変化球ボーイズ 1
変化球ボーイズ
十二月に入ると、三年生はあわただしくみんな浮き足立っているように見えた。
特にお隣のお家は、たまに水嶋パパの怒鳴り声なんかも聞こえてきちゃって、
ちょっとたもっちゃんの事が心配になったりしていたの。
我が家は、なんでも用意周到の兄貴のことだから三者面談もすんなり終わって
いい感じ漂っちゃってたからね。
頭のいい人はいいね。
あたしなんかきっとお隣みたいに、来年はママの罵声が飛び交うにちがいないね。
おお、いやだ。
あたしと柚花は、美術準備室で期末テストの勉強なんかしたりしてた。
柚花はなんでも結構できるから苦手な数学とか教えてもらって、
あたし的には今度のテストいいんじゃないの、って感じ。
兄貴と違って教え方に愛があるってもんだよね。
明日から期末って日、家に帰ってドアを開けると
たもっちゃんに違いないってスニーカーがあっちとこっちに脱ぎすてられてた。
まったくだらしないな~、ってあたしが人の事言えないけどさ。
あたしはお母さんみたいに、たもっちゃんの靴を揃えて置いた。
「翔と俺はちがうんだよ!」
突然、水嶋保の怒鳴り声。
なんだなんだ?兄貴とけんかか?
めずらしい事もあるもんだと思ってリビングに入って行くと
「わけわかんねぇ~!」
兄貴にしてはまためずらしい大声じゃん。
リビングには立ち上がってにらんでいる兄貴と
ソファーにだらしなくもたれてる保。
「どしたの?」
あたしはおそるおそる聞いてみた。
けど、二人ともあたしの方をチラッと見たきりで黙ってる。
無視かよ!
じゃ、関係ないものは知らんふりさせてもらいまっせ。
なかば頭に来たからガチャガチャとキッチンで夕食の支度をしていると
「わかったよ!勝手にすればいいよ」
バタン、とドアを荒々しく閉めて自分の部屋に行っちゃった兄貴。
ほんとにめずらしいね。
物に当たるなんて、人前でそんな行動ってあんまり見せないのにね。
残されたたもっちゃんは、鼻をひくひくさせて
「いいにおい~、今日メシなに~?」
なんて、のんきに聞いてくる。
あたしはロールキャベツのホワイトソースをお皿に盛りながら
「何したらあんなに兄貴怒らせられるのよ!」
って言いながらキッチンのテーブルでホワイトソースをスプーンですくって口の中に入れた。
うん、うま~い。
気がつくと側にたもっちゃんが立っていて
「残りないの?」
だってさ。
ほんとにのんきなやつだよ。
「兄貴食べたみたいだから、残ってるの食べても良いけどさ。
何があったのか言わなきゃあげないよ」
お皿が洗ってあるのを確認して、保の顔をにらんでやった。
「別にたいしたことじゃね~よ。受験する高校言ったら翔が怒っただけだし」
もうお皿にはロールキャベツがのっていてうまそうな笑顔。
「なんで?二人とも同じ高校行くんじゃないの?」
兄貴はここいら辺では、頭も良いし野球も強いって言われてる私立が志望校。
で、たもっちゃんも同じ、のはず。
しかも、二人とも推薦がほぼ決まりって話だったよね。
うちの野球部は夏の大会にはさっさと負けちゃったけど、
去年決勝まで行った時二人ともレギュラーばりばりでちょっと注目されてたから、ありだよね。
「行かね~よ、俺沼南高校受験する」
沼南高校、って私立だけど最近できた高校でいい選手とか集めて野球も強い。
兄貴が行くのは大学付属明正学院、
野球は常にベスト4には入ってるし全国大会にも出た事あった。
ってことは、兄貴とたもっちゃんって対戦とかしちゃうんだ。
うわ~、どっち応援すればいいんだろ。
「おまえさぁ~、翔が一番じゃん」
へ?なに言ってんの?
「俺の前にはいつも翔がいるじゃん。なんでもかんでも、翔がいるのよ」
なんだって?
「おまえも翔追いかけてるだろ?」
あたし、兄貴の事追いかけてる?そうだっけ?
