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第五話『モラトリアム』


自分を呼ぶ声を聞き、ベッドから起きたショウは、ふと自分の体を見た。汗に濡れた真っ赤なティーシャツ、青い(ガラ)のついたトランクス、少し汚れた黒い学生ズボン。夢から覚めた自分を現実に引き戻す、どれも紛れも無い自分の物だった。


「い、いてて…ら、ラボ?…い、一体…そ、それにあなたは誰ですか!?」


ショウ少年は痛む頬をさすりながら、銀髪の青年が映る画面に顔を近づけ、大きな声で質問した。だが青年は答えない。ショウは、もう一度問いかけた。


「い、いったい僕をどうするつもりなんですか!は、早く家に帰してください!」


だが青年が、その問いに答える事は無かった。ショウ少年は、何度も画面に大声で叫んだ。叫ぶ内に繰り返される大小の呼吸は、少年の頭の中の眠気をすっかり覚まし、酸素の運搬は脳の機能を活発にさせる。人間という者は、前後に極度のストレス状態を味うと、急激に頭が冴える。寝ている間に止まっていた記憶力や思考力などの機能がフル回転し、不安や好奇心などといった感情が封を切ったように一度に噴出すのだ。


噴出し始めた感情、目に焼きついた恐怖の記憶。見知らぬものだらけの不確定情報に怯える矮小(わいしょう)な自分の心。これで何度目だろう。ショウは、ただ画面の青年が質問に答えるのを期待して、声をかけ続けた。そうする事で沸き上がる不安が少しでも和らぐと思ったからだ。


「聞こえているんでしょう!答えてくださいよ!ねえ!」


だが画面の中の青年は答えなかった。

眼鏡の内に沈む黒い眼でショウを覗き込みながら、ただ小さくニッコリと、それでいて悪戯めいた、まるで弱者をいたぶる様なサディスティックな微笑みを浮かべて押し黙った。


ショウ少年は、画面の中の青年の微笑みと、いつまで経っても返答しない態度を見て、フル回転する思考力が導き出した、ある小さな疑問を脳裏に浮かべた。『まさか自分の声が聞こえていないのでは?』と。


たしかに液晶の画面の四隅には特別にステレオ機材などなく、くまなく室内に目を泳がせるが集音機らしきものは無い。ある物といえば、白い天上にぶら下がる薄いテレビ画面と、眩い光を放つ数本の蛍光灯。クリーム色の壁伝いには、さっきアカネが怒って出て行った黒いドアと、灰色のロッカーがポツンと一つ。部屋の縦、横、高さ、どれもショウの目測でしかないが、距離にして同じくらいの長さを持つ立方体の不思議な部屋。ショウ少年の怯える心と連動した思考力は、少しでも多くの情報を得るために各機関に指令を出し、部屋の観察を続けさせた。


不思議な立方体の部屋。クリーム色の壁を、舐めるようにくまなく探すショウ少年。

すると、壁に突起する一つの異物に気付いた。それは、壁と同じ色で備え付けられた、小さなアナログ時計だった。身を乗り出し、薄目で時計の長い針と短い針を覗くと、時間は午前1時26分を指していた。


ショウ少年は記憶を引き出した。老婆に襲われて学校に逃げ込んだのが午後6時頃、時計の時間は午前1時26分。そう、気付けば不可解な事象に巻き込まれてから、7時間ほどが立っていたのだ。ショウ少年は、眼に焼きついた明確な記憶を思い出した。屈強な警備員達、図書室の本棚、そして自分の腕をいとも簡単に破壊した異能の老婆。一瞬にして校舎に現れた能力者…老婆から狩人と呼ばれた四人組。黒いコートの銀髪、ジャージ姿のナイスガイ、ギャル風の女子、華奢な少年。爆発するブレザーのボタン。人質に取られて気絶するアカネ。独りでに浮かび老婆を襲う本。闇に飲まれる老婆。気絶するほどの激痛があった自分の腕。…腕?


