人間のいるべき場所と咲夜がいたいと望む場所
太陽の光を反射させキラキラと光る青く大きな湖、その畔に立つ洋館は対照的に真っ赤である。 その館の門である鉄格子の扉が開かれて一人の少女が出て来る。
十代半ばから後半くらいに見える彼女は、主に青と白の二色からなる服にサイドを編んだ銀色のショート・ボブの髪の頭に付けられたホワイト・プリムからこの屋敷に仕えるメイドであろうと分かる。
開かれた扉を再び閉じてメイドの少女を見送るのは、腰まで伸びた長く赤い髪を持ち中華風の衣装を纏ったメイドと同じくらいの年齢に見える少女である。
その中華風の少女がふと上を見上げる、青みがかった灰色の瞳が見つめる先には、二人の女の子がいた。 それぞれに水色の緑の髪の女の子達は十歳になるかならいかくらいの体格で、気ままに空を飛びじゃれ合っているように見る。
そんな光景に中華風の少女もメイドの少女も驚く事もない、何故なら彼女らにとっては……いや、この世界に暮す者にとっては日常なものだからだ。
幻想郷……そこは過去に結界で閉ざされた日本の一角である。 コンクリートのビルが建ち鉄の車が走りコンピュータによるネット・ワークが当然の外の世界の人々は存在すら知らない、忘れ去られた世界だ。
幻想郷のある人間の里は江戸時代のような木造の平屋が立ち並んでいて、舗装もされていない道を行き交う人々も着物姿ばかりである。 そんな中にあって洋風のメイド服の少女は明らかに異質に見える。
十六夜咲夜という名を持つその銀髪のメイドは、一軒の店の前で足を止めると顔を上げた。 そこには店の名前の刻まれた看板があり、鈴奈庵と書かれていた。
「……お邪魔しますわ」
咲夜が暖簾を潜って入店するとチリンという鈴の音が鳴り、その音に反応して店の奥にいた少女が「あ! は~い!」と声を出し椅子から立ち上がった。
飴色の髪を鈴の形の髪飾りで短いツインテールにしたこの咲夜より幾分幼い少女は、着物の上に身に着けているクリーム色のエプロンに”KOSUZU”と書かれている通り、本居小鈴という名前である。
「あれ? あなたは……確か咲夜さん? 紅魔館の……?」
「ええ、覚えていてくれてたのですか」
言いながらも、ここでは目立つメイド服姿なら忘れる方が難しいとは思う。
両者が面識を持ったのは、咲夜の主人であるレミリア・スカーレットのペットが逃げ出したという事件で、その後にこの件でのレミリアからのお礼状を届けて以来だ。
「はい。それで今日はどんなご用件で?」
「あら? 妙な事を言いますね、貸本屋に本を借りに来る以外の用事がありますか?……ああ、一応販売もしていましったけ?」
人当たりの良い笑顔を小鈴に見せる咲夜を見返す小鈴もお客を出迎えるいつもの明るい顔ではあるが、その中に警戒の色が見て取れる。 しかし、それも当然ではあった、確かに咲夜は人間ではあるが、彼女の仕えるレミリアは吸血鬼であり、館の他の者みな妖怪なのであるから。
「はぁ……では本を借りに?」
「ええ、外界の料理関係の本があれば見せて戴けるかしら?」
結界の中にありながらも時々外の世界の品物が”流れ着く”その中には書籍もあり鈴奈庵ではそれらも取り扱っているのだ。
「はい……分かりました」
そう言って本棚を捜し始める小鈴。
咲夜も自分でも探してみようとして、何気なく店の奥に目がいったのは、妙な妖気を感じたからである。 床に積まれた本や木箱に入った巻物だったりするそれは、明らかに普通の本ではない。
だが、咲夜には初めて見るものでもなかった。 紅魔館の地下にある大図書館の主であるパチュリー・ノーレッジがいくつか所有してたからだ、確か妖魔本と言っていた気がした。
博麗霊夢や霧雨魔理沙が最近この店に出入りしているという噂は知っていたが、その理由が分かった気がした。
「あの~~……咲夜さん?」
その時、不意に呼ばれた声に我に返った、見れば数冊の本を抱えた小鈴がどうしたんですか?と言いたげに咲夜の顔を見上げている。
「え?……ああ、今日のお夕食のメニューをどうしようかなと……」
曖昧な笑みで答える咲夜に、「はぁ……?」と首を傾げた後で、見繕ってきた本を机の上に置き「どれかを借りて行きますか?」と尋ねる小鈴。
「どれどれ……」
