第九話『クライムポート』
「も、申し訳ありません支配者ロベルト!狩人に我々の場所を知られました!」
東京湾の見える倉庫街の一角に男の声が響く。
辺りは、潮の香りを含んだ冷たい夜の海風が吹いていた。
小さく波打つ波止場には、鉄とアルミで出来た波状の縦皺のコンテナが積み上げられていた。形はどれもさほど変わらなかったが、薄く黄色の文字で刻まれた番号、どこから来たのかを如実に表す様々な外国語。茶色、赤色と同色の物もあれば、若干中身によって濃色の違う青、降ろし荷がわからないように黒色に塗りたくられた妖しげな物もあった。
他の区域との差別化を計るために白色に塗られたコンクリートの上には、輸入輸出品をチェックする巨大な倉庫。敷き詰められたコンテナに邪魔され、荷を運ぶトラックが進入できない少々雑然とした小道を進むためのフォークリフトが何台も並べられ、大小さまざまな船が入港している船着場には、動くのを止めた無人の大型クレーン。その先には荷を見守り、船に指示を出す管制塔。常時フラッシュライトを辺りにばらまく灯台を兼ねた監視塔が縦横無尽に立つ。
「それは本当かね?召使ロイ」
倉庫の中。
落ち着き払った態度で目の前で謝罪する男の声を迎える、ロベルトと呼ばれた男。
大量のコンテナの並ぶ庫内には、中央にポツンとテーブルが置かれていた。
テーブルの上には直径70cmはあろうかという大皿に、こんがりと焦げ目のついた骨付きの七面鳥が山盛りに置かれ、ロベルトの左手には、良く熟成した上質の葡萄酒が入った、樽のようなジョッキが一つ握られていた。
ギシッギシッ…
特製の木製椅子が軋む音。
ロイの眼に見える、短い腕に短い足。胴長の肥満体。額に大量の汗をかきながら、脂の滴る骨付きのローストターキーにムシャりとかぶり付き、程よく焦げた七面鳥の肉の繊維と滑らかな皮をパチンと音を立てて食いちぎる。滴る脂はボタンがはちきれそうなスーツの袖やネクタイに汚らしく滲みこむ。汚く醜く、ただ目の前の肉を喰らう、その男の名はロベルト。ロベルト・マクラーレン39歳。米国FBIの元始末屋だった男である。
ロベルトは、口に残る脂を拭わずにキッとロイを睨む。
「はっ、ははっ、申し訳有りません!どうやら部下が渋谷で奴隷集めをする時に能力を解放してしまい…し、しくじったものかと」
「ロイ。幻滅だ。ワシがこの国で動ける兵隊が欲しかったとはいえ、召使の中でも有能だと思っていたお前が、ろくに統率も出来ない寄せ集めの能力者を使って、商品となる奴隷集めにしくじるとはな」
「…ま、支配者ロベルト…!」
「これで今回の商談は無しだ。200万$が泡となった。その責任は重いぞ」
「と、とんだ醜態を晒しました…」
召使と呼ばれた男。本名ロイ・ボールジャー28歳。
上背があり、高い身長と豊かな体格に漆黒のスーツを纏った赤毛のロイは、目の前の支配者ロベルトの嫌悪を模した態度に全身が震えた。かけたサングラスの奥にある青色の目は湿気を帯び、確実に焦っていた。支配者であるロベルトの『責任』という言葉に背筋が冷たくなっていくのを感じる。
「顧客用の脱出ルートは確保しておりますが…。どうなされますか支配者ロベルト」
「ここに来るのは誰だロイ」
「はっ…はっ?」
「この国の、どの超能力チームが動いているのかと聞いている」
「は、はっ。微々たる能力の発端に気付く過敏さから見て…おそらく相手は『黒い眼の狩人』かと思われます…」
「ほう。最近ご活躍の狩人か。これは面白い。どれ一つ、蹴った200万$分の余興をしようではないか。良かったなロイ。これでワシへの埋め合わせも出来るぞ」
「は、は?」
「召使ロイ。ワシの息のかかった全能力者をここに集めるのだ」
「は…はっ?」
「ワシの兵隊を黒い眼の狩人にぶつけ、ここを奴らの墓場にするのだ」
「しかし支配者ロベルト…。残念ながら、そのような時間は…」
ピッ
「お前がその時間を稼ぐのだロイ。ワシの食事の時間を邪魔して、お前わかっているのだろうな。今回の不始末は、ワシの我慢を超えているのだ。責任もって、兵隊が集まるまで、お前が時間を稼げ。それがお前への制裁だ」
召使ロイを指す、支配者ロベルト。
その瞳孔はグワッと開かれ、口元はニヤリと不適な笑みを浮かべていた。
瞬間、ロイの額から、焦りが凝縮した一筋の汗がたらりと流れる。
「他の者が受けた制裁よりは容易かろう。有能な、お前の実力次第という所だ。せいぜい時間を稼げよ。お前の命をもってしてもな」
