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僕の麗しき箱庭  作者: まくのゆうき


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インクの説明

「相談したいことがあるんだが、終わってから時間あるか?」


版画のことが落ち着いて数日後、親方が珍しく変える前の倉庫の片づけをしている僕のところにやってきた。

難しい顔をしているところを見ると、何かあったのは間違いない。

僕で役に立てるのならと、僕は気軽に返事をした。


「はい。大丈夫です」

「じゃあ、それはそこまででいいからちょっと来てくれ」

「え、はい。わかりました」


そんなに大事な要件なのかと僕は驚きながらも、倉庫の作業を中断すると、親方の後についていった。



親方が向かったのは商談室のある建物だった。

それで僕は版画についての質問だということを察した。

親方と向かい合わせに座った僕は、早速親方からその内容を聞かされることになった。


「いや、実はだな、お前がやったようにうまくいかなくてな。作業工程をもう一度確認したいんだが」

「えっと、うまくいかないというのはどういうことでしょうか?」


自分の作ったものをきれいに直していた親方だ。

僕と違ってうまく作れないわけがないし、きれいに直せないわけがない。

意味がわからないと僕が不思議そうにしていると、親方は頭をボリボリ書きながら気まずそうに言った。


「文字なんかはたぶんこれで合ってんだけどな、こう、きれいに文字が紙に写らなくてな、インクがうまくつかないというか、垂れるというか、板から紙をはがすのに失敗してんのか、インクが多いのか、なんか原因があると思うんだが、もしなんか心当たりみたいなもんがあったら教えてもらえねぇかと思ってな。インクを付けるのにコツとか必要なのか?」


僕は親方に言われて版画の説明に意識が行き過ぎてインクの説明はしていなかったことに気が付いた。

そもそも僕は親方からインクを買って使っているんだし、親方は僕が同じインクを使っていることを想定していたはずだ。

まさか液だれ防止のために手作りののりとインクを混ぜているなんて思っていなかっただろう。


「あの、すみません……。それは僕の説明不足でした」

「どういうことだ?」

「これ、僕が見本を見せたときに使ったのは普通のインクじゃないんです」


普通のインクじゃないという僕の言葉に、親方の目が点になった。


「はぁ?でもお前、俺からインクを買ったよな。同じじゃないってどういうことだ?余所でもインクを買ってんのか?」


追加で、しかも余所でインクを購入できるような給料は払っていないしと眉間にしわを寄せた親方に僕は気まずく思いつつもインクの説明を始めた。


「えっと、このままインクをつけると液だれしたりするので、そうならないように少しのりを混ぜてるんです」

「のり?何だそりゃ?……まさか、あれか?あの板をくっつけたっつーやつか」


見本を作る時にのりで二枚の板をくっつけているという話をしたことを覚えていた親方は、それがインクに混ざっているとは思わなかったらしく、頭にハテナでも浮かんでいそうな表情をしている。


「はい、そうです。でも、のりとインクはできるだけ直前に混ぜないとそのまま固まっちゃうし、のりも乾くと固まってくっついてしまうので、混ぜたものを長く使うのは難しいです。のりの作り置きもしたことはないですが、インクと同じように乾きにくい環境でふたをして保存すれば持つかもしれませんが、ビンがないのでやったことはないです。それにインクとのりの分量は感覚で混ぜてるので……」


僕が説明をすると親方は納得したと大きくうなずいた。


「なるほどなぁ。だから、書き損じのインクの色と、版画のインクの色が違ってたってわけか。それによく見たら少しインクが盛り上がってっから、何かあるとは思ったが、なるほどなぁ」


液だれの原因を探すために版から紙からそれを使って文字を写したものまでチェックをしていたらしい。

だからなのかすぐ、その違いに思い至ったようだ。


「ちなみにのりは水に弱いので、版からのりを落とすなら乾く前に水洗いすれば取れますが、のりでくっつけて作った版をそのまま水につけると、のりが溶けて枠と文字の部分がはがれちゃうかもしれません。もともと書類は水につけるものではないですし、この方がインクが滲みにくいので……」


のりを混ぜたインクは滲みにくい代わりに少しだけ紙から浮いたような感じになる。

これは小学校の時に水彩絵の具に少しでんぷんのりを混ぜたものなら、ビニールのようなツルツルのものに絵を描いても、しっかり乾かせば立てて飾ることができると授業でやったことがあった。

