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紅血の冬  作者: 深淵ノ鯱
8/12

ニセモノ

 8


 想い合う二人にとって最も苦しく、忍び難いこととは何か。私たちはそれをテーマに話し合った。

 初めてしばらくの間は、「身体的に動けなくする」、とか、「殺してしまう」などと言った犯罪になってしまうような案も出されたが、さすがにそれは却下された。だが決して犯罪者になるのが怖いわけではなく、殺してしまえば殺された方は一瞬の苦しみで終わってしまうから、というのが主な理由だ。リスクが高い割にはあまり効果的ではないと私たちは考えた。

「ところで香織はさ、男の方だけを苦しめたいわけじゃないんだよね? 二人ともだよね?」

「……今更それ訊くの……?」

 里奈の問いに思わず私のため息が漏れる。ほぼ無意識の吐息だった。

「あ、いや、ごめん……。ホントに今更だったよね……」

「……もしかして、何か気になることでもある?」

 私の確認に、里奈は所在無げに体を揺らす。

「あ、う、うん、まぁ、ね……」

「何? 言ってみてよ。別に怒らないからさ」

 安心させるために微笑を浮かべる。きちんと笑えている自信など無い。

「その……例の男と今付き合っている女子って、香織の友人なんだよね? えっと……香織の気持ちを軽んじるわけじゃないんだけど、事情もよくわかってない段階でその子まで痛めつけるのはどうなのかな……と思って……」

「………………うん、そだね」

 長考した末にただそれだけ漏らす。

 外をふと盗み見ると、曇天の続く薄暗い風景よりも先に、窓ガラスに映る私自身の顔が確認できた。それは彼女と親友だったころの自分とは正反対の場所で生きている存在のようで、まともに見ることすらできなかった。

 外の世界に、これまで私が過ごしてきた、見慣れた景色は窺えなかった。恐らく、二度と彼女と笑いあうことはできない。例え彼に脅されていようが、下手(したて)にまわらざるを得ない状況になっていたとしようが、彼女を許すことはないだろう。過程などで情状酌量を考えるほど私は寛大ではないようだ。

「……私って、思ってた以上に悪い女なのかも」

 嘲笑混じりに呟いていた。

 それに対して里奈が肯定することも否定することもなかった。ただ黙って私の姿を見続けていた。

「……友人でも復讐の対象に変わりはないよ。どれだけ仲良かったとしても、今じゃ彼女はただの泥棒。(そそのか)した奴も主犯の奴も変わらず犯罪者」

「……そっか」

 里奈は微笑を浮かべていた。その奥に宿る感情は、私には見ることができない。彼女自身も、決して出そうとは思っていないだろう。

 私にもそのような想いは数多に存在する。現在も、表には出すまいと必死に腹の中に留めている気持ちがある。只々、寂しかった。親友である茉優に想い人を奪われ、彼からも邪魔者扱いされたという受け入れがたい現実に、怒りや理不尽さではなく、それらを超越した寂しさを覚えずにはいられなかった。だが、それを出してしまえば恐らく今回の計画は実行されない。二人への想い……特に茉優への想いを捨てきられない限り、私は最後の最後で躊躇ってしまうだろう。

 捨てなきゃ、捨てなきゃと言葉を送りながら葛藤する。元はと言えば、茉優が彼氏と別れた時にアドバイスした自分が悪いのだ。自分で自分の首を絞めたくせに、何を被害者面して復讐などしようとしているのか。捨て去ろうと思う中で頭の中を巡りだした過去の想い出に、そのワンシーンも当然含まれていた。

 とても、懐かしく思う。人と人の関係なんて、些細なことで崩れてしまうものなのだ。どれだけ厚い信頼関係を築いていようが、そこに百パーセントのつながり等あるはずがない。特に恋心は人格を変えかねないのだ。今回のことで、それは自身で痛感した。これがずっと隠されていた本当の自分なのだということは、本当は受け入れにくいことであろうが、私は自分が思うよりもすんなりと、現れた「本当の自分」をわがものにしているようだった。

「香織……香織……!」

 虚ろな世界から目が覚めると、私を覗き込む里奈の顔があった。ずれてしまったメガネを直しつつ心配そうな瞳と共に問いかけられる。

「大丈夫?」

「……うん、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」

 ならいいけど、と里奈は再び腰を戻す。

「何か遠い目してたからさ。ちょっと怖くなっちゃって」

 口調は幾分か軽くなり、冗談を言っているようにも聞こえるが、彼女にとってそれは本気の言葉であり、共闘を誓った仲間の言葉であった。

「友達のこと……忘れたい?」

 柔らかい声だった。

 私は頷けない。その代りにスマホの画面を見る。メッセージアプリを起動させ、先ほどの茉優からのメッセージを読んだ。

 その文字に変わりはない。削除されていて、ちょっと軽い、茉優らしい謝罪のメッセージが更新されていればいいな、と思ったのだが、現実は私の思い通りに動いてはくれない。なぜ返信しないのか、既読無視をするのか、と言った急かす内容のメッセージが画面を占めていた。

「ふふっ…………ううん、忘れたくはないよ」

 私と付き合っていることをいまになっても伝えていない彼と、知らないとはいえ傷心している相手に執拗に返信を求める一人の人間に対して、新たな怒りの火種が生み出される。互いに燃やしあい、広がっていくそれを、私すらも止めることはできない。

「忘れたくはないよ……。二人とも大事な人だったんだから……」

 大事な人の幸福はきちんと喜ぶべきだ、と昔に母親から聞かされたことをふと思い出した。誰かの不幸の上に成り立つ幸福を、素直に私は祝福できるだろうか。この世に存在する幸福の全てが、小さな犠牲の積み重ねのように思われた。

 もし、誰の悲しみをも踏み台にすることなく得られる幸福というものがあるのなら、一度出会ってみたいと思った。きっとそれは、心の底から安心できて、永遠にこの時間を過ごしたい、とか思えるものなのだろう。私の近くには、偽物の幸福があった。二人はそれをずっと味わっていればいい。偽物で満足できるのならば、それに心酔していればいいのだ。時が経てば、少なくとも茉優は気づく。

 幸せなんてものは、ちっぽけな人間が感じられるほど価値の低いものではないのだということを。


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