もう一人の変化球ボーイ
もう一人の変化球ボーイ
楽しい卒業パーティ、のはずだった。
仲良しの兄貴とたもっちゃんの友だちなんかも来て、
みんな最高にもりあがったし楽しかった。
たもっちゃんの家は水嶋パパが設計なんかの仕事してるからか、
我が家とはちょっと雰囲気が違うんだ。ってか断然素敵な家なんだけどね。
広いリビングは吹き抜けで二階の子ども部屋から見る事ができるし、
木の温もりがいっぱいって感じで
壁も床も木でできていて木の匂いがする。
間接照明ってやつらしいけど、なんとなくどこかのホテルみたいな雰囲気で
まっぴかりの我が家とは似ても似つかない気がする大好きな空間。
あたしたちは皆でわいわいがやがや、ゲームしたり歌ったりしてた。
我が家のパパママと水嶋パパママはキッチン横のダイニングテーブルで、
お酒なんか飲んでたみたい。
そろそろ、子どもたちはお帰りの時間、って頃だった。
水嶋ママが「えぇ~~さびしくなっちゃうわ~」って大きな声を出した。
それに答えてあたしのママが
「一年くらいだからねぇ、人助けだし」って。
なんとなくその受け答えはあたしの耳に残って消えなかった。
予感だったのかも。
「みんな、卒業おめでとう!これからも頑張ろう!」
ってパーティはお開きになったんだ。
柚花はあたしの家に泊まる事になってたから、
水嶋家を後にした。
ママにあたしは聞いてみた。
「さっき、何の話してたの?」
にこにこして嬉しそうな表情のままママは答えた。
「パパが一年くらいかしら、小笠原にいるお医者様の代わりを頼まれたんですって」
「え?」
不思議そうなあたしの顔を見てパパが舌を出した。
「ごめんごめん、美羽に一番に言わなくちゃだったのにね。
パパの友だちの奥さんに赤ちゃんができたんだけど
少し心配な病気を抱えていて
出産まで東京の大きな病院で様子を見なくちゃならないんだ。
それで少しの間、パパが代わりに島に行くって訳。
昨日ママと話して決めたんだ。
美羽には後で話そうと思ってたんだけどね」
あたしの目は泳いじゃって、助けてほしくて柚花を見る。
柚花はきゅっと口元を結ぶと、
こくんとうなずくからあたしもそれにならってうなずいたよ。
パパもママも知ってる若いお医者さん夫婦の話しだそう。
ようやくできた赤ちゃんはどうも心臓の病気を抱えているらしくて、
生まれたらすぐに手術が必要なんだって。
だから出産して手術して様子を見るため、
かわりにパパが遠い遠い南の島にお医者様としていくという訳なんだって。
ママが言うには
「帰って来るんだし、夏休みは島に遊びに行けばいいじゃない。楽しいわよ」
なんて能天気な事を言ってくれる。
簡単な事なのかな、ショック受けてるあたしは馬鹿なのかな。
なんだか、自分の事なのによくわかんないよ。
でも、あたしたぶんショックなんだ。そうなんだ。
お風呂にも入って、柚花のお布団をあたしのベッド横にしいて、
改めて柚花に聞いてみる。
「あたし、子どもなのかな?大した事じゃないって、
わかってても納得してないんだ心のどこかで」
あたしのお気に入りのパジャマを着た柚花が
真剣な眼差しで、うんと言った。
「美羽はパパがとっても大好きなんだよね。だから、すごくすこく寂しいんだよ」
真っ直ぐにあたしの目を見て、心を込めて直球を投げてくる。
そう、きっとあたしはパパが大好きでいつもそばにいる事が当たり前で、
それが当然の事だと思ってるんだ。
あたしが病気になれば、ミルクティーと缶みかんを手に笑ってそばにいてくれる。
そばにいるという事は、本当はとってもとっても貴重で、贅沢な事なのに。
柚花の家の事を考えた時そうわかったはずだったのに。
実際にこんな出来事に直面しちゃうと、あたふたしちゃうんだ。
「パパは無医村で診療するのが夢だって言ってたっけ」
思い出した。
そんな事言ってたじゃない、忘れてた。
