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第四話『グッドナイト』

「土壇場勝利…」

「ってゆーか、波長を感じて私も驚いたよ。マジで人質が能力者だったなんてね」

「はっはっ、まあ幸運。日ごろの行いが良かったって所だな。あと俺の機転が…」

「君の機転じゃないだろダイスケ。それに、まず君がすることは反省だ」


シャァァァァ…ジリリリリリッ!


スプリンクラーからの放水、けたたましく鳴る火災報知器の音。破壊を操る異能の老婆を倒した四人組は、倒れたアカネに目線を送りながらツラツラと会話をする。


「さて、警備の増援が来るとまずい。反省の誠意として、さっさとこの五月蝿い報知器とスプリンクラーの水を止めてきてくれないかダイスケ」

「反省って…。まあいいか。俺も寒いのは苦手だからな。じゃトオル、後始末よろしく」


ビュン!


老婆を倒して間もなくして。耳障りな火災報知器の音にトオルがダイスケに指図する。ダイスケはトオルや他の二人に手を振りながら、残像を残して、再びその場から消えた。残された三人は、放水とベルが収まるのを待って、図書室の濡れた床に、ただ静かに目を(つむ)りながら気絶するアカネを担ぎ上げると、図書室から廊下へ出ようとする。


「せっ、せん…ぱい…!」


老婆がトオルの放った紋章の闇に飲まれるまで、ただ呆然とその場にへたり込み、何もすることが出来なかったショウは、見ず知らずの数人に運ばれていくアカネの姿を見て焦った。そして後を追うように、左手で首から提げた鞄を捨てて、その場から動こうとした。


「…つッ、がぁッ!痛ッッッ!」


大きく声を漏らすショウ。

立てない。立てていない。立てるはずなのに、立つことが出来ない。

立とうと思って手を動かそうと頭で考える瞬間、およそ耐える事の出来ない果てしない激痛が、波状のリズムになってショウを襲うのだ。

ギリギリ意識が飛ばないように、強く心で痛みを堪えながら、ショウは自分自身に何度も言い聞かせた。「立て、立て」と。


だが、動くための稼動機関である筋肉にまるで応答がない。ショウがどんなに動こうと脳や心で思っても、各所が微塵に震えるだけで動けない。


ふと、自分の両腕を見てショウは絶句した。


少年の両腕。パンパンに膨らんだ右腕は、皮一枚を残して筋肉の繊維が全て断絶し、ドス黒く変色した内出血が腕の中一杯に広がっていた。緊張状態による痛覚の麻痺によって、残された最後の力で鞄を投げた左手でさえ、先ほど図書室の硬い本棚を力の限り思い切り倒した結果、たいして鍛えられてもいない柔らかな幼年の拳の皮は裂けて、反動で肩の骨が脱臼し、ぷらんと下がった腕の先から、ドグドグと血が流れると床に落ち、水溜りの色を赤く染めた。


「ぐッ、ぐ、あ、ぐ、がァァァァァァァァァッ…!」


ショウは、激痛に目に涙を浮かべた。情けなく我慢も出来ず声をあげた。

痛覚。そう、さもすればショックで気を失うほど…14年間生きてきて味わった事の無い痛覚。それは、ショウ少年のまだ発達途中の小さな体と心を止め、その動きを止めるのには、十分すぎるほどの激痛であった。


ドタッ!


床に両膝(ひざ)をつくショウ。放射される水を吸って重くなる黒のガクラン。首、背筋、胸、足、手、頭、感覚の残る部分は、滲む冷気を敏感に感じた。平凡な学生生活を脅かす、今日という日に連続的に起こった不自然の連鎖。ショウは脳裏に不可解な理不尽さを感じながら頭が真っ白になっていった、治まらない激痛に、ついに気絶したのだ。


「…!」

「ちょ、ちょっと…トオルさん。あれ」


廊下に出ようとした制服姿のカレンとリョウマは、ジリリとけたたましく鳴る報知器の音に混ざる、少年の倒れる音と姿に気付いた。二人は倒れた少年をチラチラと見ながら、黒いコートにかかった水を払っていたトオルに近寄る。


「どうした君たち。何か」

「…ってゆーか、あの子ヤバくないですか?」

「…どうします?」


二人の指差す方向に倒れるショウ少年を見て、トオルは全てを悟った。


「あのねえ、どうするって君たち。僕が優秀なリーダーだからって、そういうのは誰かに言われてやることじゃないよ。今倒れたのなら選択の余地も無いだろう?じゃ。リョウマ君。いつもの通り頼むよ。その内にカレン君は、こっちの子の意識の回復を頼む」


トオルは二人に指図した。するとブレザー姿の華奢な少年リョウマが廊下から図書室へ戻り、床の水溜りを跳ねながら、ショウに近寄っていく。


グッ!


