第七話『プラクティス』
「色々あった一日だった…」
ファミレスでの決意の後、ショウはダイスケの車に連れられて家路に着いた。
明日…といっても今日だが、土曜日の朝の十時に、彼らはまた車で迎えに来るという。
先にアカネが車から降りるとき、ショウの心はやや重く感じられた。一度は決心したものの、老婆から受けた激痛の記憶が心を竦ませる。
ガチャッ
閑静な住宅街にある一軒家。自分の家。
玄関を開けると、不思議と中は明るかった。既に午前三時を迎えたというのに、まさか両親が起きているのだろうか。不思議に思ってダイニングまで行くと、珍しく両親が一緒にテーブルを囲って、座っていた。しかし、ショウの目に映る両親の顔は、余り優れなかった。ショウは、とりあえず帰ってきたことを報告しようと、気まずそうに目を背けながら、両親に小さな声で「ただいま」と呟いた。
「し、ショウ…」
「…ゴク」
ショウの姿と声を見て聞いて、一瞬ビクッとする母と父。
母は、ニコやかな顔を浮かべていたが、その笑顔は何故か浮ついている。父は、自分の息子の姿を見ることも無く、素っ気無く酒をゴクリと飲んだ。
「ショウ…!」
母がショウに近寄り、手を出す。
殴られる!と直感的に思ったショウは、手を頭の上にかざし身構えた。
ショウが殴られると思ったのには理由がある。自分の母が、異常なほど門限に厳しい人だからだ。そんな母が、無断で門限を破り、しかも学生服を着た中学生が、こんな夜中になって帰って来ようものなら、鬼のような形相で折檻…文字通り『体に覚えこませる』お説教が始まるのが当然であった。ショウは振り上げられた母親の手に、ビクッと体を震わせた。
「ショウ…もう。寝なさい。ほら、ちゃんとお父さんにも挨拶して」
だが今日は違った。いつもと違う、穏やかさの篭る静かな声で自分の名前を呼ぶ。やけに…というか不自然に近いぐらい優しい。何故?幸運なのか?疑惑に揺らぐショウだったが、母親の脅威が無い事がわかると、身構えを解き、今度はテーブルの父親に目をやった。
「親父…ただいま」
「あ、ああ。ショウ、おかえり」
しがない商社で毎日営業に汗を流し、薄くなった頭髪とスーツの色が哀愁を誘う。寡黙なサラリーマンの父が、視界に入ってくる自分の息子の姿を見て小さく呟く。
「え…?」
生きて今までショウの「ただいま」に答えたことのない父親が、苦みばしる40代のしかめっ面を背けながらではあるが、初めて「おかえり」と言ったことに、ショウは少なからず動揺した。父の手元には、ガラス製の透明なグラスに大きなロックアイスが一つ放り込まれ、高そうなウイスキーのボトルが開けられていた。この高級ウイスキーのボトル。記憶がある。会社のゴルフコンペの戦利品。腕前もそれほどの父が、このウイスキーを片手に満面の笑みで嬉しそうに帰ってきたことは、当時小学校に上がったばっかりだったショウも良く覚えている。大事に、大事に、戸棚の奥に閉まって、誰にも触れさせないようにしてきた、父の宝物。
「……」
ウイスキーをコポコポと少量ずつ手酌で注いでは、水で割りもせずストレートで一気に飲む。飲んだ瞬間、父は表情を歪ませる。喉を焼くようなキツイ後味。食道を通って胃袋に落ちる時には、体中が熱を帯びるほどの度数の強いアルコール。だが父は飲むのを止めない。異常な程に赤くなった顔の火照り方から言って、どう考えても体を壊すほど泥酔している。普段は酒も煙草も毛嫌いして、営業の時以外は、アルコールの匂いを嗅ぐのも嫌な父が何故?
