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第十二話『タイトロープ』



 「お、おまえ…ど、どんな体の作りしてやがるッ!!」


 ダイスケは、焦っていた。

前歯で下唇を噛みながら、たらりと額から流れる汗は、目の前の信じがたい光景に動揺を隠しきれない彼の気持ちを代弁する。


 恐怖という感情の引き金に押され、意識を失うほどの精神力の放出に動かされたサイコランチャーから放たれた莫大な衝撃エネルギーは、確かに迫り来る赤毛の男を捉えていたはずだ。たとえば能力者だとしても、身体に関して言えば普通の人間と同じ。理解と理論の範疇で考えるならば、骨という骨が折れ、肉という肉が裂け、その全身がバラバラになってもおかしくはない。


 だがロイは生きている…!

白煙の中から僅かに見える赤い瘴気を灯らせながら、立っているのだ。


 「ふ、ふふ…あ、あなた達と違って…元々、殺し殺されが常識のスラムで鍛えられた私の体は…非常に頑丈に出来てますからね…くく…く…グッ…ガハァッ…!」


 白煙の薄らぎと供に、ダイスケたちの目に見え始めたロイの姿。

だが、その様子もまた尋常ではなかった。

紳士たる彼が着けていた黒服は衝撃に削られるように吹き飛び、上半身は無数の擦り傷に滲む赤い鮮血と、青紫色に鈍く色を放つ打撲の跡が、ダイスケ達の位置からも、まじまじと見えた。


 「し、失礼…見苦しいところを…ゴポッ…カハッ…」


 ロイが一度喋れば、胃に溜まった血流が吐血となって口からこぼれ、赤い瘴気を灯らせた右腕は、かろうじて傷が数箇所付くだけで直線を保っているが、反対の左腕は、落下した衝撃で『あらぬ方向』を向き、地につけた足は、すでに足の機能を殆ど失い。二本の松葉杖のように、ただ直立に体を支えているだけであった。


 重症だ。

虫の息…吹けば飛ぶような絶望的なダメージを体に抱えながら、必死に立ち瘴気を灯らせるロイの心中を支える物とは何か…?


 そんなことを頭の中で考えながらダイスケは、怯えた表情で竦むカレンに意識を失っているアカネを任せると、右手を構えながら仁王立ちをするロイの前に出た。そして…思わぬ行動に出た。


 「へへっ…口から血まで垂らして強がるんじゃねえよ!こけおどしに瘴気を灯らせているが…てめえの体力も精神力も、もう底の底のはずだ!撃てんのかよ!その体で!」

 「…な、なに」

 「それとも、てめえの命を落としてまで俺達とやるかい?ええっ?」

 「…」


 あからさまなダイスケの挑発は、事実をロイの体に教えるのには十分だった。

ロイの口腔内に広がる血の匂いと、鉄を舐めるような嫌な味。全身を感覚的に駆け巡る激痛の嵐。喋る事すら苦痛になっているのは事実。そんな体で、右の掌に灯した瘴気を放てば、例えダイスケ達を倒しても死は間逃れきれない。


 「そこで相談だ。俺も余り好きじゃねえが、ここは痛み分けだ。一つ互いに命を惜しんでの取引といこうじゃねえか」


 ダイスケの思わぬ行動。

痛み分け…いや、立場からすれば命乞いと言うべきか。

自分が無法の能力者を狩る立場だというのに、狩られる側の能力者を見逃し、交渉する。それは、命賭しても戦うハンターという職務において、許されざる行為であった。だが、精神力も尽き果てたダイスケの胸中には、たとえ自分が裁かれようと、背後にたたずむアカネとカレンの命を助けようという思いしか浮かんでいなかった。


 だがロイは、そんなダイスケの胸中をあざ笑うかのように、唇から流れる血を震わせ、薄気味悪い笑みを浮かべて言った。


 「ふっ、ふふ…命を惜しんでの取引…?くだらないことを聞く人だ…」

 「なんだと?てめえ、命が惜しくねえのか…!?」


 ダイスケの言葉を待たずして、ロイは瘴気が灯る右手をダイスケの方へ向けた。

袖の千切れたスーツの先から伸びる右手に揺らめく陽炎が周囲のコンクリートを焦がす。ロイの掌は、目に見える巨大な赤光を放ち始め、それまでどんな熱にも衝撃にも破れなかった特殊な加工のされた白手袋が、炎熱の瘴気の増大に従って、焦げ臭い黒炭となって地に落ちてゆく。


