Ⅱ.そういう関係に見られるとは思いませんでした
馬車が通った後の轍が地面に延々と続く。それも一台のものではなく、幾重にも重なった跡だ。どうやらこの辺りは物流が盛んらしい。移動中も何度か行商人らしき人たちとすれ違った。
あれからまた一晩山中で夜を明かし、おれの体力がある程度戻ったことを見計らうと、オッサンはおれに下山するよう促してきた。聞けば、これから街に向かうのだと言う。
おれはてっきりオッサンの事をマタギか何かだと思っていたのだが、オッサン曰くここに来るのは山籠もりのためらしく、普段は街のギルドで仕事の依頼を受けているそうだ。変わった趣味だとは思ったが、その趣味が無ければおれは今頃あの山の中で野垂れ死んでいたに違いない。正に芸は身を助く……いや、これは意味が違うか。
そして現在、おれはオッサンに促されるままに、どことも知れぬ街への道を歩んでいた。
ちなみに肝心のおれの申し出はと言うと――にべもなく断られた。
『片腕しかない、外界との繋がりもない子供に何が出来る?』
『俺がお前を助けたのは単に死にかけの子供を見殺しにするのが忍びなかっただけだ』
『お前自身からの見返りは求めてないし、お前には何も期待していない』
等々、現実をありのままに突き付けられ、おれは情けなくも反論の言葉を失ってしまったのである。
だがいくら現実を突き付けられようと、おれは諦めきれなかった。命の恩人に恩を返す。ただそれだけが、今の自分が生きる唯一の原動力となっているのだから。
――そうだ、これはオッサンの為じゃない。おれが生きるためのエゴだ。今が役立たずだっていうなら役に立つ存在に"為れ"ばいい。その為に必要なのは――。
自然と目が向いたのは、やはり『存在しない右腕』だった。この欠落こそが、今の自分を役立たず足らしめているものだ。
両腕さえあればお遣いの一つでもこなせる。両腕さえあれば荷物持ちにもなれる。両腕さえあれば……言い出せば切りがない。
やはり片腕のハンデは大きい。もし「あの出来事」を目撃していなければ、おれは早い段階で諦めを付けていただろうと思う。しかし、おれは見てしまった。存在しないと思っていた奇跡――『魔法』を。
おれが書物の上で知る魔法は、城を茨で覆い尽くしたり、人形に人格を持たせたり、王族を野獣に変えたりといったおとぎ話程度のものしかない。
もし現実にもそんな魔法が存在するのだとしたら、あるいは自分の腕を取り戻せるような、そんな奇跡もあるんじゃないか。そう考えてしまうのだ。
――知りたい。『魔法』って何なんだ?
「……おい」
魔法の事について知りたいなら、オッサンに聞くのが一番手っ取り早いのだろう。だけど、おれが出しゃばるのを良しとしないオッサンが素直に協力するとは思えない。最悪オッサンの私物をコッソリ漁って情報を得るか――。
「おい、着いたぞ」
「え?」
オッサンから呼びかけられ、それまでの歩みを止める。
山道を下り、荒く舗装された道を延々と歩き――着いた先は、高くそびえる石垣に囲まれた城下街の入口だった。
◆◆◆
「なあ……何かさっきからずっとこっち見られてる気がするんだけど」
「気にするな。ここに子供がいる事を珍しがってるだけだ」
おれにとっては生まれて初めて訪れる城下街。繁華街の華やかな雰囲気に興奮していたのもつかの間、オッサンはその喧噪の隙間を縫って路地裏に入ると、どんどん裏通りの方へと突き進んでいった。
置いて行かれないように慌てて付いて行くが、その間にも華やいだ雰囲気は後方へと遠ざかり、代わりに黴臭い、どこか不穏な雰囲気が辺りを覆っていく。
そこかしこで見る顔ぶれもどこかしらに傷を持っていたり、眼に覇気が無かったり、あったとしてもギラギラ危険な光を宿していたりとおっかないことこの上ない。
「何でこんな所来るんだよ?」
周りの人間を刺激しないよう小声で問いかけると、
「来る前に言った筈だろう。仕事のためだ」
と淡々とした答えが返ってくる。
「仕事ォ!? ここで!?」
明らかにカタギの人間が寄り付きそうにない区画真っ只中だ。
「おっさ……アンタ、何か後ろ暗い事でもやらかした訳?」
