Ⅳ.油断も隙も無い方です
夜半過ぎと言っていた通り、ロゼは日が落ちてもまだ戻らなかった。
「ねえ、ロゼがあとどのくらいで戻るか分かる?」
『ごめんなさい……私の方からマスターの状況を把握する事は出来ないんです』
タルパが申し訳なさそうに答える。
「そうか……」
「ふあぁ」と欠伸が漏れる。帰って来るまでは起きていようと思ったが、眠気には勝てそうにない。
「おれ、そろそろ寝るよ。ロゼが帰ったらベッドで寝ろって言っといて」
『え、ですが』
「元々ロゼのだろ、それ。居候はここで十分」
おれが住んでいた家と比べれば、ここは隙間風が吹き込まない分立派なものだ。ベッド横の木の床に体を横たえると、おれは『形』として記憶していたロゼの日誌を頭の中で読んでみる事にした。
――――
『お父様、本日ここで暮らし始めてから2年が経過致しました。
近頃は傭兵業にもようやく馴染み、嬉しい事に私を贔屓にして頂ける方も出来ました。ここに流れ着いた頃と比べると大きな進歩です。
自ら危険を伴う職務に志願する事はとても勇気のいる行いでしたが、恵まれた体のお陰か大きな怪我も無く今も五体満足で生きております。
仕事の傍ら情報収集も行っていますが、昨日の祭典にも『ロゼリア王女』は御台覧あそばされていたそうですね。そこにいる彼女が今も『ロゼリア王女』を上手く演じられているという証拠なのでしょう。
近頃は他国との争いも小康状態で大きな戦も無く、ロゼリア王女が真に必要とされる機会は訪れていません。ですが、もし仮にこれから大きな戦が始まった時、彼女は果たして自分の役割を全うしてくれるのでしょうか。私はそれが気がかりでなりません。
戦が起きないに越した事はありませんが、おそらくこの小康状態も長くは続かないでしょう。彼女が有能な治癒者である事を願って止みません』
――――
「……何だこれ?」
『何か言われましたか?』
「ああいや、ただの独り言」
日誌には、父親に宛てた近況報告と、『ロゼリア王女』なる人物に対する懸念が書き綴られていた。
寝る前の楽しみに取っておいたはいいものの、いざ読み始めるとその内容には首を傾げるばかりだった。
ロゼの事情は知らないから手紙の内容は置いておくにしても、文面の中のロゼはいつものぶっきらぼうな印象とは随分かけ離れているように思う。何というか、繊細なのだ。日誌にしては随分かしこまっているというか。
――もしかして元はどこぞの御曹司なのか?ロゼって。
ロゼは今の所イザベラの酒場に転がり込んで傭兵業をやっているという事しか知らないが、この日誌でますます謎が深まってしまった。
◆◆◆
「……あれ?」
翌朝目が覚めると、おれはいつの間にかベッドの中にいた。
――ロゼか。余計な気遣いはしなくていいっていうのに。
そう思い壁際に向けていた体を反転させると――ロゼの顔がすぐ目の前にあった。
「うわあああああああああっ!?」
思わず布団から飛び出すと、ロゼはのっそりと上半身を起こし不機嫌そうな表情をこちらに向けてきた。
「何ですか朝から騒々しい……」
「いや騒々しくもなるよ! 何でおれと寝てるんだよ! 床に寝てただろおれ!」
ロゼはまだいまいち頭が回っていないようで、頭を押さえてしばし沈黙していた。
やがておれの言わんとする事を理解すると、眠気に目を細めたまま理由を話した。
「……ああ、お前が床で寝てて邪魔だったからベッドに移動したんだ」
「邪魔なら邪魔で起こしてくれよ! 言われれば移動するから!」
「随分寝入っていたようだから起こすのに躊躇してな……言われた通りベッドで寝たから文句は無いだろう」
「これならまだ叩き起こされた方がマシだったよ! おれもう13だぞ!? 何が悲しくてオッサンに添い寝されなきゃなんないんだよ!」
おれの言葉に対し、ロゼは眉間に皺を寄せ反論する。
「俺だって男と寝るのは抵抗がある。だがお前の『ベッドを譲る』という好意も無碍には出来ん。折衷案で仕方なくそうしたのに文句を言われるとは心外だ」
「まずおれを寝かせるって発想から離れてくれよ!」
叫びすぎて息切れを起こし、ぜえぜえと荒い呼吸が漏れる。
ロゼはそんなおれの息が整うまで律儀に待つと、ぽつりと言葉を零した。
「……まあ本音を言うとな、これはお前への仕返しも兼ねた嫌がらせだ」
「は?」
「お前、昨日注意した端から俺の日誌に手を付けただろ」
ぎくり、と体が強張る。
「え、えーとタルパが伝えたのかな?」
「いや、タルパには差し迫った危険が無い限り連絡は取らないよう命じてあった。だが、タルパが稼働中の動向はヒトガタに自動的に記録されていてな。俺がヒトガタに触れる事でタルパが見聞きした事を読み取れるようになっている」
タルパって想像以上に有能な精霊なんだなー……って関心してる場合じゃない。
「『忠言を無視して人の持ち物に手を付けるなど、あなたに掛けた信頼を裏切る行為ですよ?』……だったか?アベル」
ロゼはいつにない笑顔で昨日のタルパのセリフを口にする。普段が仏頂面なだけにそれが余計に恐ろしい。
――やばい、大分怒ってるぞこれ。というか下手したら魔導書読んだ時より怒ってないか?