普段とは違う、両親の会話をショウは見守った。
そして、何度も不思議な感覚に陥った。
「母さん、氷だ。氷を」
「お父さん、いけませんよそんなに飲んじゃ。ショウが見てますよ」
「…うぅ、うるさい。ショウ!お前はさっさと寝ろ!ええい、酒だ!酒!」
「はいはい…」
両親は、割と仲睦まじい関係だった。いつもは母が、寡黙な父に代わって団欒の主導権を握るのだが…今日は、その寡黙な父が、やけに母に当たる。不思議だ。普段冷静な父に何があったのだろう。だが、とりあえず明日の事もある。お腹も一杯になったし、眠気も程ほどに出てきたので、今日は寝ようと思ったショウは、目の前でチラチラと自分の姿を見る両親に「オヤスミ」と就寝の挨拶も言わず、無言でダイニングのドアを閉め、階段をゆっくり上ると、2階にある自室へ行った。
両親は、去る息子の後ろ姿を目で追った。
そして父が、背を向けながら母に呟く。
「…行ったか?」
「ええ。よく我慢しましたね。私は途中で事実を伝えてしまいそうでしたよ」
「ちくしょう…。ショウの奴、結局最後まで何も言わないで行っちまいやがった」
「あの子が居ないと私も寂しくなるわ。寂しく…」
「母さん。俺たちには息子が…一人。ショウという息子が今日まで居た。居たよな?」
「ええ、居ましたよ。お父さん。居ましたとも…」
ショウの父は、酒の注がれるグラスを手で震わせながら、テーブルに突っ伏すように泣いた。倒れそうになるグラス。揺れるつまみの入った器。テーブルに広がる薄ぼけたスーツの色。寡黙な夫の打ちひしがれるその姿を見て、必死に耐えていた母も、もらい泣きをした。
そして二人は、煽るように酒を喰らう。
何もかも忘れるように…忘れてしまうように。
その時、ショウは知らなかった。
…両親が帰宅してすぐ。
国家の保安員と呼ばれる黒服の能力者が数人家に訪れ、両親に詳細を説明した。能力者であるショウ、今後彼が国家の監視下にあること、状況によっては拘束に近い事もするということ、両親に不自由はさせない事。
出された一枚の契約書に提示された条件は、決して全てが両親にとって不利な物ではなかった。むしろ国家から月賦で法外な金が出る。一般的なサラリーマンでは稼ぐことも難しい金額。ただ金に狂い、欲に忠実な人間ならば、喉から手が出るほど欲しい金。だが、ショウの両親は頑なに黒服に反抗した。契約書の末尾に書かれた条件。絶対無条件で受け入れなければならない。その条件が両親を怒らせたのだ。
例え微弱でも力の芽生えが見える能力者の両親が健在していた時、当事者…つまりショウという『息子が居たという』部分に関しての記憶と物的証拠が、全て抹消される事、そしてそれを口外してはならない事を義務付けられていたのだ。
思い出の物。思い出の写真。思い出の記憶。
その全てを抹消される。そんな事を認めるわけにはいかなかった。
威圧的に話す黒服に、息子をとられまいと最初は両親も反抗した。置かれた薄っぺらな契約書一枚に書かれた突然の不自由。さもすれば一人息子の誘拐に近い形のそれは、両親を過度に怒らせた。何度も怒号を発し、何度も説き伏せようと反抗した。
だが国家という一部分に住む以上、承諾は両親の感情など無視して、半ば強行的に行われる。どんな反抗をもってしても、薄っぺらな一枚の契約書に、両親はサインをするしかなかった。巨大な国家権力、それは実に抗う事の出来ない事実だった。
契約書にサインをした後、黒服の能力者が両親の額に手を置くと、時限式の爆弾を体に埋め込まれる。朝になれば、部分的に記憶を消す時限爆弾。それを逃れる術など無い。記憶が消されるまでの猶予、夜が明けるまでの数時間。両親は苦悶の表情を浮かべた。14年間、大事に育ててきた息子の記憶を噛締めながら。
…ショウは暗闇の中、深いに眠りに落ちていった。
不自然な両親の態度が、何を意味するかも知らずに。
―――――――――――――
「ざわ…く…ん!い…わくん!井沢君!」
体を揺らす力強い振動。感じる、少し肌寒い空気。
ショウの耳には、優しい声が微かに聞こえた。
「起きなさい井沢君!」
「ムニャムニャ…ムフフ…あと五分だけ」
実りきった果実のような甘い匂いに誘われて、未だ夢の世界から覚めないショウは、寝言を呟きながら、優しい声のするほうに手を伸ばした。
バシィィィィィンッ!