 ダイスケは、その光景に再び唇を噛んだ。


 「…イカれてやがる…!」


 思わず発した言葉は、相対したロイの笑みを増徴させる。


 「い、イカれてる…?これが普通なのです。どんなに傷ついても…、私は支配者マスターが居る以上…私が雇われた召使サーペントである以上…その命令は絶対に守らなければならないッ!それが、たとえ命を失う結果だとしても!」

 「クレイジーすぎるぜ…あんたも!…あんたの支配者って奴も!」

 「い、命など軽いのですよ。と、特に、我々のような使い捨ての雇われ召使サーペントのはね!ぐぐ…さ、さあ、あなたが先ですか…そ、それとも、後ろのレディ達が先ですかね!に、逃げようとしても無駄ですよ。ヒートブースト一発分の力は、残してありますからね…!」

 「く、くそやろうが…命を粗末にしやがって…クレイジーすぎるぜ、あんた等はよ!」

 「こ、殺し殺されが常識のハンターにしては、随分と軟弱な思考をお持ちで…」

 「…そうかい?へっ、へへ…俺は良かったと思うぜ。あんたみたいにクレイジーに命を捨てれないだけでもな」

 「な、なんとでも言いなさい。わ、私はただ、あなた達を殺すだけです」


 ロイの執念は、ダイスケが閉口してしまうほど強い物だった。

恐ろしいほどの支配者に対する忠節…いや義務感と言ったほうが良いそれは、ロイを死の覚悟へと誘った。


 「(チッ…どうするんだよ。逃げる前に消し炭になっちまうぜ、ありゃ)」


 どうにかその場から逃亡しようと、思考を繰り返すダイスケの眼前には、ロイの右手に灯った赤光が見えた。ロイの確固たる信念を燃料にくべたように、さらに熱を帯び、輝いてゆく瘴気。自らの死を覚悟しながら、不敵に微笑むロイに、初めてダイスケの心がたじろぐ。


 「(…この俺をここまでビビらせるとはな…正直、稀に見る怖さだぜ…)

 

倉庫街に吹きつける嫌味のように塩を含んだ海風が、顔を垂れる一筋の汗を肌に張り付かせ、背筋を冷たくする。並々と注がれた恐怖の海に、一度焦燥という名の巨大な氷塊が落とされると、怯えという海水が心に広がってゆくのを感じていた。


 「(…けて…)」


 だが、その時。

後方で発せられた、小さな思念波の声がダイスケの心に入ってくる。

小動物が助けを求めるように鳴く声は、ダイスケが良く知る人間の声であった。


 「(助けてよ…!助けて…!ダイスケさん…)」


 そう、それは、恐怖を覚えたダイスケ以上に、眼前のロイに恐怖感を抱いていた、カレンの心の声だった。恐怖に零れ始めたカレンの思念波を受け取ると、ダイスケは汗の垂れる顔面を一度手で拭い、強張っていた表情を解き、軽く口元を緩ませて、心の中で呟いた。


 「(へっ…女にそこまで期待されちゃ…張るしかねえか!この命をよッ!)」


 ダイスケは、己を取り巻く怯えを振り切った!

目の前で命を賭して迫るロイと、対等の覚悟の炎が今ダイスケにも灯された。するとダイスケは、動揺と恐怖に満ちたカレンと、苦悶の表情で気絶したアカネに向けて、誰にでも聞こえるほど大きく強い思念波を送った。


 「…カレン!俺が失敗したら、うまく逃げろよ!これがダイスケさんの一世一代の大勝負だぜ!」


 「えっ?」とカレンが驚きの思念波を送る前に、ダイスケの足はロイに向かって走り出していた。全身に残された力を振り絞り、鍛え上げられた拳をグッと強く握ると、捨て身の攻撃に出ようと、ただがむしゃらにロイの前に突進した!


