スタンプのお披露目
書類用スタンプを完成させた僕は、カバンにスタンプ、インク、糊を入れたスタンプ台、インクを付ける用の布、書き損じの紙を忍ばせて工房に行った。
そして自分の仕事が終わってから、親方の手が空いているのを見計らって声をかける。
「親方、先日のインクと紙、ありがとうございました。それで、見てもらいたいものがあるのですが……」
「あ?あぁ。この間言ってたやつか。書類仕事が楽になるとか言ってたな」
「はい。その話です」
「そうか。ちょっと待っててくれ。これだけやっちまったら見てやる」
「お願いします」
どうやら手が空いたように見えたのは見間違いだったようだ。
タイミングを見誤ってしまったと思いながらも、僕は親方の仕事が落ち着くのをその場で待った。
「待たせたな。こっちに来てくれ」
親方は自分の机の上をある程度整えると立ち上がって僕についてくるように言った。
「わかりました」
僕が親方に言われるままついて行くと、懐かしい場所に通された。
接客をする時や面接を遣う時に使う建物だ。
そう、僕が最初に父親と一緒に面接を受けたところである。
「もうここに入ることはないと思っていました。僕はお客さんとお話しすることはないですし」
嬉しくなって思わず僕は感想を言った。
ここだけは工房や倉庫のようなゴミゴミした感じもなく、とてもきれいで落ち着いた空間だ。
前の世界の普通の家と言う感じだが、今のボロ家と工房の環境しか見ていないと、ここがとても神聖な場所にすら思える。
「ああ、本来ならそうなるな。だが以前にも画期的なものを作ったお前の発明品を見せてもらうんだ。きちんと評価をしたい。仕事の役に立てようって物を見せてもらうのに片手間というのはな。何より、これは仕事以外の時間に個人が作ったもんだし、良い物ならば買い取ると言ったもんだ。俺が購入するかもしれないってんだから商談室を使っても問題ねぇ」
「わかりました」
親方は僕を想像以上に買ってくれていた。
商談室には兄弟子たちも出入りしているのを見たことがないので、たぶん彼らも工房に入ってからはここに立ち入っていないに違いない。
それだけここは特別な場所だ。
親方に商談室へ案内させるほど期待させておいて、小学生の時に作っていたようなものを提案するのは気が引けるが、後には引けない。
買い取りは冗談で言ったものなので親方が必要だと言ってくれたらそのまま無料で渡すつもりだが、スタンプを試すためのインクは自腹で購入したのだ。
家を補修するためにもらった木材よりはるかに安いものだが、貧乏な僕が、家では絶対に使わないインクを購入してまで作ったもの。
できれば認められたいと素直に思った。
僕は早速用意していた者をカバンから取り出して、親方に実演して見せることにした。
過去を含めて商品のプレゼン経験などなかった僕は、説明しながら作業をするのは緊張したが、取引先ではないし、親方は興味を持って見てくれているだけだと何とか自分を叱咤した。
「今日僕が作ってきたのはスタンプです。こうしてこの文字を彫ってある部分にインクを付けて紙の上に押しつけてから、静かに持ち上げます」
そう説明してスタンプを押した紙を親方に見せた。
「はぁ、こりゃあまた……。一瞬でこれだけの文字が紙になぁ……」
「ちなみに続きも作ってあります」
僕はそう言って文字の内容を確認してから、続きの文章のスタンプを二行目のところに押した。
親方は僕がスタンプを押しているのを興味深そうに見ていたが、二つ目のスタンプを使ったところで僕に言った。
「ちょっと試させてもらえるか」
「もちろんです。どれを押しますか?短いものだと、発注書、請求書とかタイトルもあります」
僕が説明をしながらそれらを出すと、親方は驚いたように僕を見た。
「ああ、じゃあ、そうだな、発注書ってのをやってみるか」
「わかりました」
僕はそう言って親方にインクを付けた状態のスタンプを渡した。
親方はそれを受け取ると静かに紙の上に置いて持ち上げる。