デジャヴ。甘い匂いに起きてみれば、頬を伝わる一筋の痛覚。昨日、ラボと呼ばれた施設で、白いベッドで寝ていた自分が、夢から覚めるとき同じように起こされた気がする。ショウは、駆け抜けるような痛覚に目が覚めた。
「ふぁっ?い、痛っつつ…」
ショウは目が覚めると、周りを見た。隣で怒る私服姿のアカネ。どこかで見たことがあるような揺れる黒い天井。透明な朝日を通しながら道路の見える窓枠。昨日体験した、二度目のデジャヴ。昨日と同じままのYシャツに学生ズボン姿。自室のベッドで深い眠りについていたはずのショウは、いつの間にかダイスケのワゴン車に乗せられていた。
「よーう!ようやく、お目覚めかぁ?お寝坊さん!」
「まったく。昨日ラボであれほど寝たのに、異常な睡眠欲だね」
「ってゆーか、そろそろラボついちゃうしー。部屋で起こすとき、起きろっての。初日から遅刻とか、まじありえねーし。新人のくせに」
「…遅刻厳禁」
ショウは、四色の声に完全に起きた。
それぞれ違う口調で、言葉を投げかけるダイスケ、トオル、カレン、リョウマ。
「君が時間になっても起きないから。ダイスケに運んでもらったんだ」
「え!?」
黒いロングコートを着ながら、眼鏡の位置を直すトオル。
「ったく、お前育ち盛りの中坊にしちゃ、軽すぎだよ。青春してる男なら、もっと筋肉つけろよな。同じ男として、情けねえぞぉ。そんなんじゃ女子にモテねえしな!がっはっはっは!」
「え!?」
上下黒いジャージ姿で、眩しい朝日に目を細めて運転するダイスケ。
「はーあ。ってゆーか、そこの女子はともかく。こんなのが私らの仲間になるなんて、大丈夫かなぁー」
「え!?」
今時のギャル風、ヒラヒラした短いスカートが印象的なカレン。
「…不安」
「え!?ええっ!?」
ピチッとしたジャケットに華奢な体を包むリョウマ。
ショウは驚くしかなかった。そして車内のデジタル時計を見た。
午前10時32分。気付けば、昨日別れ際に約束した時間を完全に寝過ごしていた。
「さーて。今日のお勤めをしますかねっ…と」
ハンドルを切るダイスケ。ふと小さく揺れる車内の中で、ショウが外に眼をやると、大きく開かれたコンクリートの道の先に地下駐車場への入り口が見える。ゲートを通って地下へと向かう黒いワゴン車。昨日は夜の暗闇でよく見えなかったが、ラボと思われる場所には、およそ100mをゆうに超えるドーム型の巨大な建物があった。
―――――――――――――
地下駐車場を降り、ワゴンの鍵を閉めると、ショウとアカネは、ダイスケ、カレン、リョウマと別れて、トオルに導かれて駐車場の先にあるエレベーターに乗った。不思議に何も無い。四方には薄いブルーの壁、そしてただ階数を示す数字の書かれたボタンが直線状に二列並ぶ。ボタンの上には積載量15人と書かれた金属製のプレート。トオルが躊躇無く34Fのボタンを押す。すると、エレベーターはワイヤーを巻き上げる機械音と供に動き出す。34階まで止まる事の無い三十秒ほどの間。ショウは、若干の緊張を背筋に感じながら、隣に居るアカネに話しかけた。
「す、すいませんでした!」
「え?」
「寝坊してしまって!」
「あ、いや。私より謝る人が他に…」
アカネは、トオルに目をやる。
「そうだね。謝るのなら僕に謝って欲しいかな」
「み、三杉…トオル…さん…でしたっけ?」
「トオルでいいよ。これからは」
「あ、はい。どうも…ト、トオルさん」
エレベーターは20階を過ぎた。
階層を示す電光掲示板を見ながらトオルが、ショウを適当にあしらう。
「よ、よーし!頑張るぞ!あ、アカネさん。一緒に頑張りましょう!ねっ?ねっ!」
「えっ?ああ、そうね。頑張りましょうね井沢君」
緊張感を跳ね除け、気合を入れるように顔にパシンと平手打ちを入れると、急に意気込み出すショウ。そんなショウを見て、アカネは如何でも良いといった感じだ。
「ついたよ。君たちの訓練場だ」
たどり着いた34階。
グワッとエレベーターのドアが開くと、そこには眼を見張る機材の数々があった。
―――――――――――――
「はい、じゃあ着替えてね。着替え終わったら訓練するよ」
