Ⅴ.才能とは、意外な所に転がっているのかもしれません
「では、魔法についての講義を始めるか」
あれから数日後、ロゼの時間に余裕が出来たとの連絡を受けたおれは、早速魔法講座を受ける事になった。
朝の酒場はまだ営業時間外なので、講義を受けるには打ってつけだ。テーブルに本を積み上げたロゼはおれの真向かいにどっかと座り込み、講義の開始を宣言した。
「その前にセンセー。基本的な用語の解説とかはとりあえず無しにしない?」
早い所魔法を使いたい身としては、余計な手間は省きたい。そう思っての提案だったが、ロゼは眉間に皺を寄せて拒否感を露わにした。
「素人が何を言っている? 碌に本も読みこまない内から基礎を飛ばす馬鹿がどこにいるんだ」
「一応ここ数日で魔導書の内容は全部暗記したからさ。基礎的な事は把握してるつもりだけど」
おれの言葉を聞いて、ロゼは呆れたように首を振る。
「馬鹿を言うな。基礎知識の本だけで何百ページあると思っている? ホラを吹くならもっとましな物にしろ」
――1週間もあれば、あれくらいの内容は覚えられると思うんだけどな。
そう思ったが、言葉だけではロゼを説得するのは難しそうだ。ここはちゃんと証拠を示さないといけない。
「じゃあ、魔導書の内容から適当な質問を出してよ。答えてみせるから」
「……いいだろう」
おれの口振りから、デタラメを言っている訳では無いと判断したのか。ロゼはいくつかの質問をおれに投げ掛けてきた。
「呪文詠唱の開始宣言と終了宣言を答えろ」
「開始は『Func』、終了が『GO』。このいずれも省略可能である」
「終了宣言を省略する上でのデメリットを答えろ」
「魔法名を口にした時点で効果が発動するため、呪文詠唱途中でのキャンセルが効かない。『GO』を宣言するよう呪文詠唱をセットしておけば、終了宣言後に呪文効果を発動させる事が出来る」
「……魔法『Molecular_Exercise』の効果と指定出来る項目を答えろ」
「対象の分子を振動させ、温度を上昇させる。指定できるのは『対象の種類』、『上昇させる温度』、『効果範囲(mm単位)』」
3問目を答えた時に、おれはある事に気付いてロゼに質問を返した。
「今言った魔法って、最初会った時にロゼが焚き火で使ったヤツだよな。炎魔法かと思ってたけど何かそんな感じしないし、『分子』って何? 震えたら何で温度が上がるんだ?」
大人向けの本を読むと、どうしても難しい用語が出てくる。そういう言葉は読者が知っている前提で話が進むので、読むだけでは何のことかさっぱり分からない。今日はそんな言葉についてもロゼから教えてもらおうと思っていた。
ところが、ロゼは目を丸くしたままおれをじっと見るだけで、答えようとしない。魔法を使いこなせている以上、知らないはずは無いと思うんだが。
「ロゼ? どうしたんだ?」
おれからの呼びかけにロゼは「はっ」とすると、何故か難しい表情で顎に手を当てた。
「……お前、『物覚えがいい』と褒められた事はあるか?」
「ああ、姉さんがよくそんな事言ってくれたな。でも勉強をやる気にさせる為の方便だろ? そういうのって。最初は真に受けてたけど、さすがに何度も言われればお世辞だって気付くよ」
幼少時を思い返し、少し懐かしい気持ちになる。
――けど、どうしてロゼはそんな質問をしてきたんだろう。
ロゼは相変わらず難しい顔つきのまま、「育った環境のせいか……?」なんてよく分からない事を呟いている。
「なあロゼ、独り言はそれくらいにして続きやろうぜ」
「あ、ああ……そうだな。すまない」
ロゼから用語についての簡単な説明を受けたおれは、改めてロゼとの問答を進めた。
先程のような分からない単語はロゼに質問しつつ、記憶の引き出しを総動員して適宜受け答えていく。ロゼからの念入りな精査はかなり長い間続いたが、おれはその都度適切な答えを選んで返した……と思う。