その後、筆をしっかり洗わないと、乾いた時に筆がガビガビになってしまうのだが、それも経験から学んだことである。

今回は版画なので本来ならばそんなことは必要ないのだが、ここの紙は質が良くない。

目が粗く普通に文字を書いても滲みやすいし、なかなかきれいにインクが乗らない。

だから僕はインクを張り付けてしまえばいいと考えたのだ。


「はぁ……そうか。しかしお前良くそんなことまで考えたな。確かに俺はインクだけを付けようとした。そしたら一回一回台を拭かないときれいにできないし、そうしても台からはがした時にインクが流れたようになったり、シミみたいに細かい跳ねた跡なんかが付いてな。商談室でお前はそんなことしてなかったと思ったんだが、なるほどなぁ。インクも違ったってわけか」

「すみません。そのために紙を無駄にしてしまったんですよね」


親方の話では何度も試し刷りをしたような感じだった。

書き損じの紙がどのくらい出てきたのかは分からないが、うまくできなかったことで、もしかしたら新しい紙も使ってしまっているのではないかと思わず謝った。


「いや、それは大したことじゃあねぇ。わりぃが、そのインクの作り方ってのも聞いていいか?営業するのに失敗するわけにはいかねぇからな。あと、そののりっつーのが入ったインクがどのくらい使えるのか、うちにある瓶で作り置きして確認してみようと思うから、多めに作るってのはできるか?のりってやつと、のりの入ったインク、両方俺が持つことになるんだが」


どうやらうまく刷れるようになったら親方は本格的な営業に入るつもりらしい。

そのために必要なものを手元に置いておきたいというのだ。

親方の言い方には僕への配慮が感じられた。

たぶん、のりというものも、のりを混ぜたインクというのも、僕が考えたものだから、その製造方法を簡単に教えてくれとは言い辛いようだ。

作り方を聞くのではなく、作ってもらったものを使っていいかというのはそういうことだろう。

それに僕からしても工房でそれを作るのは確かに抵抗がある。

親方に教えるのはいいが、ここでのりを作るためにぐつぐつイモとか実を煮ている様子は、兄弟子たちからすれば明らかに異質なものに映るだろう。

けれどそれ以前にのりを作るなら準備が必要だ。


「わかりました。じゃあのりの材料を森に採りに行ってからでもいいですか?」


僕がそういうと、親方はうなずいた。


「ああ、そうか、材料がねぇと作れねぇもんな。しかし、簡易的でもここまで木の板同士を剥がれないようにしたり、インクの液だれを減らしたりするのに使えるもんなんて存在したんだなぁ。まあ、水に弱いってことじゃあ家なんかにはあんまり使えねぇが、仮止めなんかしたい時にゃあ楽だろうな。剥がす時に水につけりゃあいいんだから。いや、お前たちの知恵はすげぇなぁ。森にそんなもんがあるなんてことも、何でも買って揃えている俺たちじゃあ、知る由もねぇもんなぁ。お前たちの知恵には本当に頭が下がる思いだな」


でんぷんのりはたぶん貧困層で作っている人はいない。

だが、イモを煮込んでデンプン状に、どろどろにしてスープなどに入れて腹を満たすことはある。

だから食べたことのある子どもたちは、そのもちもちべたべたした感触も知っているし、何かにくっついたら取れにくいということも知っているはずだ。

ただそれを何かを接着するのに使おうと考える人は少数という気はするし、そこまで煮込むのは本来、食べ物としては煮込みすぎなのだ。

これはあくまで僕が接着剤ほしいなって思って作ったものである。

僕からすれば正直物足りないが、ここでは画期的な用途なのだろう。

けれど僕は親方にその説明はしなかった。

彼らなら作り方を説明する時も、あのどろどろイモスープを調味料と他の具材を入れないで煮込みまくればいいって説明するだけで理解されることは分かっているし、何より貧困層の知恵には僕もたくさん助けられてきた。

でんぷんのりの材料になる植物だって、彼らが森への行き方や、どういう植物がどこにあるのかってことを教えてくれていなかったら見つけることは出来なかった。

だから今回のことは森のことを教えてくれた皆への評価だと受け止めることにしたのだ。

そして少しだけ、僕たちの集落の人が良い評価を受けられるようになって、給料の良いところで働けるようになったらいいなぁという願いも込めた。

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