そう聞くと、オッサンは幾分考え込んだ後、「……まあ、後ろ暗い事だけは確かだな」と答えた。
――マジですか。
性根がいい人間だという事は今も疑っていないが、どうもオッサンはいわゆる「訳あり」な人物らしい。まあ初見からして只者ではないオーラを放っていただけに、それもある意味納得なのだが。
そうして裏通りを巡る事少しして、オッサンは簡素な両開きの扉の前で足を止めた。そのまま躊躇する事無く中に開け入っていく。
オッサンの背中に身を隠しつつ中へ入ると、そこは酒場のようだった。ただ、客はまばらにしか存在しない。まだ晩酌には早い時間だから、それも仕方ないかもしれないが。
「あら、ロゼ。今月の山籠もりはもう終わり?」
奥のカウンターから声が掛かる。
そこには緩い黒髪のウェーブを垂らした、妖艶な雰囲気の女の人が微笑んでいた。気だるげに手を組んで顎を載せているその両腕には、黒い流線型の入れ墨が絡みつくように彫り込まれている。いや、それは割とどうでもいい。
――オッパイでけえ。
黒い袖なしの服は胸元がざっくり開いており、見せつけるように谷間が主張されていた。さすが王都、女性の大胆さが違う。ここに来るまでむさ苦しい男ばかりしか見ていなかった事もあり、その感動もひとしおだった。
……あれ、そういえば今オッサンの名前呼ばれてたような。うっかり聞き逃してしまった。
「ああ。早速だが仕事を紹介して欲しい」
「毎度酔狂な事よねぇ、わざわざ山に籠るだなんて。……ん? 後ろに誰かいるの?」
「あ」
おねーさんの胸に目が行っていたせいで、おれはいつの間にかオッサンの背後から身を乗り出していたようだ。気付けばバッチリおねーさんと目が合っていた。
おねーさんから「こっちおいで」のハンドサインを受け、気後れしつつも前に出る。
「ふーん……」
おねーさんは遠慮なしにおれのてっぺんから爪先までをまじまじと見つめてくる。こういった女の人からの視線と言うのには慣れていない。何というか……変に居た堪れなくなってしまう。
一通りおれを値踏みするように眺めた彼女は、オッサンに目線を移して話し掛けた。
「あなた、馬鹿に真面目な性分かと思ってたら結構いい趣味してるじゃない。見たところ十三、四歳くらいかしら? 顔は――まあ悪くはないけど、わざわざ傷物買うなんてねえ。そういうの好きなの?」
「はい?」
聞かれたオッサンでなく、おれの方が声を上げてしまった。
真意を問うべくオッサンの方を見ると、眉間に指を押し当てて俯いている。
「……イザベラ。何か重大な勘違いをしているようだが、この子供は山に捨てられていた所を一時的に保護しているだけだ。お前の想像する様な事は一切無い」
「あ、そうなの? 私てっきりあなたが衝動買いでもしたのかと思ったわあ」
よく分からないが、何か恐ろしい会話が繰り広げられている。一つだけはっきりしているのは、オッサンがこのイザベラと呼ばれた女性と随分前から知り合いだという事だけだ。
「で、どうするのよその子。いつまでも傍に置いとく訳にもいかないでしょう?」
「そうだな。これから依頼をこなしつつ、こいつの受け入れ先が無いか当たってみるつもりだ」
「えっ!?」
思わず声を上げてしまった。だって、まだこちらは何の恩も返せていない。だというのに、このまま世話になりっぱなしではこちらの面目が立たないじゃないか。
「坊やは納得してないみたいよ?」
イザベラが意地の悪い笑みをオッサンに向けると、オッサンは軽く溜息を吐いておれに顔を向けた。
「まだ借りを作ったなんて気にしているのか。俺は俺が助けたいからお前を介抱しただけであって、お前の意志を確認する事もしなかった。……ただの自己満足のエゴだ。だからお前が気を揉む必要は無い」
少し驚いた。『エゴ』で恩を返したいと思っているおれと同じように、オッサンもまた『エゴ』でおれを救ったと言う。しかもオッサンはその行為を後ろめたく思っているフシすらある。単純な善意とも違うオッサンの感情をそこに垣間見た気がした。
