貸し
霊同士の戦いは、霊を呼ぶのだろうか。
杓子様がふたたび戦いの場に姿を現した。
「くそッ!本当に現れるとは!結界の外に出たのを察知したか」
出現した杓子様は礼子さんの声など聞こえないように、両手をぐっと握りしめたまま俯いている。
そして、ふいにあがった視線がボクに向けられた。
ボクをじっと見つめる杓子様はいつもより小さく見えた。
驚いた事に、その瞳からはぼろぼろと涙がこぼれている。
この前と同じだ。
涙は頬を伝いながら弾けるように消えていく。
ボクに一歩を踏み出してまたもや俯くと涙はさらに大きく弾じけた。
両手でワンピースの端を握りしめて震えている。
その姿は弱々しく可憐な少女のように見えた。
「土着神杓子様、アンタあたしの結界を破ったそうじゃないか。でも、無傷って訳にはいかなかったようだね」
「・・・」
「よし、今日こそ引導を渡してやろうじゃないか、蛟竜、かかりな!」
礼子の声にピクリとした童蛟だったが、杓子様に向き直ったまま動こうとはしなかった。
「どうした童蛟」
礼子からハッパをかけられても童蛟はらせん状にとぐろをまいたまま、身体を左右にゆらゆらと揺らすだけだ。
「童蛟が闘わないなんて・・・しかも敵意が全くないじゃないか、まさか同じ種族だとでも言うのか?土着神と竜の関係なんて聞いた事もないが・・・」
「うざったいんだよ!お前ら!!」
ハルペーを構えたヨーコが杓子様に向かう。
『ぶぉんッ』という音と共に杓子様の刀が現れた。
振り下ろされたハルペーを受けたが、弾くどころか押し込まれそうになっている。杓子様の消耗の激しさは想像以上のようだ。
「よし、童蛟は土海月に、サクラは颯太に向かってくる百遍ひねりを迎撃しな、蓮狐!ヨーコを援けて杓子様を討ち取るんだ!」
「だ、だめだ!!」
ボクは思わず叫んでいた。
杓子様を退魔して欲しくないという感情が自分でも驚くほど強く湧き上がった。
それは杓子様の生い立ちを知ってしまったからなのだろうか。か弱く泣く姿を見たからだろうか、その可憐さからだろうか、ボクへの強い想いからだろうか。
それとも、悲しみの涙がボクの涙と混じったためだろうか。
その時、杓子様の背後から何かが飛びだした。
ヨーコが後ろ跳びに避けてハルペーを交差して構えると同時に無数の布が宙に舞う。
「まだ来るか!」
「くっ、蓮狐!仕方がない飛び道具だ!」
いつの間にか大伴は蓮狐に姿を変えていた。
その後ろ脚から流れるように長い獣毛は炎のように逆立ち、それはまるで何本もの尾が生えているようにも見えた。
チチチチッ
軽い音が聞こえた瞬間、空中のあちこちで青い光が見え、その直後、何体もの百遍ひねりが炎を上げて地に落ち、杓子様への通路が開かれた。
「よおっし!止めは私に任せな!」
突っ込んだヨーコさんが杓子様にハルペーを振り上げた、まさにその時。
ブォンという鈍い音と共にミロクが姿を見せた。
ヨーコさんが驚きの目を見張った時には、既に抜かれた刀が迫っていた。
不意を突かれたヨーコさんはかろうじてハルペーで受けるが、身体ごと弾き飛ばされた。
ミロクはスッとボクの眼前まで移動して、ボクに慈愛に満ちた表情を見せる。
「颯太殿、そろそろ観念なされ」
礼子さんが数歩前に出てミロクに対峙する。
「ミロク!颯太の腕には百遍ひねりが憑りついてる。しかも物理的にだ」
「毎度ながら腕の1本ごときで面倒な事よ。こうすればよかろう」
言うや早くも刀を振り被っている。
ボクの腕を斬ろうというのだろう。腕ごと百遍ひねりを取り除こうとしているのだ。
ボクは絶対絶命だった。
「させるか!」
体勢を立て直したヨーコさんが割って入るが、ミロクは視線すら向けずに刀を突き出した。
「ぐッ、うぅ・・・」
ヨーコさんは崩れるように倒れた。
「ヨーコさん!!」
ボクの叫び声と野津地会長の鋭い声が交差する。
「童蛟!やれ!!」
童蛟が伸びるようにミロクに向かった。
その距離わずかに6メートル。童蛟の頭部がミロクに届いた時、その尾はまだ礼子の背後にあった。
シャシャシャッ!
