HAKU
岩城課長とボクは約1時間後にノヅチセキュリティーの研修所に到着した。
僕たちを降ろしたタクシーが走り去ると一気に静寂と闇が押し寄せる。
鉄筋コンクリート3階建。1Fには食堂と厨房、集会室があり、2Fは研修室、3Fは宿泊施設となっており、玄関前には運動場を兼ねた広場がある。
ごくありふれた研修施設といえるが、郊外に建てられたその施設は外観とは裏腹に異常な雰囲気を放っていた。
「こ、この建物って何なんですか?」
「研修所だと言っただろ」
「でも・・・」
移動中に無言で通信する岩城課長の表情から今回の問題が簡単ではない事を感じていた。
どう考えても良い話のはずがない。
運動場を突っ切って歩きながら、唐突に課長が言った。
「退魔士が喰われたらしい」
「喰われた?」
「今日は若い退魔士が出張ってやられた。簡単な仕事だったはずなんだが」
「どうしてですか」
「対象の宿主がダブルだったんだ」
「ダブル?」
「2体の霊が憑いているパターンだ」
「そんな事があるんですか」
「霊同士の波長が合ってたんだろう。それ以上に宿主が人として特殊な部類な場合が多い」
「特殊な部類って、特別な才能とかですか」
「いや、むしろ空っぽの人間だ。心に傷を負っている場合が多い」
「賀茂医師が呼ばれたのもその件ですか?」
「そうだ、喰われた退魔士がまだ生きている」
「助かるんですか」
「助かるまいが、延命処置が必要だ。除霊対象について聞かねばならんからな」
「でも、賀茂医師はかなり酔ってましたよ」
「大丈夫だ。身体から強引にアルコールを抜く方法がある。ま、10分ほどかかるし、かなり苦しいが、賀茂にはいいクスリだ」
◇*◇*◇*◇*◇
通常の除霊や浄霊において霊能者が行うのは霊への説得であり交渉となる。
それは才能と研鑚を必要とし、その技術の伝承は一部の人間にしか行われない。
しかし、ノヅチセキュリティーが行うのは戦闘力に頼った退魔であり、“ビジネス”なのだ。
ビジネスならば“採算”が重要であり、そのためには“効率”を追求せねばならない。
その結果として、ノヅチセキュリティーの退魔はおのずとシステム化されていった。
実行部隊とは別に情報収集と分析を行うセクションを持ち、情報は全て礼子に集まる。
指示命令系統は野津地礼子を頂点として、各退魔士が直接指示命令を受けるのだが、実行部隊は退魔士とそれをサポートするバッカーで構成され、バッカーは颯太の警護スタッフのアオイのように探知能力に優れた者が選ばれている。
退魔士は武装によって2つのタイプに分けられる。
アヤの憑依武装とサクラの退魔武装だが、憑依武装の退魔士はアヤを含めて僅かに3名を数えるのみだ。
勿論、憑依武装の退魔士が退魔武装を装備する事も可能だが、憑いた霊が嫌がる場合が多いので、ほとんどの場合どちらかの装備となる。
どちらにせよ、基本的には退魔士とバッカーのチームとなるのだが、バッカーの任務は、対象へのアプローチ、退魔士のフォロー、データ収集と多様だが、援護も含まれている。
今回、ノヅチセキュリティーが派遣した退魔士は若いとはいえそれなりの力を持っていたし、野津地会長が十分に勝算を持って送り込んだのだが、対象がダブルとの事前情報は無かった。
それは確認されていない1体が意図的に存在を消していたとしか考えられなかった。
となれば、主導しているのは確認された霊でも宿主でもなく、存在を消していた霊という事になるのだが、バッカーも退魔士の収容が精いっぱいで情報はほとんど得られていないという。
◇*◇*◇*◇*◇
研修所の玄関は明かりが消え、非常灯だけばぼんやりとした光を放っていたが、インターホンを押すと玄関の横にある非常用ドアが開き、背の高いひょろりとした男が姿を見せた。
白い髪、瞳は薄いグレー、アルビノだ。
なぜだろう。どこかで会ったような気がした。
そのグレーの瞳は何かを探る様にボクを見ていたが、唐突に「白戸です」と名乗ると、それで説明は全て済んだとでもいうように、背中を向けて歩き始めた。
ロビーから廊下を抜け突き当りの集会場の奥、プレートは“備品室”となっている部屋のドアを開けると、目で入るように促した。
“備品室”の床は1m四方の板が跳ね上げてあり、コンクリート製の階段が見えている。
白戸と名乗った青年が先導して地下室への階段を降りた。
階段を下りるまでもなく嫌な気が漂っており、岩城課長も珍しいほど緊張していた。