もう答えるのにもいい加減疲れてきた頃、ロゼはそれまでの攻めの手を緩め、ぴたりと黙り込んでしまった。
「やっと終わったか!」とロゼの様子を伺うと、腕組みをして何か考え込んでいる。眉間に皺を寄せた様子はかなり凶悪な面構えで、別に何か悪い事をした訳じゃないのに変に身構えてしまう。
「な、なあロゼ。これだけ答えたんだ。もう実践に入ってもいいだろ? 後はアンタの許可だけなんだ」
多少ビビりつつも、テーブルから身を乗り出してロゼに訴える。
ロゼはしばらく渋い表情で沈黙していたが、やがて根負けしたらしく不承不承といった様子で許可を出した。
「いいだろう。……正直お前がここまで記憶力がいいとは予想外だった。それだけで魔法使いの素養は十分満たしていると言ってもいい」
「そんな、大げさだよ。ただ本を丸暗記するだけで魔法使いになれるんなら誰でもなれるじゃないか」
そう言うと、ロゼは何故か軽く笑い、おれに賞賛の言葉を投げ掛けた。
「その『丸暗記』がまず普通の人間には鬼門なんだ。お前の姉上が言った褒め言葉は世辞でも何でもない、れっきとした事実だ。そこは胸を張っていい」
「え、あー……そ、そうなんだ」
姉さん以外の人に褒められるなんて、多分これが初めてだったんじゃないかと思う。こういう時どう答えたらいいのか分からず、おれはつい煮え切らない返事をしてしまった。
「じゃ、じゃあさ! 早速魔法の実践しようぜ! おれ炎起こす奴使いたい!」
「言っておくが、まだ魔法は使えんぞ」
変なテンションのまま勢いで言った発言は、ロゼからあっさり却下されてしまった。
「まずは魔力を溜める所からだ。碌に魔力が無い状態で呪文を唱えようものなら、生命力まで持って行かれてミイラ化する羽目になる」
「ああ、それがあるんだよなあ……何か少ない魔力で唱えられる呪文とか無い?」
「横着するな。基礎を怠る者は足元を掬われるぞ」
「はーい……」
そう。魔法を唱えるにも手順がある。その最も基本となる事が魔力の充填だ。
本によれば、魔力の溜め方は人それぞれに合う方法が違うらしい。杖にはめた宝玉とか、髪の毛とかに充填するのが一般的らしいけど、それが自分に合うかどうかはまた別の話だ。さすがにそういった相性までは本を読んでも分からない部分だった。
「ロゼはやっぱり髪の毛に魔力を溜めてるの?」
「ああ」
そう言い、ロゼは一まとめにした三つ編みの房を右肩から前へ垂らす。
「何でそこに溜めようって思ったの?」
「何で……か。うちの血筋が代々そうしていたから、としか言えんな」
「そっか。うーん……」
先代というモデルがあれば決めやすいんだろうけど、あいにくうちの家系は魔法使いでも何でもない、ただの農家だ。参考にしようも無い。
「何かこう、魔力を溜める部分を決める方法って無いかなあ」
「そうだな……」
ロゼは目線を上に移動して少し考え込むと、おれの方に向き直ってこう提案してきた。
「『溜める』、『埋める』、または『刻み込む』という言葉からイメージしやすい物を探してみてはどうだ?」
「言葉からのイメージ……ねえ」
「例えばイザベラの腕の入れ墨。あれは魔力を体に刻み込む、というイメージから彫られたものだ。魔力を溜めこむ時は、彫られた時の痛みをイメージしていると聞く」
意外な例が上がり、おれは思わず声を上擦らせた。
「え、イザベラも魔法使いなの!?」
「ああ。一応あれでも傭兵ギルドのオーナーだからな。そこいらのゴロツキなら軽くいなせる程度の実力はある」
「はあ~……」
こんな治安の悪い場所にも関わらず女一人で切り盛り出来る事は常々疑問だったが、なるほど、それなら納得がいく。
「そっか。あの入れ墨にもちゃんと意味があるんだな。確かに入れ墨ってイメージしやすいかも」
けれど、おれはロゼからの提案を聞いた時に真っ先に思いついた物があった。『溜める』『埋める』『刻み込む』の内、『埋める』に値する物。だけど、それは同時に形の無い物でもある。
――魔力で埋められる物なんだろうか?