短いのかもしれないけど、パパは夢に近い選択をしたのかもしれないよね。
あたしの考えてる事は柚花に伝わったみたいだった。
「だとしたら、大好きな人の夢応援してあげなくちゃいけないわね」
柚花にとっては複雑な心境だったかな、
そう言って笑った顔はなんともなかったけど、少し心配になっちゃう。
あったかいお布団に入ると温もりが広がってゆく。
身体の暖かさがお布団に伝わって、
たくさんの心地よいあたしの巣が出来上がってゆく。
横を向くと大好きな柚花と目が合って笑う。
「美羽はたくさんの幸せに包まれて生きてきたんだね。
これは羨ましくて言ってるんじゃないのよ。
そうやって包まれてたくさんの愛を吸い取って大きくなって
今の美羽がいるんだと思うの」
なんだか、涙が出ちゃうよ、柚花。
「うん、きっとそうなんだよね。
大好きな人が、柚花もそうだけど。
幸せに向かって生きて行けるように応援できる大人になりたいと今、心から思うよ」
柚花があたしのお布団に手を伸ばしてきた。
あたしよりずっと小さな手を握る。
「そんな美羽が大好きだし、
そんな身体中に愛を受け取って育った美羽だから、
わたしも助けられたんだと思うわ。
美羽がいるって事は、美羽がいてくれるって事は、
わたしにとってものすごく大きな事実なの。
それをちゃんと美羽がわかっていてほしいの」
そうだね、パパにとってもそれは同じなんだろうな。
とっても納得しちゃってる自分がいた。
あたしは、あたしという存在は人の夢を後押しできる存在でもあるって事。
あたしがちゃんと前を向いて歩いて行く事が、
大好きな人たちが夢に向かって歩く支えにもなりえるんだよね。
今はまだ自分の夢すら見つからないよ。
だけど、それでも胸をはって前を向いて歩いてゆくことが大切なんだね。
あたしの周りの大好きな人たち。
一人また一人、自分の夢を見つけて歩いてゆく。
そしてそれは、あたしから離れてゆくかもしれないけど、
あたしが前を向いて歩いている限り、決して途切れず繋がってるんだね。
翌朝、びっくりすることにテーブルにはベーコンエッグとスープ、
サラダにホウレンソウのお浸しなんかが並んでいた。
「どしたの?これ」
キッチンから出てきたのはパパで朝食の支度をしているみたい、
たまにはお料理する事もあるんだけどね珍しい。
「いやいや~みわがさぁ~、おこっちゃったかなぁと思ってさ」
あたしのご機嫌取りってことか。
兄貴はたもっちゃんと身体動かしに出かけちゃったらしくていなかった。
ママはいつもながら、出勤だからね。
パパはこれまた、いつも通りゆっくりめに病院に出かけるんだよね。
昨日泊まってる柚花と二人で朝食なんか作ろうかと思ってたけど、
出来上がってるに越したことはないよ。
「めずらしい!いつもギリギリまで寝てるくせに」
柚花が着替えて部屋から降りてきた。
「うわぁ~おいしそう!美羽のお父さんがこれ、作ったんですか?」
トーストを三人分焼きながら、パパが嬉しそう。
「なんか、娘が二人いるみたいでうれしくなっちゃうなぁ~」
「パパから生まれるのは、すなお~~な柚花なんかじゃなくて、
ちょっとひねくれたあたしなんですけどね~」
こんがり焼けたトーストに溶けたバターが口いっぱいに広がってゆくよ。
少しだけ、意地悪な気分になっていた あたしの心は
美味しさに負けちゃったんだ。
「美味しいじゃん!ベーコンエッグ、スープもいいね~」
柚花が可愛らしくうなずく。
「おいしい物は人を幸せにしてくれるって本当なのね。
とってもおいしいです。それで、とっても幸せです」
パパが席について食べ始めたけど、何か言いたそうなのは感じてたんだよね。
「お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんの病気も、
今では予測できる時代になったんだ。本当にすごい事だなと改めて思うよ。