ショウ少年は腕を見た。

…直っている。味わった激痛が嘘のように無い。意識をすれば両方とも簡単に動く。少年の目にもわかるような、皮一枚を残して内出血に膨らみ、筋肉繊維がズタズタになった右腕、本棚にぶつけ脱臼し、痛々しく血を流していたはずの左腕には、傷一つ、血痕一つ無い。


ショウ少年の脳は、疑問と思考の連鎖に小さな結論を添えながら、活発に動き出した。たかだか14歳の少年が、ここまで思考できるものなのか。それほど極度の緊張感を味わった結果だろうか。いつもの思い込みと、妄想の激しさが際立つ少年の影がまるでない。


「ぷっ…プワッハハハ!」


その時、噴出すような大きな笑い声が聞こえる。

静まっていた空間に、突然響き始めた笑い声に驚くショウ。


「やっぱり聞こえていたんですね!」

「いやいや、すまない。僕の悪い癖だ。謝るよ」


猛るショウ。

だが画面の青年は、怒りの篭ったショウの声と顔に驚く事もなく、ゆっくりと手を動かし、体をゆすぶるほど笑ったことでズレた眼鏡の位置を直すために、鼻に置かれた細い銀縁の支えをクイッと中指で押し上げると、悪びれることもなくショウに言った。


「フッ、試して悪かったね。君は実に思考力豊かな人間のようだ。いや何、悪気は無いんだ。本当に。少し君の心の中を見てみたかったのさ」

「え!?」

「周りを見てくれ…と言っても観察済みかな?ロッカーに君の着替えが入っているから、それに着替えてドアの外に居るアカネ君に従って、ラボの中枢まで来てくれたまえ。歓迎するよ」

「え、ちょっと待っ」


プツン。


声を遮る小さな電子音と供に、画面から青年が消えた。


「心の中を見る…?あの人は何を言っているんだ…?」


青年の言葉は不可解、不思議というか、むしろ冷静に見れば、おかしい(たぐい)の発言だ。だがショウは青年の言葉に従った。言われるがままにしておけば何とかなる、この状況を打破できるような選択肢は少年には無かった。


ガチャンと部屋に一つしかないロッカーの扉を開けると、自分のYシャツと学生服(ガクラン)が下がっていた。ショウは袖に手を通して着ると、スプリンクラーの放水に濡れていたはずのガクランとYシャツは、すっかり乾いていた。


ショウは、部屋に一つしかない黒いドアを、警戒しながら小さく押して開けると外に出た。そこには茶色の薄いマットが敷かれ、それが横に続く長く広い通路があった。長い通路の対面の壁には、鞄を持ち、顔を赤くして怒っていたアカネが居た。


「え、えっと。そ、その。せ、先輩…怒ってますか?」

「準備できたのね、さっさと行くわよ」


美人顔に沈む黒い眼が、氷のような冷徹な眼差しでショウを冷たく睨むと、プイッと反対側を向いて歩き出す。それに追随して通路を歩くショウの内心は、決して穏やかなものではなかった。


(はあ、絶対怒ってるよ……でも怒ったアカネ先輩も可愛いなぁ。なんかこう、何やってもグッと来るものがあるよなぁ。アカネ先輩は…)


ショウは、前を歩きながら揺れる黒いポニーテールからチラッと見えるアカネのうなじを見て、さっきまでの思考は何処吹く風。いつの間にか、彼の脳は思春期真っ只中の桃色に戻っていた。


――――――――――――――――――


トントントン…。


不思議に静まった通路を革靴で歩く音が聞こえる。

長い通路の両側の壁には、やたら長い長方形、小さな正方形、いびつなひし形、星のマークのような三角形、なんともデザインセンスに溢れているというか、ドアとして考えれば不思議な形状の扉がいくつも並んでいた。


コンコン…


長い通路の突き当たり、黒色のドアの前でアカネは立ち止まると、他のドアと比べれば比較的まともな形状のドアを軽く二、三度ノックした。


「反町アカネです。入ります」


ガチャ


アカネの声が放たれた瞬間、自動的に開くドア。

最近の流行の音声認識のドアか、ショウは疑問を浮かべることもなく、アカネに導かれて室内へ入っていった。



「ジャジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!14歳、思春期真っ只中の井沢ショウ君ーーーー!能力者から逃れて、青春への奇跡の復活おめでとうーーーーーー!」


パン!パンッ!


