何なんですか
「課長、色々とご心配をおかけしました。ボクは東京本社で頑張ります」
「そうか、うん。俺もキツイ事を言ったと思うが、よく思い切ったな。本社に行ったら今以上にしんどくなるけど、努力次第で上に行けるからな。頑張れよ」
「はい、わがままな話を聞いてもらってありがとうございました」
「よし。本社に行く人間と分かれば煙たがる奴もいるが気にするな」
ボクは異動を決めた報告をしたくて佐々木課長を探した。
「やほー」
振り返るとアヤさんがいた。
「一緒に行ってくれるんだね」
「うん、本社に行くよ・・・って、なんで知ってるの?」
「さっきミーティングルームから出てきたでしょ」
「でも、それだけで分かるの?」
「へへーん、颯太くんを1年も見てるんだよ、断ったらそんなに明るくできないでしょ」
「そうかぁ。そんな感じだった?」
「うん」
遠くに佐々木課長が見えた。
「じゃ、ボクは用事があるから」
離れようとしたボクの腕をアヤさんが掴んだ。
「ありがと」
「え」
「お願いを聞いてくれて、ありがとう」
少々勘違いがあるようだが、とりあえず佐々木課長に報告しなきゃ。
「え、いや、うん、まぁ、ボクの方こそ助けてもらったと思ってるよ」
「そんな事ないよ・・・」
「じゃ、また後でね」
「今日は何時頃終わりそう?用事ある?」
「いや、7時には帰れると思うけど」
「じゃ、さ、どこかに寄ってかない」
「あ、うん、いいよ」
「じゃ、後でメールするからね」
「うん、わかったー」
返事をしながらボクは小走りで佐々木課長を追いかけた。
「佐々木課長、ありがとうございました」
「どうした?」
「ボク、東京本社に行くことにしました」
「バカヤロ」
「え?」
「お前が俺の直下なら怒鳴ってるところだ」
「すみません」
「理由も分からずに謝るな。その一言で、もう一回怒鳴らなくちゃならん」
「・・・」
「お前の異動決めるのは会社だ。お前は行くことにしたんじゃなく、指示に従っただけだ。ごくごく当たり前の事で特別な事じゃない。自己中もいい加減にしておけ」
「はい、すみませんでした」
「ま、ちょっとした表現の違いだけどな。ただ、そういったところまで気を配らんとすぐに潰されるぞ。お前がのうのうとしていられたのは何もできない奴だったからだ」
佐々木課長は相変わらず手厳しいが、それは優しさだと分かる。誰が好き好んで他部署の人間を叱るだろうか。
でも、何もできないとか言われると、やっぱり痛い。
「だが、今のお前はのうのうとしていられる奴じゃない。分かったら行け」
まるで犬でも追うように手を振った。
「ありがとうございました」
きちっと直立して頭を下げる。
離れ際にちらっと見えた課長の顔は少し照れて笑っているように見えた。
*-*-*-*-*-*
メールの着信音。
アヤさんからだ。
そういえば初めてじゃないのか、二人だけで食事なんて。
アヤさんは可愛いし頭もいい。
ボクにとても良くしてくれるし。
真面目で一生懸命だし。
あれ?ボクはアヤさんの事が好きなんだろうか。
少しドキドキしながらメールを開いた。
『体調が急に悪くなって、今日は行けません。ごめんなさい』
えぇ~、今の今なのに、そりゃないよなぁ。
その日、ボクはよく寄る定食屋で食事を済ませて帰った。
着替える間もなく電話が鳴った。
アヤさんだった。
「体調はどう?」
「今日はごめんね。具合が悪いのは治ったよ」
「それは良かった」
「何なのかしら、会社を出たら良くなったのよね」
「まさか5月病じゃ?」
「もう、これでも社会人2年目よ」
「はは、そりゃそうだよね」
「・・・あの、ところでなんだけどさ」
「なに?」
「今から出てこれる?」
時刻は20:30だ。
「食事はしちゃったけど・・・」
「いや、ちょっと確認というか、聞きたい事があって・・・」
「いいよ、着替えてないからスーツのまま行くよ」
「ありがと、東口のシロッコでいい?」
「シロッコって新しい喫茶店の?」
「そう、私は20分くらいで着くから」
「うん、分かった、僕もその頃には着くよ」
「ありがと、じゃね」
アヤさんの嬉しそうな声を残して電話は切れた。
21時少し前にオレンジの看板が目印のシロッコに到着。
「遅れてごめん」
「私も来たばかりよ、ちょうどよかったわ」
それを証明するように、オーダーを取りに来た店員に、アヤさんはホットティを頼んだ。
ボクはいつものごとくブレンド。
少し他愛もない話をしていると、ブレンドとホットティが置かれた。
ボクはふと気づいた。
アヤさんの顔色が悪い。
「アヤさん大丈夫?顔色が悪いみたいだけど」
「うん、ちょっとごめんね」
トイレに向かう様子はいかにも体調悪いですという感じだった。
10分くらい後だろうか。
席に戻るなり、アヤさんは帰ると言い出した。
顔色は更に悪くなっている。
「本当にごめんなさい。話したい事はまた後でいい?」
「うん、いいよ。それより送るよ」
「うん、・・・大丈夫なの」
「でも、体調が悪いのに」
「ちょっとね、説明しづらいんだけど、1人の方がいいの」
「うん、分かった。気を付けて」
