地蔵様
ボクの呼吸はまだ荒い。
それは走ったせいか、それとも恐怖のせいか。
「はっ、はっ、はぁっ・・・」
杓子様の姿は少し透けているように全体的に白かった。
そう、ワンピースも肌も髪も全てが淡く白かった。
マンガのラフ画というか、塗装前のフィギュアというか、とにかく全てが白かった。
祖父ちゃんちで見た杓子様は人間と変わらなかったはずだ。
「なんでボクなんですか」
「てんぽうかか、えにおしとと、てんぽぽぽ・・・」
「どうして、どうしてボクなんだ!」
「てんぽぽっぽぽぽ・・・」
めまいがして膝をつくと強く目を閉じて両手で耳をふさいだ。
「もうやめてくれぇ!!」
肩に何かが触れた。
「ひぃっ!」
「あの、具合が悪ければ救急車を呼びましょうか?」
「救急車、え?」
振り返ると、年配の男がいた。その背後には若い男もみえた。
さきほど見かけた2人連れのサラリーマンだ。
「え?あれっ?」
驚くボクに、年配のサラリーマンは言葉を変えてたずねた。
「何か事故でもあったんですか?」
慌てて周囲を見渡したが杓子様はいなかった。
憑り殺されるんじゃなかったのか。どうしてボクは生きているんだ?
「部長、とりあえず警察呼んどきますか?」
若い男の言葉にボクは慌てて立ち上がった。
「だ、大丈夫です、ご迷惑をおかけしました」
「ちょっと、きみ」
「本当に大丈夫ですから」
「いや、左手、甲のところ怪我してるみたいですよ」
「え?」
見ると擦りむいたような傷があり、血がにじんでいた。
「大丈夫です。済みません、ありがとうございました」
ボクは頭を何度も下げながら離れた。
ボクは混乱に混乱をぶつけられた気分だった。
「とにかく落ち着こう」
人がいれば大丈夫という訳ではないが、駅前の商店街に向かい、最近できたカフェに入った。
ウィンドウから外を見渡す。
そういえばサラリーマンの2人には杓子様は見えてなかったようだ。
でもなぜボクは憑り殺されなかった?
もし、もしも、街の中で杓子様が現れたらボクはどうなる。
おかしな事を叫んで死んだ男、腐臭を放って崩れた肉体。
通行人は恐怖と嫌悪の目でボクの死体を見るだろう。
ダメだ、自分の想像に耐えられない。
ボクは祖父ちゃんに連絡をした。
呼び出し音が続くが出ない。
「くそっ」
一旦切って、リダイヤルする。
やはり誰も出ない。
早く出てくれ。祖父ちゃん、出てくれ。
「あの」
驚いて目を向けると、その勢いにたじろいだ店員が立っていた。
「お、お電話をご利用なされる場合は、あちらでお願いできますでしょうか」
店員が手で示す先には『携帯電話ご遠慮下さい』の案内板が見えた。
入口の所に公衆電話が置かれていて、そこで携帯を使うように書かれている。
そそくさと席を離れようとするボクに
「すみませんが、先にご注文を頂いてもよろしいでしょうか」
「あ、コーヒーを」
「コーヒーは何をご希望でしょうか?」
「えっと、ブレンドで」
「ブレンドは何を?」
メニューをめくると、げっ、ブレンドだけでも3種類もある。
ボクは一番上のコーヒーを頼んだ。
移動しながらリダイヤルする。
何度か呼び出した後、祖母ちゃんが出た。
祖父ちゃんは出かけているらしい。
「じゃ、祖父ちゃんに伝えて。杓子様を見たって」
電話の先で祖母ちゃんが動揺しているのが分かった。
『それで、颯ちゃんは大丈夫なんか!?』
「どうしてか分からないけど無事。祖父ちゃんから携帯に連絡して」
それでも祖母ちゃんは色々と聞いてくる。
この前の一件以来、もうボクに会えないと悲しんでいると聞いた。まぁ、祖母ちゃんが会いに来てくれれば良いだけなんだけど、それも叶わなくなりそうだ。
「大丈夫だよ、憑り殺されてたら電話してないよ。身体も腐ってないし。だから、もしかすると見間違いかもしれないし」
ボクはボクが望む希望的な事を伝えて通話を切った。
振り返ると、主婦らしき人が怪訝な顔をしている。
ボクはバツが悪くて軽く会釈しながら席に戻ると、すぐにコーヒーカップが置かれた。
とにかく明日明後日は休みなので実家に泊めてもらおうかと思ったが思いとどまった。
実家は祖父ちゃんちに近い。
ボクの実家はアパートから40㎞ほどで、祖父ちゃんの家は実家からさらに10㎞離れている。
つまり祖父ちゃんの家からアパートまではおよそ50㎞という事になる。
