大きなイチョウの木の下 1
大きなイチョウの木の下
それから、新学期は始まったけど柚花はあらわれなかった。
次の日もその次の日も、
あたしは毎日柚花の笑顔をさがしたけど、見ることはなかった。
柚花がいた時みたいに、他の子とかとも話したり笑ったりもしたんだ。
だけど、あたしの学校での色が消えちゃったみたいだよ。
ものすごいカラフルな色がそこらじゅうにペイントして飛び散って、
時々知らない色まで飛び出したりしていた柚花がいた時。
今、あたしの中で色が消えちゃったんだ。
白黒の世界だよ、柚花、きみがいないから。
毎日モノクロの世界の中で他人事のように時間だけが過ぎていくのは、
夏の次に冬が来るみたいなもんだね。
なんてことだろう、あたしは夏の次に秋が好きなのに。
もうすぐ、二ヶ月が過ぎちゃうよ。
モノクロの中で他人のようなあたしがもがいているのがわかって、
あたしは芸術部顧問の野村に聞いてみた。
なんで野村に聞いたかっていうと、
もしかしたら柚花はあたしが作り出した架空の人物だったりしたらどうしようって思ったから。
まるで柚花なんか存在してないように平和に何事も無く毎日が過ぎてゆくから。
あたしだけが取り残されているような感覚だったから。
で、いつも野村に二人で美術室の鍵をもらいに行っていたから。
「ああ、織田かぁ~、たしか連絡先はあったと思うぞ。
家の事情でって事しかわからないんだよなぁ」
よかった、柚花が存在したよ。
アンド、野村上出来!
あたしは、ひったくるように野村が書いてくれた柚花の連絡先を握りしめて、
家のパソコンに向かった。
住所を検索すると、
同じ市内でもそこに書かれた場所はかなり市内から離れていて、
あたしの行った事もないような場所だった。
次の日が祝日で良かった。
朝目が覚めるのが久々に早かったあたしは、
パパやママがまだ寝ている間に家を飛び出していた。
会える、柚花に会える。
あたしの中に妙な確信が生まれてきちゃった。
朝の光を浴びて、今それを信じる事にしようと決めた。
駅前の端っこから出ているバスに乗った。
『ふたまた地蔵行き』だって。
なんてふざけた名前の行き先だろう。
トトロのネコバスかよっと自分で自分につっこみを入れてみた。
久々のハイテンションじゃんか、あたし。
バスは、市内をぬけて住宅街から林なんかがそこら辺に見えてきた。
田んぼや畑もあって、
タイムスリップしちゃったんじゃないかと思ったくらい。
で、ガタガタとバスに揺られて終点の『ふたまた地蔵前』というところで降りたあたしは、
きょろきょろとあたりを見回してみる。
道は二股に右と左に別れている。
右手には中くらいのマンションが不似合いに建っていて、
たくさんの洗濯物がベランダに干してある。
左手にはこんもりと林が続いていて
おんなじ形の住宅がその脇に並んでいる。
あれって自分の家わかるのかな?
間違えてお隣の家に『ただいま~』なんて入っちゃう事ってないのかな?
なんて、いらぬ事を考えて二股の真ん中にあるお地蔵さんをみた。
お地蔵さんがいくつも並んでいて奥に少し広い場所に神社みたいな建物もあった。
ポケットから印刷した紙を取り出してみると、
バツ印は右手のマンションについている。
「よっしゃ~」
気合を入れてマンションの一階の
ポストが並んでいるところで名前を確認していく。
野村のくれた紙のあて先は、
『スカイマンション206 浅田』とある。
あった、206浅田。
この上の突き当たりみたい。
子供の声がどこかの部屋から聞こえている。
二階の突き当たりは向こう側に非常階段が見えて、
その向こうに林が見える。
何度もまよったあたしは、
深く息をすると目をつぶってインターホンに指をかけた。
(ピンポ~ン)と鳴るはずだったあたしの澄ました耳に、
ガチャっとドアのノブの音が聞こえた。
「だれ?」
と言う声がした。
「ああ、あ、あの、あたし」
チェーン越しに女の人。
不意の事にまいあがっちゃったよ、なんて言おうか。
だめだ落ち着け、あたしは柚花に会うんだから!
「あたし、織田柚花さんの友だちで」
ゆっくりとはっきりと言葉を選んだ。
中から顔を出していた女の人は
けげんそうにあたしの頭からつま先までを見ていたのに、
ぱっと顔色が明るくなって
「あら~、柚ちゃんのお友だちか。
良くここわかったね~、まずいな、誰から聞いたの?」
チェーンをはずして表に出てきた女の人は女子大生くらいかな、
ちょっとだけ柚花に目もとが似ている気がした。
くるくるパーマの髪の毛を指でいじりながら、
ちょっとタバコの香りがしたけど、風がゆるく吹いてきて消えちゃった。
「あのさ、困るんだよね。
柚ちゃんに口止めされてるんだよね。
お父さんに住所わかったらまずいでしょ」
なに?何のこと?
お父さんって義理のお父さんってことだよね。
柚花は、どうしちゃったの?
そうだ、あの日、電話があったあの日。
「家族ってなんだろう」そんな風に言ってたよね。
『母さんと同じようには思えないかもしれない』とも。
「ここまで、来るくらいだから仲いいんだよね」
女の人はふ~っと息を吐き出してちょっと考えてるみたいだった。
よれっとしたジーンズが腰のとこでひっかかってる。
あたしのどきどきしている顔をおかしそうに横目で見ると、小さな声で口を開いた。
「DVって知ってる?」
なんだっけ?
どこかで聞いたことあったよね、
英語の授業じゃないしニュースかなんかで聞いたことあったような。
「ドメスティックバイオレンス、
家庭内暴力、かな?
聞いたことあるでしょ。
柚ちゃんの母さん何度もそんな目にあってんだよね。
それで、何度も逃げたりしてたけどさ、連れもどされちゃうの」
なにがなんだか、わからないよ。
なんとかバイオレンスが家庭内暴力ってどういう事なのか、
あたしの頭はぐるんぐるん回っちゃって、
どんな意味なのか理解しようとしても途中でプツンと切れちゃうみたいだ。
固まってたあたしを見て、
くすっと笑った女の人の目が柚花にとても似ていて
涙が出そうになっちゃった。
「絶対に他に言わない事。
守れるんだったら、ほら、あそこ。
あそこの赤い屋根の家に行ってみな!」
指差したむこうの林の隣に、赤い屋根の平屋が見えた。
広い庭には耕運機が置いてある。
農家なのかな。
会えるのかも。そう思うと、身体中が震えるのがわかった。
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