どうしてボク?
ミーティングルームで課長と話をするのは2回目だ。
「なんでボクが・・・」
「お前、俺の言う事が聞けないのか?ここで首を縦に振ろうが振る舞いが、会社が行けと言えば行かなきゃならんのだろうが!」
「だったらいきなり辞令でいいじゃないですか」
「このガキめ・・・」
課長から感情が全て消えた。
「お前がそういうなら、俺も事務的にやらせてもらう」
これは内示だ。
君は6月1日から東京本社の企画部に異動になる。
実質異動は7月1日からで、それまでは今まで通りここで勤務だ。その間、営業部の職務からは離れてもらうが、詳しくは追って指示する。
この内容については、取引先は勿論、社内でも辞令が出るまで口外無用だ。
業務等の引き継ぎがあれば準備しておいてくれ、新しい住居は賃貸のワンルームを寮扱いで会社が準備する。
また、後で企画部用の教育プログラムを配布するから勉強しておく事。
以上だ。
「異動の理由を教えてください」
課長はため息をついた。
「理由なんぞ聞いてどうする」
「自分の異動ですよ?理由もなくて納得なんてできません」
「企画部の補強だ」
「補強って、ボクが力になれるとは思えません」
課長はもうため息もつかない。手元の手帳も閉じている。
「じゃ、いつだったら力になるんだ」
「それは・・・」
「内示はしたぞ。嫌なら辞表を持ってこい」
◇*◇*◇*◇*◇
ボクが明らかに落ち込んでいた。
それは勿論、異動、ボクにとって進退問題の事もあるけど、それより課長に対してあんな態度はなかったという自己嫌悪が大きかった。
「やっほ」
「あ、アヤさん」
この女の人は篠原亜矢。
去年の入社、つまりボクの同期だ。
同期といっても大卒の彼女は年上。
だからボクは篠原さんと呼んでいたが、忘年会の“何でも言う事を聞く”を賭けたゲームで負けたボクは“アヤさん”と呼ぶことを命じられたのだ。
律儀に守るボクもボクだが、意外としっくりしていて、周りの人も気にならないようだ。
「颯太くん、元気ないなぁ」
そう、このアヤさんはボクを颯太くんと呼ぶのだ。
何だか子供に見られているというか、ま、実際年下ではあるのだけど、アヤさんと呼ぶはめになってから余計に後輩っぽいというか、上下関係というか、そんな感じになっている。
部長に“親類の姉弟を見ているようで微笑ましい”と言われた時にはさすがにやめてくれと思ったが、アヤさんはまんざらでもないというか、嫌ではないようだ。
アヤさんはいかにも箱入り娘という感じで、世間知らずな部分もある。純粋というか清楚というか、“世間をよく知らない”という感じなのだ。
彼女に接する人は男女問わず保護本能をいたく刺激されるらしく、いわゆるマスコット的な存在とでもいうのだろうか。誰もがアヤさんには優しかった。
そんな彼女が何かとボクの世話を焼く様子も“健気”で“可愛らしい”という事らしい。
ボクが小柄で童顔、色白痩せ型と、弟要素が満載なので、やっかむ奴もいない。
それはそれでボクの自尊心を傷つけるのだが、面倒にならないので助かっている。
「異動だね」
「うん」
「東京本社って憧れはあるけど、不安もあるよね」
ボクは不安ばっかりだよ・・・ってオイオイ、口外無用の話をなぜ知ってるんだ?
「え?その話って、誰から?」
「私も異動なんだ。移動先の部署も颯太君と一緒だよ」
「同じく異動だからって、なんでボクの事まで・・・」
「え?教えてって言ったら教えてくれたよ」
「あの課長め、ますます行きたくなくなった」
「え?」
「ボクは本社には行かない」
「だって、異動があるのは入社の時に説明があったでしょう?」
「でも嫌だ」
「ちょっと颯太くん、会社の指示なのよ?自分の意見を持つのは大事だけど、指示に従わないっていうのは違うと思うよ」
「でもボクの気持ちは決まってる」
「本当に断るつもり?」
「うん」
「やめてよ、そんなバカな事しないで」
打ち合わせの時間が迫ったアヤさんは何度も振り返りながら、一緒に頑張ろうと言ってくれた。
「ありがとう、でもボクは自分の気持ちを大事にしたい」
とは言ったものの、なお悩む自分がいる。
「はぁぁ~」
「おい、変な溜息ついてんじゃねぇよ。タバコがまずくなるだろうが」
声を掛けてきたのは営業二課の佐々木課長だ。
ボクが所属する営業一課と二課は対象顧客が違うものの、当然ライバルの関係にある。
なのになぜかボクは内示を打ち明けてしまった。
「お前の気持ちは分かった。だが、もう一度考えろ。お前には異動を拒否する事情がない」
「分かっています」
「会社の人事異動にはできるだけ素直に従った方がいいぞ。人事権ってのは会社の重要なカードだからな。それに意見するのはお前にとって得策じゃない」
「でもボクは決めたんです」
「お前が長欠したのは事故で入院したって聞いてたけどな。何かあったのか?」
「えっ・・・」
ボクは動揺してしまった。
「やっぱり何かあったか」
ボクは何も言えなかったが、課長の顔から眼を逸らさなかった。
「お前は悪い人間じゃないが、それだけだ」
