四つ巴
不安に思い悩んだ割に、意外と良く眠れたボクは爽やかな朝を迎えた。
目覚めたのは7:00。
なぜだか気持ちがうきうきしている。
もちろん公園には行かないという意思が固まっていた。
でも、どうしてこんなに愉快なんだろう。
ボクが行かなくても野津地さんが何とかしてくれる。
古狼のような霊を操っているくらいだから大丈夫に違いない。
このうきうきした気持ちは解決を確信した安心感なのだろうか。
朝食を済ませ、新聞を買って読んだ。
時刻は8:30。
古狼と口裂け女とはどういう闘いになるのだろう。
古狼と同じような霊が他にもいるようだったけど、連れてくるのだろうか。
自分が安全だとそんな興味が湧いてくる。
ただ、そうだとしても公園に行こうとは思いもしない。
テレビを点けた。
くだらない。本当にくだらない番組ばかりで、これなら見ない方がマシだった。
引っ越しの片づけは終わっているから、やらなきゃいけない事といったら課長から渡されたファイルだけだが、どうしてもやる気にならなかった。
時刻は9:30
何をする気も起きなくて、寝転んでぼうっとしていた。
目をつぶるとあの女の顔が浮かぶ。
白いきめ細やかな肌と形の良い唇、切れ長の目に長い睫。
そして胸元から良い香りがした。
記憶ははっきりしないが、頭に思い浮かべる胸元は大きく開いていた。
ノヅチセキュリティーは、あの女性を退魔するという。
もう見る事もできない。
そう考えるとじっとしていられなかった。
ひと目だけでも見ておきたい。あの女性を。
ただ、そんな想いもボクの妄想の延長でしかない。
妄想とは実行が伴わないものだ。
だからボクが公園に行くことはない。
時計を見ると時刻は11:00。
あと1時間か・・・
突然、ボクは恐怖に掴まれた。
もし、口裂け女がここに来たら。
公園にボクがいない事を知って。
公園にノヅチセキュリティーが待ち構えているのを知って。
もしかすると既に監視されているんじゃないだろうか。
ボクが公園に行くかを確認するために、まさに今、監視されているんじゃないだろうか。
あの女性はボクを傷つけてはいない。
あの美しい女性はボクから何一つ奪ってはいない。
ただボクは約束をした。
その約束を反故にして、あまつさえ退魔するために退魔士を待ち構えさせている。
あの良い香りがする女性を裏切って消滅させようとしている。
会って謝ろう。
謝れば許してもらえる。
そして話し合おう。
話し合えば分かるはずだ。
ボクがどうすれば良いのかを。
*-*-*-*-*-*
公園に行くと、出入口に立ち入り禁止の看板が立っている。
『 - 害虫駆除および除草作業のため、本日は終日使用できません - 』
これもノヅチセキュリティーの手配だろう。
しかも本当に除草と殺虫剤噴霧が行われている。
停車している車両は本物の区役所車両だ。
ノヅチセキュリティー、野津地礼子とは何者なのだろう。
そうこうしているうちに時刻は11:30となった。
作業が終わったのか一斉に片付けを始め、11:45には誰もいなくなった。勿論、作業中の看板や車両、公園の外にいる入口の警備員はそのままだ。
「おい」
ビクッとして振り向くと岩城さんが離れた木陰から姿を見せた。
「会長がやけに楽しそうだと思ったら、依頼者はお前だったのか」
「済みません」
「いや、そのお陰で俺の方のゴタゴタはうやむやになった。助かったよ。それにしても相手は口裂け女だって?これはまたキワモノに気に入られたもんだな」
「キワモノって、ボクの身にもなってくださいよ」
「お前うれしそうに言うなよ。完全に嵌まってるな」
「嵌まってなんかいませんよ、ただ、ボクはあの女性に謝らなきゃならなくて・・・」
「バカ、もういい。いま説明しても意味がないからな。ただ、口裂け女ってのは意外と霊力が強くてな、ランクも上位に入ってくるほどだ」
「上位ランクですか。やっぱすごいですよね、あの女性は」
「か~、こりゃダメだな。だが安心しろ。今日の礼子さんは無敵だ」
「何ですか?無敵って」
「まぁ、見てりゃ分かる。そろそろ時間だ。俺は離れて見てるからな」
*-*-*-*-*-*
来た!
