Ⅶ.なぜあれほどの決断をあの歳で下せるのでしょう
「やあやあ久しい顔ぶれだ。皆くたばっとらんかったようで何よりじゃ」
「そう言うアンタは何で未だにくたばらないのかしらねえ……」
「その毒舌も相変わらずじゃな、イザベラ。小娘の時分からちっとも変わらんわい」
カカ、とおよそ少女に似つかわしくない笑みを浮かべたのは、待ち望んでいた『人形師』ピグマリオ、その人に他ならなかった。
事前に聞いていた老獪な印象は想像に違わなかったが、まさか少女の姿を借りて現れるとは誰が予想出来るだろうか。ロゼと言い、魔法使いは変わり者ばかりなのかと疑ってかかってしまいそうだ。
まあそれはさて置き。ギルドの組合員が揃って早々、さっそく思い出話に花が咲きそうな雰囲気になっている。イザベラの昔話に興味はあるが、碌に周りの人間の事も知らずに話されてもこちらは付いていけない。話の腰を折るようで悪いが、ここは割り込ませてもらう。
「ね、ねえ。おれ皆の事よく知らないからさ。やっと揃ったみたいだし教えてくれないかな? 他の人の魔法とかもっと知りたいんだ」
そう提案すると、「それもそうね」とイザベラが頷いた。
「まあさっきも聞いたと思うけど、ここにいるのは全員うちのギルド『レジデント・タスク』に所属している人間よ。元々ある所で働いてた者同士なんだけど、今は独立して私が仕事の斡旋、他のメンバーが依頼や情報収集をこなす、という風に役割分担してるって訳」
「……少ないね」
「『知る人ぞ知る』って言ったでしょ? あまり手広く広げると私の手に余るからこれくらいでいいのよ。ま、ここじゃキナ臭い出来事に事欠かないから食いっぱぐれる心配も無いし」
聞く限り、やっぱり荒事と隣り合わせな世界のようだ。
そうなると不思議なのがエンハンスの存在だ。あの挙動でそんな危険な依頼をこなす、という姿がどうにも想像つかない。
自然、目線がそちらの方に向く。
「エンハンスは……大丈夫なのか? そんな危険な仕事して」
おれの質問を受けてエンハンスは困ったように笑う。
「やっぱり僕……頼りない感じですか?」
「いや、そういうんじゃなくて! ケガしないか心配なんだよ」
そう言い直すと、エンハンスはまた柔らかく微笑む。――うん、やっぱり可愛い。
「気遣ってくれてありがとう。大丈夫……とは言い切れませんが、一応僕も魔法使いですから。それなりの心得はあるつもりですよ」
「あ、やっぱりそうなんだ。 どんな系統?」
「では、少しお見せしましょうか」
そう言うとエンハンスは杖を2回床に打ち付け、ぼそぼそと呪文を唱え始めた。
「Merge_2_Beyond, 'Latona', 'Rain_Todo'. GO.」
その言葉を合図に、杖の中の宝玉が光を放ち始めた。煌々と輝く宝玉の内側は、白い渦と化した魔力がぐるぐると動き回っている。
エンハンスは目を瞑り、宝玉へと意識を向けているようだった。ぼそぼそと呟く声も聞こえる。注意深く聞くと、どうもそれは呪文ではなく、誰かと会話をしているようだった。
「……なんですけど、出て来れますか? そんな! ……ちょっとで……はい、ごめんなさい……」
――今「ごめんなさい」って聞こえたぞ。
よく分からない呟きが途切れると、突如背後にぞっとする違和感を覚えた。
すぐさま違和感の出所に目を向けると、さっきまで何も無かった筈の空間が絵の具を混ぜ合わせたように「ぐにゃり」と捻じ曲がっていた。その歪みは拳ほどの大きさでしかないが、何故だか言いようの無い不安感を覚えるものだった。
「何……だこれ」
その歪みから目を離せずにいると、それは徐々に周りを飲み込み、ちょうど人一人ほどの大きさにまで拡大した。
すると渦はその構成を徐々に変化させ、次第に白、紺、肌色、といった様な色が目立ち始めるようになる。でたらめな構成物のようでいて、おれは何故かそれが『人間』であると知覚できた。
そして歪みから現れた物体は、空間が歪んでいった過程を逆回しするように元に戻ると――奇妙な出で立ちの少女へと姿を変えた。
実際、その姿は奇妙としか言いようが無かった。何せその女の子は頭の上に白い獣の耳があり、ふさふさな尻尾らしきものまで生えているのだから。
しかも服装も、現実、文献に関わらず全く見た事が無いものだった。驚くほど白い上着、そして段々折りになった紺色のスカート、いずれもとても上質な素材で出来ている事が分かる。
ピグマリオが場違いなら、こちらは次元違いの服装だった。
おそらくこれがエンハンスの魔法なのだろう。
異空間から人間を呼び出す。それについて思い当たる魔法使いは2種類いる。
一人は異なる空間同士を繋げて物や人を転移させる転移者。そしてもう一人は――。
「あ、紹介しますね。こちらが僕の召喚獣、レインさんです」
エンハンスがレインと紹介された女の子の隣へと移動する。すると突然、エンハンスの頭頂部に拳が打ち下ろされた。
「いたあっ!」
「獣って言うな獣って。あたしは人間だっての」
「す、すいません……便宜上そういう扱いになるものですから」
――しょう、かんじゅう……?