34階フロアのプラクティスルームと書かれた部屋につくとまず、男女用二つに別れた更衣室で衣服を着替えさせられた。超能力者用の訓練着。水泳選手が着るような競泳用のウェットスーツに似た、ボディラインをピッチリと浮き上がらせる上下対の銀色のインナー。そして、その上には、関節部に柔軟な素材を使った一対のプロテクター。プロテクターの接合部分にカチッカチッと音を立てて、肩、胸、腰、足を覆う電子機器のついたアーマー。まるで昔の映画に出てくる、近未来の世界を取り締まる警察ロボットにでもなったかのような姿に、ショウやアカネは顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
恥ずかしさ極まるプロテクターとインナー。だが実際着てみると、ゴツゴツとした電子機器がつく見た目とは裏腹に、それほど重みは感じない。むしろ心がすっきりするような感じがする。これが超能力を引き出すスーツなのか。ショウは、更衣室を出ると、トオルに従って訓練を受けた。
始まったのは、超能力とはなんら関係がなさそうな基礎体力の向上訓練だった。
緩やかに広い場内マラソン100周、およそ2km。その後、休憩を入れて本気の50m走20回。100m走10回。腹筋、背筋を50回ずつ6セット。反復横とび8分間を5セット。途中合流したダイスケの指示で、ショウは20kgから50kgまでの重りをつけてのウェイトリフティング30分。運動嫌いで、ろくに体力も無いショウには、地獄とも思える時間だった。汗水を流しながら、指示するだけのダイスケとトオルのニヤニヤした笑いが憎たらしく見える。辛い。これほど辛い事は無かった。
だが、過酷なトレーニングにもアカネは文句を言わず。優等生らしく、悠々とやってのけた。何故そこまで一生懸命になれるのか。ショウは場内マラソンで三週遅れになりながら、基礎訓練中ずっとアカネを見続けていた。そして、反復横とび辺りから、唐突に幸せな気分になった。乱れたポニーテール、髪をかき上げるごとに落ちる美少女の汗、潤んだ瞳に、肩をあげてハァハァと乱れた呼吸の仕方。プロテクターの隙間、銀色のインナーからチラリと零れる、美しすぎる中学三年生のボディライン。
オゥ!イエス!イッツ、マニアックスタイル!マイスイートガールズルック!
ビューティーフォー&エキサイティング!
マイハート、イズ、バーニング&スパーキング!!
ショウは頭の中で、思い浮かぶだけの英語を羅列した。
訓練は物凄く辛い。でも、物凄く幸せ。
そして、午後2時頃。
遅い昼食を済ましたショウ達は、トオルから説明を受けて、汎用的な超能力の訓練に突入する。いつの間にかダイスケは居なくなっていたが、代わりにカレンが来た。カレンは、簡単な思念波の飛ばし方と、テレパシーの受け取り方を説明する。アカネは終始真面目に聞いていたが、ショウは基礎トレーニングの疲れからか、適当に聞き流した。空中浮遊、感知、認識、超能力に関する基礎知識。50分1コマの授業スタイルで、少々の休憩をしながら、4コマの受講が終わると、時刻は午後6時を周っていた。
「さてと。じゃあ今日の訓練はここまで。アカネ君、ショウ君。仕上げに君たちにやって欲しい事がある。まずはアカネ君からだな」
そう言うとトオルは、ショウを残し、アカネをプラクティスルームから連れ出し、エレベーターに乗せて何処かへ行った。授業の終わりと供に、開放感に包まれていたショウは、その光景を見て不思議に思った。
「ってゆーか楽しみ〜。あの子素質良さそうだしー」
「へっ?アカネさんが?」
カレンの言葉が意味深に響く。
そして30分後、アカネが戻ってくると、今度はショウの順番が来る。
トオルに連れられてエレベーターに乗るショウ。何をされるのだろう?疑問に抱く気持ちを抑えることも出来ずに、少々の不安と、少々の期待を背にし、エレベーターは24階へと降りていった。
―――――――――――――
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
室内に響き渡る、少年の咆哮。
声をあげる少年の目に見えるのは、真っ白な壁だけが永遠に続く広い部屋、そして数歩前に立つ銀髪の眼鏡の男が一人。
ショウは、白衣に着替えたトオルに従って、ラボと呼ばれた施設の24階の扉を潜ると、そこにある長い通路を進み、通路の先にある菱形のドアのついた妖しげな部屋に入った。