「…C4、A3、F12、T6、S77。右腕部完全欠損、これはひどい…」


リョウマは腕を掴んだ。そして青ざめるショウの顔を見ながら、腕の状態を見て驚いた。

医療的に言うならショウの症状は奇病の類。脱臼程度の左手はまだしも、内出血と筋肉組織の崩壊に膨れ上がった右腕を直すとなると、これはまさに医療の先の領域。


例えば直すためにメスで右腕の皮を深く裂けば、大量の血液が飛び出し、出血多量で死に至る。かといって体内での止血を待てば、破れた血管が詰まって心臓が止まる。右腕の機能の回復は、現代の医療では不可能であった。右腕を切断して延命できれば良いほう。その延命治療でさえ、画期的な医療器具と大量の輸血、熟知熟練の医師が数十人、そして神がかり的な奇跡が無ければ無理であった。


しかし、リョウマ少年は違った。


配合組成(コンポジッション)…!」


シュワワワワッ…


唸るリョウマ少年の髪が一瞬逆立つと、掌から放たれた緑の膜にショウの崩壊した左右の腕が包まれると、腕は見る見るうちにその形を直し、その色を戻していった。不可能、死しても当然と思われた人間の組織の回復が、まるで機械のパーツの交換を行うように簡単に直る。驚くべき光景だった。


リョウマ少年により、神がかり的な奇跡は起こったのだ。いや、その光景は現世に生きる者であれば、むしろ間違う事のない神の領域であった…!彼には、それが可能だったのだ。物体変質(マテリアルエクスチェンジ)の能力を持つ彼には。


「いつもながら見事だね。リョウマ君」

「いえ…」

「とりあえず彼も一度ラボに連れて行こう。このまま放置してもマズイし」

「はい…」


波状に削られたコンクリートの壁。散らばる本棚であった木片。数冊の本が無残に四散し、バラバラになった上質の紙の切れ端が水溜りに沈む。ジリリと鳴る火災報知器のけたたましいベル音はいつの間にか止んでいた。それに伴って際限なく辺りに放水し続けていたスプリンクラーがその息を止める。そして帰ってきたダイスケの手に引き連れられて、図書室から人気は消えた。


夜の闇に沈む校舎には、いつも通りの静寂が訪れた。


――――――――――――


「…ぇ…ぇ…ねぇ…ねえ井沢君!どうしたの!」


ショウは、誰かに呼びかけられる声に起きた。


「…え?え!?…こ、ここは!?」


グワッと体を起こすと、勢いが伝わって足場が揺れる。ショウは揺れる足場に少々たじろぎながら、腕を見た。痛みも無い、完全に直っている。

そして、老婆に襲われた記憶の緊張感の解けないまま周りを見た。灰色の格子に全天を見渡せる小窓が幾つか、天候は晴れ、しかも地平線にそびえるビルが、ゆっくりと沈む夕焼けに彩られて美しい。


「…!?」


ショウは窓の下を見る。そこには高層ビルや車の走る道路、どれも日常見たことのある風景が自然に続き、道路と柵を挟んだ内側にはアトラクションの数々があった。乗客の絶叫が窓越しからかすかに聞こえるジェットコースター。左右に振り子のように動く海賊船。家族や恋人達が並んで食事を注文するスタンド。オレンジ色と白色の混ざった長方形のベンチが数列。


ショウは、どうやらここが遊園地であることを理解した。


だとすれば、この小窓から全てを見下ろす事の出来る高さにある物は何だと考える。

そう、ショウが居るのは高みから全てを覗ける観覧車の一室だった。


「井沢君?大丈夫?」


ショウの耳に入る、若さの残る甲高く透き通る声。耳に覚えがあり、何処となくショウの心が弾む声。ショウは声の聞こえる方に眼をやった。夕焼けの逆光に照らされて、椅子に座る影の顔が確認できないが、その風体から言って間違いは無い。憧れの彼女だ。


