序章 新しい日常への予兆
こんにちは、諸君。
突然だが、「バーチャルゲーム」は好きかね?私は好きだ。
ゲームの発祥以来、毎日のように進化する技術によって、テレビゲームは多くの人たちを魅了してきた。スクリーンに映る映像がいたずらの絵みたいなのから、より現実的でより美しく、より迫力になって、諸君らもそれらの進歩に毎度歓声をあげていたと思う。
だが、人とは満足しない生き物なのだ。ゲーマーであれば一度くらいは思ったはずだ――そのスクリーンの向こうに飛びこみたいと。そんなゲームの中を冒険したいと。
VRとは、そんな願いにより作られた概念なのだ。そしてそれを実現すべく試行錯誤して作られたのが、その一歩手前にある今のバーチャルゲーム。
最初のバーチャルゲームは、動かないスクリーンに映るゲームからゴーグル式やドーム式な環境で、我々プレイヤーの目に360度映る環境を作り、プレイヤーがゲームの世界にいるかのように錯覚できるように作られた。だが、それでもコントローラーを頼らなければいけず、ほとんどのプレイヤーはゲームの中にいるような視点を持っても、そのままテレビゲームと同じ感覚でプレイしていた。
二世代目のバーチャルゲームには、テレビゲーム時代から存在し研究されてきたモーションキャプチャーをプレイヤーの体につけることで、プレイヤーが自ら動くことでゲームを進行し、ゲームの世界の中にいるという臨場感を与えてくれた。それではファンタジー要素のあるゲームでキャラクターを思うように動かすことができず、プレイヤーも短時間でのプレイで疲れ果てる。
三世代目、四世代目につづいて、ホログラフなどいろいろの技術を取り入れてみては外し、結果的に有用な技術はなく、残念ながらただのハードウェア強化だけとなった。
そして今、新たに開発された第五世代に我々は遂に到達したのだ。小説などに出てくるバーチャルリアリティー定番の、人の神経信号を使うことでキャラクターをコントロールする、体ではなく脳ひとつだけで遊べるバーチャルゲーム機の誕生に。我々は、真のVRにまた一歩大きく、近づいたのだ。
この第五世代のゲーム機は、よりVRのゲームに近づくために、我々はプレイヤーの神経信号の接続により、すべてのゲーム情報とコントロールを脳内で反映させて、人が眠りながら自分の意識をゲームのキャラクターの中に送ることを実現した。
意識すらゲームの世界の中、もはやほとんど幻想の中に存在していたVRのゲームと同じだと諸君らは思うだろう。だがそれは本当のVRとはあと薄い壁が一枚、ふさがっているのだよ。
技術的に、無から有は生まれない。今までの世代で集めたデータでは、あくまでもキャラクターに可能な限りの動きをインプットして作ることしかできない。プレイヤーはまだ、キャラクターを自分の現実の体みたいに、もしくはそれ以上自由に動かせない。我々がインプットした動きや動く範囲を可能にしただけだ。
理由はとても簡単だ。人の神経信号をゲーム中の体に、現実にあるように結びつけるデータがないからだ。
だが逆にいうと、そういうデータさえあれば、技術的な開発が可能となり、我々やプレイヤー諸君らの望むようなVRゲームを遂に作れるということを意味する。
なので、諸君らには頼みがある。
我々はその目標を達成するために、これからある大きなプロジェクトを始動することにした。
この第五世代のバーチャルゲーム機に最初で最後の、そして世界最大規模のオンラインゲームを作る。
これをVRの世代へ移行する前の最後のバーチャルゲームにして、VRの実現に向けての最大規模のβテストでもある。
神経接続システムをより完全にするため、真の意味でのバーチャルリアリティーの誕生のため――我々は今まで持ちうるすべての技術をこのゲームに注ぎこみ、次世代の技術を生み出すためのデータをこのゲームによって収集する。
だから共に手を取ろうではないか。我々制作・運営側に加担してくれるすべてゲーム会社と、我々のゲームでその進歩に貢献してくれる多くのプレイヤー諸君と。
この新世代の“暁”を迎えるため、私は今、ここで宣言しよう。
プロジェクトL.B.――始動!
