家族 2
それから何日も、学校途中のイチョウの木が色づいてハラハラ落ちてくるたび
あたしは柚花の事を思い出していた。
その日も、もうイチョウの木の下は黄色の葉っぱでいっぱいになっていた。
何て濃い色なんだろうな。
濃い黄色は他の色を寄せつけないほど力いっぱい黄色だ。
柚花の大好きなあの大きなイチョウもたくさんの葉を落としているのかな、
なんて思いながらまた会いにいっちゃおうかなと思う。
柚花とイチョウの木に。
イチョウの木を見上げて立ち止まっていると、
遠くの方で声がしたんだ。
懐かしくて大好きな声。
「み~わ~、みわ~、おはよ~」
渡り廊下の二階の窓からだった。
柚花?あたしはいそいで窓を見る。
開け放された窓には誰もいない。
だけど、あたしは駆け出していた。
渡り廊下の下にある昇降口。
ガタガタバタバタ、階段を駆け下りる音。
「ゆずか~、ゆず~」
あたしは息を切らせて降りてきた柚花の胸にまっすぐに飛び込んだ。
ちっちゃな柚花があたしを受け止めた。
「おはよう美羽!ストライクバッターアウト、だね」
優しく耳に飛び込んできた柚花の声はずっとずっと聞きたかった声。
「うん、おはよう」
あたしは、涙がこぼれていた。
きゅっと唇をかんだけど、涙はあふれて止まらない。
柚花は、あたしに飛びついて
「学校これるよ、またいっしょにいられるよ」
ってぎゅうっと泣いてるあたしの頭を両手で抱きしめる。
ぐしゃぐしゃになっちゃう。ってもうぐしゃぐしゃだけど、涙が止まった。
「ほんとに?よかった」
中庭の小さなイチョウの木は次から次に黄色い雨を降らせていた。
もしかしたらあの大きなイチョウの木に
二人の事を報告してくれてるのかもしれないね。
黄色い葉っぱが空に舞い上がったのは、涙で良く見えなかったけどね。
あたしの中に色が戻ってきた。
たくさんのペンキをぶちまけたように、そこにもここにもカラフルな色。
鮮やかなその色は、色とりどりに輝いて眩しいくらいで、
世界中がこんなになって見えるなんて、ほんとに神様ありがとう。
神様にまで感謝しちゃうあたしは、毎日毎日すごくうれしそうだったみたい。
「最近、なんかいい事あったのか?」
って兄貴。
「みわ、好きなやつできたんだろ。誰だよ、俺のこと忘れんなよ!」
だって、たもっちゃん。
あたしはおまえの彼女じゃないじゃんか。
「みわが、かわいくなったと思うのはパパだけかな?」
って首をかしげている愛すべきお父様。
「調子いいんだったら、お勉強もがんばってね」
あくまでも、なんかさせたいママ。
あたしの大切な色、つけてくれるのは柚花、きみだよ。
毎日毎日柚花がいて、たくさんおしゃべりしてたくさん笑って
いっぱい一緒の時間を過ごした。
中庭のイチョウの木は、あるひ突然丸裸になったみたにに葉っぱを落としたの。
美術準備室では、そろそろストーブが必要になってきていた。
「最近、みわ、友だち増えたね」
そう、今まで気にもならなかった、っていうか興味なかったクラスの女子や男子。
それが意外にも一人一人に考えてる事や興味持ってるものや、
違う感覚をもってるって気がついちゃってね。
そう思うと、話せるし相手もそう思ってくれるみたいでさ。
友だちってよべるのかどうかわからないけど、増えた。
「みわが心の扉をあけたからだよ」
柚花がにっこりと微笑む。
「あたし、閉じてた?」
「うん、しっかりと閉じてた。特定の人以外は決して開けようとしなかったもの」
そうか。
心の扉は閉めてるままじゃ、なんにも見えてこないのかもしれないね。
だけど、開けると好きなものだけじゃなくって
見たくないものや傷つくものなんかも一緒に入ってきちゃうのが怖かったのかもしれないな。
だから、閉じたまま自分が許可した人だけに開けてみる。
そんな生き方、いつからしてたんだろう。
でも、それが一番自分が傷つかない方法だってわかってたのかもしれないよ。
でもね、柚花のことたくさん知ってたくさん考えて、
逃げてばかりじゃいけないのかなって、あたしのどこかが開き始めたのかも。
そこから、少しずつ、今は結構気にせずに、開けちゃってるのかもね。
というか柚花を見ていて、
いやおうもなしに入ってくるものに対して目や耳をふさいでても
そこから前へはいけないんだって、思ったの。
バッターが怖くても、手の中にあるボールを投げなければどんな形にせよ試合は終わらない。
勝っても負けても、そこから得られるものはあるんだって。
自分しだいなんだって。
柚花は、今自分が出せる精一杯の球を投げてくる。
まっすぐに、ストライクゾーンめがけて。
あたしもそういう試合をしよう。
そして、それが負けても次の試合までに力を蓄えていよう。
柚花は一週間に一回くらい、美術準備室にも寄らずに帰ったんだ。
おじさんの家にいるからって、誰も嫌な顔しないけど
たまには家のお手伝いをしなくっちゃね、なんてウィンクしてさ。
お母さんはお義父さんの治療の為に一緒に戦ってあげることにした。
そして元の生活に戻ったって。
で、柚花にはその過程でたくさん傷つける事があるだろうからって、
別れて暮らす事を許してほしいって泣いたそうだ。
「かあさんが幸せなのが、わたしの一番の願いだものね」
そんな風に言って柚花は笑ったの。
寂しそうな笑顔が、あたしの心に焼き付いちゃって離れなかったのも知らないでさ。
あたしだって、パパやママとそんなにたくさん会ってる訳じゃないよね。
話もしない日もあるくらいだけど。
でも、一緒に暮らしてるって事実があたしに安心を与えてくれてると思うし、
それがなくなっちゃうなんて事考えた事もなかったな。
自分のいる場所があるって事の大切さを、実感したあたし。
家族って何なのかなってもう一度考えたりして、
顔を上げると空高くに消え入りそうにまっしろい月が小さく小さく張り付いていた。
うん、昼間の月はちゃんとそこにあるのに見えないんだね。
気がつかないんだね。
家族って、そんな感じかも。
あたしは、スケッチブックに風に舞うイチョウの木とかすかに見えている月を簡単に描いてみた。
ちっともうまく描けないよ。
横にあったかい誰かさんがいないとさ。