「そうそう、エゴよねえ。今日日農村部での子捨て姥捨てなんて珍しい話でも無いでしょうに、わざわざ助けちゃうんだもの。呆れたお人好しだわ」
楽しそうにオッサンに同調するイザベラ。助けられた本人を前にして気持ちいい程に歯に衣着せない発言だ。だが、そういう明け透けさが今のおれには心地良かった。
「……って、あれ。おれ農村出身だって言ったっけ」
イザベラはカウンターから肘を離すと、カウンター後ろに設置してあるワイン樽へおもむろに移動した。
「まあその血と泥に濡れた服を見れば、大体の想像は出来るわ」
ゴブレットを一つ持ち出すと樽の注ぎ口に当て、蛇口を捻る。半分ほど注がれた所ですぐに蛇口を締め、自分の手元に置く。
「おおかた農作業中に事故で右腕を駄目にしちゃって、口減らしのために親から捨てられた、って所かしら。良かったわね、通りかかったのがロゼで。普通の人じゃあなたを助ける事も出来なかったでしょうから」
そこに水をゴブレットの八割まで注ぐと、壷から匙でたっぷりと蜂蜜を掬い、ワインへと溶かし込んだ。
「ここまで長かったでしょう。はい、召し上がれ。お子様用にうんと甘ーくしておいたわ」
「お子様」という言葉に若干むっとしたが、長い間歩き通しで疲れていたのも事実なので有難く受け取った。軽くちびりと飲むと、少しばかり酸味はあるもののそれに勝る蜂蜜の甘さに「ほう」と目が細まる。
「ロゼは……駄目だったわね、お酒」
またも意地悪そうな笑みを浮かべるイザベラに対し、オッサ……いや、ロゼ?はただ一度頷き、「俺は水を頼む」とだけ答えた。
「ところであなた、お名前は? まだ自己紹介もしてもらってないわよ?」
「あ、そっか。えっと、アベルです。ウィンラン村のアベル。……よろしく」
「アベルね、これからよろしく。私はイザベラ。この酒場兼、傭兵ギルド『レジデント・タスク』のオーナーよ」
「えっ、ギルドなの? ここ」
内装からして酒場だとすっかり信じ込んでいた。
「まあ大々的にやってる訳じゃないから、そう思うのも無理ないわ。昔の仕事仲間のつてでひっそり経営してるだけだもの。知る人ぞ知る、ってやつかしら。――さ、あと一人名乗ってない人がいるんじゃない?」
そう言って水を注いだゴブレットを置いた先には、
「……ロゼだ。ここを拠点に主に傭兵業を請け負っている。――これでいいか?」
「うーん、説明不足。40点!……まあいいわ。それじゃそろそろ仕事の話と行きましょうか」
その後の話は正直おれには難しく、ほとんど頭に残らなかった。話半分に聞いた所では、以前護衛したフレッド氏から評判が良かったからまた護衛の依頼が来たとか何とか。
小一時間ほど大人同士が話す傍ら、おれは退屈を持て余しカウンター席で足をぶらつかせていた。おれ達が入って来た入口の向こうはもうすっかり日も落ち、暗くなっている。
「さ、夜のお客もぼちぼち来るわね。お話はこのくらいで切り上げましょ」
――夜のお客……。
何だか卑猥な言葉だ。いや、ただの酒飲み客の事を言っているんだろうけど。
そしてロゼがカウンター席を立った時に、事件は起こった。
「ンだあ? また汚ねえピンク頭がいやがんぞ?」
聞くだに下品な声が後ろから響いた。ざわ、と神経が逆立ち勢いよく後ろを振り向くと、禿頭で見るからに粗暴な外見の男が同類を引き連れて店内に入って来ていた。
「おい店主よ、こいついるだけで汗臭えから早いとこ追い出せって前に言ったよな? しかも何だ、今日は乳臭えガキまでいやがる。ここァいつから託児所になったのかね?」
ひゃはは、と連れであろうゴロツキ達が笑う。
「あいつら……!!」
カウンター席から腰を浮かしかけた所を、背後から伸びた手で抑え込まれ、戻される。
「イザベラ……! 離してくれよ!」
イザベラは何も言わず、ただ首を横に振った。そして、顎を前方に突き出す。ちりちりと苛立った気持ちのままイザベラが指した方向を振り向くと――ゴロツキ達の前に、桃色の髪の房を腰まで垂らした巨躯の男が立ち塞がっていた。
「あ゛?やんのかピンカマ野郎。図体デカいだけの木偶が。女の所転がり込んだ次は少年愛か? 巫山戯やがって」
「頭が――寂しいな」
――え?
