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僕の麗しき箱庭  作者: まくのゆうき


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初めての書類仕事

初めて書類を書き写す日。

僕は真新しい紙を前に緊張していた。

過去の世界であれはいくらでも使い放題だった紙が、ここでは貴重品なのだ。

それに僕は紙に触れたことがあるからその弱さはよくわかっている。

濡らすなんてもってのほか、この世界に鉛筆や消しゴムなんてないし、用意されているインクだって一度染みたらもう消すことはできない。

書き直すことができないのは怖い。

過去だって公的な書類はすべて消えないペンで書くようにと言われていたが、あちらでは間違えたら書き直せば済むだけだ。

紙はいくらでも手に入るし、履歴書だってお金はかかるけど買えないがくではなかった。

だけど、ここにある紙は違う。

確実に昔使ったことのある紙より品質が劣るのに宝石が買えるくらい高価な代物だ。


「まぁ、前にも言ったが、紙ってのはえらく高価でなぁ。下手したらそこらにある板の何倍もするような、そんなもんなんだ。くれぐれも慎重に扱ってくれな」

「はい。わかりました」


僕が脅されるように言われて硬直した状態でいると、親方は頭をガシガシと掻きながら言った。


「って言ってもなぁ、確かにやってもらわないと、覚えさせることができないからなぁ。気にしてもらいてぇが、手が止まっちゃ意味がねぇから、まあ、一回気にせずにやってみてくれ」


このままだと進まないと判断した親方は、間違えてもいいから早くやれという。

僕はその言葉を信じて、ようやくペンを持って模写を開始するのだった。



僕は過去の世界で引き込もりだったので、会社で事務の仕事をした経験はない。

教科書で計算や表なんてものを見慣れているだけだ。

書いたことがあるのは、イベントの申込用紙とかで、それだって作品と納品予定数と売価を記載した程度だ。

問題は間違えられないことだけではない。

ここで使うのはボールペンなどという便利な代物ではなくつけペンだ。

過去に文字を書くのに、いちいちペン先を何かにつけてから文字の書き方をするのは習字くらいだったが、習字の経験も小学校の授業でしかやったことがないから、インクを付けて書くことに慣れていない。 

ちなみに紙は目が粗く、インクを乗せたら滲みて広がりやすそうだ。

だからなのか、書類の一文字一文字が過去の世界よりも大きく書かれている。

小学生の使うマス目の練習帳くらいの文字のサイズなので、非常に分かりやすい。

長くペン先を紙につけなければ、間違えそうになっても、上から線を引き直して太く書いてしまえば何とかなるかもしれない。

僕はそんなことを考えながら、一文字ごとに、ペン先をインクにつけ直して文字を書いていく。



僕が文字を書き始めると、親方は僕の手元を黙って見ていた。

紙がダメになりそうな動きをしたら止めるつもりなのだろう。

親方の鋭い眼光が気になったが、それを気にして文字を間違えたら意味がない。

もしかしたら、先輩たちも今の僕みたいな気持ちだったのかなという考えがぼんやり頭に浮かんだが、あれは親方の指示だし、僕は悪くないはずだ。

僕は親方が見ていることが気になったため、考え事をするのもやめて、書くことに専念することにした。

そして消せる筆記具で良い紙ならば必要としないような長い時間をかけて、僕はどうにか一枚の契約書の雛形文章を無事に書き上げた。

親方に渡す前にペンを置いて見直ししてみたが、僕の見た感じでは間違えている箇所はない。


「親方、できました。確認してください」


僕は持ち上げてもインクが滲まないくらいまで乾いたことを確認し、完成したと告げてから書きあげた紙を持ち上げて親方に渡した。

僕が渡した紙をじっと見ながら、親方はしばらく唸っていた。

眉をひそめているので、あまりいい結果は期待しない方がいいのかもしれない。

悪い結果ならなおさら早く知りたいと、僕は親方に声をかけた。


「あの……」

「ああ、特に問題はないぞ。ないんだが……」


そう言って親方は僕の書いた紙から目を離すと、今度はじっと僕の顔を覗き込んだ。


「お前、本当にこういう仕事はしたことないんだよな?学校にも行ってないんだよな?」

「はい……。ここに来るまでは森で父の仕事の手伝いしかしていませんし、学校は……うちにそんなお金はないので……」

「そうだよなあ……。あの地区の生まれだもんなあ……」


生まれてくる前のことは話せないため、当たり障りなく本当のことを言うが、親方はそんな僕の言葉を聞いても納得のいかない様子で唸っている。

どうしていいかわからなくなった僕は、思い切って親方に尋ねた。


「親方、何か気になることでもありましたか?」


僕の経歴は嘘ではない。

親方もそれはわかっているのだ。

だからこそ腑に落ちないのだと、僕にわかるように説明してくれた。


「いやな、初めてで随分とスラスラ書くもんだと思ってなあ。俺なんざ、初めて文字を書けって言われても、どっから書いていいか、どう書いたらこの形になんのか、必死に考えて書いたもんなのに、お前はゆっくり書いてるけど書くことに迷いがみえなかったんだよ。まるで文字を書くことに慣れてるかのようにな」

「……」

「それに俺はお前にこのペンとインクの使い方も説明していなかったんだがなぁ、お前はインクを適量つけて紙に書いてんだよ」


たしかに僕は間違えないようゆっくり丁寧に書いた。

なぜなら紙は高いし、インクは消えない、という意識が強かったからだ。

書き慣れない道具を使っているのだから手はゆっくりしか動かせない。

けれど親方の言う通り、書くという行為そのものは慣れている。

それも絵ではなく文字だから、細部まで再現しなくてもその形になっていれば読めるからいいだろうと思いながら書いていたのも間違いない。

それにインクを付けて使うペンというのも馴染みはなかったが感覚的にはどういうものか分かっていた。

ペン先を長く紙にくっつければ滲むことは想定できたし、インクを付けすぎた状態で紙の上に持っていけば、インクが滴り落ちることも想定できた。

だからインクを付けすぎないように気を付けたし、付けすぎた時は容器の端で少しインクを落としてから掻き始めるようにしていた。

確かに親方の言う通り、文字を書いたことがない人間が迷いなく文字を書くのは難しいだろうし、ペンを使ったことのない人がペン先に付いたインクの量を調整しながら紙に書くなんて動作をスムーズにできる人はいないだろう。

僕は説明されて、ようやく自分がどれだけ不自然な行動をとっていたのかを自覚した。


「どうやって覚えたのかは知らねぇが、独学でここまでやったんなら大したもんだ」


表情にどのくらい出ていたかを気にする余裕はなかったが、内心焦りを覚えて無言でいると、言っても仕方のないことだと諦めたように親方は言った。


「ありがとうございます」

「そうだなあ。せっかくだから、これからもちょくちょく頼むことにするか。こうして結果を残したんだしな」

「お願いします!」


今、工房に文字を書ける人は少ない。

せっかくできる人がいるのだから、戦力として使えるのではないかと親方は判断してくれらしい。

僕はこうして書類仕事という新たな仕事を任せてもらえることが決まったのだった。

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