水しぶきのような音を立てながら、童蛟の身体はミロクの刀で避けられた。
Uターンして戻る突進もやはり同じように躱された。
「やはり手強い!それにしても童蛟の動きが冴えない・・・何があった?」
それはボクの目にも明らかで、土海月に向かった動きと比べてスピードも鈍く、気の圧力も感じられなかった。
攻めあぐねて今度は巻きつこうとした童蛟だったが、ミロクは素早く避けつつ刀を振った。
しかし、どうした訳かミロクの打ち込みはいわゆる峰うちだ。
それでも童蛟は甲高い声を上げて距離をとった。
童蛟はしきりに杓子様を気にしているようだった。
「くそ、童蛟の様子がおかしい!調子が出ない!」
童蛟が放つ気がとんでもない力を秘めているのはボクにも分かった。
それは古狼とは全く異質なものだ。
その気が空間の物質を捻じ曲げ、かき混ぜる。
傍にいるだけでダメージを受けるほどの気。
しかし、その力は発揮されなかった。
やがて闘いを避けるように礼子さんの背後に戻ってしまった。
礼子さんは背後に回した手で何やら印を切るが、童蛟はただ浮いた体を揺らしているだけだ。
「くそッ」
切り札とも言える童蛟の変調にさすがの礼子さんも顔が険しいが、それでも印を切り続けている。
無数に舞う百遍ひねりと、不気味な触手を動かしながら巨大化を続けている土海月。
蓮狐もサクラさんも防戦一方だ。
ミロクがまたボクに向き直った。
「安心なされ、颯太殿はヒオシとして蘇るのだ。腕の再生など造作ない」
ミロクがその刀を振り下ろそうとした瞬間、ミロクの背後で光と音が弾け、衝撃波のようなものがが霊達を撃った。
直後に唸ったのはミロクだ。
「うぉっ、ヤヤ・・・お前・・・」
その背中からは煤けた煙のようなものが立ち上っている。
見れば、杓子様の周囲にいた百遍ひねりも燻りながらひらひらと地に落ちた。
「ぐぅももも・・・」
不気味な声に目を向けると土海月も頭部が大きく抉れてもがきながら叫び声をあげている。
状況が飲み込めず杓子様に目を向けたボクは声を失った。
杓子様の両腕が無い。
周囲20メートルくらいだろうか、その範囲にいた者全てにダメージを与えた。
童蛟は何かを嫌がるようにしていたが、ふっと消えてしまった。
ヨーコさんはボクの目の前で倒れたままだし、蓮狐のダメージも小さくはないようだ。
それどころか、父親であるはずのミロクまで巻き込んでいる。いや、むしろミロクを止めようとしたようなタイミングだった。
呻くミロクの背後で杓子様の身体が崩れ落ちた。
「くっ、今日はここまで」
ミロクは立ち去ろうとして、ボクに向き直った。
「ふんっ」
振り下ろされた刀にボクは思わず目をつぶった。
「みゅぎぎぃ・・・」
腕に取りついた百遍ひねりに刀の切っ先があてられた。
タオルは捩れるようにしてボクの腕から落ちて動かなくなった。
見れば刀の切っ先の形に焦げている。
「わしにできるのはここまで。喰い込んだ糸はお主の仲間に何とかしてもらえ」
ミロクは再び振り返った。
「これは貸しじゃ、婿殿」
「な!?」
思わぬ展開となった。
杓子様とミロクは土海月2体を消滅させて去った。
後に残されたのは巨大化した土海月と無数の百遍ひねりだった。
童蛟は消えてしまったし、蓮狐は消耗したうえにダメージを負っている。ヨーコさんに至っては闘うどころの状態ではなかった。
茫然とするボクの耳にサクラさんの声が響いた。
「会長!レプトン弾が尽きました!術紙も僅かです!」
「任せな、私が土海月をやる!とりあえず百遍ひねりの数を削るんだ!」
ボクの視界の端で赤い色が動いた。
「そ、颯太・・・は?無事?」
弱々しい声に目を向けると、ヨーコさんが倒れていた。
「ヨーコさん大丈夫ですか!?」
ボクの声を聞いてボクの居場所に気付いたように視線も定まらない顔を向けた。
驚いた事にその身体は少しづつ色彩を失っていった。
「これはどうなってるんだ!?ヨーコさん、これは!」
「杓子様は腕を破裂させて霊波を飛ばしたのよ、わたし、颯太を守ろうとして・・・」
「ボクの為に・・・」
「今回ばかりはちょっと・・・失敗しちゃった」
ヨーコさんらしからぬ言葉遣いは、闘いや日常に見せるがさつな態度が本当のヨーコではなかったのだと思わせた。
ヨーコの体は透けるように薄くなっていく。
「しっかりしてください!」
「もう消えるしかないの」
「消えるって、どうなるんですか!」
「人間が死んだらどうなるの?」
「え?」
「分からないでしょ?だからワタシにも分からないわ。霊が消えたらどうなるのか」




