己でないものからの問い
露出する肌の艶めきと悪戯な瞳に隠れた固さ。反社会的であるそして反道徳的である最も己に忠実であるモラル。叶えられるべきは、洗脳状態である常にありふれているという自我の佇まいの破壊。必死にあろうとしてそこに見えている新しさへとループするという螺旋が崩壊する。そのとき歩み寄る多数の古びたマネキンが脅迫するだろう。裏切りは真摯であるという片側の論理であると。語りたいのはいつも手遅れの真実であると。
しかし、良い人々たちという幻想にすがる自尊心は己から乖離していく。恥である快楽を隠しきることを美徳と信じている大理石のように頑なである襟元よ。愚かさの無いものを理想と呼ぶならばきっとそこには何もない。突然の解放に怯えている小さな歩幅は、きっと乱れることを望んでいる。いつか誰もが己のページを乱丁する。重複するデジャブが訪れたとき、もうすでに矛盾である日常の狭間へ足を踏み入れている。見えなかった路地が目の前に広がっている。理解できないと断っていた心情が身に迫っている。
その時こそ、己の中で己でないものからの問いが始まる。お前は本当は誰なのかと。お前は本当は何処から来て、本当は何処へ行きたいのかと。そしてこれほどまでに広がっている無限に対していつまで目を瞑っているのかと。昨日と今日と明日という細い糸に何故、それほどまでに縋るのかと。
まるで滅びた星からの光のように、それへの答えは何処へも届かない。しかし、決して誰ひとりとして、その純粋すぎる問いへの嘘をつくことは出来はしない。例え、答えが見つかることはなくとも、ずっと永遠にその問いは繰り返される。どこにもなくそこにあろうとする、形のない己という最も原始的な共感の求心点として。
開眼する瞬間があります。沈殿していた言葉たちが爆発的に輝きだす時があります。その時、古今の言葉たちが呼応して、問いを新たに始めます。今とは何か。明日とはどうなるのか。言葉の中に、声無き共感が時を超えて連なっています。