とはいえ、アパートがある市内で杓子様を発見したのだから、アパートにいても危険な事には変わりがないし、何しろ誰も頼れる人がいない。
これは実家に帰っても同じことだが・・・
何ら解決策もみつからず、ボクは冷えて酸っぱくなったコーヒーをすすった。
「はぁ、どうしよう」
カップを見つめながら、思わず漏れた溜息。
携帯が鳴った。
祖父ちゃんからだ。
「もしもし?祖父ちゃん?」
思わず声も大きくなる。
ふと顔をあげると、店員が身ぶりで入口を指さしている。
頭を下げながら移動したボクは、思わず祖父ちゃんに悪態をついた。
「祖父ちゃん遅いよ!」
「悪かった、祖母さんに話を聞いてから、倉木さんに相談しててな」
「ボクはどうすれば」
「どうして杓子様が結界の外に出たのか分からねぇそうだ。念のために倉木さんが結界のために据えてる地蔵様を確認しに行った」
「ボクはどうすれば・・・」
「倉木さんが札を持たせたいと言ってる。結界の確認から戻ったら準備してくれるそうだ。お前は智治(ボクの父)のとこへ行け」
「うん、分かった。アパートに寄って準備したら出るよ」
「颯太、何をするにしても暗くなる前でないといかん、できるだけ早く行ってくれ」
「うん、分かった。着いたら連絡するよ」
ボクは支払を済ませると急いでアパートに戻った。
2階にある部屋の間取りは1K。
玄関を入ると廊下の右手に流しがあって、左側は浴室とトイレになっている。その先が6畳間だ。
部屋に入ったボクは立ち尽くした。
カーテンが黒ずんでいる。
それは人の腕と思われる形に煤けていた。
「き、来たんだ、ここまで」
振り返るとドアの内側にも黒ずんだ部分がある。
ボクはボディバッグだけ掴んで飛び出した。
走った。駅に。
追われているような気がして何度も振り返った。
地方都市の駅だがそこそこ賑わっているが、平日の昼過ぎだけにお年寄りが多い。
下り電車は5分後の発車のようだ。
「よし!」
切符を買ってホームまで走る。
電車は時刻通りに発車し、約1時間後、ボクは電車を降りた。
たまたま客を乗せてきたタクシーをつかまえて自宅へ向かう。
自宅へ着くと両親は留守だった。
平日の午後1時半だから当たり前と言えば当たり前だけど。
早速祖父ちゃんに連絡する。
「着いたか、いま倉木さんと一緒だ。この前世話になった佐伯さんも来てくれた」
ボクは倉木さんと佐伯さんに信頼感を抱いていたので心強かった。
「もしもし?颯太くん?」
「あ、はい」
「倉木です。とにかく早く合流したいのですが、私は準備がありますので佐伯さんと荒木の爺様が迎えに行きます。待機していてください」
「分かりました、それでなんですけど・・・」
「どうかしましたか」
「その、ボクのアパートの窓と玄関に、腕の形に黒く煤けていて・・・うぐっ」
ここまで話して、ボクは吐いた。
「しっかり!何はともあれ、そこで待っていてください」
15分もしないで助手席に祖父ちゃんを乗せたステップワゴンが到着した。
窓を開けて手を振る祖父ちゃんの後ろから佐伯さんが怒鳴った。
「説明は後だ、すぐに乗ってくれ!」
車は祖父ちゃんちには向かっていないようだ。
気付いたボクに佐伯さんは視線を前に向けたまま説明してくれた。
「さっき連絡があった。結界となっている地蔵様が壊されていたようだ」
「えっ、じゃ、どうするんですか」
「新しい地蔵様を倉木さんが持ってくる。結界でつかう地蔵様は予備が何体か保管してあるんだ」
「でも、杓子様はどこかへ行ってしまうんじゃないですか」
「大丈夫だろう、幸いにも前回の一件で杓子様は君に執着しているはずだ」
「・・・」
「済まない」
「いえ」
重苦しい沈黙の中、車は祖父ちゃんちから5㎞ほど西に離れた場所で止まった。
倉木さんが手を振るのが見える。
「やぁ、颯太君、災難だがもう一度頑張ってもらわなくちゃならない。私たちも出来るだけの事はします」
そう言った倉木さんの足元には地蔵が置かれていたが、車がぶつかったのであろう削れたような疵があって、首も折れていた。
どうやら車が脱輪してぶつかったらしい。
「こんなところまで道路を広げやがって・・・」
佐伯さんは悪態をつきながら、倉木さんが新しく準備した地蔵を車から降ろすのを手伝っている。
どうやら杓子様を結界の中に誘い込んでから、新しい地蔵を設置して再度結界を張るらしい。
ボクはまた吐きそうになった。
また夜越しをやるのか。
しかもボクは杓子様をおびき寄せるエサでもあるのだ。