失敗。一度きりの失敗。それまで支配者ロベルトが囲う、他の者からも有能と言われていたロイがしてしまった、ただ一つの失敗。食事時の支配者を怒らせてしまった『責任』という名の重責は、召使である彼の『命』という対価で払われるのだ。それは半ば、支配と従属の間柄にあって暗黙の了解であった。
「わかりました支配者ロベルト。み、見事に責任を果たしてみせます」
そう言うとロイは、倉庫を出て行った。
無論、断る事など出来なかった。支配者ロベルトが今まで非道に行ってきた事を思い出していたからだ。人身売買。町を歩く市民を拉致し、記憶と精神を消滅させて木偶人形を作る…奴隷として国外に売る。
いや、それだけなら、まだいい。
抵抗し、支配者の怒りを買った商品は、例え買い手がついていても『制裁』を受ける。支配者を怒らせたという、その責任を取らされるのだ。
支配者が作った様々な刑罰。恐るべき制裁の内容。
全身の痛覚が残ったまま、薄皮、脂肪、最後は筋肉を裂き、それでも生きることを強制される肢体不自由の刑。五感全てを失ったまま、何もない砂漠や森へ放り出される感覚不全の刑。弱い塩酸の入った水槽に、重りと酸素ボンベをつけたまま裸で放り込まれ、焼けていく体を感じながら、酸素が無くなるか、痛覚にショック死するか、その時まで耐え抜く全身焼成の刑。
悦に至る支配者の横で。ロイの耳に確かに刻まれた阿鼻叫喚の声。
制裁を受けてきた何十人という人間が「いっそ殺してくれ」と悲痛の叫び声をあげても、ただニヤケ顔で、安全な位置から上等の肉を喰らい、上等の酒に酔い、ただケタケタと下品に笑い喜ぶ支配者。おぞましい…凄まじい…形容する単語の羅列だけで事足りる惨劇の数々。むごたらしい惨状の記憶。ひとたび思い出すだけで胸焼けを起こし、ストレスで大量に出る胃酸が、ロイの内膜を食い破ろうとする
断れない…。断れるはずがないのだ。
「クカカカ…せいぜい頑張れよ召使ロイ。能力者同士の対決は、激しければ激しいほど、長ければ長いほど、ワシを熱狂させる。満足してしまったはず…いや、今は不満足となってしまった料理が、熱狂という名の調味料でこれとない物に感じられる。自然と食事が美味くなるのだ。有能な、お前が『責任』を果たすのだ。さぞ料理も美味かろうなぁ…クカカカ…楽しみだ」
肉を喰らう陰惨な精神の支配者。
ロベルトの笑いが倉庫に響く。
―――――――――――――
「ふーい。やっとこさ着いたか。って、寒ぅぅぅぅ!」
ダイスケの安堵の声が、倉庫街に聞こえる。
たどり着いた六人の狩人たちを、肌寒い夜の海風が冷たく歓迎する。
「ラボを出てから16分…ダイスケ。本当に君はテレポーターなのかい?」
「ってゆーか、ダイスケさん今日好調?10回切るとか今までありえなかったし」
「…9回目で成功ですけど」
「うるへー!これでも気合入れて現場に近い所にアクセスしたんだ!文句言うな!」
見慣れた四人組の掛け合い。
その中にまだ溶け込めないショウとアカネは、気楽にジョークを飛ばしあう四人に対して、黙ったまま波止場のコンクリートの大地に降り立った。
「思ったより暗いわね。夜の海って。まるで飲み込まれてしまいそう」
「・・・アカネさん?」
海風にそよぐポニーテールの先に、ふと呟くアカネの目線の先をショウは見た。
見渡す夜の海は、賑やかな光に溢れた街の色とは違い、静寂という漆黒の渦中に静まりかえっていた。湾を抜けて、遠く見える地平線の彼方まで闇は帳を張り続け、薄暗い海は黒く染まった姿に映える照明の眩しさを、ショウの眼に感じさせた。
吹く風の肌寒さ。静かな黒い海に波打つ音。眩いライト。
鼻腔をくすぐる潮の匂い。舌にホンノリと流れる海の味。
「ってゆーか、海なんて久々ー♪」
「スゥーーーッ…ハァーーーッ…ちっと磯くせえけど、悪くねえな」
「…」
「僕は嫌だな。潮気が服についてしまうよ」
始末屋。超能力者。狩人という非日常の隙間だからこそ、この一瞬の情景が五感を忙しく満たしていく。訓練ずくめだった自分達の心を懐かしがらせる。この郷愁感、うっかりすれば、皆の頭から狩人という仕事を忘れさせてしまうほど、貴重で希少な時間の体験だった。
「さっ、皆。見学はここまで、仕事だよ」
一度眼鏡を直したトオルは、テキパキと皆に指示していく。
「カレン君。精神感応網よろしくね」
「ってゆーか、トオルさん。言われる前から張ってますよー」
「そのまま続行よろしく。何か異変があったら教えてくれ」
「はいはーい」
楽観的に笑うカレン。