「きゃあ!」

「うわっ!?」


アカネとショウは音に驚いた。

野太く響く男の大声と供に、大きく弾ける音が二つ。

室内に入ったショウとアカネが見たのは、膝を床に突いて、クラッカーを持って満面の笑顔を浮かべるジャージ姿のナイスガイと、その横で赤面し、恥ずかしそうにクラッカーをもった、ブレザー姿の華奢な少年が居た。


「いやーはっはっはっ!復帰おめでとう!この石崎ダイスケ!心から君の無事をお祝いするぞぉー!はっはっは!安心してくれ!ここは世界にたった一つの砂漠のオアシス的ユートピア!言うならば能力者たちのパラダイス!皆がローラースケートを履いてハッピネスに走り出すパラダイス銀河さ!」


カールのかかった天然パーマにジャージ姿のナイスガイが拍手をしながら大声で言う。

声と音に心臓が飛び出るほど驚いたショウ、それに対してアカネは、冷徹な眼差しをダイスケに浴びせる。


「あ、あれ。その顔は…さ、流石にネタが古すぎたか」

「…いえダイスケさん。違うと思います…」

「うーん、今のウケなかったのか?」

「…大失敗です」

「そ、そうか!ま、ままままままあ、ムード作りに関しては天才的な、この石崎ダイスケ26歳にも失敗ぐらいあるわな!はっはっは!」

「…だから僕は反対したんですよ!」

「リョウマ!グチグチ言うのは男らしくないぞ!はっはははははっ!笑え笑え!はっはははっ!」

「…」


ダイスケは髪の毛をかきあげながら、目線をそらすように上を向き高らかに笑った。隣の華奢な少年リョウマは、ダイスケに肩を叩かれながら、顔を(うず)めるように下を向き、未だ恥ずかしさに紅潮する赤面を隠した。


「ってゆーか、駄々すべりってやつー?ははは、マジうけんだけどダイスケさん。ダイスケさんの新人への『つかみ』っていつも失敗するよねー。ギャグも古すぎるし」

「う、うるさいカレン!俺はなあ!二人の緊張を少しでも解こうとしてだな…」

「…ダイスケさん。悲しいからやめましょうよ」

「く、くぬう、物分りが良すぎるぞリョウマ!」

「ってゆーか、物分りが悪いってのも一つの才能ってやつ?」

「こ、このお!カレン!」

「キャハハッ」


ダイスケとリョウマの後ろから声。

奥の灰色のデスクに化粧道具を並べて、手製の鏡を見ながら眉毛を整え、椅子に座っていた今時のギャル風の口調で話す女子。カレンと呼ばれた制服姿の彼女に冗談交じりになじられながら、怒り食い下がろうとするダイスケ。それを必死に止めるリョウマに連れられて、二人は渋々、近くにあった椅子に座った。