驚いた事に地下は意外と広いらしく、少し廊下を歩いて部屋を抜け、また廊下の先の部屋に案内された。
その部屋は白い壁に明るい照明、病院のような臭いがした。
ボク達がその部屋に入った時、賀茂医師と2人の白衣を着たスタッフが手術台に向かっていた。
彼らはなにかに夢中になっていた。
傍らで見守る野津地会長がボク達に視線を向け目で頷いた。
手術台の上には黒いビニール製のボディーバックが置かれ、開いた部分から人間の顔が見えた。
若い退魔士はまだ生かされていた。
「礼子はん、これはヤバイでっせ」
「死にそうな事ぐらい見りゃ分かるよ」
「いや、この傷口、細胞の動きが活発化してます。抉れた部分が細胞単位で修復されてますわ」
「それは損傷が治癒してるって事かい?」
「そうですな、でも、それは死んだ細胞でっせ。他の生きている細胞はその修復のために養分を吸われて劣化してますわ」
「結論をいいな」
「ゾンビ化でしょうな」
『!!』
「屍師かい?」
「恐らくは」
「おかしいじゃないか、ダブルとはいえ、ランクでいえばBのヤツがどうしてそんな能力を持つ?」
「わかりません」
「とにかく聞き出しな」
「わかりました」
その後の光景はとても見てはいられないものだった。
賀茂医師の問いかけに若い退魔士はこの世のものとは思えないおぞましい声で言った。
「こ、殺してくれ・・・早く」
「見たもんを言いや!」
「体の中で蠢いているんだ・・・俺の身体の中で!」
「お前の右腕を喰ったんは何者じゃ!」
「か、身体の感覚が・・・消える・・・た、助けてくれ!!」
礼子が若い退魔士の顔を覗き込んで訊いた。
冷たい声、しかし最も礼子らしい声だった。
「死にたいかい?」
「か、会長!殺してください」
懇願している。見開かれた両目からは涙が頬に伝った。
「分かったよ、これを見な」
野津地会長が出したのは小さなビンだ。エネル源とは違って蒼い色をしている。
それを見た退魔士の顔が輝いた。
小さなビンから液体が1滴、口に落とされると退魔士は至福の表情を浮かべた。
ボクは小さく岩城課長に訊ねた。
「あれは?」
「あれはRdだ。体内に取り込まれると瞬時に神経軸索に作用して痛みを遮断する。同時に恐怖や不安からも解放されるんだが、数時間後には激しい副作用が出る。ま、その前に連続投与して神経自体を破壊してしまうんだが」
Rdの意味は“安らかな終焉”だ。
安らぎを得るために使用すればそれはすなわち終焉を意味する。
「それは薬って事ですか?」
「まぁ、な。効果は高い。レシピは礼子さんしか知らないが、俺には単に化学物質だけとは思えない。そういえば、お前が腕を落とされた時に使ったのは、霊体に使うエネル源を転用したんだ」
「あ、あの時のはエネル源だったんですか」
「そうだ、キセノンには麻酔作用があるからな」
野津地会長の目は冷たかった。
「これを使って死にたいなら、除霊対象について報告しな」
「会長、身体が・・・私以外のものになっていく感覚が・・・恐ろしくて・・・」
退魔士の絶望の表情の上で小さな蒼いビンが揺れた。
「た、対象宿主は事前情報の通り、憑いていたのも報告通りランクB-の獣霊でしたが種類までは特定できませんでした」
一旦報告を開始すると退魔士の言葉は淀みなかった。
「退魔に種類特定が必要ないランクでしたので退魔を開始しました。その直後、もう一体の霊が出現しましたが、ランクも種類も分かりませんでした。確認する間もなく何かがぶつかってきたんです。そして・・・その後の記憶はありません、か、会長、薬を!」
「それだけかい?」
失望の声を吐く野津地会長はやはり恐ろしい人だ。
「ただ、対象宿主は2人と感じました」
「2人?バッカーの報告では1人だったはずだ」
「確かに1人でしたが、感覚では2人でした。も、もうこれで全てです、早く薬を!」
「待ちな。誰かが隠れていてダブルではなかったという可能性は?」
「ありません、霊は2体とも同一宿主から出現しました、は、早く・・・」
「宿主が2人と感じたのは、お前の勘違いとでもいうのかい?」
返事は無く、退魔士の身体が大きく震え始めた。
「礼子はん、このままだとゾンビ化が成立しまっせ!!」
野津地会長は無造作にビンの液体を垂らした。
退魔士の震えは痙攣のように激しくなり、やがて全てが終わった。
「頼んますわ礼子はん、もう少しで退魔士はゾンビになるところですわ」
「あぁ、済まない。ただゾンビ化しても問題は無かろう。なぁ、ハク」
ボク以外の全員が白戸と名乗った青年を見た。