酷い言われようである。でも事実だ。
「だが今のお前は違う。自分では気づいてないのかもしれないが強くなってる」
今度は俯くしかなかったボクを前に、佐々木課長は煙を吐き出して、灰をトンと落とした。
「お前らの異動は来月1日付けだが、実際の異動は第2四半期、つまり7月1日かららしいな。本社の受け入れ態勢が云々といってるが、それなら異動自体を7月にすれば良いだけの話だから、正直のところ解せない」
佐々木課長はボクが思いもしない事も考えている。自分の事じゃないのに、自分の部下でもないのに。
「よく分からん異動だが、会社が決めた事だ。お前らの教育プログラムが届いているだろう?しばらくそれでしごかれろ。そうすれば何を求められているのかわかるだろう。それでも嫌なら辞めりゃいい」
「はい・・・」
「それとな、お前が配属されるのは企画部だ。ウチのような営業会社にあってマーケティング部門は苦労するぞ。それだけに人間はよく見るようにな。ただ、俺の同期で岩城って奴がいる。お前の上司になる男だが、こいつだけは信用していい」
「ありがとうございます」
「ぺーぺーの休憩としてはちょっと長いな、もう行け」
そう言った佐々木課長はタバコの煙を吐きながら、もうボクの事を見てはいなかった。
*-*-*-*-*-*
ボクは疲れ果ててしまった。
自分自身に疲れてしまったようだ。
ともあれ今は早く帰って休みたかった。
明日は金曜だけど通院で休みをとっているし、土日と併せて3連休だ。
とにかく今日は早く業務を済ませて帰ろう。
デスクに戻るとすぐに課長に呼ばれた。
「伝え忘れた事がある。今回の人選は本社主導で行われている。いつもなら入社1年の異動は人数しか指示されないだが、それが指名されているという事は期待されているんだろう。それが何かは俺には分からんが」
「あの・・・」
アヤさんもですかと訊きそうになって思わず口をつぐんだ。
「お前はガキだ。大したことはできないという俺の評価は変わらん。しかし求められているならそれに沿ってやってみるのも男だろう。明日から連休だし、よく考えろ」
「はい」
*-*-*-*-*-*
会社を出て駅に向かった。
信号待ちをしていると声を掛けられた。
「やっほ」
「あれ、どうしたんですか」
「いや、帰り際に颯太君が課長に呼ばれるのが見えたのよね。ちょっと心配というか、颯太君があんな事言ってたし・・・」
アヤさんは優しい。
裏が無い優しさとでも言えばいいだろうか。
「ね、やっぱり一緒に行こうよ」
「・・・」
「一人じゃさびしいし」
「・・・」
「私はいつも颯太くんの事を心配してるよ」
「え?」
「颯太君は自分の気持ちが大事って言ってたけど、私の事も心配してほしい、なぁんてね、思ったりしてるの」
「うん」
「あした病院?」
「うん」
「異動の事もそうだけど、私の事も少しは心配してよね」
「うん」
「じゃ、ね」
「あ、あのさ」
「えっ、なになになに?」
「ボク達の異動って誰が人選したのかな」
「むー、また異動の話かぁ。私たちのようなEランクの異動は数を本社が決めて。人選は支店長が判断するんじゃないのかな?」
「そうか・・・ありがとう」
「う、うん、じゃね」
正直なところ、ボクは異動の事もアヤさんの事も考えてはいなかった。
どうして本社はボクを指名したんだろう。
翌日、病院の待合室で考えた。
歯科医院の待合室でも考え続けた。
良くわからない。
それがボクを苛立たせる。
なんでボクが東京に行かなきゃならないんだ。
同期の中には羨む奴もいるけど、自分にとっては迷惑極まりない。
時計を見るとまだ11時だった。
食事をしてもいいけど、ちょっと早い。
「とりあえず帰るか・・・」
バス停でぼんやり待っていると、道路に面したビルの解体作業現場が目に入った。
もうビルはあらかた撤去されているようだが、フェンスにシートを掛けて覆っている。
「えっ?」
無意識に声が出た。
フェンスの上に白い帽子が見える。
その白い帽子が左右に揺れた。
「てんぽう、てんぽぽっぽぽぽ」
ボクは思わず走っていた。
しゃ、杓子様だ!!
混乱の中で同じ言葉が繰り返される。
なんで?なんで?なんで?
息が苦しい。
でも死にたくない。
杓子様に憑りつかれたら・・・腐って死ぬ。
その恐怖がボクの足を動かし続けた。
公園の水場にもたれながら呼吸を整えようとした。
どうしてこんなところまで?
結界はどうなったんだ?
ボクはどうしたらいい?
混乱しながらも水道の蛇口をひねった。
うっ、ごほごほっ
むせながら水を飲んだ。
手の甲で口を拭いながら辺りを見渡す。
平日の午前中、公園を利用する人は多くない。
スーツ姿の男が2人、ベビーカーを押す主婦が1人、それだけだった。
「とにかく逃げなきゃ・・・」
水場を離れようとした瞬間、風が吹いて何かがボクの背後から通り抜けた。
目の前、5mも離れていないところに白いワンピースの見上げるような女が立っている。
「てんぽう、てんぽぽぽぽぽ・・・」
杓子様だった。
どうしてこんなところまで。
どうしてボクなんだ。