「もう、追いかけるのやめたわけよ。それだけ」
ロールキャベツをうまそうに頬張りながら、水嶋保がそこにいた。
なんだろう、なんだか不思議な気持ち。
沢岡翔と水嶋保と沢岡美羽はいつでも一緒だったよね。
あたしも漠然と兄貴の行く学校が志望校になると思ってた。
まあ、無理っぽいなとは思ってたけどさ。
でも、心のどこかで一緒の高校行きたいと思ってたんだと思う。
それが、ばらばらになるんだ。
たもっちゃんはそれを望んでるんだ。
そんなこと考えた事なかったよ。
なんだよ、こいつは。
どんな球投げて来るんだよ。想定外だよ。取れないよ。
たもっちゃんは、残りのロールキャベツのソースをきれいに食べてさっさと帰っていった。
なんか、あたしは気が抜けちゃってまたまた脳みそ停止状態。ふ~
外の風が音をたてて、通り過ぎていく。
庭の木々も大きく揺られてしなって震えているみたい。
もう、季節はいつのまにか冬になっちゃっていてコートなしでは歩けないね。
みんな、どこへ向かっていくのだろう。
吹いてきた北風にあおられて、飛んで行っちゃうんだろうか。
あたしは一人だけぬくぬくとあったかい部屋から一歩もでられない子猫みたいな気がした。
たもっちゃんがいたら、「誰が子猫だよ!」って笑って頭をはたかれるに違いないのにね。
でも、たもっちゃんとそんな風に笑いあえるのって永遠じゃないのかも。
そんな事考えたら、さびしくて寒くて怖くて震えちゃいそうだな。
まだまだ寒さはこれからだよって、北風がビュウって音をたてた。
そう、冬はこれからが本番だよね。
ゆっくりと冷えた夜がやってきていたのに、気がつかなかった。
その年のお正月は鉛色の空から、ちらちらと細かい冷たい雪が落ちてきた。
家族四人で過ごすお休みは、ぬくぬくと楽しかったし
久しぶりにパパに甘えちゃおうかなと思わせた。
近くの神社にお参りに行くと、パパは
「み~わ~、なにお祈りしたんだ?パパだけに教えて」
なんて言うから
「パパがしつこくしませんようにって、祈ったんだよ!」
って言ってやった。
「うそ~~、だめだもう一回言って来い!」
なんてもうしつこいったらないの。
お雑煮、お年玉、おせち料理、楽しいいつものお正月。
神社からの帰り道、パパが突然つぶやいた言葉にどきんとした。
「将来、保くんが美羽をお嫁さんにくださいなんて言い出したらどうしようかなぁ~」
はっ?パパ何言ってんの?
軽蔑にもにた表情でパパを見上げると、あわてたように
「はっはぁ~、もしも、もしもの話しさぁ~」
「なにが、もしもの話だよ。変な話しないでよ。もう」
あたしは、思いつきでパパが言ったんだと思ったのに
パパは結構真剣な表情に変わったから余計びっくり。
「昔さ、翔が川に流された時にママから聞いたんだけどな」
なによ、何かあたしの知らない事実でも話すっていうの?
「美羽が怪我しただろう?顔に傷のこっちゃった」
素直にうなづいた。
ほんのちょっと、おでこのすみっこに一センチくらいね。
「ママが翔にって訳じゃないけど『顔に傷が残ってお嫁にいけくなったらどうしようかと思ったわ~』って言ったら」
「うん」
聞いたことない話だ。
「翔と保くん、けんかになっちゃったんだ」
「なんで?」
パパは頭をぼりぼりかいてにやけた顔をする。
「保くんが『ぼくがお嫁さんにします』って言ったから」
はっ?で、なんでけんかになるの?
「そしたら翔が、『俺に勝ったことないのに美羽はやらない』って言ったからだよ」
勝ったこと?
勝ったことって、そりゃあ兄貴には勉強でも野球でも一番だったから
勝ったことないに決まってるけど。
あ、けんかでもか。兄貴強かったっけ。
「それで、保くんが翔に掴みかかっていったみたいだよ。
翔も怪我させたって責任あってか、本気でなぐりにいっちゃったからね」
初耳だ。
そんな事知らなかったよ。
「翔も案外いろいろな気持ちを隠してるんだよ、あれで。
いつも美羽は保くんと一緒で仲いいし、
野球だって本当はピッチャーになりたかったのに、
後から入ってき保くんに取られちゃっただろう?」
うそ!兄貴、ピッチャーになりたかったの?
「何でもできるけど、意外に不器用なとこがあるんだな」
兄貴は、欲しいものはすべて手に入れられる人なんだって思ってたよ。
そんなとこしか、あたしには見せなかったから。
「だから~、保くんが将来美羽をくださいなんて言ったらパパちゃん困っちゃう~」
まったく!勝手に困ってろ。
身体をくねくねさせて困ってるパパを置いて、
あたしは足早に家のほうに歩き出した。
それにしてもね。
なんだろう、そんなけんかって。
よくわかんないよ。
二人ともなんでそんな事でけんかなんかするのよ。
そこから、二人は別々な道を歩いていたのかな?
あたしの知らない二人の気持ち。
鉛色の空は、いつのまにか重い雲が風に吹かれて薄い水色に変わっていた。
すごく高くずっとずっと遠く、空は澄んでいた。
あたし達はあの頃とちっとも変わらないって思ってたのにね。
もうじき兄貴もたもっちゃんも卒業しちゃうんだよね。
そして、あたしも柚花も三年生になっちゃうんだもんね。
時は待っててくれないのよね。
どんどん、どんどん先に行っちゃう。
置いて行かれないように、必死で走ってゆかなくちゃいけないんだよね。
たまに少しだけ幸せの中で、まどろんでいたくなるけど。
あたしは、去年より少しは大人になったのかな。
どこかが変わったかな。成長したのかな。
この時期いつも、考える事だけどいつも答えはでないんだ。
そうして、あっという間にお正月はいつも通り終わっちゃう。
なんにも答えがでないまま、いそがしい毎日が始まっちゃうんだ。
空は青くて、すっとひとすじの雲を引いただけで
あたしの胸の中とはちがって気持ちよかった。