参花
野津地会長の声はこれ以上になく楽しそうだった。
「蓮狐が憑りつくための承認方法は、宿主とのセックスだ」
「え゛ぇッ!?」
「時間がない。さっさと済ませてもらえるか」
「あのあのあの・・・」
「なぁんてね、アホ面してるんじゃないよ。そんなバカな事があるもんかい」
「・・・」
「怒るんじゃないよ、器が小さいねぇ。ただ、憑りつくために相手の同意が必要な霊にとって、異性を誘惑するなんて当たり前なんだ。十分に承知してるはずだろ、憶えておきな」
からかいにもほどがある。
大伴さんはと見れば、まだ困った顔を赤く染めている。
電話で話をした時はしっかりした対応だったし、ボクより年上だろうけど、随分と可愛い人だ。
微妙な空気のなか、ドアが鳴る。
コンコン・・・
ためらいがちなドアの叩き方。たぶんアヤさんだ。
あの一件から会うのは初めてである。
それにしてもドアを隔てているのにこの存在感はなんだろう。
ボクが鋭くなったのか、それともアヤさんが変わったのか・・・
カチャリとドアが開いた。
「やほー」
控えめな声だが、間違いなくアヤさんだ。
その時、“ふぉッ”と圧力を感じた。
そこには気を放つ大伴さんが居た。
古狼と対立しているせいだろうか、その表情は険しい。
大伴さんは蓮狐本体なので反応もそのまま現れるが、アヤさんは全く気にするそぶりも見せない。
「アヤさん、元気ですか?」
「うん。颯太くんはどう?あの・・・、腕の様子とか」
「順調ですよ、こんなに簡単にくっつくんだなぁって驚いています。担当してくれたのが世界でも指折りの先生らしくて」
「はぁ~、よかったぁ」
アヤさんは本気で喜んでくれる。
それがボクを喜ばせる。
「来月からリハビリに入ります。ただ、杓子様の件が落ち着くまではこのマンションに待機だそうです」
「あの、颯太くん」
「はい?」
「颯太くん、あのね」
「はい」
「ごめんなさい。颯太くんが霊2柱に狙われてるなんて知らなかった。なのに私は色々相談したりして、体調が悪いのを颯太くんのせいにして、揚句に除霊を私に憑いている霊が邪魔して・・・」
アヤさんはぼろぼろと涙を流した。
ボクはただおろおろするばかりで、ティッシュ箱を差し出すのが精いっぱいだった。
涙を拭いたアヤさんの目には決意が感じられた。
「私が颯太くんを守るわ」
「えっ?」
「私は古狼の宿主になるって決めたの。聞いてなかった?」
「いや、退院の前日だったかな、野津地会長から聞いたけど、まさか本当だとは・・・」
アヤさんは無理をしているような笑顔を見せた。
古狼の宿主になったという事は退魔士になる道を選んだことになる。ミロクという霊の事や杓子様、口裂け女についても聞いているだろうし、“業務内容”の説明を受けているはずだ。
業務内容は退魔。
その為にアヤさんには古狼を憑けた。
これは霊の力を借りる“憑依武装”と呼ばれる。
これによって霊体に決定的なダメージを与え得る反面、肉体的にも精神的にも負担は非常に大きくなる。
ボクが知っているのはこの程度だ。
アヤさんはボクが知らない業務内容も知っているのだろう。その内容が過酷である事は安易に想像できる。
野津地会長はアヤさんを退魔士にする事に積極的ではなかった。本人の判断に任せるだけの余地はあったはずだ。
冷静に判断したとして、この仕事を選ぶだろうか?