真夏の公園に赤いハーフコートを羽織ったマスクの女が姿を見せた。
時間は12:00ジャスト。
口裂け女は意外と律儀だった。
黒い髪と赤いハーフコート、そしてコートに包まれた肉体を揺らしながら歩いてくる。
ボクは自分から一歩前に出ていた。
彼女は真っすぐ近づくと、あの右手をボクの頬に添えた。
昨日とは比べ物にならないほどの快感が走る。
マスクを外すと美しい唇が動いた。
「来てくれてありがと」
「ボ、ボク、謝らなきゃ」
「いいのよ、来てくれたんだもの」
そう告げた唇が歪んで、鋭い視線が左右に揺れる。
「何なのよ・・・これは」
ボクの右手にある木立に人影が見えた。
黒いタイトスカートとジャケットにサングラス。
そして黒ずくめの中で映える赤く引かれたルージュ。
姿を現したのは野津地礼子。
ノヅチセキュリティーの会長にして最強の退魔士だ。
その左右には2頭の獣が控えている。
右側には“古狼”、そして左には二回りほど小さい獣。
その獣は後ろ脚から尾にかけて獣毛がふさふさと長く後方へ流れていた。
「颯太、お前は私のお気に入りだからね。わたしンところのツートップで来てやったよ」
「“古狼”は知ってるね。そして、こっちがお前に憑けようと思ってた“蓮狐”だ」
野津地会長は鋭い上目で睨む口裂け女に向き直った。
「裂け女を片付けたらきちっと蓮狐に憑かれておくれ。憑かれるのが嫌なんて言ったら今回の料金、払ってもらうからね」
「コイツって、私にはヨーコって名前があるのよね」
「あっそう。じゃ、そのヨーコちゃんに選択権をあげるわ。自分からこの子を諦めるか、力づくで諦めさせられるか、どっちがイイ?」
「何言ってんの? オ・バ・ア・サン」
「おばあさん!?」
「当たり前じゃないの!そんな歳でタイトなミニなんか履いて!気持ち悪ぃんだよババァ!」
「あんたね!オバアサンだのババァだの、この私にそんな口利く奴なんていないよ!」
「心の中じゃ全員が叫んでるっての!気付いてないのは自分だけよ、おばあチャン!」
「こぉの!お前の選択権はもう無しだ!力づくでいかせてもらうよ!」
「ったく、年寄りのくせに。熱くなりすぎてあの気配に気付かないって?」
全員の視線が向いた。
『!!』
それは白くぼやけて見えたが、徐々に人の形になっていく。
身長は2メートルを優に超えているだろう。
「は、はっ、はっ・・・」
ボクの呼吸は乱れ、肺が押しつぶされそうになった。
「し、杓子様だ、な、なんで、なんで杓子様がここに・・・」
そうしている間にも杓子様の真っ白な煙のような体は、生き返ったように、その色と質感を取り戻した。
白いワンピースに白いミュール。そして頭には白いキャペリン。
黒髪は腰の上まで届くほどの長さだ。
しかし、俯いていて表情まで見る事はできなかった。
野津地会長が目を細める。
「あれが杓子様、土着神か・・・こりゃ大した力を持ってるね。童蛟も連れてくりゃ良かったか」
ヨーコが杓子様に向き直った。
「あんた、何をしようってんだ?この子は私が先に目をつけたんだけど?」
杓子様は何も言わない。ただ、ボクに近づいてくる。
「何だい、この子のモテっぷりは大したもんだ」
冗談を言う野津地会長も笑ってはいなかった。
ジャラっ
金属音に振り返るとヨーコがヌンチャクのようなものを手にしていた。
ジャキッ
柄の部分から刃が開いて鎌のような形になった。
「鎌だと思ってる?これはハルペーっていうのよ」
不意にヨーコが踏み出した。
杓子様にハルペーを振り下ろす。
がきぃッ!!
ヨーコが振り下ろしたハルペーは真っ白な刀に阻まれた。
驚いた事に杓子様はまた色彩を無くして、塗装前のフィギュアのように真っ白に変化していた。
「このぉッ」
ヨーコがもう1本のハルペーを打ち込もうとしたが杓子様が刀を横に振るとヨーコの体ごと弾かれた。
杓子様が手にした刀は稲妻を刃にしたような不思議な形をしていたが、炎のように揺らめいたかと思うとスッと消えてしまった。
杓子様がまたボクに歩を進める。
「くそッ!」
ヨーコがハルペーを構え直して立ちはだかる。
「あんた、ここいらじゃ見かけないね。そんな力を持ってて私が気づかないはずがないんだよ。どこから来たのか知らないけどさぁ、さっさと帰んな!」
ヨーコの口調がヤンキーっぽくなってきた。
「まったく何だってんだ今日は。口裂け女に古狼と蓮狐をセットでぶつけてるだけでも大事なのに、おまけが土着神だって?」
野津地会長の両手が獣達を撫でるように動いた。
「よし、行けぇ!」
野津地会長の両手には何枚もの札が握られている。
同時にボクの背後から二つの影が飛んだ。
古狼と蓮狐だ。
古狼は杓子様に、蓮狐はヨーコに向かう。
この時、杓子様の刀が再び現れた。
空気が歪んだように見えたかと思うと周りから白い煙のようなものが集まって、刀になるのだ。
硬いものがぶつかる鈍い音がして古狼が杓子様から離れた。
杓子様は髪も瞳も唇も全てが白く表情すら読み取れなかった。
身を低くして身構える古狼に対し、杓子様は刀を構えもしない。
それでも古狼が飛び込まないのは隙が無いからだ。
図らずも睨み合いとなった。
一方のヨーコと蓮狐も睨み合いとなっていた。
しかし、こちらは蓮狐がやや優勢のようでヨーコの頬に傷が見える。
「ちっ」
ヨーコの口が歪んだ。
「お前が邪魔なんだ!」
ヨーコは無謀にも蓮狐に背を見せて杓子様に斬りかかった。
その後を蓮狐が追う。
古狼も突っ込む。
四つ巴の闘いになるかと思っていると、蓮狐も杓子様に向かっているようだ。
杓子様の刀がもう1本現れた。
二刀遣いとなった杓子様は何とか凌いでいる。
「古狼と蓮狐を同時に相手にするなんて・・・」
力のせいか、スピードが速いせいか、杓子様の振る刀はしなっているように見えたが、驚いた事に刀は振っている最中でも大きく軌道を変えた。
これで一振りで複数の相手を捉える事ができるようだ。
しかもリーチが長いうえに二振りあるのだから、戦う相手としては厄介であろう。
空気を切る音と鈍い音が交差する中、野津地が舌を巻く戦闘力を発揮した杓子様だったが、如何せん多勢に無勢、やや押され始めた。
特にヨーコの攻撃は執拗で、古狼や蓮狐はむしろ攻撃を控えているようにも見えた。
このままでは杓子様はいずれ押し込まれてしまうだろう。
闘いの結末が見えてきた、その時。
ボクの視線は杓子様の後方にいる人影をとらえていた。
「え?アヤさん?」




