生まれ変わった僕
意識が戻った時に見えたのは、ボロボロで隙間のある木材でできた屋根だった。
隙間から太陽の光が差し込んで、眩しかったのだ。
そして僕はどうやら硬い木の板の上に薄い布のたくさん敷かれた場所に寝かされているらしい。
感覚が戻ると背中に板の感触が伝わってきた。
体を起こそうと力を入れてみたがうまく起き上がることができない。
そして、声が、言葉が出ない。
僕が何かできないのかともがいていると、そこに母親らしき女性がやってきて自分を覗き込んだ。
「あらあら、どうしたの?今日は元気なのね」
そして僕は気がついたのだ。
これが記憶を持ったまま転生をするというやつなのかと。
覗き込んだ女性の顔が大きく見えることを考えても自分は今、赤ん坊なのだろう。
だから体もうまく動かせず、言葉も話すことができない。
そして、女性の言葉も残念ながらわからない。
しかし、自分は今赤ん坊なのだ。
それで間違いないのなら、言葉を覚える時間はたくさんあるはずだ。
大きくなって言葉を喋れればいい。
話せるようになるまで、きっとこの優しそうな母親と思しき女性が色々話しかけてくれるに違いない。
僕はここが魔法の使えるような世界だったら面白いだろうと思いながら、再び眠りについた。
赤ん坊は寝るのが仕事。
おそらくこれが正解なのだろう。
僕は気がついたら死んでいた。
死の前後に何が起こったのかは全く思い出せない。
覚えているのはその前に過ごした日常だけだった。
赤ん坊の僕は動くことも話すこともできない。
そして何かを訴えるときには泣くしかない。
体がそうできているのか、睡眠を取っている時間が多いように思うが、ぼーっとしている時間は頭の中を整理するために使うことができた。
思い出せるところから少しずつ未来に向かっていけば、自分が死んだ当日のことくらいは思い出せないかと必死に考えたが、記憶はやはり途中からもやがかかったようになり、どうしてこうなったのかというところに行き着くことはできなかった。
動ける範囲が広がるにつれ、僕にもこの家の事情というものが見えてくるようになった。
動けると言っても母親や父親が抱き上げて部屋の中をうろうろした際に見える環境や、僕を膝に抱えたり近くに座らせて日常会話をしている中からしか情報は得られていない。
だが、それが理解できるだけでも大きな収穫である。
僕は赤ん坊なのに泣くこともせず、彼らの話に耳を傾けることにした。
家は貧しいし、困ることはあるけれど、近くの森で木の実を採取したり、山で動物を狩ったり、川で魚を捕ったりして生活を営んでいるようだ。
そして道具は手作り。
大きな動物を獲った時は使っていた道具が折れてしまったりするが、材料を調達してきて同じようなものを作ってはそれを持って出かけていく。
文明としては遅れているが、安全なサバイバル生活をしていると思えば苦痛はない。
情報を得るための便利なツールもなく、娯楽も少ないが、一度大人を経験している僕としては、のんびりとした田舎暮らしで余生を過ごせばいいと、どこか悟ったような境地にいた。
もし仮にこの世界がファンタジーの世界なら、手作りの道具で動物を狩らずに魔法を使える人がやればいいし、かまどの火もつけ直すのが大変だと言いながら火を起こさずに魔法を使えばいいし、水もわざわざ外まで汲みに出かける必要もないはずだ。
もしかしたら魔力がない平民と魔法使いとが分けられているのかもしれないが、そう言う話は会話の中に出てこない。
つまりここはそういう世界ではないのだろう。
生まれてしばらく、ボロボロの家から出ることのできなかった僕は、過去の記憶を持っていて、ちょっと時代が戻ってしまったような、少し文明の遅れている異国の田舎ような場所に転生したと思っていた。
幸い、成長してから急に記憶が戻るとか、そんな苦労をすることもなく、僕はいたって普通の男の子として育てられた。
転生前の記憶があるとはいえ、赤ん坊からやり直しているのだから、言葉や文化の壁も間違えながら覚えることができたし、間違えても大目に見てもらえる温かい家庭に生まれ変わったことは本当にありがたいと感謝しかない。
ボロを出さないように子供らしくと考えて振る舞いながら、僕は知識だけではなく、前世になくて後悔している体力を身に付けておくことにした。
この世界はどちらかというと、前世より文化が退化している。
少なくとも医療に関しては、知識も薬も古いもののように感じている。
だからこそ、怪我をすることも、病気になることも避けなければならない。
少しずつ動けるようになると、ベッドの上で腹筋は背筋のような動きをしたり、全身運動となるハイハイをして全力で部屋の中を回った。
最初はあまりにも動き回るので、どこかにいなくなるのではないかと心配した両親によってすぐにベッドに戻されたりしていたが、部屋から出ないでぐるぐる周回しているだけだと分かると、彼らが僕を止めることはなくなった。
こうして僕は少しずつ、二足歩行で歩いたりしゃべる筋肉を身につけ、普通の食事をとれるくらいまで成長することになった。
そして、初めて外に出た時の衝撃は忘れられるものではない。
てっきり田舎だと思っていたこの場所は、街の中にあった。
街の片隅で貧困層が集められたような集落のような場所で、家を出ると、目の前には街を囲む壁が立ちはだかっており、壁の反対側にはこの家には縁のなさそうな建物がたくさん建っている。
その中にひときわ目を引く大きな塔。
どの建物よりも高くそびえるその塔は、この街を見下ろし管理するように建っている。
「父さん、あれは何?」
僕が尋ねると父は答えた。
「あれは領主様の住んでいる塔だよ」
どうやらこの街には管理者がいて、その人が住んでいるのが街のどこからでも見えそうな目立つ塔ということらしい。
「領主様?」
僕は子供らしく聞いてみることにした。
「ああ、この街を管理している領主という偉い人がいてな、領主は毎年選挙で決まるんだ」
選挙と聞いて僕は少し安心した。
どうやらここは民主主義の安全な国、もしくは街らしい。
確かに穴のあいたぼろぼろの家に住んでいても平和に過ごせていたのだから、治安は悪くないのだろう。
それが故に僕は田舎の人のいないようなところに住んでいると錯覚していたわけだ。
少なくとも選挙というものがあって街の上に立つ者を決めているということは分かった。
状況を整理しようと黙っていると父に声をかけられた。
「お前にはちょっと難しかったかな?」
我に返った僕は黙ってうなずいた。
「そうだな。大人になったらお前も選挙に投票できるからな。よく見て、よく考えて、しっかりしているものを選ぶんだぞ?」
父親はそう言いながら、僕の手を引いて家の中に戻っていくのだった。