そしてそれがわかったのは本当に本当にラッキーな事なんだ。
昔では考えられない事なんだよ。
だから昔だったら何の手だてもできなかったのかもしれない。
だけど、わかったからにはできる限りのことをしてあげたいと思う。
そしてその為にはパパもできる限りの協力をしてあげたいんだ」
必死の形相であたしに話しかけるパパを見て、なんだか可哀想になってきちゃった。
「あっそ!行っていいよ、あたし反対しない。笑って見送ってあげる」
パパは何とかあたしを説得しようと思っていたんだろう、
びっくりの表情がさらに目を見開いた。
「え?美羽、最初に話さなくてごめんな」
「だから、いいって言ってるじゃん。行っていいよ」
パパは聞こえてなかったみたいにもう一度、険しい顔になった。
「一年っていっても、もうすぐ赤ちゃんが生まれてくるし
それからすぐとはいかないまでも、早いうちに手術するだろうから、
手術自体は難しいものじゃないから順調ならそのくらいかなと思っているんだが
」
ベーコンエッグを頬張りながら柚花がおかしそうにくすくす笑い出して、
あたしもおかしくなってきたよ。
「だから~~、行っていいよ!」
ようやくパパにあたしの言葉が理解できたようで、
「え?」といったまま固まっちゃったよ。
「これ、ほんと、おいしいです」
柚花が念入りに、もう一度言ったので、パパは柚花を見つめて
「おいしい?ああ、良かった、柚花ちゃんに喜んでもらって」
頭が働きだしたのかな、パパはあたしの方を見ながらブツブツ言ってる。
「パパがいなくて寂しいだろうと思って、
一生懸命考えてどうやって説明しようかと思ったのに。
なんだ、へ~きなのかよ~」
パパは小さい子どもみたいだなと思っちゃたよ。
「パパ!パパがいないのは寂しいよ。
だけどあたし我慢するよ。だって、パパの夢に近いお話でしょう?」
パパは顔をあげたよ、いつもの優しいパパの顔でね。
「本当はパパが寂しいんだよ、美羽の顔見られなくなるって。
そうだ、夏休みに柚ちゃんと二人で遊びにおいでよ、すごく海がきれいだよ!」
そうだね、パパだって寂しいんだよね。
それでも我慢してるんだよね。
寂しさは、大人になる為の通過点なのかな。
本当に美味しいものは、心まで満たしてくれるのを感じて笑った。
それから一か月もたたないうちに、パパとの別れが訪れた。
別れって言っても、一年やそこらじゃんっと思ってみても
少しだけ寂しさはやってくる。
そんな寂しい別れはちょうど前日にもあって、
たもっちゃんは寮に入る為に我が家に挨拶に来たんだ。
「またな、みわ!」
手を上げてたもっちゃんは嬉しそうに笑った。
兄貴は出かけてていなかった。
なんて薄情なやつなんだと思ったよ。
でも、家を出るって意識はみんなそんなに無かったみたいで、
ちょっと旅行に行くみたいな、そんな感じなのかもって思ったんだ。
あたしだけ、置いてけぼりの気分がハンパなくって悔しくて涙がでた。
そして小さい頃からお隣で声をかければやってきていた大好きな男の子は
少年から青年に変わりつつ、小さな女の子のままのあたしに手を振って歩き出した。
なんだか、風のように水嶋パパママと一緒に車に乗って出かけて行った。
「またすぐ、帰って来るからな!」
なんて言ってね。
寒い北風が、暖かくなるころには会えるかな。
吐く息はまだまだ、白く空気さえ凍ってて、空だけが高く高く透き通って青かった。
そして今日あたしはパパを送る為に、一緒に電車に乗ってるんだよね。
「初めて乗るよ、こんな電車。すごいね景色いい!」
パパはむっつりと顔をしかめて、
「見送りなんていいんだよ、こんな遠くまで一緒に来るなんて。
パパが船に乗ったら一人で帰らなくちゃならないじゃないか、もう」
そうか、あたしの事が心配なんだね、
パパったらいつまでも子ども扱いなんだよね。
「別についでだから!学校の先生があたしの絵出展してる会場が近いから来ただけだし」
