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フィリバスター牛山2 ~史上最長の呪文詠唱~  作者: 空な鍵
第一部:フィリバスター牛山ミノル
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おいしいカレーの作り方

連載は不定期なのであまり期待しないでください。


ミノル「日本国憲法を見直していたらおなかがすいてきましたね。おいしいカレーの作り方をお教えしましょう。おいしいカレーを作るにはどうしたらよいのか。これについてこんな仏教の逸話があります。


アリナーン曰く『千手観音様。地獄で亡者たちがカレーがほしいと嘆いております。』


千手観音曰く『おいしいカレーを作り、彼らの幸福度をあげることを考えるとしましょう。おいしいカレーを作るコツまず料理の腕が必要なのは言うまでもありません。どれだけ方法が良くても、それを作る人間の腕が不足していたならば出来上がるカレーは満足のいく味にはならないでしょう。そこで私は提唱したいと思います。私千手観音の作るカレーは常人の500倍旨いわけです。しかし千手観音の1000本の腕をすべてつぎ込んだらという前提の話であって、実際にはカレーをいっぱい作らなければいけないわけですから、1000本の腕を使ってもできるカレーは1単位でしかありません。つまり1000本の腕を何分割かにして、それぞれの腕でカレーを作る。極端な話、常人の半分の旨さしかない1000単位のカレーを作るか、常人の500倍旨いカレーを1単位しか作らないか。はたして私はどちらの手段をとるのでしょうか。ヴァリジャユア、わかりますか。』


ヴァリジャユア曰く『地獄にいる人々は大変に飢えております。どのようなカレーを渡してもすべてカレーとしか認識しないでしょう。すなわち質の悪いカレーを渡したとしても彼らは喜びます。しかしもし極上のカレーを1つしか与えなかったらどうなるか。答えは明白です。彼らはカレーを巡って争うでしょう。そうなれば観音様の最も嫌う争いと憎しみが蔓延ることとなります。これはいけない。よって1000本の腕を1本ずつ使って、1000単位のカレーを作りましょう。』


観音様曰く『あなたのその答えは完全には正解とは言えません。なぜならば、地獄の亡者は1000人より多く、どれだけカレーを与えても彼らは争います。争いを起こさなくすることを考えましょう。』


オーディン曰く『ならばこうすればよい。』


観音様曰く『それは良いですね。』


オーディンは千手観音様とカレーをお作りになることにしました。


そして観音様はスポイトをお使いになり、地獄の血の池地獄に1滴カレーを垂らされました。これのカレーの滴は地獄の光が反射し、白く見えました。これが俗に言う蜘蛛の糸です。蜘蛛の糸が実はカレーだったなんて知らなかったでしょう?


これにより血の池地獄はカレーとなりました。こうして亡者たちはカレーで争うことも無くなりました。これこそが観音様とオーディン様のお知恵だったのです。


この逸話で何が言いたいのかと言いますと、1つの不純物が混ざっただけでその全体が不純なものとみられるということです。私の朋友に女子トイレ侵入魔がいました。彼は毎日毎日女子トイレに忍び込み、音を聞くことで己が快楽を満たす畜生でした。彼は幾度となくピンチに遭遇しました。ある時は女子と鉢合わせ、ある時は職員にみつかり、またある時は覗き返される。彼は観音様に相談しました。


朋友曰く『私は罪を悔い改める気も無いし、だからこそ今地獄にいるのだろう。だが、捕まらない方法はないだろうか。女の獄卒にばれて拷問されるのも嫌いではないが、見つからずに音を聞ける方がより良いとは思わないだろうか。』


観音様曰く『男女共用トイレが等活地獄にあるのでそれを利用してはいかがでしょうか。』


朋友曰く『それではだめだ。なぜならば、一度男の音を聞いてしまえば、これからのよりよい経験は全てそれによって上書きされてしまうからだ。ワインに蠅が入ったとしたら、それはもう飲む気は起こらない。』


観音様曰く『ならば男に目覚めましょう。』


朋友曰く『ありがとうございました。これにて私は道が開けたような気がします。』


このことからわかることは、不純物が入ったとしてもその不純物を愛することが結局のところその集団全体を愛することになるのではないかということです。すなわち血の池地獄にたらされた1滴のカレーは血の池地獄をカレーに変えるわけですね。しかしこの逸話にはまだ続きがあります。


ニャルラトポテフ曰く『はたしてその論理が通用するのならば、この世界全体が混沌の闇鍋だといえる。なぜならばカレーの成分が空中に帰化して世界中に分散していると考えれば、それはもうこの世界自体がカレーではないだろうか。』