 「(…おそらく奴を倒すには…これしかねえ!奇跡って奴よ、今だけでいいから起きてくれよ!)」


 ロイとの距離を詰めながら、ダイスケは冷静な思考で最後の思念波を全身に行渡らせると、考え付くべき最後の切り札を胸に、ロイの燃え盛る瘴気の渦の中へ飛び込んだ。


 「く、くく…助かりますよ…そうやって近づいてもらうと…私の移動する手間が省けるというものですよ!」


 苦痛に歪み、狂気に満ちたロイの右手は掲げられ、突進してくるダイスケを今か今かと狙い済ました。膨らんだ熱の瘴気は、今や周囲を焦がすほど爆発的なエネルギーの塊となっており、普通の人間が触れれば、一瞬にして水蒸気になってしまうほどの炎熱を含むものだった。


 「何をするつもりなの、ダイスケさん!」


 ダイスケの行動は、殆ど自殺行為だった。だが、ダイスケは止まらない。背中から聞こえるカレンの悲鳴に似た声を振り切って、炎熱の瘴気を灯すロイの懐へと飛び込んでゆく。


 「うおおおおおおおりゃあああっ!」


 二人の距離。およそ目先2mの位置で、ダイスケはレビテーションを使って跳躍した!互いの腕先が伸びれば、顔に届くほどの至近距離に、音の出るほど強く握られた右の拳を空中から直角に飛び込ませるダイスケに対して、腕を掲げたまま、大きく弧を描きながら空中を裂くように流れる、熱エネルギーの塊と化したロイの右手の赤い閃光!


 「逃れられない空中からとは…愚かですね…!死になさい!」


 リーチは完全に瘴気を伴うロイのほうが上…!

例えば相打ち狙いの突撃でも、熱エネルギーに触れた瞬間に蒸発すると考えれば、まさにダイスケのとった行動は自殺行為以外の何物でもなかった。

 だが、空中に飛び上がったダイスケは、レビテーションする思念波すら切れたのか、重力に逆らわず、方向を変えることもせず、ただ一方方向に向かって…ロイの懐へと飛び込んでゆく!


 ブゥン!


 大きく弧を描きながら、辺りの空気を巻き込んだロイの灼熱の右手が、空中に踊るダイスケの体を今まさに捉えた!


 ズドォォォォォンッ!


 けたたましい爆発音と、海風を吹き上げる衝撃が、倉庫街を震撼させ、振り下ろしたロイの灼熱の右手が、地面に突き刺さると、地響きが波打ち際に入る波を打ち返し、地面を固めていたコンクリートが熱量に耐え切れずに蒸発する。


だが、その瞬間ロイは、何かに気付いたように声をあげる。


 「しっ、しまった…!」


ロイは、慌てて振り返った。

気付いていた。

物質に当たる手ごたえが無かった。

ダイスケの体を捉えたまさにその瞬間、空気を斬るような感覚を覚えていたのだ。

だが、気付いた時にはもう遅かった。

腕を地面から抜き、振り返った顔面に重なるように現れ、目の前に映り込んだ影。

そこには、握力の篭った屈強な拳が、強烈な回転を見せながら迫っていた。


 バゴォォォォン!


 「ぐごっっ…!」


 ロイは、振り向いた方から迫るダイスケの拳を止める事も出来ず、そのまま肉が削がれるほど強固なストレートパンチを、思い切り顔面に喰らって、右手に灯した瘴気が消えてゆくのを感じながら、自らが作った蒸発するコンクリートの池の中に二回、三回と横転して、消えていった。


 ドタッ…


 空中からロイの顔面に強烈な拳を当てたダイスケは、思念波を使い切ったのか、地上に降りると膝を屈するように、その場にうつ伏せで倒れた。そして、おそらく二度と立ち上がれないロイを消え行く意識の中で見ながら、呟いた。


 「へっ…ど、土壇場で成功しやがったぜ…。至近距離空間移動ラピッドテレポート、相手にバレてたら、今のは終わってたな…。しかし、き、奇跡ってのは、わりと起こりやすいもんだよなぁ…」


 満足気にダイスケは呟くと、後ろでわめくカレンの声を聞きながら気絶した。

気付けば辺りの海風は止み、波は落ち着き、場内を照らしているライトは落ち着きを取り戻した。静まり返った辺りには、破壊された闘技場コロッセオと、肉と物質が焦げ臭い匂いを放つだけだった。




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