ボクだったら絶対に選ばない。
ボクの為と聞いたけど、そんな馬鹿な・・・
「退魔士の道を選んだ理由は聞かないでね」
「え?」
「そんな心配そうな顔をしてるんだもの。それに、颯太くんが考えている事は分かるわ」
「・・・」
「まだ10日くらいだけど、野津地さんにも褒められたの。扱いがうまいって。古狼も私の事を気に入ってくれて、あんなに大きい狼で、すごい力を持っているのに、私には優しいの。何でも言う事を聞いてくれるし」
「だから、私が颯太くんを守るわ。古狼と一緒に。だから安心して」
アヤさんは知らないんだ。
杓子様やミロクの力を。それにヨーコさんだって決して弱くは無い。
この前の闘いはエネルギー状態が万全ではなかっただけだ。
あの時、アヤさんが正気でいられなかったのはミロクにエネルギーを吸われたからに違いないのだ。つまり狼古が憑いても同じような状態になる可能性がある。
それにあの戦場の圧力は並大抵のものではない。
事実、最初にこのマンションでアヤさんは体調を崩したじゃないか。
野津地さんもアヤさんは耐久性に問題があると言っていたし。
ボクの不安を知ってか知らずか、アヤさんは自信ありげに微笑んだ。
「ふふっ、見てて」
アヤさんが軽く目を瞑って小さく何かを唱えた。
部屋の空気がアヤさんに集まっていくような感覚。
その空気の塊がアヤさんの側に鈍い光となって現れた。
アヤさんの右手が不規則に動き、その度に手に札が握られる。
「あっ」
思わずボクの口から驚きの声が漏れた。
そうだ、野津地会長が古狼や蓮狐を呼び出した時と同じ動きだ。
野津地会長の手の動きは速くて見えなかったが、今回ははっきりと見える。
4枚の札が握られた、その時。集まっていた空気が一気に放出された。
「こ、これは・・・」
「そう。古狼よ。まだ出て来てもらうだけで精一杯だけど」
目の前の古狼は今までとは明らかに違った。
アヤさんの体を巻くように寄り添い、頭をこすり付けるようなしぐさを見せた。
それはまるで大きな犬のようにも見えた。
ウルフドックと呼ばれる犬種がある。
犬と狼を交配させたもので、知能が高く抜群の運動能力を示すが、独立性が非常に強く飼育は困難だ。
しかし、一旦仲間と認めるとその絆は他の犬種よりはるかに強いといわれている。
昔、ネイチャー番組でウルフドックを扱ったドキュメントを観た事があるのだが、古狼のアヤさんに対する態度は、ボクにウルフドックを思い出させた。
しかし、古狼は正真正銘の狼だ。
性質の傾向はウルフドックよりも更に強いのだろう。
古狼はアヤさんの前に立ち、ボクとアヤさんの間に体を置いた。
これはアヤさんを守る態度だ。
怪我人のボクに何ができるっていうんだ。
アヤさんを守ってくれるのはありがたいけど、ボクを警戒する必要なんてないのに。
様子を見ていた野津地会長が腕を組んだまま立ち上がった。
「あれはね、甘えてるんじゃなくて、甘えてあげてるんだ。少なくとも古狼はそう考えてる。自分が甘える事で篠原が喜んでくれるのが分かっているのさ」
「篠原の耐久性に問題があるのに古狼を憑ける決断をしたのも、古狼が篠原をこれまでになく気に入ったからだ」
その時、とてつもない気の圧力を感じた。
大伴さんだ。
先ほどより何倍も強い。
振り返ると、大伴さんの髪がふわりと浮きあがるように揺れている。
先ほどの穏やかな様子からは想像もできない突き刺すような気を放っている。
「大伴、お前は事務所に戻って颯太のリハビリと復帰後の活動を検討してくれ」
「・・・はい」
厳しい声だったが、ボクの視線に気づくと、ふっと気が収まり、ニコリと微笑んだ。
「それでは失礼します」
ボクに憑くはずじゃなかったのか?