ここで興味深い事例があります。糖蜜に飲まれた街をご存知でしょうか。とあるアメリカの町では糖蜜工場があり、非常に高温の糖蜜が保管されたタンクがありました。それがある日……。決壊したのです。街は糖蜜にのまれました。家や人を襲う津波となったのです。史上最悪の事故の1つとして今でも語り継がれています。その匂いは今でさえ街に染みついているとされているほど、人々の記憶には残っているのです。しかしこれは行き過ぎた人類の理性に対する天罰だと思うのです。糖質という言葉には統合失調症というダブルミーニングがあります。統合失調症患者を隔離していたことが原因で、それがいつか決壊する。妄想を妄想と切り捨てた結果、妄想が現実を侵食してきた。まるで、津波のように。この津波が人を壊し、家を壊し、大地を汚し、海と混ざり合ったわけです。この雄大なる海。母なる海に全ての妄想は還元します。この還元するまでの妄想が爆発した結果が例の糖蜜決壊と非常に似ていると考えているのです。はたして妄想とは何だったのでしょうか。何が妄想で何が推論で何が現実なのでしょうか。その答えは誰も言えませんが、はたして妄想と現実は完全に同じだと断言するのも焦りすぎです。人は人の想像力を超えることはできない。当たり前です。その想像力が暴走した結果があの『第3次世界大戦』だったのではないでしょうか。これによって人々は大量に死にました。残された人々は彼らを追悼するとともに、人間の想像力とそれを実現する装置の登場に恐れおののきました。妄想も未来もすべて現実と現在を食いつぶす怪物だということをその時初めて理解したのです。人々は未来を恐れるようになりました。未来は希望ではなく、言うならば時間の川に流される私たちを下流で待ち受ける巨大なワニです。そのワニをどうかわすか。人々はそちらに討議を尽くすようになりました。しかしその理論でさえ妄想扱いされました。未来は推測か妄想か。しかし残念なことに落ちるところまで落ちた人間は這い上がることしかできません。人々はかすかな妄想としての希望を持ってしまったのです。カレーを作る時のことを思い出してください。カレーが煮詰まってきたらこびりつかないようにかき混ぜるしかありません。かき混ぜるのをやめてしまったらこびり付き、停滞を生むからです。しかし中に入っている具達が自分たちがこびりつくのを防ぐために勝手に回るのではなく、外から無理やりかき混ぜられる。この差は非常に重要で、結局人類が停滞しないように大きな何者かの力が加えられているのではないか。つまり人間の想像力がその何者かであり、決して停滞を許さないその想像力が人々を殺し合う未来なのではないか。はたして私たちが考えていることは私たちから生まれた物なのでしょうか。私たちは何者かに思わされているということは考えられないでしょうか。ラマヌジャンという数学者をご存じでしょうか。彼は恐ろしいほどの数学的発見を何度も行いましたが、全て経過がなく、頭の中に突如として浮かんできたものだったのです。彼は断言しています。これは神様が教えてくれたものだと。本当に神様が教えてくれたのではないでしょうか。人々は論理なき思考を妄想と排除しますが、このように神様がいきなり教えてくれた思想も妄想と排除することで、人間には画期的なブレイクスルーは起こらないわけです。しかしラマヌジャンが経過を説明しなくても、次の世代の数学者が証明したわけで、人々は神様が教えた突飛な考えに対しても追い付けるように操作されているとも考えられますね。まずカレーには香辛料が大量に使われていますが、そのちょうどいいバランスというのは誰が作ったのでしょうか。カレールーを売っている会社でしょう。彼らの血のにじむような努力のおかげで私たちはカレーが食べられると考えると素晴らしいことだと思います。しかし残念なことに、カレーの色はしばしば大便にたとえられます。フロイトの理論によれば、下痢と言うのは「喪の過程」において相手を外に出し抹殺するという意味です。カレーも香辛料により細菌を抹殺するということから、この類比が必然ともいえますし、偶然とも言えるでしょう。そもそも辛い物を食べすぎると腸が刺激され下痢傾向になるので気をつけましょう。そう。カレーとは攻撃的なのです。具を沈め、かき混ぜ、停滞を許さない。すなわち強制的に変化させ続ける。放置して冷めたカレーは一度温め直し、もう一度かき混ぜます。食べる時にはとろけるように。さて、ここでカレーが下痢ならシチューは」


牛山「ここはR-18じゃない。自重するんだな。」


ミノル「はい。シチューが何かは自重しますが、二つに共通するのは放っておくと幕が張られるということです。これが意味するところは、相手を抹殺したのちには、相手はその防御策を講じるということですね。下痢は相手の抹殺を意味しますから、その対象が張る幕は防御以外の何物でもないでしょう。しかし相手は死んでいるのでその防御幕は実際が相手が張るものではなく、自分が相手が張るんじゃないかと警戒しているだけですね。本当に今の状況によく当てはまりませんか?子供が大人を狩り。大人は老人を狩り。老人は子供を狩る。相手が相手を抹殺しようとしている。本当は誰も他人を傷つけたいとは思っていない。皆疑心暗鬼にさせられているだけだ。この牛男に!!」


牛山「さあ、最後の言葉は終わりか?」


ミノル「カレーの話が終われば、次は当然サイコパスの話になる。焦りすぎだ。親父。」


ミノル「さて、親父。俺が考えたサイコパス診断するか?」


牛山「まあいいか。いいだろう。受けて立つ。」


つづく




ナン喰いたい

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