「せ、先輩!?反町アカネ先輩!?無事だったんですか」

「無事って…?さっき観覧車に乗ってから井沢君と、ここに座っていたよ?」


ショウは、夕焼けの影に見えなかったアカネの姿を間近で見た。さっきまで図書室の床に倒れ気絶していたはずの彼女、なぜこんなところに?いや、それよりも何故、遊園地などに?ショウの疑問は顔へと現れていった。


「ぷっ、ぷくっはっはっはっ…やだ井沢君、なにその顔」

「え?」

「か〜お。そんなに顔に汗かいて、どうしたの?」

「い、いや、その。ははははははっ」

「ふふっ、変なの」


ショウは、目の前で軽く口を塞ぎながら屈託無く微笑む黒毛のポニーテールのアカネを見て頭の中が真っ白になるような気がした。ぷっくりと艶やかな唇には、普段化粧も余りしない優等生の彼女からは想像もできないほど妖艶に見える淡いピンクのルージュが二筋。見事なアイシャドーを引いた眼をそらし、窓を見ながらサラッと髪をかき上げる仕草をすると、観覧車という逃げ場の無い密室に漂い始めた爽やかで青さの残る彼女の良い匂いは、ショウ少年の思春期の心を、ほのかに、そして大胆にくすぐる。


「あ、アカネ先輩!そ、その格好は!?」

「え?これ?あはは、いーでしょー、私のお気に入りなんだー」


ショウは、微笑みながら自慢をするアカネの姿を見て思わず目をそらした。

変だ、格好も変だ。普段の制服姿からは、およそ考えもつかないほど、ボディラインがピッチリと出た服。そこから見える一つ上とは思えないほどの色香。白い柔肌を見ろといわんばかりの余りにもラフすぎる彼女の格好。スカートの下に見える、膝まで隠した黒いニーソックスと見える生の柔肌が、また思春期の少年の熱情をそそる。


(はぁ…可愛い…可愛すぎるよアカネ先輩!…犯罪的な可愛さだ…!)


我慢できず、思わず心の中で深いため息を漏らすショウ。アカネの声、姿格好、仕草、全てが自分の中で見たことの無いアカネの姿だった。ショウはアカネの姿をチラチラと見れば見るほど、自分の想像を超える結果に、その息を荒げた。


「フンフンフーン〜」


観覧車の窓枠の下のスペースに頬杖をつきながら、窓を見て鼻歌交じりに足を動かすアカネ。そして、まるで狙ったかのように足が動くとアカネの上着が揺れ、そこからチラリと見える彼女の胸元は、ショウを熱情の渦に放り込んだ。湧き出る泉の如く出始めた唾液を理性で抑えることも出来ず、ただただゴクンと喉音をたてて飲み込んだ。ショウはジッと見た、アカネの胸元を。


見えるのは手の平一つ分、大きくも無ければ小さくも無い、形の整った小さな谷間がくびれた腰の上に存在した。いつもは優等生ぶって、そんなことを億尾(おくび)にも出さないが、彼女もまた思春期。そう、背伸びをしたがる中学生らしく、少し見栄をはって胸を強調して、大き目に見せようとする。そのいじらしささえ見える格好がまた、少年の唾液を分泌させる。


マイスイートガール!パーフェクト!ビューティフォー!オーハッピーデイズ!


ショウ少年にとって、これほどの至上の極楽、至福の時は無かった。

そして見惚れるショウを尻目に、アカネが言う。


「ねえ、井沢君。聞いていい?」

「は、はい」

「何で私なんかをデートに誘ってくれたの?」

「え、ええ!?デート!?」


ショウ少年は驚いた。たしかにデートの画策はあった。だが、実際にはまだ誘ってもいないし、ショウ自身、確率の低い博打のようなものだと思っていた。だが、ここは遊園地で、目の前の彼女は本物だ。


「理由は〜?」

「うっ…」


少し子悪魔めいた質問に、思わずショウ少年は脳内を桃色に染める。落ち着き払った上品な物腰、光に沈んだ黒い眼。なんだこの満ち溢れる幸福感は。なんだこの美味しすぎる状況は。アカネに声をかけられながら、美人顔にチラリと見える胸元と、黒いニーソックスの似合う長い足に、いつの間にかショウの内にあった小さな疑問など、どうでもよくなった。ただ目の前に憧れの先輩が居て、その人が自分を見ている。アカネの質問に対して、興奮の余り曖昧な答えしか返せないショウ。


