東京本社
異動を3日後に控え、ボクとアヤさんの送別会が行われた。
その翌日、ボクとアヤさんは引っ越しの為に東京へ出たのだが、会社の寮は一つしか空きが無いという事でやや郊外に離れたワンルームマンションを会社が借り上げて、そこへ住む事となった。
まぁ、男と女でどちらを入寮させるかと考えれば、答えは決まってる。
ま、そのお陰でボクはプライベートを寛ぐことができそうだ。
寮はもちろん、ボクのマンションも会社が事前に手配をしてくれたおかげで、何の不具合もなかった。
水道・電気は開栓されていたし、カーテンも吊られている。
鍵も総務の担当者が待ち合わせで持参してくれた。
それどころか、欲しい品目にチェックをしておいた電子レンジとテレビまで準備されている。まさに至れり尽くせりである。
会社の配慮に感謝しつつ、荷物を整理した。
昼は日用品の買い出しのついてに、近所の牛丼屋で済ませた。
何やかんやで全てが終わったのは午後の2時だ。
アヤさんに連絡してみると、やはり引っ越しは完了しているらしい。
「夕食って予定ある?どこか行かない?」
「うん、私も連絡しようかと思ってたの」
アヤさんは嬉しそうだ。
「じゃ、場所は決めとくよ」
「うん、お願い。でも、なんだか颯太君変わったよね」
「そう?」
「そうよ、ちょっとナマイキな感じ」
「失礼しました」
「でも、悪くはないかな」
「え、そう?ありがと。それで、待ち合わせなんだけど、時間はかなり空くだろうけど、6時って事で」
「うん、分かってる。まだ買い物してないし、準備もあるから時間があるのは助かるわ」
電話を切ると、寝転んだ。
フローリングの冷たさが心地いい。
いよいよ明後日から東京本社に出勤だ。
新しい場所で新しい人達と新しい仕事をする。
今までなら不安しかなかっただろうけど、今のボクは少し違った。
自信がある訳じゃないけど、とりあえずでも何でもやってみようと思う。
失敗してもそれが自分なんだし、どんなにカッコ悪くても受け入れなきゃ。
そうだ、ボクは自分の良い所も悪い所も全てを認めて“ボク”と生きていくのだ。
◇*◇*◇*◇*◇
「企画部に配属となりました篠原彩矢です。未熟ではありますが精いっぱい頑張りますので、ご指導の程よろしくお願いいたします」
「同じく荒木颯太です、よろしくお願いします!」
自分でも驚くような声が出た。
「うむ、さすが営業部から来ただけあって元気がいいな、私が企画部長の中野だ。君たちは当部で新設された企画営業課に配属となる」
アヤさんが手をあげた。
「あの、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「営業というのはセールスという意味でしょうか」
「そのとおりだ」
「本社には営業部がありますが、企画部がセールスを行うという点が理解できません」
「うむ、その辺りは課長から説明させる。簡単にいえば扱うモノが特殊だという事だ。また異動に伴って給与体系も見直しとなるがそれも併せて説明する」
アヤさんは少し考えるふうだったが、「ありがとうございました」と言って質問を終えた。
「この後、君たちの上司となる岩城課長について本社内の挨拶に行ってもらうが、業務中につき挨拶は簡潔にな」
アヤさんの質問が出過ぎだとでも言っているのだろうか。いや、それよりも余計なことを言うなという感じに受け取れる。
ま、最低限の事しか言えないボクにとっては同じ事だけど。
「このまま6Fにあるミーティングルームの8番に行ってくれ。課長が待っている」
『はい、ありがとうございました』
一礼して廊下に出る。
「ふー、緊張したね」
いつものアヤさんの声だ。
アヤさんはどうしても“カワイイ”という印象だけで見られがちだが、実は驚くほどしっかりしている。
何をやるにも下調べは欠かさないし、特に仕事での妥協はない。
さっきの受け答えも、そういった部分が出たにすぎない。
その真剣さというか誠実さがボクは好きだし、彼女を全面的に信頼する理由でもある。
「颯太君、自信満々って感じだったね。本社異動を決めてからすごく変わったよね。頼もしくなったというか」
「そう?アヤさんの方こそ、部長への挨拶であんな質問するなんて」
「だって知りたいじゃない?」
「そういうのは課長に聞くんじゃないのかな?」
「でも思った時に聞いておきたいのよね」
「すごいな、ボクにはできないよ」
そうこうしているうちにエレベータで6Fに移動、ミーティングルームに到着した。
ミーティングルームは1~7番がオープンスペースが仕切ってあるブース、8~10番は個室となっている。
8番のドアを叩く。
「どうぞ」
ガチャ
「あっ」
アヤさんが軽く声をあげた。
それもそのはず、タバコの煙が充満している。
「早く入ってくれ、煙が漏れる」
「失礼します」
「俺が企画部企画営業課の岩城だ。自己紹介はいい、全て把握しているからな。早速だが、俺と会った事があるか?」
思わず視線を外したボクと違ってアヤさんは姿勢も崩さず答えた。
「すみません、記憶にありません」
「必要ないのに謝るな、簡潔に答えろ」
「はい、ありません」
「荒木は?」
「記憶にはありませんが、同じ雰囲気を感じた事があります」
余計な事まで言っていると感じたアヤさんが、小さくボクをつついた。
「それはどこで感じた?」
「最終面接の控室です」
「正解だ」
「俺はお前たちを入社前から見ていた。だから今回の異動で本社に呼んだ」
岩城課長の言い方はまるで自分が人選したとでも言っているようだった。