何だろう、文献で見た物と随分姿が違う気がする。
異世界から呼び出した獣を使役する、そういった魔法使いは一般的に召喚士と呼ばれる。『召喚獣』という単語を口にしたということは、つまりエンハンスは召喚士という事だ。
だけど、召喚で呼び出されるのはあくまで『獣』であり、こんな人間を呼び出すなんて事例は書かれていなかった。ましてや、主にゲンコツかます召喚獣なんて普通は考えられない。
レインは呼ばれて早々、目に見えて不機嫌な様子で銀の髪を弄んでいた。
「ねえ、今日友達と待ち合わせあるし早く帰りたいんだけど。どれくらいいたらいいの?」
苛立たしさを隠そうともしないレインに、エンハンスはすっかり萎縮してしまっている。
「あ、えっと、今日はこの人に紹介したかっただけなので、もう帰って頂いても大丈夫ですよ」
「すぐ帰りたい」と言ったのにも関わらず、レインはその言葉にひどく憤慨したようだ。
「はあ? そんだけ!? だったら最初から呼ぶなっつーの!」
「痛い!」
またも暴力を振るわれるエンハンスに居ても立ってもいられず、おれは思わず間に入ってしまった。
「ちょ、ちょっと! そんな気弱な女の子相手に暴力はやめようよ!」
「え?」
おれの言葉に疑問符を返すレイン……ではなく、エンハンス。
――ん? 何でエンハンスが疑問に思うんだ?
「え、えーと、僕は暴力なんて振るいませんよ? 元よりそんな力もありませんし……」
「いやそうじゃなくて。女の子は――」
ここまで言いかけて、おれは嫌な予感を覚えた。
――待て。ひょっとしておれ、とんでもない勘違いをしてないか?
言い淀んだおれに代わり、イザベラがエンハンスに核心に迫る質問を投げかけた。
「アベルはあなたの事女の子だと思ってるみたいよ、エンハンス?」
――いや、もう問い掛けでも何でも無いなコレ。答えじゃん。
「あー……またですか。女でも子って年齢でも無いんですが……毎回どうしてこう間違われてしまうんでしょう」
物憂げに溜息をこぼすエンハンスを尻目に、おれは呆然と立ち尽くしていた。
「い、癒しが……」
「癒し?」
ロゼが怪訝な顔でこちらを見るが、リアクションを返せるほどの気力は沸いてこなかった。
つかの間感じた華やかさは、霞のように儚く消え去ってしまった。
◆◆◆
「ふむ、綺麗に切断されておるな」
それから少しばかり雑談を交えた後、おれはピグマリオに右腕を診て貰う事になった。欠損具合から、義手の設計を検討する為に。
「しかしどういう経緯で腕を失ったんじゃ? 農作業中の事故にしては随分綺麗な断面だが」
「それは……」
説明しようとして、言い淀む。
「おれも、よく分からない……です」
「ちょっと、自分の事なのに分からないってどういう事よ」
おれの言葉を受けて、イザベラが声を上げる。
「いや、何が起こったかは見てるんだ。でも、どう説明したらいいか分からなくて」
「的確な言葉じゃなくても良い。感じたままを述べよ」
ピグマリオの言葉に後押しされ、おれはその時の出来事を話した。
「おれ、あの時は種芋を保管場所から畑近くまで運び出す作業の途中だったんだ。それで、作業がちょっと遅れちゃって。帰りが遅いと親父に怒鳴られるから、近道を通ろうとしたんだ。――姉さんから、『近づいてはいけない』って言われてた所に」
「ふむ」
「前は姉さんから散々警告されてたからその道は通らなかったんだけど、姉さんはその時もういなかったし、おれ、焦ってたんだ。だから悪いと思いつつもその道を突っ切って、それで――」
話しながらその時の事を思い出すと、つい先程の感覚が頭の中にフラッシュバックした。
「そう、さっきエンハンスが召喚術を唱えた時みたいな――『歪んだ』感じがしたんだ」
その言葉を聞いてエンハンスが目を丸くする。
「それは――誰かが召喚術を行使したという事ですか?」
「分かんないよ。でも多分そうじゃないと思う。誰かが現れたりとかは無かったし。で、その感覚を感じたすぐ後に、突然『目の前の景色が一変』したんだ。」
「……どういう事?」
イザベラの目に困惑の色が浮かぶ。
「だからおれには分かんないって。とにかく、こことは全然違う景色が見えたんだ。空が青くて、道が真っ直ぐ伸びてて、その両端に青々とした草が綺麗に植えられた畑が広がってて……ああそうだ。それに、道の端に石柱が間隔を空けて立ってて、その間に黒い糸が張り巡らされてたんだ。……あんな景色、生まれて初めて見た」
「それは……」
何か心当たりがあるのか、エンハンスは難しい表情を浮かべる。見れば、他の皆も一様に強張った表情を浮かべていた。