周りから見ると、フラれた男?みたいな感じかな。
ボクはブレンドを飲み干してそそくさと店を出た。
その日の深夜、着信があったメールは少なからずボクにダメージを与えた。
メールの内容を簡単にいえば、アヤさんはボクが近くにいると体調が悪くなるのだそうだ。
『颯太君がカッコ良くなってきたから意識しちゃってるのかなー』とか、冗談をいいつつ、『最近、何か変わった事はありませんか』と続けてあった。
「ありますよー!」
思わず声が出ていた。
でも杓子様の事なんて言える訳がない。
メールは『他に相談したいことがあったけど、それはまた後でメールします』で締めくくられていた。
「他にもあるんかい!」
思わずツッコんでしまいたくなる。
「いったい何なんですか」
スマホに尋ねても答えてはくれない。
アヤさんの体調不良はその後も突発的に起きた。
それは決まってボクの近くにいる時だった。
通常は別の先輩についているので何ともないのだが、合流したり、会議の時など、ボクが近くにいるとアヤさんは体調を崩してしまう。
アヤさん曰く、脱力感にめまいがあるのだという。
それでもアヤさんはボクを避けようとはしなくて、何だかボクの方がいたたまれなくなってしまうのだ。
ボクはできるだけアヤさんと接触しないように心掛けた。
会議ではできるだけ離れた場所に座るようにしているし、外回りは早く出発し、帰社時間も遅く帰るようにしていた。
その分外回りの時間は増えて疲れるのだけど、誰も行かない時間帯というのは結構穴だったようで、営業成績は急に伸びた。
周りの評価は“最近頑張ってる”だが、ボクはそれどころじゃなかった。
これは誰にも話していないけど、アヤさんはボクというより“お札”に影響を受けているのだと分かったからだ。
僕がお札を忘れた時、アヤさんは体調不良にならなかった。
まさかと思いながら、何度か試して確信したのだ。
“アヤさんは、お札に影響されている”
これがどういう事を示すのかを考えるのは怖い。
しかし、アヤさんから相談された内容は、体調不良と杓子様の記憶を結びつけるのに十分だった。
アヤさん曰く、視界の端で白い人かげのようなものを感じる時があるのだという。
それはボクと異動の話した頃だというから、杓子様が姿を現した時期と合致する。
白い影を見るようになってから体調も悪くなったので結構悩んだらしい。ボクに相談しようとすると余計体調が崩れるし。
しかし、最近は白いものも見えないし、体調も良いから気のせいだったのだろうと言っている。
体調が良いのはボクがお札を持ち歩かなくなったせいだと思うが、白い影とはなんだろう。
杓子様は村に封印されているはずだ。
倉木さんにも電話してみたが、あのお札は“杓子様用”なので他の霊障などといった類には全く効果がないらしい。
「えぇ?あれって効果があるのは杓子様だけなんですか?」
「そうです。逆に言えば、私が確信をもって行えるのは杓子様への対処だけとも言えるでしょう」
「そうだったんですね・・・。あのお札を持ってるだけで、何でも来いってくらいに思っていたんですけど・・・って、アヤさんに杓子様が憑いているって事じゃ!?」
「考えづらいですね。2回目の夜越しの時にも杓子様の気配を感じたんですよね」
「はい。間違いありません」
「“夜越し”の時点ですでに結界は張ってありましたから、夜越しの後に杓子様が結界の外に出れるとは思えません」
「杓子様は人を憑り殺しても、憑りつく事はないのでしょうか」
「言い伝えでは、旅人に憑いてこの村に来たともいわれていますので、憑りつく事が出来ないとは言いませんが、人に憑いたとしても結界の外には出られないはずです」
「よかった。でもそうすると他に何かそういった類のものが憑いているとか・・・」
「その篠原さんという方はお札で体調が悪くなる以外に何か障害は出ていますか?」
「いえ、そんな話は聞いてないです」
「彼女に何かが憑いているとして、それは彼女の守護的な存在かもしれません。そして、たまたま神札との相性が悪かったのかもしれません」
「白い人かげのようのものは?」
「それは誰でも同じようなものが見えているはずです。それを意識するかしないかは、その人の精神状態によります。人間は原因が分からない不運に対して、超常的なものに原因を見出そうとするものなのです」
「でも、タイミング的には杓子様とドンピシャなんですよね」
「そのタイミングとは、白いかげではなく、神札の影響なのかもしれません」
「たしかに、そうとも言えますが・・・」
「そこで提案なのですが、颯太くんの住む部屋に結界を張るのはやめておこうと思います」「えっ、どうしてですか」
「先ほども申し上げたとおり、本来、私はそういう方面のエキスパートではないのです。先祖代々、杓子様についての知識と技術を伝えられているに過ぎません。私が懸念しているのは、結界が良からぬ事を引き起こす可能性です」
結局、引っ越した先の結界は処置しない事になった。
こうして、何かあるようで何ともならなかったボク達は、研修プログラムに追いかけられながらあっという間に6月末を迎えたのだ。