ロゼから発せられた唐突な発言に、おれだけじゃなく、ゴロツキ達も一瞬呆気にとられていた。それが馬鹿にされているという事に間を置いて気付くと、禿頭の男は頭部全体を赤くさせて震え始めた。
「て、テメエ……!!」
そのゴロツキが激昂するまでの僅かな間に、ロゼの唇が素早く動く。
「Func Heal_Ex 20000.」
「その髪全部毟り取ってやる!!」
まさにゴロツキが掴みかかろうとする寸前、ロゼは男の頭頂部を人差し指で軽く突いた。
『GO.』
刹那、ロゼが指で突いた部分からぼこり、と「瘤」が沸いた。そこからまた瘤が沸き、更にその頭頂部に瘤が沸き、裾野にまた瘤が沸き、瘤が瘤が瘤が……
「うひ、ひ、ひいいいいいいいあああああっ!?」
瞬く間に男の頭部に肉腫の塔が建つと、男は恐慌に駆られ、術者から出来る限り遠ざかろうと倒けつ転びつ店の外へ駆け出していった。呆然と残される他のゴロツキ達がゆっくりとロゼの方を向く。それに彼が人差し指を立てて応えると、方々に悲鳴を上げながら他のゴロツキ達も逃げ出してしまった。
後には、水を打った様に静まり返った店内が残るのみだった。
「…………」
言葉も無い。魔法の攻撃的な使い方という物を、おれは初めて目の当たりにしたのだから。
「やるじゃない、ロゼ」
対してイザベラは何故だか嬉しそうだ。
「……イザベラは、最初からこうなると分かってておれを止めたの?」
「いいえ。一度ロゼに対応を任せてみたかったのよ」
つまり、今までロゼがゴロツキの対応をした事は無かったということか。あれだけあっさり追い返せるなら簡単そうに思えるのだが。
「余計な魔力を消耗した。今日はもう上がるぞ」
「はいはい。じゃあ坊やも案内してあげてね」
「え、上がる? 上がるってどこへ?」
そう聞くと、イザベラはカウンター横の2階へ続く階段を指さした。
「カレ、今うちの部屋の一室を間借りしてるのよ」
「ええっ?」
通りで親しげなはずだ。先ほどゴロツキが「女の所に転がり込んだ」と言った言葉の意味を、おれはここでようやく理解した。
――けど、どういう関係なんだ? この二人。
「転がり込んだ」とゴロツキが表現したからには、金に困ったロゼがイザベラに頼み込んで居候させてもらっているとか、そういう事なんだろうか。それを承諾出来るほどにはこの二人は親しい間柄という事であって……
「イザベラとロゼって恋仲なのか?」
そう何気なく口に出した瞬間、階段方向から「ガタコン」と大きな音がすると同時にイザベラが盛大な勢いで噴き出した。
「あはっ、あはははははははは!! ちょっ……恋仲って……くくっ! 無い、ないわー。ひひ、おなか、お腹痛い……!」
……えらくツボにハマったらしい。え、そんなにおかしな事聞いたかおれ?というかさっきの音は一体何だ。
音のした方向を向くと、階段を踏み外したらしいロゼが顔面を抑えて小刻みに震えていた。どうやら鼻をモロに打ったらしく、手の隙間から血が零れている。
――え、何なのこのリアクション……。
一人状況が分からないまま、おれはその場に取り残されてしまった。