本をパラパラとめくりながら中身を確認していくメイドの少女、三冊目に入ったところで小鈴が「あ、あの……」と言い難そうに声を掛けた。
「あら? 何でしょう?」
「あ……その……咲夜さんて人間なのに妖怪のとこで働いているんですよね?」
「そうだけど……ああ、大丈夫よ。 お嬢様を始め紅魔館の方々は無闇に里の人間には危害を加えないから、幻想郷のルールは守りますよ?」
実際のところ異変を起こして騒ぎを起こした事もあるのだが、それも理由も別に人間に危害を加える事が目的ではなかった。
「えっと……そうじゃなくて、どうして人間なのに妖怪の側にいるのかなって……」
その言葉に咲夜の表情が険しくなる、そして彼女の真意を探るかのように気に小鈴の目をじっと見据えた。
「え? え~と……」
その迫力に小鈴はたじろいでしまう、何か言おうと思うが言葉が出てこない……が、唐突に「ふ~……」と小さく息を吐き穏やかな笑顔に戻ったのにキョトンとなってしまう。
「いいでしょう、教えてあげますよ……」
咲夜が鈴奈庵を出た時には紫色の風呂敷を小脇に抱えていた、中身はもちろん借りた数冊の本である。
来た時の道を反対に歩いて行く咲夜が不意に口元を歪めて可笑しそうに微笑を浮かべたが、気にする者はいない。
やがて人里を出てしばらく歩くと「……さて、もういいでしょう?」と振り返ると、そこにいたのは何の変哲もない人間の娘であった。
「……ふん! 気が付いておったか……」
詰まらなそうな言葉と共に娘の身体が煙に包まれ、それが消えた時には姿が変わっていた。
ラフの生やした赤茶色の髪の頭に一枚の葉っぱを乗せ、更には狸のような耳も生えている。 更には身体と同等くらいの大きさはありそうな尻尾もあり、明らかに人間ではない。
「あら……あなたは、マミゾウさんでしたか」
「ん? 気が付いておったんではないのか?」
「誰かが尾行しているなとはね……流石に化け狸の変装までは見破れませんよ?」
咲夜が言った通りの、化け狸の妖怪である二ッ岩マミゾウは、面白くなさそうに「ふん!」と鼻を鳴らすと愉快そうなメイドの顔を睨み付ける。
「お主、鈴奈庵の娘に何か言ったか?」
マミゾウの言った意味がすぐに理解出来ずに少し思案したが、やがて納得した風な顔で答える。
「ええ、何故私が人の身で紅魔館で……妖怪の世界で生きているのかをね」
「何? お主……!!?」
驚き声を上げるマミゾウ、本来なら人を驚かす側の化け狸を愕かせてやったという事にしてやったりと心の中で笑う。
「衣食住揃った最高の職場だったから……とね?」
冗談めかした言い方であるが、咲夜の青い瞳は笑っておらず真摯な光があった。
「心配しなくても彼女を”こっち側”に引き込みはしませんよ。 そんな事をして博麗の巫女に目を付けられても面倒ですからね?」
マミゾウはしばらく咲夜の顔を見つめていたが、やがて「まあ、いいわい」とわざとらしい溜息を吐いた。
「まあ、嘘は言っておらんようじゃな……」
そう言って肩を済めてみせた。
その同時刻、鈴奈庵の小鈴は椅子に深くもたれ掛かりながら咲夜に言われた事を思い出していた。
「……それだけ……なんですか?」
「ええ、それだけの理由ですよ?」
そう言った後、笑顔だった咲夜の表情が真剣なものへと変わった。
「あなたが何を思っているかは知りません……ですが、今のあなたはギリギリのところにいる……それは自覚した方がいいですよ」
「ギリギリ……?……それって……?」
「あなたには家族もいて友達もいるのでしょう? なら、それらを大事にする事よ」
咲夜の言葉は警告だと分かったが、どこか小鈴を心配しているとも感じられるともとれる言い方だった。
マミゾウが去るのを見届けた咲夜は、再び歩き出そうとした足を止めて人里を振り返った。
「……私は生まれながらに狩る者だった……今とは立場は違えどすでに”こっち側”だったのですよ小鈴さん。 だから、軽はずみに人間が立ち入っていい世界ではないと身に染みているのです」
そこまで言ってから一度目を伏せ、そして再び顔を上げた時の表情は子供を躾けるかのように厳しいものへと変わっていた。
「ですから、あなたは決してこっちに来てはいけませんよ?」
言い終わると改めで歩き出す、本当であれば自分がいる側であろう人の社会に背を向けて、現在の居場所である人ならざる者の世界へ向かって……。