「…ふふふ」

ショウは冷徹な眼差しで二人を見るアカネとは反対に、目の前で起こっているコントに、なんとなく不思議な安堵感を得ていた。


「お、来たか。おやおや、なんだいこの散らかりようは。またダイスケか。うちの馬鹿テレポーターがすまないね。二人とも、馬鹿は放っといて、こっちに来たまえ」

「馬鹿とはなんだ!馬鹿とは!」


室内の奥の小部屋からヒョイと顔を出す青年。


「あ…」


ショウは青年の顔に見覚えがあった。

そう、先ほど画面に映っていた銀髪に銀縁眼鏡の青年だ。


「いくわよ井沢君」

「は、はい」


ショウは、先を行くアカネと一緒に奥の小部屋に行った。


――――――――――――――――


奥の小部屋には、異常とも思える高級感が漂っていた。

床は、大統領でも呼ぶのかとでも思う美しい模様と肌さわりの良いペルシャ絨毯(じゅうたん)が敷かれ、壁は輝く大理石に美しいルネサンス調の絵画が数点、高い天井にはダイヤモンドを散りばめたシャンデリア風の蛍光機、二人が一歩進んで見えてくるのは、黒を基調とした柔らかそうな皮のソファーが二つに、木目から見ても高級そうな椅子や机といった家具、高そうな古書が並んだ本棚、見れば見るほど、それは豪華の極みであった。


「やあ。井沢ショウ君。さっきはすまなかったね。さあアカネ君も。そこのソファーにかけてくれたまえ」


眼鏡の青年が、価値のありそうなアンティーク物の分厚いカップを銀のトレイに並べると、まばゆい金製のポットを傾け、カップに中に入った黒い液体を注いでいく。ショウは言われるがまま、アカネと供にソファーに座ると、そのソファーの心地よい沈みぶりに思わず「ひゃっ」と情けない声をだした。無理もない。およそ毎日勉学のために座る家や学校の椅子とは、素材も何も次元のレベルが違うのだ。


「さっ、熱いうちにやりたまえ。冷厳なキリマンジャロの山の風と土が育てた、僕自慢のブルマンコーヒーだ」


ショウは、何ともいえない部屋から出る緊張感に襲われ、カップが置かれると即座に手をつけ、ビクビクと手を震わせながら、心を落ち着かせるために口へと運んだ。

カップ越しに指に伝わる熱の温かみ、湯気に混ざる見事な香り。コーヒーの匂いなのか、これは。ショウ少年の鼻腔は、湯気を吸ったその瞬間から不思議な幸福感に包まれた。その香りを一言で言えば厳格、それでいて豊満。およそ一般的なインスタントコーヒーとは比べ物にならないほどの(よど)みの無い香りの純真さ。ふいに立ち消える匂いでさえ、勿体無い気がするような高級さであった。


グイッ


豊穣な香りを鼻腔に震わせながら、ショウはコーヒーを一口飲んだ。


「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」


ショウは、何ともいえない恐ろしい苦味に顔を歪めた。

無類のコーヒー好きでさえ、香り以外の味に関しては余り関心が無い。そもそもコーヒーという物は、香りが一番で、味は二の次。軟水か硬水、香りを邪魔しない水の相性が味よりも優先される。ショウはむせる。充満するコーヒーの香りを味わいながら、存分にむせる。


「ゲホッ!!ケホォッッ!ケホォッッ!」


そう、コーヒーというのは人生に似ている。

少々の甘味を入れねば実に苦い物なのだ。


「ははは。中学生にはまだ早かったかな、この味は。なんたって水出しから始めた本格派だからね」


カップをすすりながら、少し曇る青年の眼鏡。

先ほど青年がカップに湯を注いだ場所には長い机があり、その端にはボール状の器に水が入った木製の長い物体があった。水の入った器の名前はウォーターボール。それは時間のかかる水出し用の本格的なコーヒーマシンであった。


「コホッ…コホッ…」


大きくむせるショウの隣で、手を口元に置き、青年から目線と顔をそらし、小さく(せき)をするアカネ。流石の優等生の彼女でも、この大人の味はキツかった。バレないように凛としてはいたが、内心は舌に残る苦味に嫌気すら感じていた。


「さてさて、ちょっとブレイクしたところで。早速本題なんだけど」

「は、はい」


ショウの顔は、むせすぎて真っ赤になっていたが、十分に会話が出来るようだったので、眼鏡の青年は構わず続けた。


「自己紹介が遅れたね。僕の名前は三杉トオル。君たちの世界で言う超能力者だ」

「え」


気でも触れたのか、この人は。とショウは思った。

顔立ちも悪くなく女子にモテそうな雰囲気、だが、まったくもって言動で損をするタイプというか…超能力者?そんな突拍子もない事を打ち明けられて、ショウは面食らった。


「気でも触れたのか、か。そりゃそうかもしれないね」

「!?」


ショウは動転した。今思ったことを、口に出してもいない事を悟られた!?

