったすばらしい作品をたくさん知っている。
一方新人のアイデアは、内容は知らないが、重用され過ぎのように見える。
新人個人を可愛がるだけではなく、そのアイデアまで採用されていくとなると、こちらは兄弟子としての立場がない。
「そうだなあ。悔しいのはわかったが、おめぇたちのやつはと、あいつのはなあ、なんつーか、モノが違うからなあ。まあ、正直あれが本当に売れたら、うちの工房は助かると思ってんだ。言っとくけどなあ、うちの工房は、あの事件のせいで大赤字だ。納品できたとはいえ、損害も周りへの借りもでかい。それを一番理解してんのはあいつだ」
まだ十になるかならないかの子供である彼が、工房の危機を一番理解していると親方は言ったが、親方が何を言いたいのか理解できない。
しかもその事件の被害者とされるのはその新人のはずだ。
それなのにその新人が何を一番理解していると言うのか。
「それはやった人が悪いことで……」
元は、工房の材料を破壊し、ここを去ることになった弟子たちの招いたことだ。
工房に何かあるのなら彼らに責任を取らせればいい。
この工房にはそのくらいの権利があるはずだ。
だが親方は兄弟子がそう言うとため息をついた。
「やっぱわかんねぇか……。じゃあ、あいつらとその親がすぐに工房の損害を支払えるか?できねぇから分割してんだろ。その間工房はずっと赤字確定だ。工房が長く赤字を抱えたらどうなるか、わかるか?」
「長く赤字?」
期間が長くなったところで、いつかは戻ってくるものなのだから問題ないのではないかと兄弟子が不思議そうな顔をしていると、親方は大きくため息をついて借金とはどういうものなのかというところから説明を始めた。
「ああ、そうだよなあ……。そこで止まっちまうだろ?あのな、この間の納品ができました、間に合ってよかった、ハイ終わりじゃあねぇんだ。その時使った材料の金なんか、すぐ払えなきゃ、お客さんからもらうまで待ってもらわなきゃならん。つまり借金だな。だがお前たちの給料だって賄わなきゃならんだろ。だから納品終わって、その金で借金がすぐ返せるわけじゃねぇ。そもそも材料費が本来の倍なんだからな。で、借金があるんだから次の材料も借金して買わなきゃならん。金を借りると利子ってもんがつく。借りている期間が長くなればなる分だけ支払いの額が大きくなっちまうんだ。それがいつまでも残ったら負債が大きくなって、この土地と建物を渡すことで返すことになっちまう。つまり工房が潰れるってこったな」
「潰れる?」
さすがに工房内の嫌がらせが工房を廃業に追い込む可能性があるとは考えていなかった兄弟子はその言葉を聞いて目を見開いた。
親方はその反応にようやく事の重大さに気がついたと判断し、話を続ける。
「ああ、そうだ。当然、お前たちは失業することになるし、俺もどっかに雇ってもらわにゃあならんな」
「そんな……」
廃業、失業、そんな考えもしていなかった言葉を立て続けに聞かされて動揺しているところに親方は追い打ちをかけるように続けた。
「あいつはそうなるのではないかってことを気にして、工房のためになるもんを提案して寄こしてんだ。こういうものを売れば早く材料費の穴埋めができんじゃねぇか、端材を無駄にせず別の商品に変えられたら損害にならない、もしくは損害そのものを減らせるんじゃねぇかってな。それでもダメなやつは、自分が技術を磨く練習に使わせてくれって言うから、まあ、もともと捨てなきゃならんもんだからって端材はくれてやったわけだ。あいつはそんなんじゃ足りねぇくらいのもんを持ってきたって訳だが……、お前たちはその間、何か考えたか?」
「……いえ」
新人が毎日、使えなくなった端材をせっせと持ち帰っていたのは家の修繕に使うためだと聞いていた。
だが彼はそれだけではなく、新しい商品を提案し、仕事の時間外にも練習をして早く技術を身につけるための努力を怠らなかった。
一方自分たちは、仕事の時間も間に合えばいいと余裕ができたら手を抜いたりしていたし、久々に忙しく働き詰めになったくらいで自分たちはよく頑張ったと思っていた。
親方はそれをしっかりと見ていて、その上で彼を評価していたのだ。
「まあ、もしだ、お前が将来工房を持って独り立ちしてぇとか考えてんなら、今言ったことをよく考えるんだな。失業したら困んのはお前らだ。雇う側になったらそれを忘れちまうやつもいるが、弟子が食いっぱぐれないようにすんのも、親方としての腕だからな。すぐ人材を切り捨てるやつに人はついてかねぇ。お前らだって、すぐ切られる工房だってわかってたら、そこに弟子入りするか?」
「いいえ」
失業前提で就職するなんてことは考えていない。
見習いの時は、不採用になるのではないかと怯えながら努力をしていた。
そして採用されて、働けるのが当たり前だと思ってしまっていた。
まさか採用後に解雇されるかもしれないということは考えてもいなかったのだ。
「そうだろう?けどな、仮にこっちの失態で工房をつぶすことになっちまったら、そいつらが働いていた数年が無駄になるかもしれないし、そこの稼ぎがなくなったら、その一家は路頭に迷うかもしれねぇんだ。だから、特に家族持ちは長く働ける工房を選ぶ。そういうもんだろ?雇う側からすりゃあ、仕事が減った時に人を減らすのが一番経費がかからん方法だ。いらんやつなんか育てたり残したりするより切った方が楽なんだからなあ。まあ、中には手塩にかけて育てたのに、独立すんじゃなくて、家で教えた技術を売りに他の工房に転職するような不義理な奴もまあいるがな。この間の件があっても残ったお前たちはそんなことねぇだろう。だから俺が食わせてやらなきゃならないし、いいもんは他所に取られる前に採用せにゃならん。それが今工房の人間を誰一人クビにしないで生き残る最善の方法だと考えてんだ」
親方がいつになく真剣に話をする様子に、これは冗談ではないし、自分の生活にも関係することで、本来であれば文句など言ってはいけないことだったのだとようやく悟ったのだった。