百人程度は軽く収容できそうな広い室内には、純白のウェディングドレスを思わせる真っ白な壁、床は銀色のステンレスの枠に、強固なアクリル板が網目状に並んでいた。半透明の外観から、薄らと見える床の下。電力を供給するための太く長いケーブルが、強く締められたボルトと、鋼色の金具で固定され、その先に伸びた様々な電子機器に繋がれている。
不思議な空間に若干の不安を覚えながらも、ショウはトオルに指図され、広い部屋の中にある、威圧感さえ漂う横広の楕円型が特徴的な、分厚いアクリル製の透明な球体の中に入った。球体の横には不可思議な単位の書かれた目盛り付きの計器と、まがまがしい鉄色が鈍く光る発電機。発電機の先からは数本のレバーが伸びている。
「…」
部屋の壁に響くショウの声を聞きながら、楕円型の球体の外にいたトオルは黙り、眉をひそめた。ショウが咆哮する度に、上がり下がりする計器の目盛りを見ながら、トオルは、抱えた手元の項目別に別れた書類に幾つかの数字と単位を書き込んでいった。
数字を書き込みながら、不機嫌そうにコンコンと数度、カルテに群青色の万年筆を打ちつけるトオル。調子でも悪いのか。その顔は、あまり優れない。
「ショウ君。お疲れさん。もういいよ」
トオルは発電機の先のレバーを上げた。
すると、微量の電流が流れていた球体から電気が抜け、ショウが今まで上げていた咆哮を止め、スゥ…ハァ…と静かに数度深呼吸して呼吸を整えると、球体のドアを開け、白衣姿のトオルの所までやってくる。ショウは、プロテクターを外した銀色のインナー姿で、額に浮かんだ汗を置かれた白いタオルで拭いながら、元気一杯の笑顔を浮かべて言う。
「トオルさん!俺の潜在能力値!どうですか!?」
潜在能力値。計器を見て単位を書類に書くトオル。
そう。ショウはトオルに導かれて、この部屋で自分の持っている潜在的な超能力の査定をしていたのだ。
「…まいったな。大幅な記録更新の新記録だよ。井沢ショウ君」
眉をひそめながら呟くトオル。ショウは、それを聞いてフフンと鼻で笑った。
ショウは心の中で思った。きっと自分の能力値が余りにも高すぎて、トオルが面食らっているのだろう、と。そして思わずニヤけた。なにせ今まで自分が、他の人と比べて得意な物など何も無かったからだ。運動ダメ、成績ダメ、恋愛ダメ、生活習慣ダメ、素行ダメ。何をやっても下の中あたり。ものによっては下の下もある。今までどの分野でも褒められたこともない、そんな思春期の少年が、初めて人と違う能力を聞かされ、自分から意識したのだ。嫌がっていたはずの『普通との別れ』。その感情は一変し、褒められるという期待に、少年の胸は高まり、小さな心は妄想に膨む。「俺の力、どんなものだ」と。
「うーん…そう期待されると…まあ、あんまり言いたくないんだけど」
しかし、ショウの膨らむ期待とは裏腹に、心を読んでいたトオルが放った言葉は冷酷だった。
「最低。史上最低の数値だよ。単位を入れ替えないと測定が不可なんて、こんなに微弱な数値は僕も見たことがない。こりゃ、誘ったの失敗だったかな。アカネ君があれだけの力を秘めていたんだから、ショウ君も、もう少し潜在能力があると思ったんだけど、とんだ期待外れだよ」
「ええええ!?そ、それじゃ僕の能力値って…」
「能力数値0、7。レベルH−9(エイチマイナスナイン)オーバー。そこら辺の人間よりかは、幾分かマシってところかな?まあ僕らの世界で言うと、蟻みたいなもんだけど」
「ええええええええええっ!そ、そんなぁ!ガーン!!!」
ショウは、膨らんだ期待との余りのギャップに、大きなショックを受けた。
汗を拭いていたタオルをポロッと落とし、その場に両手両膝をついて四つんばいに倒れた。床にぽつぽつと落ちる数滴の汗。そんなまさか!何一つ確証も無い自信に突き動かされていたショウは、トオルに心を読まれているのは、重々承知した上で質問した。
「ち、ちなみにアカネさんは?」
トオルは眼鏡を一度直し、書類をめくると、サディスティックとも思えるほどニヤッと微笑みかけ、ショウの質問に答えた。
「能力数値154。レベルC+4(シープラスフォー)。相当の潜在能力だよ。しかも今日始めたばかりの未訓練状態でこの数値は、まさに埋もれていた逸材だね。だから君にも期待したんだけどねぇ…」
能力値が倍どころか、桁三つほど違う。
比べれば天と地、いやそれ以上の物凄い数値の離れ方。届くはずもない。