フフッと笑いコーヒーを飲んでトオルが浮かべる『理解している』という表情が、また不気味だった。


「井沢君、トオルさんの言っていることは本当よ。彼は能力者。そして私も」

「!?」


ショウは再び動転した。何!?アカネ先輩も超能力者!?

いったい何時まで自分は夢を見ているんだ。とショウは痛む頬に二本指を伸ばして頬をつねった。


ヒリヒリして痛い。


「夢の続きじゃないよ。これは現実さ」


また心を読まれた。本当に超能力者なのかこの人は。

いや、デタラメだ!デタラメに決まっている!きっと表情や動作から心を読み取る、読心術のような物を使っているのだと、額に汗を滲ませながらショウは思った。


「超能力者さ。このコーヒーのように本物のね」

「う、嘘だ!」

「ふーん。なかなか意固地だね君も」

「信じられるわけ無いじゃないか!」

「じゃあ君の腕は何で治ってるの?」


ショウは腕を見た、たしかに感じたあの時の激痛が治っている。


「そ、そうだ!保健の教科書に乗ってたぞ!人間の持つ再生能力のおかげさ!きっと」

「ふうん。じゃあこれはどうかな」


トオルはショウの態度に少し苛立ちを覚えながら、机の上に置かれたリモコンに手を取ると、おもむろにスイッチを押した。


ビィン


ソファーの斜め横に置かれた液晶画面が電子音を立てると、そこに白いベッドの置かれた部屋が映る。


「あ…」

「君の寝ていたベッドが見えるだろう。このテレビは受信機であり発信機なのさ」

「そ、それがなんだ!」

「少しの間、目と耳を集中させてね」


ポチッとリモコンのスイッチを押すトオル。

その瞬間、部屋にあったアナログ時計が沸き立つ火炎と黒煙を噴出しながら爆発した。粉々になった時計の部品は、壁、床にあたり転がり、ベッドには計器が四散していた。爆発はあった、だがショウの耳には音が聞こえなかった。


「どうだい?爆発する時計の音が聞こえたかい?」

「き、聞こえなかったけど…」

「じゃ、さっきの事を思い出して聞いてほしい」

「え?」


「僕はどうやって君の声を聞いていたと思う?この音が拾えない場所で」

「そ、それは何処かに集音機が…」

「君も随分観察して知ってるだろう。音を拾う集音機なんて無かったのを」

「で、でも。おかしいじゃないですか!」

「何が?」

「じゃあどうやって僕に声を届けたんですか!」



「君の心に直接、この眼で語りかけたからさ」



深く刻むような言葉と供に、シャンデリアからの偏光でキラリとトオルの眼鏡が光ると、その中から見える黒い眼に、ショウは心を奪われた。心を奪われたといっても、隣に座るアカネのように容姿や格好などの『単純なときめき』から来るものではなく、どこか同じ…黒く沈んだ色を浮かべる眼から感じる『複雑な懐古心』から来るものだった。


「フッ、やはり君も能力者。まさに、眼は口ほどに物を言う、だね」

「え…?」

「君も微弱ではあるが能力者だよ。僕らと同じね」

「う、嘘だ!」


否定する態度を続けるショウに、髪をかきあげて苛立ちを(あらわ)にするトオルは、銀縁の眼鏡をとり、テーブルに置くと、その沈む黒い眼がついた素顔をグイッと少年に近づけて話を続けた。