出来ない可能性の方が高かったが、聞く前から諦めるのも勿体ない。ダメもとでロゼに聞いてみる事にした。
「なあ、ロゼ――右腕を魔力で補う事って出来るかな?」
ロゼは一瞬驚いた様子だったが、すぐに渋い表情を浮かべた。
「それは相当練度の高い魔法使いにしか出来ない芸当だぞ。およそ現実的とは言えん方法だ」
「やっぱそうだよなあ……」
分かっちゃいたが、改めて言われるとやっぱり凹む。
「まあしかし、魔力を溜めるという観点としては有りだな。欠けたものを埋めるというイメージなら、最近まで右腕があった分魔力の蓄積もしやすいかも知れん」
「でも無理なんだろ?」
「魔力を具現化するような方法はな。だから、『代わりの腕』を用意してはどうだ?」
「代わりの……腕?」
「そうだ。棒でも何でもいいが、右肩に仮の腕を取り付け、右腕に見立てる。そこに神経を通すようなイメージで魔力を蓄積するんだ」
――代わりの腕。
それは考えてもみなかった事だった。今まで腕を取り戻す事ばかり考えていたが、その方法なら、腕を再生するよりよっぽど早く当面の問題を解決出来るんじゃないだろうか。
「その仮の腕を操ったりは出来ないかな?」
「それは……お前の資質次第だな」
そう言い、ロゼは神妙な顔つきになる。その表情からして、実現の可能性はかなり低そうだ。
「扱う魔法についても向き、不向きがある。物の操作を得意とするような魔法使いならそれも容易だろうな。ちなみに俺は無理だ」
「へえ。じゃあロゼの専門分野って何なの?」
何気なく聞いたつもりだったが、ロゼは何故かこちらを呆れたような顔で見つめている。
「お前……自分が何で助かったか分かってるか?」
「え?」
一瞬質問の意味が分からなかったが、よくよく考えればおれはとっくに死んでいたはずの状態から復帰しているのだった。あの時は色々な状況が重なって深くは考えなかったが、今その不自然な状況を説明するなら、それはもう『魔法』しか思いつかない。
「えっ、もしかしてロゼって治癒者なの!?」
「何だその意外そうな口振りは」
おれの言い方が気に障ったのか、ロゼは不機嫌そうに眉を寄せる。
「いや、だって火を起こしたりゴロツキの頭に変なコブ作ったり、回復っぽくない魔法ばっか使ってたじゃないか」
「あれも一応回復、補助魔法の応用だぞ。『Molecular_Exercise』は本来冷えた体を温めるための呪文だ。ただし、俺の魔法は若干改良して温度上限を高くしてある。それこそ発火するレベルまでな」
「ゴロツキに使った奴は?」
「それは『Heal』、つまり回復魔法を俺なりに改良したものだ。本来回復すべきでない部位を活性化させることでああいった効果を引き起こしている」
ロゼは治癒者とは名ばかりの、随分凶悪な魔法改造をしているようだ。いや、そうでもしないとここの環境では生き残れないのかもしれない。
「でも意外だなー。おれてっきりロゼは魔導士だと思ってたのに」
「何故そう思う」
「いや、だって見るからに『攻撃主体』って見た目だし……というかむしろ肉弾戦上等って感じだし」
「人を見かけで判断するな。それに、肉体的な素養と魔術的な素養はまた別の物だ」
「ふーん……そういう物か」
確かに、人は見かけに依らない。――あの日記の内容にしてもそうだ。
――治癒者か。そう言えばロゼリア王女って人も治癒者だったな。やっぱりロゼと何か関係あるのか?
「ふあぁぁあぁぁ……」
ふいに、階段側から大きな欠伸の声が聞こえた。それと共に、階下へゆっくりと降りる規則的な足音が聞こえてくる。
「おっはよぉ……あなた達早いわねえ」
2階から降りてきたイザベラは、まだ眠気の冷めやらぬ顔でおれ達の前に姿を現した。
「もう昼前だよイザベラ」
「夜の仕事が遅いと朝も遅いのよ。どう? お勉強は順調?」
「ああ、すこぶる順調だ。予想以上にこいつは地頭が良い」
ロゼの発言を受けて、イザベラは意外そうに微笑む。
「へえ、ベタ褒めじゃない。身内びいき、って訳でも無さそうね」
ここでロゼは、イザベラの方に体を向けると少し引き締まった面持ちでこう口にした。
「それで頼みがあるんだが、ピグマリオ翁に連絡を取り次いで貰えないだろうか」
「え? どうしたのよ急に」
「ああ、こいつの右腕の替わりになる部品を作って頂きたいんだ」
そう言い、ロゼはおれの右腕部分に視線を移す。話の流れがよく分からず、おれは二人の会話に割り込む事にした。
「え、部品ってどういう事?」
「ああ、さっき話したお前の代わりの腕の事だ。ピグマリオ翁は人形師でな。それも名の通り、人形の製作も生業の一つとしている御方だ。彼なら、お前に合う代物を作れるだろうと思ってな」
人形師とは、魔法使いの中でも人や物の操作を得意とする人物の総称だ。しかし、話を聞く限りその人は本当に人形を使役する人物のようだ。そんな専門家に自分の右腕を作って貰えるなら、それは願ったり叶ったりだ。
イザベラは少し驚いた様子でロゼをまじまじと見ると、一つの警告を出した。
「あなた自らあの変人に連絡取りたがるなんてねえ……多分呼んだら、もれなく愉快な仲間たちも付いてくるわよ。それでもいいのね?」
「……覚悟の上だ」
それを受け、ロゼは重苦しい表情で答える。
――何だ? 愉快な仲間たちってのはそんなに厄介な存在なのか?
状況が掴めないまま、おれ達はそのピグマリオ翁とやらの返事を待つ事になった。