告白
アヤさんや大伴さんの訪問があった翌々日、ボクが身を寄せるマンションの電気系統がダウンした。
業者が調べたところ、建物のあちこちで電気配線が短絡しているらしい。
紙や布の燃えた跡があり、それが原因だと言うが、どうしてそのような事が起きたのかは分からないという。
腕を組んで話を聞いていた野津地会長は、業者が部屋を出た途端毒づいた。
「ちっ、相当しつこいな。恐らくミロクの仕業だろう」
「ミロク・・・ですか?」
「あぁ、アイツは人を操るからね。何をやっても不思議じゃない」
「ミロクがこんな姑息な事するでしょうか」
「舐めない方がいい。あいつのプライドや主義は強烈なものだろうが、目的のためなら、それをあっさりと捨てるのも奴の強さだ」
何はともあれ、復旧するまでここを離れなければならない。
この建物は霊的な存在から“目立つ場所”らしい。なにせ今まで結界のせいで入れなかったエリアなのだから。しかも、今はボクという上質?なエサがある以上、このまま留まるのは危険な状態だというのだ。
勿論、ここに古狼や蓮狐などが居れば、侵入しようとする霊はまずいないのだが、古狼が憑いたアヤさんは岩城課長と仙台に出張しているし、蓮狐は明日から会長と新潟だ。
その間、ボクが待機する場所だが、現代では霊はむしろ都市部に集まる傾向にあり、加えて“厄介な性質”である場合が多い。
という事で、東京の北に位置する片田舎にあるボロアパートの一室があてがわれたのだが、それはとんでもない場所だった。
な、なんでアパートがこんな山中にポツンと建ってるんだ・・・。
人が住んでいる気配は無く、空き部屋の存在が怖い。
正直ボクはビビッていた。近所にコンビニどころか民家すらないじゃないか。
「野津地会長、あの・・・」
「うるさい、近所にスタッフが待機するから心配するな!本当に面倒くさい!」
「す、すみません」
このアパートは製材会社の社員寮だったらしいのだが、会社がつぶれて今は使用されていないらしい。
ノヅチセキュリティーが急遽手配したらしいが、簡易的な結界の場合、鉄筋コンクリートの建物よりも木造の方が結界を張りやすいとうのが原因らしい。
「安心しな。簡易的結界とはいえ防御力においては何ら変わらない。ただ術札は結界力の低下が早いから3日程度しか持たないんだ。だから札が劣化しないようにしないといけない。ま、その辺りも心配はいらないけどね」
「会長・・・この辺りはその、霊とかはいないんですか?」
「霊がいない場所なんて無い。ただ、人間に影響を及ぼすかどうかという意味では何も感じないね。山が荒れるはずだよ。人も霊も何もいないんだから」
「じゃ、結界の意味は・・・」
「杓子様とヨーコ対策だ。だから強力な周殻結界を張るのさ」
礼子さんがいうには、建物全体や部屋ごとの結界には単なる札だけではなく、それなりの設備が必要になるのだという。
今回は簡易的なものというだけあって、ボクの周りを中心から1.5メートルの範囲で守るものらしい。1.5メートルと聞けば小さく感じるが、直径3メートルの球体だと考えれば、丁度ファミリータイプのテント位の大きさだ。2晩ぐらいは我慢できる。
サクラさんを含め退魔士をアパートに配置しないのは、結界で防げない相手なら、戦っても撃退できないからだろう。それこそ無駄な損失というものだ。
相変わらず野津地会長はドライだ。
そしてまたボクは独りぼっちで夜を耐える事になった。
◇*◇*◇*◇*◇
木造のボロアパートでの2日目。
明日は出張の会長が戻るという夜、ボクは目が覚めた事を後悔した。
部屋に漂う雰囲気はヒシヒシとボクにプレッシャーをかける。
明らかに何かがいる。
と、部屋の奥、白い煙のようなものが集まっていくのが見えた。
それは徐々に人の姿になっていく。
しゃ、杓子様だ!まさかこんなところまで!
でも落ち着け、大丈夫、ボクは結界の中にいる。
その結界はどんなに小さかろうと、野津地会長曰く「短時間ながら強度は最高レベル」なのだ。あのマンションだって一度も侵入された事はないのだから大丈夫なはずだ。
それに杓子様の憑りつきにボクの同意が必要なのはほぼ間違いない。
ボクは口裂け女の憑りつきだって回避できたんだ。何とかなる。
しかし、視覚的に確認できる状態は夜越しとは違って直接的な恐ろしさをボクに押し付ける。
それでもボクが耐えていられるのは、何度も目にした杓子様に可憐なイメージを持ちつつあったからだ。
杓子様は徐々に近づいてきた。
ボクのところまで杓子様にとってはほんの2~3歩でしかないのだが、少しずつ近づいてくるように感じるのは少女のようなおずおずとした仕草のせいだろうか。
色彩をもった杓子様の顔が淡い間接照明に照らされて微笑んだ。
ボクは恐ろしさの中に置かれていても可愛いと感じた。
特にそのおっとりとした大きな瞳は無垢な少女を思わせた。
その瞳はボクしか見ていない。
杓子様の手がスッと突き出された。
その指先が結界に触れた途端、ビリッという音と共に杓子様は全身が真っ白になって震えた。
ボクを見つめていた大きな瞳も、長い睫も、長い髪も頭に乗せた帽子すら白くなっている。身体だけでなくワンピースもミュールも霊体として見せているだけなのだから当たりまえなのだが、非現実的な現象にもかかわらずボクに違和感はなかった。
驚いた表情の杓子様が色彩を取り戻した。結界に触れた手をさする様にして、視線は結界を張った空間に向けられている。