「君の黒い眼。普段は気付かないだろうけど、普通の人とは違うんだ」

「ま、マインドコントロールとか言う奴か!?騙されないぞ!俺は普通だ!」


「アカネ君に聞いたよ。色々と」

「何を!」


「君はお婆さんに追われながら、鍵のかかった図書室の扉を開けたそうじゃないか。これは立派な能力の開花だよ」

「き、きっと扉の立て付けが悪かったんだ!あの図書室は校舎の中でも古いから!」


「じゃあ本棚は?」

「本棚…?」


「右腕の激痛に耐えながら、君が左手一本で倒した本棚だよ。どう考えても不自然じゃないか。あの巨大な本棚を、運動部でもなければ、たいして力も強くない君が、左手一本で倒す事が果たしてできるだろうか。いやァ、出来やしないはずだ。君に能力が無ければね!」

「違う!そんなんじゃ…違う!俺は超能力者なんかじゃない!普通の人間だ!」


「君が普通の人間ならあの場で死んでいたよ!」

「そ、そんなこと判らないじゃないですか!」


自分自身、薄々感じてきている。ショウは、その納得の根拠を認めたくなかった。

ショウの態度に、トオルは顔面に力を入れると、静かにその語気を荒げ始めた。


「あの老婆は、僕たちのブラックリストにも載るほどの瘴気の能力者だった。破壊の瘴気に触れた物を自由自在に溶かしたり、心で念じた分だけ破裂させたりできる悪辣(あくらつ)な能力だ。君も見ていたはずだ。右腕が溶解し、本棚が微塵に発破されて、老婆の手に無残な警備員の膨れ上がった体が握られていたのを!」

「…!」


「君が能力者で無ければ、僕たちが救援に行くまで持たなかった。君の両腕はおろか、足は煮出したスープのようにとろけ、胸はポップコーンのようにはちきれ、腰は仕掛けた火薬のように爆発し、首は世界が逆さに見えるぐらいに折れて、頭や顔は膨らんで崩れる。無残に噴出す自分の血に抵抗も出来ずに、骨という骨、体の全ての組織を破壊されて、最後まで激痛に顔を歪めながら、意識のなくなるその時まで、君は悲鳴をあげて死んでたはずだ!」

「うっ…うっ…そっ…そんなこと…そんなこと…」


トオルの眼を見るたび沸き上がる不思議な懐かしさから、強情にも逃げるショウ。

黒い眼、昔から普通だと感じて他人と過ごしていた自分の黒い眼が、まさか超能力者の証だったなんて。脳裏に浮かぶ、ヒッヒッと下卑た笑いをする異能の老婆。本当に、殺されていたかもしれない、アカネまで巻き込んで。…少年の脳はトオルの言葉を想像し、怯える記憶を呼び覚ました。


普通でいたい。

ただ普通に友達と戯れて、ただ普通に恋をして、ただ普通に学生生活を過ごして、自分だけの青春を感じたかった彼は、その事実に眼を背けた。ついさっきまで過ごしていた普通の生活の中へ、逃げたかった。


「井沢君。もうやめなさい。何も私達は悪いことをしたわけじゃないわ。ただちょっと普通の人とは違う事が出来るだけ。運動が出来るとか、勉強が出来るとか、そういうのと、なんら変わらないわ。私達は普通なのよ」

「でも…でも…」

「私もトオルさんの目を見て同じ物を感じた。だから素直に事実を認めるのよ…」

「お、おかしなこと言わないでくださいよ先輩!」

「…おかしな事じゃないわ!事実、さっきまで私も信じられなかったんだもん」

「おかしいよ、こんなことって!どう信じればいいんだ!そ、そんなこと!」

「信じなくてもいい。今は信じなくてもいいから…」


隣に座っていたアカネが思わず声をかける。

ショウは、いつの間にか顔を紅潮させ、黒い眼は涙目になっていた。普通でいたい、と思う感受性の強い思春期の幼い心が、人を傷つけ、物を破壊する、あの醜い老婆と同じ超能力者という、その事実を否定したがる。その拒否反応から出た涙の雫は、かけるアカネの言葉を詰まらせる。


