9.残り物には希望がある
無心。とにかく必死だった。
どれほど時間がかかったのか。
ガランッと鉄格子が倒れる鈍い音に我に返り、俺はその隙間に身体を滑り込ませた。
全身を錆びで汚しながらすり抜けて通路に転がり出ると、その開放感に大きく息を吐いた。
「ははっ。やった……出てやったぞちくしょうめ」
誰に聞かせるでも無く悪態を吐いていると、ぐぅーと力無く腹の虫が鳴る。
まだ助かったとは言えないか。
すっかり汚れてしまった鍵とキーホルダーを適当に拭ってポケットにしまうと、気怠い身体に鞭を打って、地上へと上がる階段を上っていく。
地上階はがらんとした見覚えのない空き部屋だけど、多分、衛兵隊の詰め所だった場所だ。
用がないから近づかなかった場所だけど、随分と殺風景な部屋だな?
質素な机と椅子に空き箱が数個転がるだけの部屋を見渡し、首を傾げる。
嫌な予感を覚えながら、食料を求めて調理場へと足を急がせる。
道中の通路も、以前は夜闇を煌々と照らしていた明かりの魔道具が全て外されていた。
「嘘だろ……?」
辿り着いた調理場には、何も残されていなかった。
食事を別に用意して欲しい、という無理を苦笑して受け入れてくれた料理番の姿はもちろん、冷蔵庫型魔道具もそこに保管された生鮮食品も、麻袋でどかりと置かれていた小麦や加工食品も、何もかもが消え去っていた。
一体全体、俺はどれだけ眠っていたんだ?
ヨロヨロと壁に手をついたその時、大きな水瓶の中に、少しではあるが水が残っている事に気が付いた。
焦る気持ちを抑えて、目に魔力を集中させようと意識する。知りたいのは、この水が飲める状態かどうかだ。
≪水 状態・安全≫
文字を読むや否や、俺は調理場に転がっていた陶器製のマグカップを掴み、浴びるようにして飲み干した。
「んぐ、んぐ……、っぁあ。美味い」
一息吐いて、この水がいつからあるかを考える。
魔法で生み出した浄水だとして、そう何日も『状態・安全』を維持できるのだろうか。
俺が何十日も地下牢にいたのではなく、一日か二日で皆がここを離れてしまったと考えるべきか。
そういえば、村の宿屋で一晩眠って起きたら、ボロボロに滅んだ村の廃屋で目が覚めるっていうゲームがあったな。
何とも諦観した気分で、そんな益体も無いことを思い出していた。
友人だと思ってくれていたラドセニア王女のセイラが味方をしてくれることを期待したいけれど、今この瞬間、誰もいないこの遺跡神殿が答えのように思える。
自分だけの足音が空しく響く廊下を歩く。顔見知りの兵士たちの宿舎、友人たちの部屋。もぬけの殻であることを確認するように覗き込む。
勿論、ほとんどの物が無くなっていて、数日前までここに人が住んでいたとは思えないほどに殺風景だ。
そして俺の部屋。
扉を開けた瞬間、迂闊にもほっとしてしまった。
ここだけは、最後に見た光景がそのまま残っていた。
日本から持ってきてしまった鞄、制服。セイラたちが用意してくれていたこの世界の衣服。召喚勇者のためだけの教本。セイラたちと食卓を囲んだ机。
ここは、俺のために残された場所なのだ。そう感じた。
それが誰かは分からない。セイラか、三山さんか。オタク仲間の二人か。確認するすべもない。それでも。
いつの間にか身に馴染んでいた異世界のベッドに身を投げ出し、俺は胸に込み上げる熱いモノを押さえつけて、体を休めた。
翌朝。持てる限りの荷物を手に、俺は遺跡神殿を後にする。
目指すは人里。兵士たちの話では、神殿から道沿いに山を下りていけば、食料を調達していた麓の町があるはずなのだ。
そこまで辿り着ければ、皆がいつどこへいなくなったのかもわかるだろう。
宰相ヘスオバルの何かしらの思惑を考えると、人目に付くのは危険かもしれないけれど、俺は山中で野生児として生きていく自信はない。
空腹に痛む腹を抑えながら、俺はようやく異世界への第一歩を踏み出した。
とにかく何か食べ物を!
≪スキル≫に関する括弧を『』から≪≫に変更しました。既投稿分も修正したいと思います。