「こりゃあ、確かに誰でも使えそうだな。押しつける力の加減で薄くなっちまうが、文字として読めりゃあいいし、これでも充分だ。インクはこれで付けるのか?」
親方は僕がインクを付けて渡したのでインクの付けるところから試したいと言う。
「はい。たくさん使うならこの布を中に敷いて布全体にインクを染み込ませれば、文字の部分をこの布に押し付けるだけでインクが付くようになるんですけど、今回は何回も押さないのでインク節約のために布でこすりつけました。インクを付けすぎると滲んでしまうので、インクの量は一度インクを付けて布で少しぬぐうくらいがちょうどいいんです」
僕がそう説明すると親方は僕が言ったように布のインクのついた部分をスタンプの文字の部分にこすりつけて紙の上に再び置いた。
そしてそれを紙から持ち上げて、今度は彫ってある面と、スタンプで押された文字をじっくりと比較している。
僕の彫る技術のことが気になって見ているというよりは、文字の一部に木目のようなものが出てしまうことが気になったのだろう。
「本当はこの表面にニスみたいなものを塗ることができたらよかったんですけど……」
紙に押された文字とスタンプを観察していた親方は、僕の言葉の意味を理解して、すぐに提案をしてくれた。
「インクを何回も付けるってこたぁ、水が染みて木が悪くならなきゃいいんだよな。表面にニスか蝋でも塗っときゃあ木目の溝も埋まるし少しはマシになるが」
「あ、そっか!蝋でもよかったですね。さすが親方。確かにそうですね!」
何度も使うのなら水をはじくようにした方がいい。
芸術作品を作るのなら木目は味わいがあってよいかもしれないが、書類の文字にそんなものは必要ないだろう。
僕は気にすらならなかったが親方は気になったのかもしれない。
ニスのことはすぐに浮かんだが蝋をニスのように使うということは思いつかなかった。
「確かにこいつを使やぁ、書き写すより圧倒的に早いし、書き損じが減るのは間違いないな。しかしこれだと順番間違えたら使えなくなる。一発でこの文章全部、おんなじもんができりゃあ、もっとありがたいんだがなぁ」
親方はこのスタンプを使って、より間違いを少なくする方法はないのかと考え始めたようでそんなことをつぶやいた。
この言葉に僕は思わず意見をした。
「実は一回で一枚全体の文字を写す方法も考えました。でもそれだと一つの版が大きくなるので管理が大変になります。あと、大きくて重くなるんで持ち運びにも不便です。あと、それだとスタンプとは使い方も変わるし、もらった紙の大きさより大きい板が必要で、それをひび割れた板で作ろうとするとうまく削れないでしょうし、作成しても運ぶ際に割れる可能性もあります。ちなみに、この角材をくっつけて一つにしようとすると高さの調整が難しいんです。一度に押す、文字になる部分だけは同じ高さじゃなければいけないので、本当に必要なら真新しい厚めの板で作らないと……」
そもそもこれは端材で作った試作品で、ただ僕が道具の練習がてら思いつきで作ったものなのだ。
僕もこのスタンプ同士をくっつけることは考えたが、さすがに糊でくっつけるには重たくなりすぎて心許なかった。
それに手元にある端材では高さや幅がぴったり合うものがないので、もしくっつけるのなら最初からくっつけた状態で平らになるように調整しておかなければならなかった。
文章も彫ってはみたものの、長い文章を彫るのならそれなりの覚悟がいる。
一枚の板に彫ると言うことは一文字も間違えられないということになるのだが、作った後もそれをここに持ち込むのは大変だし、作るのにも時間がかかる。
それを作ってみて没にされたら材料も労力も無駄になるし、何より精神的なショックが大きい。
だが、親方が意見をくれたということは、それが必要とされるものだということだ。
だから僕はそういうものも作れるが、そのためには良い材料を使わなければならないと正直に言ったのだ。
親方は僕の言葉を聞くと、ガシガシと頭を掻いて、何やら考え始めた。
僕はそんな親方からの次の言葉をびくびくしながら待つことになるのだった。