アヤさんが手を挙げたが、課長は無視して続けた。
「疑問はおいおい分かる。お前らは知らねばならんが、知るにもタイミングがあるんでな」
アヤさんは手を降ろした。
「それと、これが異動後の給与明細だ」
「えっ」
思わず声が出てしまった。異動前に比べて10万円ほど多い。
「これから半年を目安に配属を再検討する。それまではこの給与だ」
「・・・」
「補足してやる。俺たち雇われ者の給与の内訳は3種類ある。“成果”と“期待”と“調整”だ」
アヤさんが手を挙げようとして止めた。
「この部署が嫌なら仕事も給料も元に戻ればいい。やっていくと覚悟を決めたら、給与は更に増えるだろう」
茫然としているボク達をよそに内線を掛けている。
「企画営業の岩城だけど、№8終了だ」
内線を切ると立ち上がった。
「それじゃ、早速、各部署へ挨拶に行くが、社員データは座席表と一緒にデータベース化されている。後で確認しておけ」
『はい』
課長の後に続いて廊下を歩きながら、ボクはちょっと不安になっていた。
初対面なんだし、もう少し和やかというか、親近感が持てるようにしてくれればなぁ。
それにしてもあの給与は何なんだろう。
給料が増えてうれしいのは当然だけど、ちょっと多すぎる。
何かがおかしい。それともボクが知らない事があるのだろうか・・・・あるんだろうな。
それに、企画営業課のメンバーは課長とボク達の3人だけだった。
岩城課長は佐々木課長が言うくらいだから確かにデキるのだろうけど、課長1人にEランクの異動者2名だ。
たった3人で課を設立するなんて正直なところ驚きである。
ボクが言う事ではないが、不安がある。
とはいえ企画部は同じフロアだし、業務上のやりとりも多い。体制としてフォローも受けられるのだろう。
特に課名が紛らわしい営業企画課とは隣同士だし、岩城課長が営業企画課の出なので、仲が良いらしく、それなりの付き合いをすることになりそうだ。
◇*◇*◇*◇*◇
その後、各フロアの挨拶は何事も無く終了したのだが、デスクに戻るとすぐテキストを数冊渡された。
「ミーティングルームの№8を押さえてある。今日はテキストⅠに目を通すだけでいい。昼休は1時間、他休憩は適時、15:00迄に戻れ。以上だ」
ミーティングルーム№8といえばさっきの部屋だ。
ボク達は返事をして早速6Fに向かった。
部屋に入ってみると煙どころか、ここでタバコを吸ったとは思えなかった。
「じゃ、早速はじめよ?お昼は1時間休憩、3時に戻れって指示だから、14:50には終わるとして・・・3時間半くらいあるね、読むだけなら余裕で終わるよね」
テキパキと予定するアヤさんだったが、テキストを開いて小さな声を上げた。
「なにこれ」
ボクも慌ててテキストを開いた。
『古代日本』『古事記』『神道の仕組み』など。
テキストを逆からめくってみたボクは戸惑いが更に大きくなった。
『霊障事例』
ボク達は戸惑いながらもメモを取りながらテキストに目を通した。
何だというのだろう。目的が不明なまま行動するのはストレスになったが、これが何に利用するのかに興味が湧く。
あの課長が準備したのだろうから何も無いわけがない。
やっておいた方がいい、いや、やっておかないとマズイ。
岩城課長と会って僅か1時間。
ボクは決して良い印象ではない彼を完全に信頼していた。
とにかく目の前に出された課題をやるだけだ。
アヤさんも同じように思っているようで、すでに集中モードに入っている。
*-*-*-*-*-*
14:55デスクに戻ると、すぐに外回りの同行を命じられた。
着いたのは高級マンションの最上階。
通された応接室で待っていたのは中年手前といった感じの女性だった。
名刺は『株式会社ノヅチセキュリティー 会長 “野津地 礼子”となっている。
見た目は30歳を少し過ぎた位。一言で言えば美人、しかも色っぽい。
短めのタイトなスカートは足を組み直すたびに目のやり場に困る。
それにしても、この年で会長なのか。
しかも、大きな取引なのだろうか、課長が緊張しているのが分かる。
そんな取引先に今日初出社のボク達を連れてくる理由は何なのだろう。
話の内容は取り留めもない事ばかりだったが、この部屋に入ってから、どこからか見られているような感じがする。
プレッシャーと言えば良いだろうか、杓子様の視線を感じた時と似ていた。もちろん杓子様のプレッシャーとは比較にならないが、ボクとしては良い気分ではなかった。
しかもそれが徐々に強くなっているのだ。
それにしてもこの野津地という女性、口が悪い。
課長も岩城と呼び捨てるし、ボク達に至っては“お前達”、揚句に下ネタも出るほどだ。
ただ、その重厚な存在感はさすがと言えた。
ボクとアヤさんは圧倒されっぱなしだったが、30分ほど経過した頃だろうか、アヤさんの身体が震え始めた。
体調を崩したのだろうか、ボクはお札をもっていないのだが。
視線を向けると小さく頷くだけだった。
突然、野津地会長が真面目な顔になった。
「なかなか優秀な新人が入ったようだね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃ、今日はこの辺にしておこうか。次は事務所に来てもらうとしよう」
「はい、それでは失礼します」
『本日はありがとうござました。失礼いたします』
さっさと立ち上がって出口へ向かう課長の後を追うようにボク達も部屋を出た。
マンションを出で、課長は今日初めての笑顔を見せた。
「2人ともよくやった。社に戻るぞ、今日はお前らの歓迎会だ」