「……おれ、何かマズい事しちゃった?」
段々自分がとんでもない事をしでかしたんじゃないかと不安になってきたが、ピグマリオに「いや、良い。続けろ」と促され、おれは戸惑いながらも続きを話す事にした。
「でもそれもほんの一瞬だった。その景色はあっと言う間に窄まって、すぐ消えてしまいそうになったんだ。何でだろうな……おれ、その時その景色が消えるのが嫌で、もう消えそうになってた景色に咄嗟に……手を突っ込んじゃったんだ」
「……つまりそれが、右腕を切断した理由?」
イザベラの少し険のある問いに、無言で頷く。
「結局その景色と繋がる穴は、こじ開ける間もなく閉じちゃったよ。――おれの右腕を巻き込んで」
事の顛末を話し終えると、酒場に静寂が訪れた。
言葉にして出す事で、おれも当時の出来事の整理が着いてきた。今思えば、何て馬鹿な事をしたんだろうと思う。誰が見ても異常な物体に、よりにもよって手を突っ込むだなんて。
だけど見ず知らずの景色を前に、おれは何故か「消えて欲しくない」と咄嗟に願ってしまったのだ。その気持ちの出所が何なのか、それだけは今も分からなかった。
「……これは、僕の推測なんですけど」
メンバーの中で静寂を打ち破ったのは、先程心当たりがあるような素振りを見せたエンハンスだった。
「おそらくそこは、過去何らかの要因で時空に綻びが生じやすくなっていた場所なんだと思います。アベル君のお姉さんが警告していたのは、過去にお姉さんも似たような経験をされていたからじゃないでしょうか」
「時空の……綻び?」
「はい、僕ら召喚士は意図的に時空を歪めて、別世界との繋がりを持たせます。ですが、強力な魔法が行使された場所は時に意図せず異世界と繋がりを持ってしまう事があるんです。アベル君が見た不思議な光景も、おそらく異世界のそれでしょう。ですがそういった繋がりはとても不安定なもの。やはりお姉さんの忠告通り、そこを通るべきでは無かったのでしょうね」
「……」
「あ、あのっ、怒ってる訳じゃ無いんですよ? 魔法に理解の無い方に咄嗟に判断しろというのも難しいでしょうし!」
――おれの不注意が原因で、結果的に弟たちやロゼに負担を背負わせる事になってしまった。あの時姉さんの警告に素直に従っておけば、こんな事にはならなかっただろうに。
「おい」
「え?」
気付けば、ロゼに左手首を掴まれていた。その爪先を見ると、いつの間にか血と皮膚がこびり付いていた。どうやら無意識に頭を掻き毟っていたらしい。
「過度に自分を責めるのはお前の悪い癖だ。過ぎた事をいつまでも悔やむな。前に進みたいから、今日ここにピグマリオ翁を呼んだのだろう?」
ロゼの言葉に、窄まっていた視界が広がるのを感じた。
――そうだ。後ろを向いていても仕方ない。おれは右腕を手に入れて、いずれは使いこなせるようになって、ロゼに恩返しをする。そしていつか、弟たちの元に帰るんだ。
「――ありがとな、ロゼ。目的を忘れる所だった」
その言葉を聞いてもう大丈夫と判断したのか、ロゼはおれから手を離した。
気を取り直し、ピグマリオの方に顔を向ける。
「それで、どう……ですか?右腕は作れそうですか?」
慣れない敬語でピグマリオに話し掛けると、彼は芝居がかった仕草でふんぞり返り、「当然!」と鼻息を鳴らした(ように見えた)。実際は人形だから息なんて出るはずがないんだけど。
「儂を誰だと思っておる。稀代の人形師、ピグマリオ・キュプラスじゃぞ?この位朝飯前じゃ」
本人の知名度はよく知らないが、その言葉を聞いてひとまず安心する。
「今回は魔力の蓄積も兼ねる様にする、という話じゃったな。なれば魔力の伝導率の高い素材を使うとして……何ぞデザインの要望はあるかの? 例えば白磁の様な白い肌、瑞々しい弾力を返す肌なんぞ」
「いらない、いらない」
即座に手を振って拒否すると「つまらん奴じゃ」と舌打ちし、ピグマリオは商品の清算に入った。
「……まあ、ざっとこんなもんかの。ほれ、後見人よ。お代を払うがいい」
請求書に金額を書き込んだ彼は、ロゼの前にその紙を掲げる。「分かりました」と答え、その紙を受取ろうとするロゼを前にして、おれは咄嗟に声を上げた。
「ちょ、ちょっと待った!」
ピグマリオとロゼが一緒におれの方へ顔を向ける。
「何じゃ? やはりマシュマロの様なぷに肌にしたいか?」
「それはもういいから」
どれだけ肌にこだわるんだこのジイさんは。
そんな事はどうでもいい。おれはこの瞬間が来たらかねてより尋ねたかった事をやっと口に出した。
「おれに、何か支払える物は無いかな?」
次は9月17日(木) 8時の投稿になります。