***
『―――プロジェクトL.B.――始動!』
この台詞と共に、流れる映像が白いスーツを着ている男が画面に向けて手を振った瞬間に停止する。
見慣れた映像を映し出す携帯画面の真ん中に、リプレイボタンのアイコンが表示されたのを見て、青年は無表情で手に持っているそれをそのまま隣にいるニヤニヤ笑っている悪友に突き返した。
「・・・え?あれ?リアクションなし?!」
携帯を受け取って、いかにも質問を待っていますってドヤ顔を決めている悪友を無視し、青年は面倒くさそうに溜息をついて、手にもっているコンビニのビニール袋を手にぶら下げて歩き出す。
「あ、っておい!わざとらしく溜息付けんな!俺様が残念そうなやつに見えちまうだろうが!!」
自覚、あったんだ。
内心で突っ込みを入れながら、青年はなんとなく視線を彷徨わせる。
――今日は二人だけか。しかも質が落ちている。
悪友の叫んだ言葉が可笑しかったのか、クスクス笑いながら傍から通り過ぎる通行人の若い女性のグループ。
携帯を掛ける男、通行人に混じって移動しているが、しばらく前とほぼ同じ距離をキープしながら店に覗きこんでいた。
そしてもう一つサングラスを付けて煙草をすいながら壁に背を預けている地味な男は、たしかこの前もまったく同じポーズを別の場所で取っていた。
こっちを注目してはいないが、前の護衛と比べてあからさまに分かりやすい尾行の仕方。害意はないのだから、二人とも護衛なのだろう。
どうやら予定通りに家との関係が疎遠になってきているらしい。だからって安全であるかは別なのだが、そこは本人の問題だ。
「――おい、彪十!この俺様を無視すんじゃねえー!」
「ガキか、ぎゃあぎゃあうるさい」
実はさっきのビデオ、彪十という青年はここ数日何回も悪友に見せられている。最初に見せられたときにあんまり興味なかったから適当にあしらったのだが、それがまずかったらしい。
だがそれは仕方あるまい。そこそこゲームが好きな悪友と違って、彪十は特にゲームが好きってわけではない。
ただ学校にいく必要もないから、バイトとかのない暇の時に、数回悪友に付き合ったことがあるだけ。普段は遊んでいるよりは生活費や食費を稼ぐほうが大事だからだ。
彪十は孤児だった。
記憶がある限りずっと孤児院で生活していたし、自分を産んだ両親の顔なんて知らない。
ただなんとなくどの子を養子にするかと下見をしにくる大人たちの視線が嫌だから、五歳のときに孤児院から抜け出した変な子供だった。抜け出した後に孤児院の大人たちが探していたのは知っているが、それよりも街で生きていくために必死だったから無視した。
今こそ苗字も名前もちゃんとついているし、帰れる家もあるが、その時の経験があるからただ遊んではいられない。それに、あの変態オヤジに出会ったあの頃からの名残かどうかは知らないが、彪十は子供のときから今でも、毎週の半分しかその家で過ごさないのだ。
まぁ、まだ気分はストリートチルドレンだな。もう21歳だけど。
家を持ちながらホームレスと一緒に公園や廃工場で数日過ごすとか、悪友だけでなく他人から見れば、自分はだいぶ頭が可笑しいのだという自覚はある。
そんなことを考えながら、悪友が構ってちゃんみたいにうるさく言いながらついてくるのを適当に相手にして、表札に「稲羽」と書かれている古い一軒家の玄関の前に止まる。
うんざりって顔をしながら悪友の言葉を聞き流し、とりあえずノブを回してみると、いつものように開かない。どうやらロックが掛かっているようだ。
珍しい。
「んあ?なんだ、あのおっさん、家にいないのか?珍しいなぁ」
どうやら悪友のほうも同じ思いだったらしい。
まぁ、そのくらいあのおっさんは家に篭ることが多かったから。時にブラブラと外に買い物に行っても、大抵鍵を掛けずに放置するし。だからかえって鍵が掛かっていることのほうが珍しい。
とりあえず入れなければと彪十は庭に向かい、犬を飼っているわけでもないのになぜかある犬小屋の屋根下から隠された鍵のスペアを取り出す。