ガラガラ…


長くて短いような一周。その時間を観覧車の中で、沈む夕焼けを見ながらたそがれる二人。ショウはアカネを見ながら、心臓の高鳴りを抑えられないほど、ドキドキした。今、このときめきを抑える鎖など無い。


「ねえ井沢君。今度またデートに誘ってくれる?」

「え?え!?どういうことですか先輩!?」

「私を呼ぶときはアカネでいいわよ。井沢君」

「は、はい…アカネさん」

「ねえ落ち着いて聞いてね?私、もしかしたら井沢君…いえ、ショウ君のこと好きかもしれないの。いいえ、きっと好きなんだわ」


「ええええええええええええっ!?」


好き、という言葉にショウは絶叫した。

思わぬアカネの声に驚いて、天井の壁にガンッと頭をぶつけるほど飛び上がるショウ。

襲ってくる痛みから守るために頭を抑えるショウだったが、何故だか幸せな心が一杯で、痛みを感じない。この幸福感。達成感。ショウは心の中で言葉を爆発させた。


嘘だ!いや嘘だ!嘘かな?嘘かも。いやいや嘘だろ。え、本当?本当なの?本当か?本当だろうか?本当ッ!?でも本当であって欲しい!これは本当だ!本当!


めまぐるしく変わるショウの桃色の脳内、妄想と現実のなれの果ての葛藤は、観覧車という密室に、ただ立ちすくむショウを動転させる。それを断ち切るようにアカネが一言呟く。


「ねえ…ゥ…しよ?」

「え?」


聞こえなかった。大事な部分が。


「キ…ゥ…しよ?」

「え…?」


言葉につまりながら頬を赤らめるアカネ。だが、恥ずかしさなのか?その声は小さすぎて聞こえない。


「ィ…スゥ…ね?」

「…ッ!」


もう少しで聞こえる!声を耳に集中させろ!とショウは全神経を集中させた。


「き、キスしよ!」


アカネの声がやっと聞こえた。


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


ショウは絶叫をあげた。

頭の中の桃色の爆弾は、ついにその『キス』という名の発火装置に火をつけられて、最後の安全装置を外した。今やショウの体中を右から左から上から下まで、ダイナマイトのような爆風が駆け巡った。


「ン…」


夕焼けの落ちる光がアカネの顔を包む。

頬を赤らめながら目をとじて、ピンクのルージュに濡れた唇をスッと前に出し、ただショウの勇気を待つアカネの顔は、およそショウの考える女子像の中で最高の芸術であった。ショウは覚悟を決めた。やり方も知らない、情報も無い、上手い下手も知らない。だが、ショウ少年は慌しく震える指をアカネの肩に置くと、強く、アカネを自分の方へ抱き寄せた。


「アカネさん!!!!」


ショウが目をとじ、アカネと唇が触れる。

まさに、その瞬間であった。


バシーン!!!!


――――――――――――


「…ふが…」


ショウ少年は頬を伝わる違和感に目覚めた。先ほどの、およそ味わった事の無い痛覚に比べれば微々たるものだが、せっかくの夢を邪魔されたのだ。その心の痛みは増幅した。あれ…?夢?


「なにすんのよ、この変態ッ!!!!」


さっきまで聞いていた声と同じ音。だが今度の声は優しくない。どちらかというと怒りや憎しみ、恥ずかしさに震えるといった声であった。ショウの目に見えたのは、見知らぬ白い天上、クリーム色の壁、そしてキスの瞬間に迫ったはずの憧れの先輩。


「え?…アカネさん?…キスの続きし」


バシーンッ!


「痛ァッッ!」


アカネから繰り出される恐ろしい速度の平手の一撃。ショウの顔面の左頬を滑るように強く音の出る流し打ち。


「変態!今度やったら確実に殺すわよ!」


プイッとそっぽを向いて、怒りを露にしたアカネは外へ出て行った。ショウはやっと状況を理解した。なんとなく、出てくるアカネがおかしいと思った。やはり夢だったのか。夢だったのか。ショウは、期待にココまで膨らんだものを一瞬にしてげんなりとさせた。

そして叫んだ。


「夢なら夢で、もう少し遅ければ良かったのにー!」


白いベッドの上で、ショウは青春の儚い夢に嘆いた。


ビィン。


耳に入る電子音。すると室内の天井近くから下ろされた、テレビにスイッチが入り映像が流れる。そこには銀縁の眼鏡をかけた、銀髪の青年の顔があった。


「やっとお目覚めかい?まあとにかく私たちのラボへようこそ、井沢ショウ君」




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