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生き物の命を奪ってしまった話

作者: 猫面人

 今日タヌキを轢いてしまった。車で走っていたら右横から飛び出してきた。正面から轢いたのではなく、横にタヌキがぶつかってきたという感覚だったので、その時はバカなタヌキだなと思いそのまま買い物へ向かった。

 買い物から帰って、タヌキを轢いたところまで戻ってきた。そうしたらタヌキが死んでいた。血は出ていなかったが、何かの液体が流れていた。多分苦しんで死んでいったと思う。私が轢いたところより、少し左へ移動していた。

 仏教を信じてる訳ではないが、手を合わせた。感染症が怖かったので、レジ袋2つをそれぞれ両手に被せて左側の草むらへ移動してやった。それからレジ袋を取ってまた手を合わせた。

 もっと強くブレーキを踏んでいれば轢かずに済んだかもしれない。何にせよ、食べる目的以外で生き物を殺してしまうのは良心が痛む。

 行きたかったのであろう左側の草むらへ移動させたのはせめてもの償いだ。道路上へ置いておけばまた轢かれてしまうかもしれないし、半端な所へ移動させても中学校が近くにあるから騒がれてしまうかもしれない。なるべく見つからないような、静かな場所を探してそこに置いてきた。そのうち微生物に分解されて草花の栄養になると思う。


 

 こういう事があった。そこで生き物の命について考えた。※ここでの生き物は食用の動物を除く


 私は手を合わせたが、タヌキにとってそれはどういう意味に捉えられるのだろう。タヌキにとっては人間の宗教なんて関係ない。ましてや私は仏教を信じていない。全く意味の無い行動だったのかもしれない。

 生き物を殺してしまったら、私はいつもなるべくその生き物が食べられやすい所に移動させる。タヌキは思いつかなかったから草村の中に移動させただけだが、この間ヤモリを誤って殺してしまったときは、近くの川に流してやった。そのうち魚の餌になるだろう。食物連鎖だ。

 私は命をそんなに大事に思っていない。私が大事にしているのは私の命と私が大切に思っている者の命だけだ。でもどんなに大切にしていても、死んでしまったら“死んだらそこまで、後は何かの栄養になる”と割り切る。好きな人が死んだら悲しいけど、自分が死んでも多分ああそうかで終わらせるだろう。

 ただ私が奪ってしまった命には責任をとらなくてはならないと思う。ただし自分の命を引き換えにしてでもとるものでは無いとも思う。奪われたものには何の慰めにもならない行為をし、せめて他の何かの栄養になりやすい所へ移動させる。それで十分だと思っている。いや、それしかしてやれないのかもしれない。

そういえば買い物の帰りもタヌキ轢きそうになった。あの時間帯はタヌキが多いのかもしれない。夜行性だし。

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