35.まるで台風の日のような。
偽トゥタの村が完成して程なく、満身創痍といった状態の兵士たちが互いに肩を貸し合い、フラフラと偽トゥタの村へと近づいていた。
幻影で誤魔化された本物のトゥタの村に気付いた様子はない。
幻覚魔法で角を隠して人間の村長に扮した魔王ゼザが兵士たちを偽トゥタの村唯一の本物の家屋へと案内するのを見届け、思わずホッと息を吐いた。
周りでは年少のネイルとカーラが、俺と同様に胸を撫で下ろしている。ミゼさんを初めとした村の他の人たちは、うんうんと頷いたりと当然のことのようだ。
迫害され続けている種族なだけに、このような危機を何度も乗り越えているのか、それともそれだけ魔王ゼザへの信頼が厚いのか。
心配していたのは場慣れしていない子供だけとあって、少し恥ずかしい。
気を取り直して、偽トゥタの村に目をやる。
魔王ゼザも兵士たちも建物の中に入ってしまって、様子を窺うことは出来ない。「このまま眺めてるだけなの?」とミゼさんに尋ねると、
「少し待っていろ。ミネイラ、頼む」
「はい、ミゼ様」
呼ばれたのは、見た目の若々しい魔族の女の人。ミゼさんと同じ歳くらいに見えるが、こう見えてカーラの母親だ。
ミネイラさんが魔法の詠唱を始める。これは、えーと……。
「≪聞き耳≫」
ああ、そうそう。風系統中級魔法の聞き耳だ。効果は、遠くの音を拾ってくる。つまり。
『それは災難でしたね』
魔王ゼザの声が妙に反響しながら聞こえてくる。
遠く離れた偽トゥタの村の空き家の音を、風が拾って来ているのだろう。
村の人たちが息を潜めて兵士たちの話に聞き入る。
どうやら彼らはスノーウルフ討伐隊の隊員で、包囲戦の最中にスノーウルフたちの起こした吹雪で部隊からはぐれてしまったのだという。
うーん。微妙だ。
それほど迷う様子もなくトゥタの村を目指していたようにも思えたけれど。
魔王ゼザは兵士たちの話をうんうんと頷いて聞くばかりで、踏み込んで聞き出す様子はない。
『それではごゆっくり』と魔王ゼザが部屋を出て行ったようで、聞こえてくる音が無くなった。
「何にも聞こえないね?」
「家全体を対象にしているからな。内緒話は拾えなくなるんだ」
「なるほど」
みんなの邪魔をしないように小声でミゼさんに尋ねると、同じく小声でこそこそと教えてくれた。こんな感じで何か話してるかもしれないってことか。
しかし本物のトゥタの村の方には、他に無駄話をしている人なんていなかったので注目を集めてしまった。ミゼさんがこほんと咳払いをした。
「≪聞き耳≫が扱える者を中心に交代で休んでくれ」
「畏まりました。ミゼ様は?」
「どうせ≪聞き耳≫は使えない。ローテーションの中には入れないでくれ。チビ共は寝させて。あとお前も」
魔王の娘とは、時に代理としての仕事もあるのだろうか。ミゼさんの指示で村の人たちが話し合いを始めた。
ミゼさんはそれを後目に、魔王家へと俺の背中を押していく。
まだ夕暮れ前だけど、何かしないと落ち着かないな、と魔王家の玄関を上がると、何故か後ろでミゼさんが背中を向けていた。
「ミゼさん? 上がらないの?」
「陛下がいない間は陛下の代わりだからな。戻らしてもらう。お前は飯を食って寝てろ」
言葉はキツイけど、父親のことが心配なんだろうなあ。
広場へと戻っていくミゼさんを見送って、よしっと台所に向かうことにした。
◇
「お疲れ様です。差し入れです」
「おや。わざわざありがとう」
「何か動きはありました?」
「何もないね」
日も落ちて暗くなった頃、いつものバスケットにサンドイッチを詰め込んで、広場へと顔を出した。
若々しい魔族のお兄さん(年齢不詳)に挨拶をして、視線を巡らせる。
ミゼさんが広場の隅にいるのを見つけて、サンドイッチを手に近寄る。
「はい、ミゼさんもどうぞ」
「何しに来た?」
「差し入れ」
憮然とした様子で一人立ち惚けていたミゼさんの口に、サンドイッチを押し込む。
眉をしかめられたけど、そのままもぐもぐと食べてくれた。
「味はどう?」
「……悪くはない」
表情は変わらないけれど、少しだけ空気が弛緩したように思える。
俺もその横で、サンドイッチを摘まむ。
追い返されないのを良いことに、しばらくミゼさんの横に居座っていた、その時。
「誰かが出てきたぞ」
見張っていた村の人が注意を促した。
偽トゥタの村、空き家の中から鉄の鎧がぬらりと光る人影が出てきた。魔王ゼザではない。
人影は、こそこそと周りを警戒しながら偽トゥタの村の外れへと足を進めると、そこで足を止めた。
「何をしてるんだ?」
「……っ! ≪聞き耳≫をあの人に向けて! 早く!」
「あ、ああ」
妙な悪寒を感じて、押し殺した声で怒鳴るという器用な真似をしてしまった。
当番だったらしい村人が頷いて、詠唱を始める。
長いもどかしい。
その間も、怪しい兵士は動く様子がない。
「≪聞き耳≫」
魔法が発動する。聞こえてきたのは、魔法言語の詠唱。
この内容は……。分からない。
でも、聞き覚えのある単語がいくつか。
「時空系統? ……っ!? この詠唱は!?」
「ミゼさん、分かるんですか?」
扱えない魔法でも知識は豊富なミゼさんは思い当たったのか、顔を青くさせていた。
そして――怪しい兵士の足元から巨大な魔法陣が広がった。
「うわっ!? ……え?」
魔法陣が本物のトゥタの村まで届くほどの光を発した。そしてそれが消え去った後、闇に蠢く影が偽トゥタの村の周りに無数に表れていた。
「時空系統上級の≪召喚≫魔法だ。どこからか、大量に兵士を呼び出したようだな」
一筋の冷たい汗を流したミゼさんが、拳を握り締めて、そう口にした。