優等生は、持つ能力まで優等生なのか!?ショウは不出来な自分を呪った。
そして次第に少年の心の中に生まれる、思春期らしい負の感情。
『どうせ数値だ、気にする事じゃない』
『本気じゃなかった。本番で本気を出せばいい』
『だいたい大人は汚い。数値だけで人の中身を見ようとする』
『僕は僕で誰かじゃない。僕は一人の人間だ!』
『授業の数学と同じだ。世間に出て超能力なんて何の役にも立たないさ!そうさ!』
事実を回避するため…認識したくないから妄想に逃げる。
自分は出来る。まだ本気じゃない。大人のルールなんかには従わない。と、落ち込む心を期待で慰める。これは病気。思春期特有の精神的疾病なのだ。自分を否定する大人を憎む。自分には力があると、カッコつけたがる。事実や理屈に対して反抗的になる。周りの実力が、努力の結果生み出されるということを知らない、愚かな病気。
「…」
トオルは、ショウの心を読んでいた。
そして、なんとなくゾクゾクと背中に走る、寒気がするほどの嫌悪の電流を感じた。思春期の少年の心の妄想を読めば読むほど、その事実への甘い逃げ口上に無性に腹が立つ。美意識の中に生きる彼の心を苛立たせる。努力の意味を良く知っているからだ。
そしてトオルは、心の中で言い訳をするショウに、よからぬサディストの一面を出した。ニィッと邪悪に微笑むと、倒れこむショウに手をポンと置き語りかけた。
「まあまあ、そう悲嘆することもないさ『能力数値1未満』君。微弱に感じられただけの、君の能力なんて最初から当てにしてないから、気にしないでくれ。君は甘いんだよ。現実を見なさ過ぎる。僕らは君にアカネ君のような数値は求めない。なぜなら、君のような心の持ち主では、絶対にたどり着けない数値だからね。基礎訓練の時も不真面目極まりない。僕の説明を一度でも真面目に聞いた事はあったかな?能力というのは、君の思うように一長一短じゃない。個人がどれだけ頑張ったか、そう。毎日の努力の結果なのだよ」
トオルの声が恐い。思わずショウは両の手で耳を塞いだ。
だがトオルの言葉は聞こえる、そして永遠に続く。
「あ、ちなみに天才的かつ優秀な僕の能力数値は301。レベルA+1(エープラスワン)。ざっと八階級上で、君の能力値の430倍だね。ダイスケがレベルBの233。カレン君がレベルBの244。君と同い年のリョウマ君でさえレベルBの246だね。どうだい?君の無力がわかったかい?これだけ優秀な人物居る中で、たった0,7の蟻のような…おっと失礼。思春期の少年に、不当に劣等感を感じさせちゃあマズイね。じゃあ、話を続けようか。次に一般的な能力者の能力数値は…」
そう。
トオルは、ショウの心に向けて直接話しをしているのだ。心の会話を遮断する方法はカレンが教えたはず。だがショウは、真面目に授業の内容を聞いていなかったため、思念波を遮断する方法を知らなかった。トオルのサディスティックな言葉責めに疲労し、顔を歪ませるショウ。
だがトオルは止めない。ショウが心から自分に許しを請う、その瞬間までトオルは止める気が無かった。お仕置き…。生意気な少年の心に、大人の余裕など微塵も感じさせないほどの、キツイお仕置きである。
「もうやめ…!やめろー!」
トオルが手を置いて語り始めてから10分くらい経っただろうか。
ショウは、言葉という残虐な凶器に、身悶えするほどの恐怖を味わった。声をあげて、眼に涙を浮かべて謝罪する。だが、トオルは再び冷酷に口を開く。
「え?なんだって?おやおや1未満君は、口の聞き方がなってないなあ。そうじゃないだろう?年上で、君のざっと430人分の数値を持つ僕に対して、能力数値1未満の君が使って良い言葉は?わかるだろう?さあ、いってごらん」
「すみませんでした…トオルさん。もう、二度と、二度とトオルさんの前で、言い訳なんてしませんから!授業もトレーニングも真面目に受けます!だから!だからお願いだから許してください!」
「そう、それでいいんだ。じゃ、今日はもう遅いから帰っていいよ。明日は午前9時からね」
さっと部屋を出るトオル。打ちひしがれながら、ショウは涙目を止めることが出来なかった。爽やかにニカッと笑うトオルの顔の奥にあるサディストの闇の深さは、少年ショウの心に恐怖を焼き付けたのだった。
「はぁ…俺、ほんとに狩人なんてやっていけるんだろうか…」
ショウは、小さく呟いた。