拍子抜けする感覚は、自分が何かを期待していたのかと思うに十分だった。
ボクの視線はドアへ向かう大伴さんの背中に向けられている。いや、正直に言えばお尻だ。
これが蓮狐の術なのか大伴さんの魅力なのかボクには分からなかった。
「よし、アヤも帰りな。もうすぐ結界を張るからね。古狼や蛟竜、蓮狐もいるこの部屋にやってこようなんて霊もいないだろうけど、ミロクみたいなのもいる事だし、注意するに越したことないからね」
「この結界には誰も入れないんですか?」
「まぁね。ただそれは結界の壁というか、バリアみたいなもんだ。周殻結界と呼んでる」
「じゃ、例えばアヤさんが部屋にいても大丈夫って事ですか?」
「そうだよ。ただ出られないってだけだ。本当はこの部屋を全て霊的忌避空間にする空間結界を張ってもいいんだが、周殻結界の方が強い結界が張れるからね」
霊的忌避とは霊や物の怪が嫌う状態を言い、それを空間全体に施したものを空間結界、空間を包む殻のように結界を張ったものを周殻結界と言うらしい。
「それに、お前の腕は杓子様の霊的影響と私の呪術を受けてる。ここで空間結界を張ったらお前の腕は崩れ落ちちまうよ。空間結界は周殻結界より弱いとはいえ、並の霊なら耐えられないほどだ。ま、ヨーコやミロクのようなレベルだと空間結界の中でも活動できなくはないからね、だからどちらにせよ周殻結界を張らざるを得ないんだけど」
「そうでしたか・・・」
「ま、とにかくリハビリだ。まずはグーパーができるように努力してみな」
「今日は済みませんでした」
「ん?」
「あの、大声を出してしまったり・・・」
「はん、気にもならないね、むしろ私が気にするぐらいの男になってもらいたいもんだ」
相変わらずの言葉の中に何か温かいものを感じる。
「じゃ、私が出たらすぐに結界を張るからね」
そう言って野津地会長が部屋を出た時、ボクの視界の端で何かが動いた。
黄色いものが床に落ちている。ベッドのボードから落ちたのだろうか、よく見ると黄色いハンドタオルだが、見た事が無いものだ。
「あれ?誰かが忘れて行ったのかな?」
と、その瞬間、霊的な闇が訪れた。これは結界が張られた事を意味している。
霊的静寂だ。
それは強烈な孤独感を感じさせ、かえってボクを不安にさせた。
その直後スタッフが現れた。
結界を通過できる彼女達は人間だ。しかし、有能かつ霊感に鋭い。
“サクラ” “アオイ” “アヤメ”
ノヅチセキュリティーの特別スタッフである彼女達は一種のコードネームなのだろうか、花の名前で呼ばれている。
3人の中で最も小柄なアオイさんが、目を閉じて何か念じるようにしていたが、ぱっと目を開いて言った。
「窓の外に何体が居ます。ランクはD-およびUE」
それに応えるのはボクの講義で中心となっているアヤメさんだ。
「あ、ほんと何かいるわ。良く分かるわね。やっぱりアオイは鋭いわ」
「当たり前だ、アオイは我らのレーダーなのだから」
サクラさんがピシリと言って、それ以上の無駄口をきかせない。
なるほど、万が一部屋に何かが居てもアオイさんが気づくのか。
見つけたら恐らくサクラさんが対処するのだろう。
勿論、対処というのは退魔を意味するだろう。しかし彼女は憑依武装をしていない。
となれば、人間が行う退魔となる。
そういえばサクラさんは名刺サイズの薄いケースを胸、大腿、腕などいたる所に付けているし、腰には拳銃のホルスターのようなものを下げている。
ボクはそれらに力を感じ取っていた。
それは講義の一部として行っている訓練の成果なのかもしれないが、公園の一件以来、霊的感覚が鋭くなっている事をボクに実感させた。
サクラさんの装備はともかく、あの会長から任せられるぐらいだから、かなり“デキる”という事は想像に難くない。
「アオイ、結界の外はいい、この部屋の中はどうだ」
「はい、ありません」
「よし、いいだろう。しかし、会長にも困ったものだ。結界さえ解かなければ心配などないものを」
「でも、あの方らしいです」
「確かに会長らしいわね、荒木君は迷惑だろうけど、ね」
小さくウィンクするアヤメさんに、ボクは包帯が巻かれた左腕に視線を落とした。
「い、いやいや、そんな事ないですよ」
「慌てなくてもいいわよ、言ったりしないから」
ボクが戸惑ったのは会長の話だからだけじゃなく、アヤメさんに女性を感じたからだ。
それが益々ボクを慌てさせる。大伴さんの事といい、最近のボクはどうしてしまったのだろう。
アオイさんが突然ボクに訊いた。そんなボクにアオイさんが突然訊いた。
「荒木さんは会長が怖いと思いますか?」
「・・・怖いね。あの人は怖いよ。でも、それは強さも優しさも・・・愛情さえ含んだ怖さだと思う。だからそれは恐怖の怖れじゃなく、畏怖の畏れなんだと思う」
「そう思ってるの?」
アヤメさんはいつになく真面目な声だった。
「うん、この気持ちに理由が必要なら、それは何と言っていいか分からないけど・・・」
「いや、それで十分だ」
腕を組んで聞いていたサクラさんがボクを見つめた。
その目はさっきまでの冷徹な目とは違っていた。勿論、それは愛情とかいうものではないけれど、親しみを感じさせるような温かい視線なのだ。
その視線が再び力を帯び、低い声がボクに向けられた。
「安心してくれ、リハビリが終わるまでは我々が必ず守る」