純真さ。そう、普通に純真なのだ彼の心は。


言葉に詰まる二人、そこへ(いささ)か場違いな声が飛び込む。


「おいいいいいいいいいいいいッ!いい加減、話がなげえぞ!リョウマもカレンも腹すかせて待ってんだ!そろそろ晩飯の内容決めねえと、夜が明ける前に俺たちの腹が、背中とドッキングしちまうぜぇ!そこの二人も連れてきていいから、さっさと準備していくぞトオル!」


どこか冗談めいた遠吠えを放つ声の主、石崎ダイスケ26歳。

特技、自分でムードを作るor壊す。


「ダイスケ!今大事な話をしてるんだから静かにしないか!」

「うるせーな。今日の今日で事実打ち明けられても、認めたくねえ思春期の心ってのがわかんないかね、自称天才カツカツ野郎には!何もかも知ってる優等生の話を、すきっ腹に苦いコーヒー飲みながら聞いたって仕方ねえだろうが!まずは飯だ。美味い飯を食って、は・ら・ご・し・ら・え!」


「君は本当に馬鹿だな。少年のようなナイーブな心を知らないで、良くそんな事を言えるもんだ。彼を見たまえ!泣いてるじゃないか」

「はぁ?何言ってんだトオルよぉ。こりゃ泣いてるんじゃなくて嬉しいんだよ。人と違う能力の目覚めってのは、俺も感じたが、そういうもんだろ」


ショウを見ながらダイスケの大声を遮ろうとするトオルの声。

だがダイスケは自重することもせず、ショウに近づくと、耳元でこう言った。


「おいいいいいいいいい!男なら女の前で泣くなぁ!泣くなら一人で泣けえ!こっちには腹をすかせた欠食児童どもが二人もいるんだぞ、お前が泣き止むまで待ってるわけには、いかねえんだよおおおおおお!」

「ヒッ!」


「今から俺の車で夜でも開いてる食い物屋に行くんだからな!お前も車内で頼むもの決めとけよ!わかったか?わかったよな?わかったなら、ちゃっちゃと動けええええええ!」

「は、はいーっ!」


ショウは突然耳元で聞こえる大声に、零れ落ちる涙の雫を停めた。


「おい!リョウマ!キー渡しとくから先行って鍵あけとけ!それとカレン!いつまでパタパタと粉叩いて化粧やってんだ。お前は皆を先導して、地下の俺の車の所まで行くんだよ!わかったな!?」


「…はい」

「はいはい。はい、じゃー私についてきてねー。ってゆーか、ついてこなかったら置いてくよー」


ダイスケは、ショウとアカネを小部屋の外へと出すと、ジャージのポケットから、ジャラジャラと五月蝿いキーホルダーを出し、それをそのまま待っていたリョウマに渡した。そして、カレンを先頭に、ショウとアカネを連れ出し、部屋を出て、地下にある自分の車の駐車場へと向かわせた。


―――――――――――――――――――


そして、静まり返った小部屋には、ダイスケとトオルが残った。


「ったく。世話のかかるガキんちょどもだぜ…」

「ダイスケ助かったよ。あのショウという少年。なかなか気難しいタイプのようだ」

「気難しい?へっ、お前にもあっただろう、あのくらいの頃」

「思春期か…もう遠く感じるな…」


「実際あんなもんだよ、子どもってのはな。大人の世界に夢見る割には、いつも目の前の事実に反抗するんだ。信じた期待を裏切られりゃ、妄想に逃げたがる。それでいて理屈と道理を言われりゃ、打たれ弱いガラスの心だ。だから俺達が必死になって口説いちゃいけねえのさ。程ほどの余裕を、な?わかるだろ」

「大人の余裕か。そうだな…まだ僕も若いのかもしれない」

「若いさ。俺だって若い。だから悩んで大人になるのさ。それが青春ってもんだろ?」


「そうだな…」


遠くを見るダイスケの優しい眼差しに、トオルは眼鏡をかけながら、ただ小さく呟いた。

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