野津地会長の結界は伊達じゃない。何しろあの霊撃力に加え、何代にも渡って研究してきた倉木さんが協力しているのだ。
いける。
大丈夫だ、これなら。
結界の力に驚きつつも安心した時、杓子様がまたも近づいてきた。
ボクの足元に膝をついて、ボクに覆いかぶさる様にして、その両手が結界に触れる。
ビリッ、ジジジ・・・
まるで焦げるような音がする。
杓子様は真っ白になったが、その表情は色彩を失っても分かるほど苦痛に歪んでいる。
そして指先から手、腕、と徐々に結界の中に侵入してくる。
音は次第にジリジリという音に変わっていき、ついに顔が結界の中に入ってきた。
そして髪、首、肩、と入ってくるにつれて、焦げるような音は、バリバリバリという大きな音に変わっていった。
ボクは床に体を押し付けるように顔を横にそむけていたいたが、ふと結界が小さくなっているのに気付いてパニックに陥った。
結界は直径3メートル、高さ2メートル位のドーム型なのだが、それが徐々に小さくなっていく。
足元を見るとボクの足は結界の外にあった。
あっ、と思った瞬間、ボクの足が床に着いた杓子様の膝に触れた。
「うおぁッ」
信じられないような快感が足から脳天に突き抜けた。
恐怖とパニックの状況になかったら、射精していたかもしれない。
ボクは膝を曲げて抱え込み、横を向いた。
視線を向けると、なおも杓子様の上半身が結界の中に入ってくる。
驚いた事に頭に乗せていた帽子もワンピースも身に付けてはいなかった。結界を通過する中で本体以外の霊体表現がそげ落とされているようだ。その証拠に結界の外にある杓子様の身体は服を身に付けている。
その胸も露わにした杓子様が苦痛の視線をボクに向けて無理に笑った。
「あなたはヒオシ。わたしのヒオシ」
「力をあげる。ヒオシの力。トトサマの力」
ボクは目を瞑って叫んだ。
「ボクは望んでなんかいない!どうしてボクなんだ!どうしてボクを苦しませるんだ!」
杓子様は何も言わない。
ただ大きな瞳を悲しさと寂しさの色に染めてボクを見つめた。
「ワカラナイ・・・」
ボクは抑えつけられてしまった。
掴まれた肩から全身に快感が走る。
「あなたは何なんだ!」
「・・・ヤヤ」
「ヤヤ?杓子様じゃないのか」
「人間が勝手に呼ぶ」
人間がという表現が自らを人間ではないと宣言していた。
初めて間近に杓子様の顔を見た。
大きな目は柔らかい印象でむしろたれ目と言っても良いだろう。
後ろに束ねた黒髪が右の肩から垂れていた。
「やめてくれ、ボクに関わらないでくれ」
「ボクは望んでなんかいない」
覆いかぶさる杓子様の睫が震えたと思ったら、大きな瞳から涙が溢れた。
思わず目をつぶった。
しかし何も落ちてはこなかった。
薄く目を開いてみると、その涙は零れるたび弾けるように小さな粒になって消えていくのだ。
人間でない者は涙さえも物理的ではないのだろうか。
歯を食いしばる様にして泣く表情はまるで少女のそれだった。
「ごめんなさい」
「え?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「!?」
ボクの顔に涙が落ちた。
それは人間のものと何ら変わらない。あたたかく瑞々しい涙だった。
その涙がボクの顔に落ちてボクの涙と混ざった。
そしてボクは理解したのだ。
杓子様の存在を。
ボクは自分でも驚くほど落ち着きを取り戻した。
杓子様は結界に身を焼かれながらもしばらく耐えていたが、とても悲しそうな顔をして消えていった。
結界は直径1.5メートルほどの大きさにまで縮んでいる。
膝を抱えて座る姿勢で、やっと結界からはみ出さないようにしていたボクは、杓子様が消えた事にホッとしながらも不思議な罪悪感に捉われていた。
杓子様は恐ろしい力を持ちながら、その本質は純真な少女そのままだった。
「何だろうこの気持ちは・・・」
悩む間もなく部屋に重圧が満ち始めた。
「こ、この感覚は・・・ミロク」
ブォンという空気の振動と共に、目の前2メートルほどの空中にミロクが姿を見せた。
胡坐の姿勢で浮いている。
「済まぬな、お主には話しておかねばならぬ」
ミロクはボクに謝ると、杓子様について語った。その内容はボクをますます混乱させ、そしてますます罪悪感を強くさせた。
“ミロク”と名乗る元武士の霊は、驚いた事に杓子様の父親なのだという。
ボクと同じように杓子様に魅入られたのだが、杓子様ヤヤの母親、つまり一代前の杓子様の夫となり、与えられた高い運動能力で杓子様を守っていたというのだ。
杓子様の娘は魅入りを覚える為に父親を魅入って憑り殺し、母はそれを見届けた後、自ら姿を消すらしいが、杓子様が住まう山を守る戦いで、瀕死のミロクを守るためヤヤの母親は死んでしまったのだが、杓子様には人間に対する愛という感情は無いらしい。
それでもミロクを守ったのは、ミロクがヤヤの魅入りに必要だからだ。
しかし、ヤヤは魅入りを教える母がいなかった為に魅入りが不完全であったのか、ミロクに僅かな力が残り、時間をかけて力を取り戻したのだという。
そして、今は父親として見守っているのだという。
ミロクはヤヤが人間的な感情を強く持っていると言って溜息をつくが、元々人間であったミロクはそれを不安視する反面、微笑ましく見ているようにも感じられた。
「今日はこれまで、また改めて参るとしよう。のう、婿殿」
「む、むこ殿?」
最後に小さい笑みを見せてミロクは消えた。