いつの間にか静かになった悪友をチラッと見てから、玄関の鍵を開けた。
演技をやめたのか、どうやらあの二人の護衛は一旦引いたらしい。こっちもあまり気配感じないのだから多分そうなのだろう。さすがに前のだとあまり自信はなかったが、今回の質がなぁ。
「ただいま」
「お邪魔しまーす」
小さい声でいつもあまり使わない敬語で挨拶する悪友を放置し、彪十は玄関から家の中を見渡る。
電気はつけてない、そして人気もない。少なくとも今日出かけたってわけではないらしい。以前の経験からして、最低二日くらいは空けているな。
「いねーなぁ」
悪友は、苦手の人がいないと分かって調子が戻ったらしい。
だが彪十はすこし違う。皺を寄せて、靴を素早く脱ぎ、彪十はいつもよりすこし早足に家の中に入った。
厨房に人はいない。料理に使ったであろう鍋はそのまま放置されているし、洗ってない食器はたぶん二日前のもので、悪臭を放っている。
居間のほうにいくと、おっさんの靴下やジーンズなどが畳に散乱していて、いかにも家に出る前は普通に生活していたような感じがする。
「うわぁ、臭ッ!なにこれ・・・いつから洗ってないんだ」
後ろについてきた悪友は文句を言いながらも厨房の窓を開ける。なんだかんだでそっちも一人で生活するようになったからな。
すこし感心して、彪十はまた視線を居間のほうに戻し、とくになにも見つからないからと寝室のほうに向かう。だがその時に、悪友のほうから声があげてきた。
「おーい、彪十。冷蔵庫の中に手紙があったぞー」
――なにやってんだ、あのおっさん。
「なにやってんだ、あのへんたい」
思わず心の中のツッコミが口から出てきた。変なのは変態の分だけにしてほしかったと、彪十は何度目かもう分からないが、心底思った。
廊下に入った彪十は引き返し、厨房のほうに戻ると、悪友が冷蔵庫を開きっぱなしにして手を振り回す姿が目に入った。そしてそれと同時に、なにかすごく変な匂いが鼻に。
ジタバタして、とりあえず悪臭の原因であろう食べ残しなどを全部ごみ箱にすてて蓋をしてから外に出す。同時に付近にある窓なども全部空けるのは忘れない。
この状態下で、落ち着いて手紙を読んでもいられないから。
およそ十分後に、すべてを片付けた二人は食卓のテーブルにある椅子に座り休んだ。
彪十はもう最初になんか心配したような顔をしていない。手紙を残すくらいだから、なにか問題があったわけではないだろう。
いや、何かあったとしても、十数年一緒に住んでいてもまだ正体が謎のままのおっさんに手伝えるかと言われたら、答えは否だ。
「で、アレになんか書いてあるのか?」
「どうせ碌でもないことだろう」
好奇心で聞いてきた悪友に、彪十は半分呆れた顔で答えながら封筒を持ち上げて開ける。
封筒の中には紙切れが一つ、そしてデカデカと黒いマジックでこう書かれていた:
『寂しがっている愛人ちゃんのところに行って来るから、しばらく長留守にするぜ。
留守番任せたから、またすぐに飛び出すんじゃないぞ~。(はーと)』
「・・・」
「・・・」
しばしの沈黙。そし彪十はその手紙を封筒に戻し、無言でごみ箱に捨てた。
「あー・・・そのー、なんだ。・・・しばらくお前は家暮らしになるんだな」
どうコメントすればいいか悩んでいる悪友に、彪十は溜息付きながら頷いた。
とりあえずすぐに金が必要ってわけでもないし、次のバイト探すのは後回しにして・・・これからしばらくずっと家で暮らさないと、暇ができちまうなぁ。じゃあ残りは・・・まぁ、いいか。
彪十は携帯を取り出し、なにかを弄りながら悪友に一言聞く。
「で?」
「へ?なに?」
急になにを聞かれたのかわけの分からない顔をする悪友に、彪十は無表情に手にもった携帯の画面を突き付けた。
「これについて、なんか言いたかったんじゃなかったのか?」
そこに映し出されているのは、ここ最近何回も見せられたあのビデオだった。