「ダイスケ。ほかのチームへ連絡は?」
「抜かりないぜ。まっ、優秀なテレポーターの居る、俺等が一番のりだけどな」
「口が減らないね。今度は本当にフランス料理でも奢ってもらおうかな」
「ちぇっ、二度目は無いぜカツカツ野郎」
冗談めくダイスケ。
「ああ、そうだリョウマ君。頼んでおいた例の物は出来た?」
「…試作品ですけど…持ってきました。これです」
「いつもながら流石だね。リョウマ君は仕事が速い。じゃあもらっておくよ」
「…いえ」
褒められて、少し恥ずかしそうなリョウマ。
「アカネ君。ショウ君。」
「はい」
「お、オッス…」
まだ空気に慣れていないアカネとショウに、トオルが寄る。
「君たちは、まだ自分の意思で能力を効果的に使えないから。これを持つといい」
「こ、これは・・・?」
「じ、銃?」
トオルが二人に渡した物。
丸い銃口部分から伸びた流線型の銀色のボディアーマーが特徴的な幅16cm程の拳銃。トオルの手を離れ、もらった瞬間、まず驚いたのはその軽さだった。感覚でいえば1kgあるかどうかの物体。握るグリップ部分は完全プラスチック製。弾を入れる弾倉部分は何処を探してもなく。薬莢を排出するスライドも無い。ただ流線型の銀色のアーマーが、眩しいほど二人の目に入る。
「リョウマ君お手製の思念変換銃。銃に直接思念波を流し込むだけで安全装置が外れて、君たちの精神力を変換して、大小念じた分だけ衝撃エネルギー光体を発射できるよ。最大射程は50m。照準は君たちのイメージで決まる。もし現場で能力者に襲われたら使うといい。ただ、試作品だから、壊れてしまうかもしれないし、どれだけパワーが出るかは未知数だがね」
「思念変換銃…よし!」
アカネは、銃を見つめながらグリップを強く握った。
「よし…!これなら!俺だって…!」
「おやおやゲンキンだね。せいぜい僕らの足を引っ張らないでくれよ」
「…トオルさん!そりゃないすよ!」
「期待はしたいがね。あの能力数値じゃとても…」
「俺だって訓練やってきたんだ。やれば出来るって所を見せてやりますよ!」
トオルに強気で発言するショウ。
いつの間にか、実戦を怖い怖いと思っていたショウの心に、ふつふつと闘志が沸いていた。渡された思念変換銃をまだ一発も撃っていないというのに、なぜか勝てるという根拠の無い自信が沸いてきた。
数ヶ月の訓練の中、自分特有の能力を引き出す手解きは受けたが、どれも失敗し、成功した試しがなかったショウ。能力値を図っても毎回絶望していた。そんな普通の人間+1程度のショウが、簡単に己の能力を引き出す事のできる、この銃の説明を聞けば、何とかできるのではないかと思うのも飲み込める。少年の期待は銃一つで膨らんだ。これがあれば、アカネを守れるかもしれないと。
「アカネ君の前だからって格好つけるのもいいけど。無茶はしないでくれよ」
「はい!任してくださいトオルさん!」
トオルに心を読まれているのも忘れて、恥ずかしげもなく期待を口に出すショウ。たとえ打ち倒されても起き上がる、まさに雑草の心であった。
その時。
「ッッ…!ってゆーかトオルさん、いきなりビビッと来ちゃいましたケド!ひゃぁーっこりゃ大っきぃ能力波ねー!」
叫ぶようなカレンの声が全員に聞こえる。
精神感応のエキスパート、カレンだけが使える精神感応網の能力。それは超能力者が放つ思念や、能力使用時の微々たる波動を察知する精神波の網を一帯に広げて、人間の耳で言えば、遠距離から針を落とすような、小さな音の起伏をも見つける事の出来る能力だ。
「精神感応!掴んだかカレン君、よくやった!」
「右の通路から13番目の倉庫!巨大な能力反応!ってゆーか、これ受信量ヤバイかも。ちょ、ちょっと一回、受信回線切るね」
カレンが倉庫街中に張り巡らせていた感応網に一つの大きな能力波が飛び込んだ。受信するカレンの、人間で言う耳の器官が壊れるほどに増幅するそれは、これから狩人たちが戦うであろう能力者の強大さを物語っていた。
「よし」
カレンの報告を聞いてトオルは、黒いロングコートをバサッと翻すと、皆に向けて、高らかにこう言った。
「ダイスケはアカネ君とカレン君を連れて左通路を回って倉庫の裏側!僕とリョウマ君とショウ君は正面から行くよ!皆、何かあったら互いに思念波を飛ばしあうの忘れずに!」
「おうよ任せな!さっさと片付けるぜー!」
「はーい」
「…はい」
「はい」
「はい!」
黒い眼の狩人たちは、それぞれ走り出した。
肌寒く吹く海風をきって、暗黒の帳の中へ。