しかしこんな状況だというのに、おれの好奇心はある人物についての疑問を尋ねずにはいられなくなっていた。
「あ、あのさ。その日誌の事で質問があるんだけど」
「ほう!この期に及んで更に俺の内情に首を突っ込むか。面の皮が厚い奴だな」
ロゼはおれの眼前にずい、と顔を近づけ睨みをきかせる。
「言うだけ言ってみろ。俺がそれに答えるかは別としてだ」
その迫力に気圧されそうになるが、その程度で留まるほどおれの好奇心は大人しくない。多少どもりながらもおれはしっかりとその質問を口にした。
「じゃ、じゃあ聞くけど……『ロゼリア王女』って誰?」
その言葉を聞いた瞬間、ロゼは大きく目を見開き表情を強張らせた。
尋常じゃ無いその様子にこちらも硬直していると、ロゼはおれからゆっくりと顔を離し、低い声で問いを発した。
「……どこまで見た?」
『どこまで』というのは日記の内容についてだろう。
その危機迫るような表情を見て、おれは今更ながら「触れてはいけない領域に触れたのかもしれない」と思い始めた。
「えっと……最初の2ページだけだよ。それ以外は一切読んでない」
「偽りは無いな?」
「うん」
「……そうか」
ロゼは明らかにほっとした様子だった。『ロゼリア王女』という存在は、それほどロゼにとって重要な位置を占める人物であるらしい。名前が似ているのも、そこに起因しているんだろうか。
落ち着きを取り戻したロゼは、おれの質問に対し回答を述べた。
「ロゼリア王女というのは……この国、『ファームウェア』の第二王女の事だな。この国には二人の王女がいて、第一王女をマリエラ、第二王女をロゼリアと言う」
「その、ロゼリア王女って人は治癒者って言う役割なんだよね。治癒者って何なの?」
「治癒者とは文字通り、傷を癒す事を専門とする魔法使いだ。第二王女は高い治癒力を持つ治癒者として、戦の同行も特別に許可されているそうだが……俺に言わせれば、王族、それも王女が自ら戦に参加するなど馬鹿げている。姫は姫らしく城に閉じこもっていればいいのだ」
その声には第二王女、ひいては国に対する明らかな侮蔑が籠っていた。だけど、ロゼの発言はあの日誌の内容とは矛盾している。
日誌では王女が治癒者としての力を発揮することを願っていたのに、これはどういうことなんだろう。そもそも、日誌を読む限り今の第二王女は――
「なあ、ロゼ」
「これ以上は俺の内情に関わる。いずれここを去るお前に教える義理は無い」
その言葉にカチンと来た。
「勝手に決めるなよ!おれはアンタに恩を返すまではここから離れないぞ!」
現在進行形で世話になっているのに、我ながら矛盾した事を言っている。だけどここで共同生活を送る以上、パートナーとして最低限の事を知っておきたいと思うのは当然の願いじゃないだろうか。
ロゼはおれの発言を聞いて嘆息すると、冷めた目つきでおれを見据えた。
「お前……ここがどういう場所か分かってないな」
「何がだよ? 来たばかりなら当たり前だろ?」
ロゼの態度につい喧嘩腰で答えてしまう。
「ここは脛に傷持つ者が最終的に流れ着く吹き溜まりだ。故に、皆人に言えぬ過去を一つや二つ持ち合わせている。だからこそお互いその事情については触れないのが暗黙のルールとなっているんだ。――お前もそうだろう? 片腕」
その言葉に、奥底に澱んでいた負の記憶を呼び起こされそうになる。
とっさに左手の爪先を頭に引っ掛けると、ロゼは苦渋に満ちた表情でおれの左手をどけ、軽く頭を撫でた。
「お前がやろうとしているのはそういう事だ。それが分かるなら、傷を抉るような真似は今後してくれるな」
そんな風に言われたら、もうこちらからは何も尋ねられない。悔しいが、ロゼの言葉に従う他無かった。
「魔法の事についてならある程度教えてやれる。お前が役立たずから脱却したいと願うなら、俺も手を貸そう」
「……どうしたんだよ、昨日は反対してたのに」
「いや、下手にお前に教えずにいたら勝手な行動で自滅しそうだからな。ある程度の指標は必要だろうと判断したまでだ」
「ああ、そりゃどうも」
ここ数日でおれの行動パターンは大体把握されてしまったらしい。本当なら指導者が出来たと喜ぶ所だが、上手い事コントロールされているようで何だか釈然としなかった。
何か意趣返し出来ないものかと考え、ふとある事が頭に引っ掛かった。
――そういやロゼ、起き抜けに敬語だったな。
まあロゼだって相手によって言葉は使い分けるだろうし、寝ぼけて昨日の依頼人と話しているようなつもりになっていたのかもしれない。あまり気にするような事でも無いか、とその事柄は頭の片隅に仕舞う事にした。