本当はそっちの方がついでだったりするんだけどね。
「パパ、今回の件な、もっとたくさんの反対にあうと思って、
たくさんの説得材料をあれやこれや考えていたんだ。
だけどぜんぜんそんな事なくて、肩透かしって感じでさ」
おかしいよ、パパ。
なんだかちょっと寂しそうなそんな表情で、窓の外遠くの海を見つめてる。
「じゃ、反対してあげようか?」
少しだけ、意地悪アンドわがまま。
「いやいや、今更美羽に反対されちゃっても困るんだけどな。
まず、ママがすぐにうんって言ってくれたのにびっくりだったし。
反対されても俺は行くぞ、って構えてたから力が抜けるっていうか」
「そんなに、頑張って説得しようなんて?あたしも?」
「うん、学生の頃にママとは将来の夢の話なんかたくさんしたから、
パパの気持ち優先してくれたんだと思うんだけど。
反対されるって勝手に思い込んでたからね。
美羽はもっと泣いてストライキされたら、
決心が揺らいじゃうなぁと思ってた」
そうかストライキ、してたかもね。
あの日柚花がいなかったら。
「あたしだって、少しは成長してるんだって!」
パパは優しくあたしの事みつめた。
「そうだな、美羽やたもっちゃん見てて、
なんだかうずうずしちゃってたからねパパも」
「夢、追いかけたくなっちゃったの?」
「うん、まあ、そんなとこだな」
パパだって、若い頃はあったって事だよね、
想像すると笑っちゃうんだけど。
「あたし、夢まだ見つかってないよ。
たもっちゃんや柚花みたいに形が見えないし」
パパはあたしの頭に手を乗せてくしゃっとなでた。
「まだまだ、美羽はこれからだよ」
パパの手を払うと
「まだまだ、若いですからね。パパと違ってね」
短い展望の良い電車の旅は終わって、駅の改札を出ようとした。
「じゃ!パパ、ここまで。バイバイ」
パパは鳩が豆鉄砲の顔になって、
「え?改札でないの?船に乗ってるのを見送ってくれるんじゃないの?」
そんな事したら悲しいじゃん。
「ばかだな、パパは。あたしは戻って展示会に行くんだってば。
ここでバイバイだよ。じゃ~ね」
くるりと背を向けるとあたしは反対ホームに向かって歩いた。
背中からパパの情けない声が追いかけてくる。
「元気でな、何かあったら真っ先にパパに言って来いよ!
夢見つけたら一番先にパパに教えるんだぞ!
缶みかん買っておいたからな、キッチンの棚にひと箱あるからな!」
後姿のままあたしは手を振った。
泣きそうなのをこらえて考える。
展示会の会場になんの絵が出展してあるか本当は知ってる。
柚花にあったあの日、あたしのキャンパスにカラフルな色のついたあの日。
大好きな柚花がキラキラした瞳を輝かせている、一番の傑作。
あれがあったから、あたしはパパの事もたもっちゃんの事も見送ることができたんだ。
電車の窓から、きらきらと眩しい海が見える。
カモメが優雅に飛んでいる。
この海を帰ったら、絵にしよう。
ごちゃごちゃした、建物も橋も全部このまま切り取って、
あたしのコレクションに加えよう。
パパの船出の海は、あたしの旅立ちの海だ。
さてさて、少しだけ心配になったパパ。
頑張ってね。あたしも頑張ってみるからね。
寒さはあたしをちぢこませようとするけど、心の中はぽっかぽかです。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。
美羽も柚香も翔もたもっちゃんも、パパやママも、きっと前を向いて顔を上げて生きてゆくことができるといいなと思います。
それぞれの想いや寂しさはたくさんあって、その気持ち故にたくさんの摩擦やトラブル。
だけど、それぞれ真っ直ぐに生きてゆく為に、幸せのために
顔をあげて頑張ってほしいなと思います。
読んでいただいた方が、少しでも暖かい気持ちになれたら幸いです。
ありがとうございました。